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第6話 冷血公爵の襲来と、蜂蜜色の和解
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翌日の正午。
私の店、カフェ『クロノス』は、開店以来最大の緊張感に包まれていた。
店の前には、豪奢な黒塗りの馬車が停まっている。
そして、店の入り口には、全身を黒の礼服で固めた初老の男が立っていた。
鋭い眼光。銀色が混じり始めた髪をオールバックになでつけ、背筋を槍のように伸ばしている。
ローゼンバーグ公爵、ヴィルヘルム。
「冷血公爵」の異名を持つ、私の実父だ。
私はごくりと唾を飲み込み、ドアを開けて彼を招き入れた。
店内にいた常連客たち──王太子ヘリオス、騎士団長ジークハルト、暗殺者レン──が一斉に立ち上がる。
彼らは全員、公爵とは顔見知り(あるいは敵対関係)だ。
空気が張り詰める。
「……皆様、お気遣いなく」
公爵は彼らに一瞥もくれず、カウンターの一番端、私の定位置の目の前に座った。
そして、私を真っ直ぐに見据える。
「アリス」
「……はい、お父様」
「顔色が悪い」
開口一番、それか。
私はムッとして言い返そうとしたが、胃のあたりがキリキリと痛んで言葉が出ない。
昨夜、手紙を読んでから一睡もできず、ストレスで胃炎を起こしているのだ。
「……昨夜から、何も食べていないな?」
「え?」
「お前は昔からそうだ。悩み事があると、すぐに胃を壊す。……愚かな」
公爵はため息をつくと、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
昨日の手紙ではない。それは──
「……これは?」
「店舗の権利書だ」
彼は無造作にそれをカウンターに置いた。
「この建物は、私が買い取った」
「はあ!?」
私は思わず大声を出してしまった。
後ろで騎士団長が椅子をガタッと鳴らす。
「な、何を勝手なことを! ここは私が自分のお金で……」
「お前の名義では、貴族院の圧力に耐えられん。……王太子殿下が頻繁に出入りしているという噂が立てば、反対派がお前を潰しに来るぞ」
公爵は、チラリとヘリオス殿下の方を見た。
殿下がバツが悪そうに視線を逸らす。
「だから、私が買い取った。名義はローゼンバーグ家だが、管理権はお前にやる。……家賃はいらん」
「……え」
予想外の展開に、頭が追いつかない。
潰しに来たのではなかったのか?
父は、私を守るために……?
「……勘違いするな」
私の動揺を見透かしたように、父は冷たく言った。
「ローゼンバーグ家の恥を晒さぬための措置だ。……それに、こんな薄汚い路地裏で娘が野垂れ死んだら、私の寝覚めが悪い」
ツンデレだ。
いや、ツンの比率が高すぎてデレが見えない。超高度なツンデレだ。
その時、私の胃が「ギュルル……」と情けない音を立てた。
緊張が緩んだせいか、痛みがぶり返してきたのだ。私は思わずカウンターにうずくまる。
「おい! アリス!」
父が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
その顔には、先ほどまでの冷徹さはなく、ただの狼狽した父親の顔があった。
「胃か!? 薬は!?」
「……ないです。ただのストレスなんで……」
「馬鹿者! ……そこをどけ」
父は私を押しのけ、カウンターの中へと入ってきた。
そして、迷うことなく厨房へ向かう。
「え、お父様? 何を……」
止める間もなく、父は小鍋(ミルクパン)をコンロにかけ、水を沸かし始めた。
その手つきは、驚くほど手慣れていた。
沸騰したお湯に、茶葉を投入する。
選んだのは、私が一番大切にしているアッサムの茶葉だ。
成分が抽出されるのを数十秒待ち、そこへたっぷりの牛乳を注ぎ込む。
──ロイヤルミルクティーだ。
それも、水と牛乳を1対1で割る、一番手間のかかる作り方。
父は真剣な眼差しで、鍋の中を見つめている。
沸騰させないように。牛乳の膜が張らないように。スプーンで静かに、絶え間なくかき混ぜ続ける。
その背中は、私が知っている「冷血公爵」ではなかった。
幼い頃、熱を出した私の枕元で、一晩中手を握っていてくれた、あの不器用な父親の背中だった。
(……お父様、料理できたんだ)
数分後。
火を止め、茶こしで濾した液体を、温めておいたマグカップに注ぐ。
最後に、瓶から黄金色の蜂蜜をたっぷりと垂らし、ゆっくりと混ぜ合わせる。
「……飲め」
父はマグカップを私の前に置いた。
ぶっきらぼうな言い方だが、カップの持ち手は私の利き手側に向けられている。
私は震える手でカップを持ち上げた。
温かい。その熱が、冷え切った指先から心臓へと伝わってくる。
一口、飲む。
──甘い。
砂糖の鋭い甘さではない。蜂蜜の、喉を優しく撫でるようなまろやかな甘み。
そして、濃厚なミルクのコクと、アッサムの芳醇な香り。
胃の痛みが、温かい膜でコーティングされていくようだ。
「……カモミールを入れた」
父がそっぽを向いたまま言った。
「胃痙攣にはカモミールがいいと……昔、母さんが言っていた」
「……お母様が?」
「……ああ。お前が小さい頃、よく腹を壊していたからな」
父の声が、少しだけ震えている。
「……すまなかった」
消え入りそうな声だった。
不器用な人だ。
言葉で伝えればいいのに。でも、言えないからこそ、こうして温かいミルクティーに全ての想いを込めたのだ。
私の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
マグカップの中に涙が落ちて、波紋を作る。
「……美味しいです、お父様」
「……なら、いい」
父は、私の頭に大きな手を置いた。
撫でるわけでもなく、ただポンと置いただけ。
でも、その掌の温かさは、どんな魔法よりも私を安心させてくれた。
背後で、ジークハルト団長が「フン」と鼻を鳴らし、レンがナイフを仕舞う音がした。
ヘリオス殿下は、優しく微笑んでいる。
こうして、カフェ『クロノス』の最大の危機は、一杯のロイヤルミルクティーによって、蜂蜜色に溶けていったのだった。
私の店、カフェ『クロノス』は、開店以来最大の緊張感に包まれていた。
店の前には、豪奢な黒塗りの馬車が停まっている。
そして、店の入り口には、全身を黒の礼服で固めた初老の男が立っていた。
鋭い眼光。銀色が混じり始めた髪をオールバックになでつけ、背筋を槍のように伸ばしている。
ローゼンバーグ公爵、ヴィルヘルム。
「冷血公爵」の異名を持つ、私の実父だ。
私はごくりと唾を飲み込み、ドアを開けて彼を招き入れた。
店内にいた常連客たち──王太子ヘリオス、騎士団長ジークハルト、暗殺者レン──が一斉に立ち上がる。
彼らは全員、公爵とは顔見知り(あるいは敵対関係)だ。
空気が張り詰める。
「……皆様、お気遣いなく」
公爵は彼らに一瞥もくれず、カウンターの一番端、私の定位置の目の前に座った。
そして、私を真っ直ぐに見据える。
「アリス」
「……はい、お父様」
「顔色が悪い」
開口一番、それか。
私はムッとして言い返そうとしたが、胃のあたりがキリキリと痛んで言葉が出ない。
昨夜、手紙を読んでから一睡もできず、ストレスで胃炎を起こしているのだ。
「……昨夜から、何も食べていないな?」
「え?」
「お前は昔からそうだ。悩み事があると、すぐに胃を壊す。……愚かな」
公爵はため息をつくと、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
昨日の手紙ではない。それは──
「……これは?」
「店舗の権利書だ」
彼は無造作にそれをカウンターに置いた。
「この建物は、私が買い取った」
「はあ!?」
私は思わず大声を出してしまった。
後ろで騎士団長が椅子をガタッと鳴らす。
「な、何を勝手なことを! ここは私が自分のお金で……」
「お前の名義では、貴族院の圧力に耐えられん。……王太子殿下が頻繁に出入りしているという噂が立てば、反対派がお前を潰しに来るぞ」
公爵は、チラリとヘリオス殿下の方を見た。
殿下がバツが悪そうに視線を逸らす。
「だから、私が買い取った。名義はローゼンバーグ家だが、管理権はお前にやる。……家賃はいらん」
「……え」
予想外の展開に、頭が追いつかない。
潰しに来たのではなかったのか?
父は、私を守るために……?
「……勘違いするな」
私の動揺を見透かしたように、父は冷たく言った。
「ローゼンバーグ家の恥を晒さぬための措置だ。……それに、こんな薄汚い路地裏で娘が野垂れ死んだら、私の寝覚めが悪い」
ツンデレだ。
いや、ツンの比率が高すぎてデレが見えない。超高度なツンデレだ。
その時、私の胃が「ギュルル……」と情けない音を立てた。
緊張が緩んだせいか、痛みがぶり返してきたのだ。私は思わずカウンターにうずくまる。
「おい! アリス!」
父が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
その顔には、先ほどまでの冷徹さはなく、ただの狼狽した父親の顔があった。
「胃か!? 薬は!?」
「……ないです。ただのストレスなんで……」
「馬鹿者! ……そこをどけ」
父は私を押しのけ、カウンターの中へと入ってきた。
そして、迷うことなく厨房へ向かう。
「え、お父様? 何を……」
止める間もなく、父は小鍋(ミルクパン)をコンロにかけ、水を沸かし始めた。
その手つきは、驚くほど手慣れていた。
沸騰したお湯に、茶葉を投入する。
選んだのは、私が一番大切にしているアッサムの茶葉だ。
成分が抽出されるのを数十秒待ち、そこへたっぷりの牛乳を注ぎ込む。
──ロイヤルミルクティーだ。
それも、水と牛乳を1対1で割る、一番手間のかかる作り方。
父は真剣な眼差しで、鍋の中を見つめている。
沸騰させないように。牛乳の膜が張らないように。スプーンで静かに、絶え間なくかき混ぜ続ける。
その背中は、私が知っている「冷血公爵」ではなかった。
幼い頃、熱を出した私の枕元で、一晩中手を握っていてくれた、あの不器用な父親の背中だった。
(……お父様、料理できたんだ)
数分後。
火を止め、茶こしで濾した液体を、温めておいたマグカップに注ぐ。
最後に、瓶から黄金色の蜂蜜をたっぷりと垂らし、ゆっくりと混ぜ合わせる。
「……飲め」
父はマグカップを私の前に置いた。
ぶっきらぼうな言い方だが、カップの持ち手は私の利き手側に向けられている。
私は震える手でカップを持ち上げた。
温かい。その熱が、冷え切った指先から心臓へと伝わってくる。
一口、飲む。
──甘い。
砂糖の鋭い甘さではない。蜂蜜の、喉を優しく撫でるようなまろやかな甘み。
そして、濃厚なミルクのコクと、アッサムの芳醇な香り。
胃の痛みが、温かい膜でコーティングされていくようだ。
「……カモミールを入れた」
父がそっぽを向いたまま言った。
「胃痙攣にはカモミールがいいと……昔、母さんが言っていた」
「……お母様が?」
「……ああ。お前が小さい頃、よく腹を壊していたからな」
父の声が、少しだけ震えている。
「……すまなかった」
消え入りそうな声だった。
不器用な人だ。
言葉で伝えればいいのに。でも、言えないからこそ、こうして温かいミルクティーに全ての想いを込めたのだ。
私の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
マグカップの中に涙が落ちて、波紋を作る。
「……美味しいです、お父様」
「……なら、いい」
父は、私の頭に大きな手を置いた。
撫でるわけでもなく、ただポンと置いただけ。
でも、その掌の温かさは、どんな魔法よりも私を安心させてくれた。
背後で、ジークハルト団長が「フン」と鼻を鳴らし、レンがナイフを仕舞う音がした。
ヘリオス殿下は、優しく微笑んでいる。
こうして、カフェ『クロノス』の最大の危機は、一杯のロイヤルミルクティーによって、蜂蜜色に溶けていったのだった。
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