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第三章 天使とディーバの取引明細
33.助けてください!
しおりを挟むそう告げると、大主さんはふところから携帯を取り出して電話をかけはじめた。
情報化社会への適応は現代を生きる上では必須であり、神様であってもスマートフォンは必需品らしい。
ワン、ツー、スリーコールほどで相手が応じたようで、通話口に添えられた口元からすぐさま滑舌のよい大声が飛び出す。
「やあやあこんばんは。君のところの幼気なアルバイトくんを預かっているところだけれども、はっきり言って大変危険な状況だ。このままだと骨抜きにされちゃうよ。――千幸クン、何か言うことは?」
「助けてください」
開口一番、助力を申し出た。
夢魔たちが営むショークラブなどという人外魔境から無事に脱出できるとは到底思えない。
電話口からの返答は、「そこにいろ」。
あまりにもすげない。
藁にもすがる思いで懇願したというのに、非情な人だ。
いよいよ切り捨てられたかと覚悟を決めつつ、「ツケにしておくね」の言葉とともに給仕されたブラッドオレンジジュースをちびちびやりながら、待つことおよそ数十分。
またも店先でゲリラ的群衆が発生した。
大主さんの来店時よりもさらに熱狂的だ。女性たちは我先にと駆け寄ろうとし、目の色を変えて名前を呼ぶ。おかげで僕の周囲からがらりと人が消えた。
辛抱強く眺めていると、人垣から見慣れた顔が現れ出た。恋しいほどに安堵する。
アルバイト先の店主で、九遠堂の主人。
椎堂さんがやってきてくれた。
「まったく……何をしているんだ、この愚か者め」
新鮮な罵倒が沁みる。
群衆を割って、僕のもとへと歩み寄り、呆れまじりの怒声を浴びせてくれるのだ。
「椎堂さん、大人気ですね?」
それにしてもこの冷血漢は動じない。
吹きすさぶ黄色い熱風を柳のように受け流す。左右や背後、ありとあらゆる角度からお手つきをされても涼やかに跳ね除け、意にも介さず腕を組み、毅然と立っているのだ。
そして、いつの間にか僕の隣に移動していたユカリさんを横目で睨んだ。
「おい、戦犯はおまえだろう。これを人質にでもとれば俺が足を運ぶとでも?」
「あら、せっかく悪巧みしたのにばれちゃった。ねえ、シドー。おまえだなんて他人行儀に呼ばないで? わたし、今は錦ユカリっていうの」
「符号などおまえたちに必要か?」
「どうせならあったほうがいいわ。あなたに呼ばれるのなら、なんでもいいのだけれども」
甘い誘惑の文句に、歌うように潤んだ声。ユカリさんが切なげな表情で訴えるのに対して、椎堂さんは無味乾燥な態度をとるばかり。しまいには彼女には目もくれずに僕の腕を引っぱった。
「帰るぞ」
このときばかりは、椎堂さんが後光を背負った仏神に見えた。
「またお店に行ってもいい? 真夜中に戸をたたくわ」
ユカリさんが懇願する。が、返事はない。
行く手を阻む夢魔たちを鬱陶しそうに押しのけ、出口まで進み、椎堂さんは一切合切振り返ろうともしない。
彼女の恋路に口を出すつもりはないが、さすがに不便だ。さきほどの軽い有名人ぶりから察するに、慣れているのだろうが、心ない態度ばかりとりすぎではないか。
無礼な店主の代わりに、ぺこりとお辞儀をする。
店内に居残る大主さんは「またね、おやすみ」と夜の挨拶を投げかけてくる。取りつく島もないと諦めたのか、ユカリさんは力のない笑顔で手を振っていた。また、会えるのだろうか。
椎堂さんの背後を金魚のフンのようについてまわりながら、僕は名残惜しさを感じていた。
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