私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜

日室千種・ちぐ

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心の扉

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 どうして、こうなっているんだろう。

 薄く開いた窓から吹き込む夜風が頬を撫でて、ジョゼットの意識を引き上げた。
 外は、まだ月がある。
 部屋は、薄暗い。
 ここがどこか、曖昧だ。
 夢現に、大きな手が口元を覆ったのを覚えている。体が勢いよく振り回されたのも。
 どうして。
 だってジョゼットはランドリックと一緒だった。何があっても守ってくれる、賢き犬、忠犬のような婚約者と。
 なのに今、朦朧とした中、体を拘束されているのがわかる。熱い重みがのしかかっている。
 これは、どうして。
 ランドリックは、どうしたのだろう。ランドリックは、無事なのだろうか。ランドリック……。

「ここにいるよ、ジョゼ」

 ごく近くから、声が聞こえて。
 ジョゼットは安堵の息を長く吐いた。
 重たい手をなんとか引き抜いて、手探りで首にしがみつく。
 ランドリックはふふと笑って、縋られるまま頬擦りをして来た。
 髪の毛が触れてあちこちが擽られ、ふわりと、ランドリックの香りがする。

「どうしたのジョゼ」
「何か、今怖いことがあって……?」
「怖いこと?」

 どんなこと?
 耳元で囁きながら、ランドリックの手が肩から腕、手首までを撫で、また肩へと戻って来た。
 そこは、さっき順番に舐められたところだ。
 ふとそんなことを思って、ジョゼットは混乱した。どうしてそんなことを思ったのだろう。二人はまだ、キス以上のことをしたことがない。
 夢でも見たのか、とても恥ずかしい妄想をしてしまったようだ。

「ジョゼが怖いことって、なに。教えて」

 ランドリックが、いきなり耳を食んだ。
 ちらりと見えた白い歯の清潔感からは想像できない、濡れた音が耳に満ちた。
 あまりの驚きと刺激に、ジョゼットの喉は締め付けられて、は、とひとつだけ息が溢れた。肩を竦めたくなるのに、がっしりとした手に捕まえられて思い通りに動けない。肩だけではなく、全身が何かに絡み取られたように、自由にならない。
 怖くて、ジョゼットはランドリックに一層縋りついた。

「ふふ、そういえば、ソムズ殿に集っていた奴らは捕縛済みだよ。ソムズ殿が心から反省してるかどうかは分からないけど、結婚式にはなんの心配もない」

 言葉は振動となって耳を素通りして背を痺れさせるから、意味が理解できている気がしない。
 耳たぶを口に含んで転がし、顎の線に沿ってつ、と熱い息を纏った温かな感触が動いて、思わず反らせた顎の先を、かり、と甘噛みされた。

「ジョゼは脅迫も怖かったんだよね。大丈夫、ボーニーが連れていた記者の書いた記事を買い取る新聞社はいないよ。そもそもあいつは、正規の記者でもなく、実績もない、詐欺師みたいな男で。そういう意味ではボーニーも被害者かもしれないから、二人纏めて都追放で手を打ったよ」

 いつの間にかこぼれた涙のほうへ頬を舐り上がった舌が、目尻を少し抉った。
 深いキスでさえ、ジョゼットの許可なくしようとしなかったランドリックが、なぜこんなに容赦がないのか。
 翻弄されて、わけが、わからない。
 わかるのはただ、自分の上にいる猛犬が、ぴちゃぴちゃと音を立てて自分を味わっていることだけ。

「ね、ジョゼ、僕が一番怖いことはね」

 両手で顔をはさみ、耳の付け根を何本もの指でゆっくりと撫でられて、ジョゼットはぶるぶると震えた。

「ジョゼを失うことだよ。考えただけで、ほら、体が震える」

 ジョゼットを跨いで膝立ちになったランドリックが、ぐっと上体を起こした。
 しがみついていたジョゼットの手は、簡単に振りほどかれて、けれどすぐさま纏めて拘束される。
 部屋全体のおぼろな明かりの中、遠ざかった目が、濃く暗く、ジョゼットの全てを射抜く。瞬きもなく。
 入れ替わりに伸ばされた手は、確かに細かく震えていて、そっとジョゼットの唇に触れた指先はとても冷たかった。

「嫌われたくもないんだ。それは、失うことと同義だと思ってたから。だけど、どちらかを取るなら――」

 下唇を少し連れていきながら、冷たい指が顎へ、そして喉へと辿るので、ジョゼットの体がびくびくと跳ねた。
 喉、鎖骨、デコルテ。
 胸のふくらみの中央を二本の指で撫で下ろした手が、臍の周りで指を増やして、くるりと円を描く。

「……あ、れ?」

 ようやく、ジョゼットの意識が異変に向いた。

「私、なんで、はだ……あ、やあ」

 いきなり無造作に持ち上げられた膝に齧り付かれて、ジョゼットは悲鳴を上げた。そこもまた、布一枚纏っていない。
 記憶が蘇る。
 抱え込んだジョゼットを、ランドリックが有無を言わさず離れに連れ込んで、寝台の上に放り出したこと。それから、指の先から、耳の先、肩の先、それこそ体中に口付けられ、甘噛みされながら、寝衣を剥ぎ取られたことも。
 やめて、と反射的に叫んだ口を塞がれて、気が遠くなったことも。

「待って、ランドリッ……」
「うん、待ってる。待ってるよ、ずっと」
「うそ、だって、あ、あ」

 膝から内ももを柔らかく噛んでは舐めながら、ランドリックの手は堕落を誘うように動き回る。そのたびに、ジョゼットは艶めいた声をこぼしてしまう。
 待ってる、とランドリックは言った。それは確かに事実だ。決定的に体を繋げることはさすがに憚られるのか、最後まで求められることはなく。ただずっと、時間をかけて、ぐずぐずにされている。
 その様を、ランドリックは暗い緑の目で、じっと見ている。
 気に入らない答えなら聞きたくない、語り合うこともしたくない、と拒否しながら、こちらを向いてと拗ねる子犬のように。

 達する、ということを知ったジョゼットが呆然としている間に、ランドリックは舌を見せてべろりと口元を舐めた。

「ごめん、ジョゼ」

 なんの、ごめんなのだろう。
 謝るべきは、ジョゼットなのに。

「俺はきっと一生、ジョゼに寄り添ったり、共感したりはできない。理解もできない」

 そんなことはわからない。
 それに、そんなことは、構わない。
 ランドリックが寄り添えないなら、ジョゼットが寄り添うから。
 共感できなくても、話し合って理解を深め合うことはできるから。
 ああなのに、その努力を放棄したのはジョゼットなのだ。
 でも待って。お願いだから、決めてしまわないで。


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