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第三章 天使とディーバの取引明細
37.行く先を導くもの
しおりを挟む合意をとりつけるやいなや、椎堂さんは店の奥へと引っ込んだ。さまざまな骨董品がひしめきあう障子戸の向こうから戻ると、帳場の台上に古めかしい道具を置く。
一見して、赤褐色に錆びた金属でできている。
野球ボールをつぶしたような平べったい真円形をしており、外縁には一定間隔ごとに目盛りがついていた。縁の中央にはアルファベットとともに幾何学模様を組み合わせた図形――コンパスローズが描かれている。
火薬と活版印刷に次ぐルネサンス期の三大発明がひとつ、羅針盤。
「これはポルトラーニの真理盤という。荒波をもしのぐ勇猛果敢な航海者たちを導いた、古い海神の叡智が行手を指し示すだろう」
「梁間さんのもとに?」
「ああ。行方をくらましたかの男がたとえ何者であろうとも、所在を解き明かしてみせるだろうよ。ただし、相応の代価はいだたこう。――百二十万だ」
法外に高い。
いくらなんでも足元を見過ぎではないかと抗議するべきか。強気だったカナタさんも苦悶の表情を浮かべている。
「せいぜい熟考することだな。すぐに用意できないようであれば、耳元の装飾品で手を打ってもいい」
「ピアスで? これは梁間さんにいただいたもので……」
カナタさんの耳朶に埋め込まれていたのは、黒曜岩のように艶めく墨色の宝石だ。台座とカットされた石のみで構成されたシンプルなアクセサリーで、肌に添えられた大つぶの黒点は、綺麗というよりはどこか危なげで禍々しい。
椎堂さんからの提案は意外だったが、それだけ値打ちがある代物なのだろう。
「カナタさん、気をつけてください。この人、金の亡者ですから。高価なものですよね」
「いえ、フェイクストーンの安物だって……。本当にいいんですか? 支払いに充てられるなら……」
両耳のピアスを外して、ハンカチで軽く拭きとったあと、カナタさんは手を差しだす。
一対のピアスは、こともなげに持ち主のもとを離れていく。
「椎堂さん、お願いします」
「いいだろう。では真理盤を。強く願えば道具はおのずと応えるはずだ」
かわりに、真理盤がカナタさんのもとに渡る。
沈黙のさなかで彼女は瞑目する。手のひらには黄金色の計器。
内なる呼び声を聞き届けたかのように、円盤上で不安定に揺れる磁針がまわりはじめる。ぐるり、と一回転。さらに回転速度を高めた針は壊れたように暴れはじめる。
針は六時の方角を指し示した。
「方角からすると、朱山方面ですね」
伊奈羽市の最南部には太平洋に面した漁港がある。朱山は太洲から港までの中継地点の地名だ。
近辺は小洒落た学生たちが闊歩する大学街で、伊奈羽市内のカルチェラタンとも呼ばれている。
オープンキャンパスの折に、敷地内を見学したことがあるが、高校生の立場からするといささか敷居が高くて近寄りがたい場所だ。テラスで食べた学食が美味しかったことは記憶に新しい。
「そういえば、前に伊奈羽にきたとき、梁間さんがたしか、朱山あたりによく行くって……」
「それなら、付近に住んでるか、勤め先の近くなのかも。普段は会社勤めの方なんですか?」
「……プライベートについてはほとんど話さないから分からないんです。梁間さんって、SNSの投稿でも個人情報はめったに流さないから。梁間ヨウというのも偽名……というか芸名のはずです。実名を伏せて活動しているだけで、正体はプロの作曲家じゃないかって」
「そうですか……。つまり、尋ね人を探そうとも八方塞がりだったと」
「ほかに手がかりもありませんし、ひとまず、朱山近辺へ向かいます。今日はそのつもりで来たんだから」
カナタさんの意志は強固だ。ならば僕にとれる手段はひとつ。
「お供します。……ってことでいいんですよね、椎堂さん?」
無謀ではあるが、無策ではない。九遠堂の主人から預かった真理盤が力を貸してくれるはずだ。
「無鉄砲な助手だな。客人に対して節度をもって接する心積もりはないのか?」
「僕ははじめからこうでしたよ。あなたが無責任すぎるんだ」
そう言って、僕は椎堂さんを睨みつける。男は腕を組んだまま座していた。
独自の基準で善悪を解き、いともたやすく願いを聞き届けるくせに、訪れる人とは距離を保ちつづける。
それが椎堂さんなりの流儀なのは理解できた。難儀な気質の持ち主で、本心は常に定かではないが、この人なりの信条があるのだろう。
不可思議なひと。異形の徒に愛された狭間の者。
埒外な値段ばかりをふっかけて客人を試し、秩序と道理で縛られた現実に風穴を開ける蛮行を、ただ隣で眺めてきた。
僕は知らない。この人の意図も目的も来歴もなにもかも。
夏祭りの夜に出会ってからひと月ほど、ただの一ヶ月では寄り添うには短すぎるのだ。
――できるなら、いつか尋ねてみたい。
あなたがどうして九遠堂の主人となったのか。
「九遠堂において仏の顔は三度もないとは記憶に留めておけ」
「ご忠告どうも。今日は金剛力士に助太刀お頼み申すわけにもいきませんしね」
皮肉を投げかけておくと、椎堂さんは乾いた笑いをこぼしていた。木で鼻をくくったように無愛想で、まれにみせる微笑みは悪辣。起伏に乏しい表情もこのごろは見慣れてきた。
その心を推察するに……これはおそらく、面白がってくれている。
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