契約結婚の終わりの花が咲きます、旦那様

日室千種・ちぐ

文字の大きさ
1 / 12

一話 花のこと

しおりを挟む
 あの花が咲く頃、この偽りの結婚生活も終わりを迎えるだろう。

 額のように青空を切り取る寝室の窓に、覗き込むように頭を覗かせているラクサの木の枝を、私は恨めしい思いで遠く寝台から睨め付けた。
 一見枯れ枝のように見えるが、ひそかに枝と同じ色の小さな蕾をたくさんつけている。

 今、あの枝を落とせば、咲かずに終わるだろうか。

 憎たらしさに、そんなことまで考える。
 小さいころは大好きな木だったけれど、今なら、やっちゃえる気がするわ。

 でもラクサの木は、春告げの木として愛されている。

 風土に合うのか野にも山にも立っているが、街中でも一軒に一本はラクサを植えている。葉を落として冬を越し、風が暖かくなる頃、これらが一斉に薄紅色の花を咲かせるため、辺り一帯に春が舞い降りたようになるのだ。

 私が窓から見える枝一本を葬ったとしても、春は来る。
 何かの奇跡でラクサが地上から一本残らず消えたとしても、来てしまうだろう。
 私にとって憂鬱な春が。


 契約結婚の始まりは、春だった。
 それを、一年ごとに見直す約束だ。
 去年は旦那様の事情もあって更新してもらえたけれど。次はどうかしら。
 旦那様はこのところ、家に帰って来ない。
 お勤め先の領主様がお連れになった、とても美しい女の方と、ずっと一緒にいるらしい。



「旦那様は、領主様のお屋敷の執事見習いをされているわ。仕事熱心で真面目な方なの。お顔立ちは鋭めかしら。お顔の中では、私は、頬骨の高いところが好き。細身だけれど、力持ちでいらして、身のこなしもとても軽やかでいらっしゃるのよ。そして、お優しいの」

 私は暇に任せて、手首をとって脈を測っている老医師せんせいに、尋ねられてもいない旦那様のことを話して聞かせていた。
 特によい反応をしてくれるわけではないけれど、体調を崩して寝台から出ることができない私の部屋を訪れるのは、使用人を除けばこの老医師せんせいだけ。
 私が話し相手にできるのは彼だけなのだ。

 契約結婚とはいえ、旦那様は私のことを大切にしてくれていた。
 挨拶をし、食事を共にし、夫と妻とした互いの友人たちと付き合い、生活で不自由などなく、笑い合い、自然と感謝の言葉を掛け合い、ただ黙って同じ部屋で時間を過ごすこともあったのだ。
 旦那様が、家に帰って来なくなる前までだけれど。まるで、恋人として付き合っていたころのように。
 当時はとても不思議だった。
 だって、私は旦那様のことを好きだけれど。
 旦那様にとって私との結婚は、ただの必要な手段でしかない。

「相手が、つまり私だけどね、一度は捨てた女だったのに、旦那様は受け入れるしかなかったの。相当切羽詰まってらしたのね。私も、そこを狙って持ちかけたのだけれど」

 老医師せんせいは、医師ゆえに守秘義務があるという。話したことを他言はしないから、私が落ち着くためになら、何を話してもいいと言ってくれた。
 それに甘えて、私は自分の罪を晒した。

 結婚を断られて別れた元恋人が困っていると知って、私は策を弄したのだ。元恋人を、夫として手に入れるために。

 両親になりふり構わず懇願して、旦那様が受け入れれば即座に入籍できるよう準備を整えた。領主様の屋敷から歩ける距離の、祖母が住んでいたこの屋敷を夫婦で使えるようにと手を入れたりして。
 両親は旦那様のことを買っていたし、私たちが一度別れた詳しい経緯を知らなかったから、思ったより快く受け入れてくれた。
 あとは、困り果てていた旦那様にそっと控えめに、救いの手を差し伸べるだけ。

 目論見どおり、旦那様は私からの二度目の求婚を、受け入れた。

「でもね、旦那様は最後の最後に、条件を付けたの。結婚当初の三年間はお試しの期間とする。その間は双方の合意があればすんなり離縁ができるよう、夫婦生活を伴わないことって。
 その時にこれは、ただの結婚じゃなくて、契約結婚になったというわけ」
「……そう。あなたはそれを望んでいなかったのだね?」

 老医師せんせいが私の手を寝具の下に戻しながら、静かに問いかけてきた。答えの分かり切った問い。

「私は、旦那様が好きで結婚したかったの。条件なんていらなかったわ」
「そう、か……でも双方の合意というからには、片方だけの意見では離縁できないはずだよ」
「建前上はそうだけど。……一度は振られて、諦めきれずに策を弄して結婚にまでこぎつけたのに、結果やっぱり別れたいと言われたら、もう一度追い縋る勇気は、私にはないわ」

 一世一代の覚悟で口にした一度目の求婚は、すまない、の一言でなかったことになった。
 二度目は開き直って、悪女になった気持ちでどうということもない顔をして、その実、たっぷりの未練と消せなかった愛をありったけ練り込んだ搦手で求婚したのだ。
 追い詰められていたために仕方なくであろうとも、旦那様に受け入れられて、真顔を心がけていた私の胸には突風ほどの春風が吹いたのに。



 契約結婚の形を提示されたのは、この家の下見に来た時。まだ埃除けの布を被った家具が並ぶ、応接室に、二人きりの時だった。

 一年ごとに見直して、お互いに後悔のないようにしよう。

 そう線を引かれて、私一人が冬へと逆戻りし、秒でバキバキに凍てついた。
 旦那様の後ろで掃き出しの窓が大きく開いていて、満開のラクサの木が、よく見えた。凍りついた私と対照的に、春のうららかな日差しに気持ちよさそうにそよいでいた。

 それから、私はあの木が大嫌いになったのだ。

「だから、今年限りで離縁を、と旦那様がおっしゃったら、そこで契約は満了、更新はなし。決定なの」

 軽い口調で言い放ちながら、嫌な予感に胃の裏をじりじりと炙られるようだ。
 だって、私がこうして寝込んでいても、旦那様は帰って来てはくれない。

 首だけを動かして見た花の蕾が、昨日より膨らんで見えた。夜のうちに雨が降ったのだろうか。枝の色がいつもより濃い。

「そのまま、蕾も、雨でダメになってしまえばいいのに」

 くさくさとして、ふと、苦い珈琲を飲みたくなった。
 けれど、メイドを呼ぼうとベルを手に取ると、横から伸びてきたペンだこのある手が、ベルを取り上げてしまった。

「俺が呼ぶよ。何か欲しいものが?」
「珈琲を飲みたいの。すごく苦いやつ」
「珈琲はダメだよ。刺激が強い。今日は少し肌寒いから、温かい生姜茶にしたらいい」

 この老医師せんせいは顔中髭だらけのくせに、ほんとうに遠慮なく細かいし、口うるさい。旦那様ならきっと、私の好きなものを好きなだけ食べたら良い、と言ってくれるのに。
 生姜茶も、嫌いではないけれど。
 む、と口を引き結んだ私を細めた目で優しく見てから、老医師せんせいは廊下に出て、そこにいた誰かに生姜茶を頼んでしまった。少し甘めにと指示が聞こえる。

 慈悲深いお医者様は、私を小さな子供扱いしているようで、どうにもくすぐったく、少し煩わしい。

 ここは私と旦那様の家で、老医師せんせいは今回寝込んで初めて診に来てもらった、ただの往診のお医者様のはずなのだけど。
 家の者は、この老医師せんせいに私のことを任せ、老医師せんせいの言うことをよく聞いている。
 なぜだろう。
 寝台から出られない日が続いているせいか、頭に霞がかかるように曖昧なことが時々ある。

 旦那様が、老医師せんせいの言う通りにするようにと、言付けて派遣してくださったのかしら。

 急に眠気が増して、私は面倒な思考を切り上げた。
 生姜湯が来るまでは、なんとか起きていたい。そう思ったのに。

「眠たかったら、少し目を閉じていればいい。大丈夫、もし眠ってしまっても、問題ないよ」

 そう老医師せんせいが言うのを聞くと、不思議と気掛かりがすべて遠のく気がした。
 私はうっかり安心して、そのまま眠り込んでしまって、せっかくの少し甘めの生姜湯は飲むことができなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました

音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。 ____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。 だから私は決めている。 この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。 彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。 ……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。

旦那様、離婚してくださいませ!

ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。 まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。 離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。 今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。 夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。 それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。 お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに…… なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!

王太子は妃に二度逃げられる

たまこ
恋愛
 デリンラード国の王太子アーネストは、幼い頃から非常に優秀で偉大な国王になることを期待されていた。 初恋を拗らせ、七年も相手に執着していたアーネストが漸く初恋に蹴りを付けたところで……。 恋愛方面にはポンコツな王太子とそんな彼をずっと支えていた公爵令嬢がすれ違っていくお話。 ※『拗らせ王子と意地悪な婚約者』『先に求めたのは、』に出てくるアーネストのお話ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

【短編】記憶を失くした令嬢が、二度目の恋に落ちるまで

夕凪ゆな
恋愛
 ある雪の降る日の朝、ヴァロア伯爵家のリディアのもとに、信じられない報せが届いた。  それは、愛する婚約者、ジェイドが遠征先で負傷し、危篤であるという報せだった。 「戻ったら式を挙げよう。君の花嫁姿が、今から楽しみだ」  そう言って、結婚の誓いを残していったジェイドが、今、命を落とそうとしている。  その事実を受け入れることができないリディアは、ジェイドの命を救おうと、禁忌魔法に手を染めた。

幼馴染を溺愛する婚約者を懇切丁寧に説得してみた。

ましろ
恋愛
この度、婚約が決まりました。 100%政略。一度もお会いしたことはございませんが、社交界ではチラホラと噂有りの難物でございます。 曰く、幼馴染を溺愛しているとか。 それならばそのお二人で結婚したらいいのに、とは思いますが、決まったものは仕方がありません。 さて、どうしましょうか? ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

婚約者様は大変お素敵でございます

ましろ
恋愛
私シェリーが婚約したのは16の頃。相手はまだ13歳のベンジャミン様。当時の彼は、声変わりすらしていない天使の様に美しく可愛らしい少年だった。 あれから2年。天使様は素敵な男性へと成長した。彼が18歳になり学園を卒業したら結婚する。 それまで、侯爵家で花嫁修業としてお父上であるカーティス様から仕事を学びながら、嫁ぐ日を指折り数えて待っていた── 設定はゆるゆるご都合主義です。

旦那さまは私のために嘘をつく

小蔦あおい
恋愛
声と記憶をなくしたシェリルには魔法使いの旦那さまがいる。霧が深い渓谷の間に浮かぶ小さな島でシェリルは旦那さまに愛されて幸せに暮らしていた。しかし、とある新聞記事をきっかけに旦那さまの様子がおかしくなっていっていく。彼の書斎から怪しい手紙を見つけたシェリルは、旦那さまが自分を利用していることを知ってしまって……。 記憶も声もなくした少女と、彼女を幸せにするために嘘で包み込もうとする魔法使いのお話。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

処理中です...