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第八話:物理的閉塞と最適解
西の井戸へ向かうと、そこはパニックと諦めが入り混じった、混沌とした空気に包まれていた。
「だめだ、もうほとんど汲めねえ!」
「このままじゃ飲み水も畑の水もなくなっちまう……」
村人たちが口々に不安を叫ぶ中、井戸の周りでは一人の男が奮闘していた。レオンだ。彼は井戸の縁に立ち、その屈強な両腕に莫大な魔力を集中させていた。
「うおおおっ!」
雄叫びと共に、彼の掌から放たれた風の魔法が、井戸の底へと叩きつけられる。しかし、返ってきたのはゴボゴボという鈍い音と、跳ね返ってきた泥水だけ。レオンの顔も、その返り血ならぬ返り泥で汚れていた。
(なんて無駄なことを……)
私はその光景を冷静に観察しながら、騒ぎの中心へと歩みを進めた。私の姿に気づいた村人たちが、「よそ者は引っ込んでろ」「あんたに何が分かる」と敵意のこもった視線を向ける。私は彼らを無視し、困惑した表情で腕を組む村長ドルガンの元へ直行した。
「村長殿」
「おお、リディアか……見ての通り、大変なことになってしもうてな」
「いくつか質問よろしいですか。この井戸が掘られたのはいつです? 深さは? 建設当時の設計図や、この辺りの地層に関する記録はありますか?」
矢継ぎ早の専門的な質問に、村長は目を白黒させている。レオンも、無駄な努力を中断して、いぶかしげな顔でこちらを見ていた。
「え、ええと……確か50年ほど前じゃったかな。設計図なんぞ、そんな大層なものはないが……」
「結構です。必要なデータは揃いました」
一通りの聞き取りを終えた私は、集まった村人たちに向き直り、静かに宣言した。
「皆様、ご安心ください。原因は水脈の枯渇ではありません。長年の使用による、井戸の底のメンテナンス不足。単純な物理的閉塞ですわ」
「ぶ、物理的へいそく……?」
「要するに、ゴミが詰まっているだけ、ということです」
私の断言に、村人たちがざわめく。レオンが吐き捨てるように言った。
「知ったような口を叩くな。詰まってるだけなら、俺の魔法で吹き飛ばせるはずだ」
「いいえ、無意味です」
私は即座に否定すると、地面に落ちていた木の枝を拾い、井戸の簡単な断面図を描いて説明を始めた。
「井戸の底には、長年の間に流れ込んだ細かい土砂が粘土層のように堆積しています。あなたはその上から、ただ闇雲に力を加えているだけ。それでは土砂がさらに圧縮されるか、泥水が舞い上がるだけで、根本的な解決にはなりません。パイプの詰まりを、上からいくら叩いても意味がないのと同じ理屈ですわ」
理路整然とした私の説明に、レオンはぐっと言葉を詰まらせる。村人たちも、反発しながらも、私の言葉に妙な説得力を感じ始めているようだった。
「では、どうすればいいというのだ」という村長の問いに、私は待ってましたとばかりに答えた。
「解決策は一つ。堆積した土砂だけを効率的に巻き上げ、外部へ排出する『指向性螺旋水流』を井戸の底に発生させます。流体力学の応用ですわ」
そして、私はまっすぐにレオンを見つめた。
「そのために、あなたの魔力が必要不可欠です。有り余るあなたのパワーを、わたくしの数式で制御させていただきたい」
「……ふざけるな。俺が、あんたの指図など受けられるか」
「そうですか。では、この村が干上がるのを、指をくわえて見ているしかないようですわね」
私の挑発に、レオンの眉が大きくひそめられる。彼が反論しようとした時、村長が二人の間に割って入った。
「レオン。他に手はあるのか?」
「……」
「ないじゃろう。このままでは、皆が困る。一度……一度でいい、このリディアという娘の言う通りにやってみてはくれんか。頼む」
村長の必死な説得と、助けを求める村人たちの視線を受け、レオンは大きく舌打ちをすると、不承不承ながらも頷いた。
「……今回だけだ。もし失敗したら、あんたを真っ先にこの村から叩き出す」
「ええ、それで結構ですわ」
交渉は成立した。
私は井戸の縁に立つと、地面に懐から取り出したチョークで、複雑な数式と渦巻きの図形を描き始めた。それはまるで魔法陣のようだったが、そこに神や精霊の名前はなく、ベルヌーイの定理やナビエ=ストークス方程式といった、冷徹な物理法則の記述だけが並んでいた。
レオンが、ゴクリと唾を飲むのが分かった。目の前の女がやろうとしていることは、彼の魔法の常識を、遥かに超えていた。
「いいですか、レオン。詠唱は一切不要です。あなたはただ、エネルギーを供給するだけのポンプになりなさい。わたくしが、その流れを制御する精密なバルブとなります」
私は描き上げた数式の図を指さす。
「あなたの仕事は、あなたの魔力を、この数式が示すベクトルに沿って、一定の圧力で放出し続けること。ただそれだけ。できますね?」
レオンは戸惑いながらも、その圧倒的な知識と揺るぎない自信に気圧され、こくりと頷いた。
「準備はよろしいようですわね」
私は静かに微笑んだ。
「では、数理魔法による井戸再生オペレーションを、開始します」
私の宣言と共に、レオンが井戸に向かって、ゆっくりと手をかざした。村中の誰もが、固唾をのんで、その様子を見守っていた。
「だめだ、もうほとんど汲めねえ!」
「このままじゃ飲み水も畑の水もなくなっちまう……」
村人たちが口々に不安を叫ぶ中、井戸の周りでは一人の男が奮闘していた。レオンだ。彼は井戸の縁に立ち、その屈強な両腕に莫大な魔力を集中させていた。
「うおおおっ!」
雄叫びと共に、彼の掌から放たれた風の魔法が、井戸の底へと叩きつけられる。しかし、返ってきたのはゴボゴボという鈍い音と、跳ね返ってきた泥水だけ。レオンの顔も、その返り血ならぬ返り泥で汚れていた。
(なんて無駄なことを……)
私はその光景を冷静に観察しながら、騒ぎの中心へと歩みを進めた。私の姿に気づいた村人たちが、「よそ者は引っ込んでろ」「あんたに何が分かる」と敵意のこもった視線を向ける。私は彼らを無視し、困惑した表情で腕を組む村長ドルガンの元へ直行した。
「村長殿」
「おお、リディアか……見ての通り、大変なことになってしもうてな」
「いくつか質問よろしいですか。この井戸が掘られたのはいつです? 深さは? 建設当時の設計図や、この辺りの地層に関する記録はありますか?」
矢継ぎ早の専門的な質問に、村長は目を白黒させている。レオンも、無駄な努力を中断して、いぶかしげな顔でこちらを見ていた。
「え、ええと……確か50年ほど前じゃったかな。設計図なんぞ、そんな大層なものはないが……」
「結構です。必要なデータは揃いました」
一通りの聞き取りを終えた私は、集まった村人たちに向き直り、静かに宣言した。
「皆様、ご安心ください。原因は水脈の枯渇ではありません。長年の使用による、井戸の底のメンテナンス不足。単純な物理的閉塞ですわ」
「ぶ、物理的へいそく……?」
「要するに、ゴミが詰まっているだけ、ということです」
私の断言に、村人たちがざわめく。レオンが吐き捨てるように言った。
「知ったような口を叩くな。詰まってるだけなら、俺の魔法で吹き飛ばせるはずだ」
「いいえ、無意味です」
私は即座に否定すると、地面に落ちていた木の枝を拾い、井戸の簡単な断面図を描いて説明を始めた。
「井戸の底には、長年の間に流れ込んだ細かい土砂が粘土層のように堆積しています。あなたはその上から、ただ闇雲に力を加えているだけ。それでは土砂がさらに圧縮されるか、泥水が舞い上がるだけで、根本的な解決にはなりません。パイプの詰まりを、上からいくら叩いても意味がないのと同じ理屈ですわ」
理路整然とした私の説明に、レオンはぐっと言葉を詰まらせる。村人たちも、反発しながらも、私の言葉に妙な説得力を感じ始めているようだった。
「では、どうすればいいというのだ」という村長の問いに、私は待ってましたとばかりに答えた。
「解決策は一つ。堆積した土砂だけを効率的に巻き上げ、外部へ排出する『指向性螺旋水流』を井戸の底に発生させます。流体力学の応用ですわ」
そして、私はまっすぐにレオンを見つめた。
「そのために、あなたの魔力が必要不可欠です。有り余るあなたのパワーを、わたくしの数式で制御させていただきたい」
「……ふざけるな。俺が、あんたの指図など受けられるか」
「そうですか。では、この村が干上がるのを、指をくわえて見ているしかないようですわね」
私の挑発に、レオンの眉が大きくひそめられる。彼が反論しようとした時、村長が二人の間に割って入った。
「レオン。他に手はあるのか?」
「……」
「ないじゃろう。このままでは、皆が困る。一度……一度でいい、このリディアという娘の言う通りにやってみてはくれんか。頼む」
村長の必死な説得と、助けを求める村人たちの視線を受け、レオンは大きく舌打ちをすると、不承不承ながらも頷いた。
「……今回だけだ。もし失敗したら、あんたを真っ先にこの村から叩き出す」
「ええ、それで結構ですわ」
交渉は成立した。
私は井戸の縁に立つと、地面に懐から取り出したチョークで、複雑な数式と渦巻きの図形を描き始めた。それはまるで魔法陣のようだったが、そこに神や精霊の名前はなく、ベルヌーイの定理やナビエ=ストークス方程式といった、冷徹な物理法則の記述だけが並んでいた。
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私は描き上げた数式の図を指さす。
「あなたの仕事は、あなたの魔力を、この数式が示すベクトルに沿って、一定の圧力で放出し続けること。ただそれだけ。できますね?」
レオンは戸惑いながらも、その圧倒的な知識と揺るぎない自信に気圧され、こくりと頷いた。
「準備はよろしいようですわね」
私は静かに微笑んだ。
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