婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

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第二十七話:滅びの交響曲

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 王城の最も高いバルコニー。リディアは、ただ一人、眼下に広がる地獄絵図を見下ろしていた。

 決戦の地と定められた広場は、黒い津波――おびただしい数の魔物で、完全に埋め尽くされていた。退路を断たれ、巨大な檻に閉じ込められた獣たちは、怒りの咆哮を上げ、互いを喰らい合い、そのおぞましい密集度は、刻一刻と高まっていく。

 王都は、不気味な静寂に包まれていた。市民は地下で息を殺し、兵士たちは壁の上で、ただ、一人の指揮官の号令を待っている。

 リディアは、その混沌の中心を、冷徹な物理学者の目で見つめていた。敵の総質量、密度、そして、パニックによる集団運動エネルギー。全ての変数が、彼女の計算した臨界点に達した、その瞬間。

 彼女は、静かに、右手を上げた。

 それが、滅びの交響曲の、最初の指揮棒だった。

「――第一楽章、開始」

 その号令を合図に、広場を囲むように配置されていた宮廷魔術師団が、一斉に魔法を放った。しかし、それは魔物を狙ったものではない。彼らが狙ったのは、あらかじめ広場の各所に設置されていた、巨大な油壺だった。

 次の瞬間、広場は、紅蓮の炎に包まれた。

 火柱が天を焦がし、断末魔の悲鳴が王都中に響き渡る。炎は、リディアが計算し尽くした風の流れに乗り、瞬く間に広場全体を灼熱地獄へと変えた。

 だが、これは、まだ序曲に過ぎない。

「第二楽章へ」

 リディアの冷たい声が響く。今度は、魔術師たちが、自らが急造した迎撃用の櫓の「支柱」そのものを、寸分の狂いもなく破壊していく。

 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!

 計算通りに強度を失った櫓と、その上に積まれていた大量の石材が、ドミノ倒しのように、広場の内側へと崩落していく。炎に焼かれ、混乱する魔物の群れに、無数の巨大な石の雨が降り注いだ。

 もはや、戦いですらない。それは、巨大な実験室で行われる、一方的な駆除作業だった。

 王城の司令室で、遠見の水晶を通してその光景を見ていた国王や将軍たちは、言葉を失っていた。その顔に浮かぶのは、安堵ではない。自分たちが今まで信じてきた「戦争」という概念が、根底から覆される様を目の当たりにする、純粋な恐怖だった。

 そして、エドワード王子とセシリアは、その光景に、もはや何の感情も浮かべることができなかった。自分たちの祈りが、いかに無力で、いかに滑稽なものであったか。その事実が、彼らの心を、完全に殺していた。

 やがて、リディアは、最後の宣告を下す。

「レオン。聞こえますか」
『ああ。最高の舞台だな』
「――終楽章です。全てを、終わらせなさい」

 王都の地下深く。レオンは、その合図を待っていた。彼は、最後の支柱に刻まれた亀裂に、自らの全ての魔力を、静かに、しかし、圧倒的な圧力で注ぎ込んでいく。

 ミシミシ、と、古代の水道橋が、最後の悲鳴を上げた。

 次の瞬間、地上で、それは起こった。

 ドゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 決戦の地の真ん中、その地面が、巨大な口を開けるように陥没した。そして、そこから、数百年もの間王都の地下を流れ続けていた、膨大な水流が、天を突くほどの巨大な奔流となって、噴き上がったのだ。

 それは、もはや洪水ではない。人の手によって作り出された、局地的な「津波」だった。

 濁流は、炎を飲み込み、瓦礫を押し流し、そして、残っていた全ての魔物を、赤子の手をひねるように、その圧倒的な質量の中へと飲み込んでいった。

 数分後。

 悪夢のような轟音は止み、後に残されたのは、水を打ったような静寂だけだった。

 かつて広場だった場所は、無数の魔物の死骸が浮かぶ、巨大な、泥の湖へと姿を変えていた。

 王都は、救われたのだ。

 バルコニーに立つリディアの背後で、アークライト公爵が、震える声で言った。

「……終わった、のか」
「いいえ」

 リディアは、振り返ることなく、静かに答えた。

「これは、現象を止めたに過ぎません。根本原因である、古代遺跡の装置を停止させない限り、第二、第三の悲劇が、いずれまた訪れるでしょう」

 彼女の瞳は、もはや眼下の勝利を見てはいなかった。

 その視線は、遥か西。全ての元凶が眠る、あの古代遺跡の方向を、静かに、そして、冷徹に見据えていた。

 彼女の本当の戦いは、まだ、終わってはいなかったのだ。
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