婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

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第二十六話:王都という名の数式

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 リディアの号令一下、死に体だった王都は、一つの巨大な生命体のように、狂おしくも統率された動きを開始した。

 これまで魔物の侵攻に怯え、家に閉じこもっていた市民たちは、騎士団によって半ば強制的に叩き出され、王城の地下へと続く避難路へと誘導されていく。その顔に浮かぶのは恐怖だけではない。自分たちの街が、自分たちの知らない何かに作り変えられていく様を目の当たりにする、畏怖と当惑だった。

 騎士たちは、もはや魔物と刃を交えることはない。彼らの新たな敵は「時間」だった。空になった家屋から運び出された家具や瓦礫が、リディアの描いた設計図通りに積み上げられ、街路は巨大な迷路へと姿を変えていく。その全てが、魔物の大群を、ただ一点――決戦の地となる広場へと誘い込むための、計算され尽くした誘導路だった。

 そして、最も劇的な変化を強いられたのは、宮廷魔術師団だった。

「座標θ-4(シータフォー)の地盤強度が、計算値を3%下回っています! 土属性の魔術師は、ただちに地盤強化の術式を!」
「櫓の基礎工事が7分遅延! 風属性の魔術師は、資材の運搬速度を15%上昇させなさい!」

 リディアの冷徹な指示が、司令室から魔法の通信機を通して、現場の魔術師たちへと飛ぶ。彼らは、プライドも、神への祈りも、とうの昔に捨て去っていた。目の前にあるのは、ただ、リディアが提示する、絶対的な「数式」だけ。詠唱を捨て、魔力を純粋なエネルギーとして土を掘り、石を持ち上げ、巨大な罠を構築していく。その姿は、もはや神聖な魔術師ではなく、極めて効率的な、建設機械のようだった。

 その光景を、王城の一室から、エドワード王子とセシリアは、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。自分たちが信じてきた、美しく、神聖な魔法が、今やただの土木作業の道具として扱われている。そして、国中が、自分たちではなく、追放したはずの悪魔の娘の、たった一言で動いている。これ以上の屈辱はなかった。

 一方、王都の地下深くに広がる、古代の水道橋。

 そこは、地上とは全く違う、静かで、冷たい緊張感に支配されていた。

「――そこだ。誤差0.5ミリ。そのまま、一点集中で切れ込みを入れろ」

 レオンは、リディアが渡した設計図と、自らの感覚を頼りに、巨大な石造りの支柱に手をかざしていた。彼の掌から放たれる風の刃は、もはや無秩序な破壊の力ではない。紙よりも薄く、鋼よりも鋭い、完璧に制御された切断の力だった。

 キィィィン、という甲高い音と共に、数百年もの間王都を支えてきた支柱に、計算され尽くした亀裂が、まるで外科手術のように精密に刻まれていく。それは、水道橋の強度を、崩壊寸前のぎりぎりのところで維持するための、神業に近い魔力制御だった。

「……すげえな、あいつ」

 辺境部隊の一人が、畏敬の念を込めて呟く。リディアの指導を受け、レオンの力は、もはや別次元の領域へと進化を遂げていた。彼自身もまた、自らの力が、正しい知識と結びつくことで、これほどまでに精密な奇跡を生み出せることに、静かな興奮を感じていた。

 作戦司令室では、リディアが、戦場の全てをその頭脳にインプットしていた。

 刻一刻と変化する魔物の進軍速度、各部隊の作業進捗、そして、わずかに生じる計算との誤差。彼女は、それら全ての変数を瞬時に処理し、完璧な解を導き出し続ける。

 アークライト公爵は、その傍らで、もはや娘ではなく、一つの恐るべき知性が稼働している様を、ただ黙って見守っていた。

 やがて、リディアは顔を上げた。その瞳には、確かな光が宿っていた。

「――全工程、完了。王都は、今この瞬間より、巨大な方程式と化しました」

 彼女の視線の先、司令室に設置された遠見の水晶には、おびただしい数の魔物の群れが、リディアが設計した誘導路を、何の疑いもなく進み、決戦の地となる広場へと、吸い込まれていく様子が映し出されていた。

「レオン、聞こえますか」
『ああ、こっちはいつでもいける』
「最終フェーズへ移行します。キルゾーンへの全ての入り口を、完全に封鎖しなさい」

 その命令を合図に、騎士団が、最後のバリケードを崩落させ、魔物の退路を断った。

 鼠は、完全に袋の中に入った。

 リディアは、王城の最も高いバルコニーへと歩みを進める。眼下には、自らが作り変えた、死の罠が広がっていた。

 世界の終わりまで、あと2日。

 追放された魔女は、今、自らが描いた数式の上で、最後の駒を動かそうとしていた。
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