婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

文字の大きさ
7 / 28

第七話:辺境の村と最初の課題

しおりを挟む
 あの無愛想な猟師――レオンと名乗ったか――と別れた後、私はすぐに目的地である辺境の村にたどり着いた。

 村は、粗末だが頑丈そうな木の柵で囲われていた。王都の壮麗な城壁とは比べるべくもないが、魔物の侵入という実用的な脅威に対し、より現実的に作られている。

 門をくぐると、そこには王都の洗練とは無縁の、剥き出しの生活の匂いが満ちていた。泥濘の残る道、石と木で無骨に組まれた家々、響き渡る鍛冶の音と、土に汚れた子供たちの笑い声。そして、破れたドレスを着た見慣れない私に向られる、警戒心と好奇心が半々に混じった視線。

 私はそれらの視線を意に介さず、門番に村長の家を尋ね、まっすぐにそこへ向かった。

 村長の家は、村で一番大きいとはいえ、私が王都で暮らしていた屋敷の馬小屋ほどの広さしかなかった。通された部屋で待っていると、やがて白髭をたくわえた、好々爺といった風貌の老人が現れた。彼がこの村の村長、ドルガンらしい。

「見ない顔じゃが……あんたさん、どこから来なさった。こんな辺境に、おなごの一人旅とは」
「わたくしはリディア、と申します。旅の魔術研究家、とでもお考えください。しばらくの間、この村に滞在させていただきたく、お伺いしました」

 身分を隠し、そう告げると、村長は探るような目で私をじろりと見た。当然の反応だろう。私はテーブルの上に、密かに持ち出した金貨を数枚、静かに置いた。

「宿代の前払いです。ご迷惑はおかけしません」

 金貨の輝きに、村長の目の色が変わる。だが、私が彼に提示したのは金銭だけではなかった。

「ところで、村長殿」

 私は窓の外に見える村の防壁を指さした。

「あの防壁、支柱の間隔が等間隔に過ぎますわね。魔物の衝撃という応力は、決して均等にはかかりません。支柱の位置を、例えばフィボナッチ数列に基づいて再配置するだけで、同じ木材の本数でも耐久性は飛躍的に向上しますが……ご興味は?」
「ふぃぼ……? なんだそれは」
「黄金比、という言葉ならご存知かしら。自然界で最も安定するとされる比率の数列です」

 村長は私の言葉を完全には理解できていないようだったが、私がただの世間知らずな貴族ではないことは察したらしい。彼が腕を組み、唸り始めた、その時だった。

「村長、いるか。今日の獲物だ」

 低い声と共に、部屋に現れたのは、あのレオンだった。彼は仕留めた魔物の素材らしき袋を肩に担いでいたが、私を見るなり、その鋭い目をさらに険しくさせた。

「あんた、あの時の女か。なぜここにいる」
「レオンか。このリディアというおなごが、村に滞在したいと言ってきてな」
「断るべきだ。俺が森で会ったが、こいつはゴーレムの前でも平然としてやがった。どう考えてもまともじゃない。厄介事を持ち込むに決まってる」

 レオンの敵意むき出しの言葉に、私は静かに向き直った。

「あなたの魔法の方が、よほどまともではありませんでしたわ。あれほどの才能と魔力を持ちながら、その大半を無駄に虚空へ垂れ流しているのですから。宝の持ち腐れとは、まさにああいう現象を指すのでしょうね」
「な……貴様!」

 激昂しかけるレオンを、村長が手で制した。

「まあ待て、レオン。……リディアと言ったな。あんたさんの言う、その『ふぃぼなっち』とやら、少し見てみたい気もする。よし、分かった。村のはずれにある納屋なら、今は誰も使っておらん。好きに使うがいい。ただし、村で問題を起こしたら、即刻出て行ってもらう。いいな?」
「ええ、結構ですわ」

 こうして、私はこの村に、ささやかながらも活動の拠点を得ることになった。

 案内された納屋は、蜘蛛の巣が張り、干し草と土の匂いがする、埃っぽい小屋だった。だが、私の目は輝いていた。王都の、何一つ不自由のない豪奢な自室よりも、この誰にも邪魔されない空間の方が、よほど私の心を躍らせた。

 早速、私はわずかな手荷物を解く。数冊の専門書、羊皮紙の束、インクとペン。それらを粗末な木の机に並べれば、そこはもう、私だけの研究室だった。

 私はすぐに羊皮紙を広げ、複雑な数式を書き連ねていく。

 テーマは、【観測対象A(レオン)の魔力放出におけるエネルギー損失率の算出、及びその改善に関する考察】。

 あの乱雑で、しかし力強い魔法の軌跡を思い出しながら計算に没頭していると、不意に外から村の鐘がカンカンカン、とけたたましく鳴り響いた。何事かと叫ぶ村人たちの声も聞こえてくる。

「大変だ! 西の井戸が!」
「水がほとんど出ねえ! このままじゃ水が止まっちまう!」

 私はペンを置き、小さな窓から外の騒ぎを眺めた。村人たちが井戸の周りに集まり、途方に暮れた顔で水面を覗き込んでいる。どうやら、村の生命線である水源に、何らかの問題が起きたらしい。

 私の口元に、知的な笑みが浮かんだ。

「どうやら、最初の実験課題が、向こうからやってきてくれたようね」

 この村が、私の知識を正しく評価するかどうか。その試金石としては、ちょうどいい。

 私は羊皮紙の裏に、水理学と構造力学に関する数式を、静かに書き出し始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。 荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。 「この猫に構うな。人間嫌いだから」 冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。 猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。

契約結婚のはずが、気づけば王族すら跪いていました

言諮 アイ
ファンタジー
――名ばかりの妻のはずだった。 貧乏貴族の娘であるリリアは、家の借金を返すため、冷酷と名高い辺境伯アレクシスと契約結婚を結ぶことに。 「ただの形式だけの結婚だ。お互い干渉せず、適当にやってくれ」 それが彼の第一声だった。愛の欠片もない契約。そう、リリアはただの「飾り」のはずだった。 だが、彼女には誰もが知らぬ “ある力” があった。 それは、神代より伝わる失われた魔法【王威の審判】。 それは“本来、王にのみ宿る力”であり、王族すら彼女の前に跪く絶対的な力――。 気づけばリリアは貴族社会を塗り替え、辺境伯すら翻弄し、王すら頭を垂れる存在へ。 「これは……一体どういうことだ?」 「さあ? ただの契約結婚のはずでしたけど?」 いつしか契約は意味を失い、冷酷な辺境伯は彼女を「真の妻」として求め始める。 ――これは、一人の少女が世界を変え、気づけばすべてを手に入れていた物語。

悪役令嬢、資産運用で学園を掌握する 〜王太子?興味ない、私は経済で無双する〜

言諮 アイ
ファンタジー
異世界貴族社会の名門・ローデリア学園。そこに通う公爵令嬢リリアーナは、婚約者である王太子エドワルドから一方的に婚約破棄を宣言される。理由は「平民の聖女をいじめた悪役だから」?——はっ、笑わせないで。 しかし、リリアーナには王太子も知らない"切り札"があった。 それは、前世の知識を活かした「資産運用」。株式、事業投資、不動産売買……全てを駆使し、わずか数日で貴族社会の経済を掌握する。 「王太子?聖女?その程度の茶番に構っている暇はないわ。私は"資産"でこの学園を支配するのだから。」 破滅フラグ?なら経済で粉砕するだけ。 気づけば、学園も貴族もすべてが彼女の手中に——。 「お前は……一体何者だ?」と動揺する王太子に、リリアーナは微笑む。 「私はただの投資家よ。負けたくないなら……資本主義のルールを学びなさい。」 学園を舞台に繰り広げられる異世界経済バトルロマンス! "悪役令嬢"、ここに爆誕!

婚約破棄?結構ですわ。公爵令嬢は今日も優雅に生きております

鍛高譚
恋愛
婚約破棄された直後、階段から転げ落ちて前世の記憶が蘇った公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド。 彼女の前世は、ブラック企業で心身をすり減らして働いていたOLだった。――けれど、今は違う! 「復讐? 見返す? そんな面倒くさいこと、やってられませんわ」 「婚約破棄? そんなの大したことじゃありません。むしろ、自由になって最高ですわ!」 貴族の婚姻は家同士の結びつき――つまりビジネス。恋愛感情など二の次なのだから、破談になったところで何のダメージもなし。 それよりも、レイラにはやりたいことがたくさんある。ぶどう園の品種改良、ワインの販路拡大、新商品の開発、そして優雅なティータイム! そう、彼女はただ「貴族令嬢としての特権をフル活用して、人生を楽しむ」ことを決めたのだ。 ところが、彼女の自由気ままな行動が、なぜか周囲をざわつかせていく。 婚約破棄した王太子はなぜか複雑な顔をし、貴族たちは彼女の事業に注目し始める。 そして、彼女が手がけた最高級ワインはプレミア化し、ついには王室から直々に取引の申し出が……!? 「はぁ……復讐しないのに、勝手に“ざまぁ”になってしまいましたわ」 復讐も愛憎劇も不要! ただひたすらに自分の幸せを追求するだけの公爵令嬢が、気づけば最強の貴族になっていた!? 優雅で自由気ままな貴族ライフ、ここに開幕!

冷酷侯爵と政略結婚したら、実家がざまぁされました

鍛高譚
恋愛
「この結婚は、家のため。ただの政略結婚よ」 そう言い聞かせ、愛のない結婚を受け入れた公爵令嬢リゼット。 しかし、挙式後すぐに父が「婚約破棄しろ」と命じてきた!? だが、夫であるアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵は冷たく言い放つ。 「彼女を渡すつもりはない」 冷酷無慈悲と噂される侯爵が、なぜかリゼットを溺愛し始める!? 毎日甘やかされ、守られ、気づけば逃げ場なし! さらに、父の不正が明るみに出て、公爵家は失墜―― リゼットを道具として利用しようとした者たちに、ざまぁの鉄槌が下される! 政略結婚から始まる、甘々溺愛ラブストーリー! 「愛なんてないはずなのに……どうしてこんなに大切にされるの?」

追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす

yukataka
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。

彼女が微笑むそのときには

橋本彩里(Ayari)
ファンタジー
ミラは物語のヒロインの聖女となるはずだったのだが、なぜか魔の森に捨てられ隣国では物語通り聖女が誕生していた。 十五歳の時にそのことを思い出したが、転生前はベッドの上の住人であったこともあり、無事生き延びているからいいじゃないと、健康体と自由であることを何よりも喜んだ。 それから一年後の十六歳になった満月の夜。 魔力のために冬の湖に一人で浸かっていたところ、死ぬなとルーカスに勘違いされ叱られる。 だが、ルーカスの目的はがめつい魔女と噂のあるミラを魔の森からギルドに連れ出すことだった。 謂れのない誤解を解き、ルーカス自身の傷や、彼の衰弱していた同伴者を自慢のポーションで治癒するのだが…… 四大元素の魔法と本来あるはずだった聖魔法を使えない、のちに最弱で最強と言われるミラの物語がここから始まる。 長編候補作品

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

処理中です...