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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
副魔術師長の腹の中 4
しおりを挟む「久しぶりだねぇ、会いたかったよぅ」
甘ったるい声を出しながら、クィンシー・ロビンガム男爵がサイラスの首に抱き着いてくる。
イスに座っているサイラスの背中に、ぴったりとくっついているのだが、この格好がしばらく維持されるのをサイラスは知っていた。
毎度のことだからだ。
サイラスに男色の気はないので、嬉しくともなんともない。
クィンシーは、そういう趣味の者にとっての垂涎の的。
晴れた空のように青い瞳、通った鼻筋から続く赤くて薄い唇。
王太子にも引けを取らないほどに眩しい金色をした髪。
背は低くもないのだが、華奢で小柄な印象を与える体のシルエット。
25歳にはとても見えず、なんなら15,6歳といっても通るだろう。
男性だけではなく、女性からも「愛玩用」にと求められている。
だから、こんなところを見られると、大変にまずい。
噂になるのもまずいし、下手な恨みをかうのもまずいのだ。
さりとて、ここに来ないわけにもいかなかった。
(私の言うなりになる者が多いのはいいのですがね)
クィンシーは王太子ほど「素直」ではないのだ。
どちらかといえば扱いが難しく、面倒くさい。
「ねぇ、にぃさんはボクに会いたくなかったぁ?」
本音を言えば「会いたくなかった」になる。
もちろん言えるはずがないので、肩口から垂らされているクィンシーの手をやわらかく握った。
「なかなか時間が取れないのを、いつも残念に思っていますよ」
「時間があったら、もっとここに来てくれるぅ?」
「当然でしょう? クィン、私はきみの兄なのですからね」
クィンシー・ロビンガム男爵は、確かにサイラスの実の弟だった。
外見から言えば兄弟には見えないほど似ていない。
魔術で髪や目の色を変えていることもあるが、本当の色も弟とは違っていた。
弟は父親譲りの金髪、サイラスは母親譲りのブルーグレイ。
今のサイラスは魔術で、髪を銀色に、瞳も透き通るような銀に変えている。
体はクィンシーより、ひと回りは大きく見えた。
魔術師用のローブをまとっていても、しっかりとした体格なのがわかるからだ。
サイラスの魔力が顕現したのは十歳。
魔術師になるのは無理だと、その時には諦めていた。
ロビンガム男爵家には長男であるサイラスしか子供がいなかったため、否応なく家督を継ぐ責任が生じる。
だが、その翌年、クィンシーが生まれた。
サイラスにとっては、自分が魔術師になるための希望の灯。
だから、可愛がった。
今思えば、可愛がり過ぎたのだ。
クィンシーが5歳までサイラスは彼につききりでいた。
十歳違いの弟が5歳を迎えられたら、王宮に入る。
クィンシーが生まれた時には、すでに決めていたことだ。
クィンシーはサイラスに大事に育てられ、無事に5歳の誕生日を迎えた。
(あの日は最悪でした。泣くわ喚くわ……宥めるのに、ひと苦労しましたよ)
兄との別れをクィンシーは、とにかく嫌がって暴れたのだ。
結局、サイラスのもらした「嫌いになりそうだ」との言葉に、彼は大人しくなったのだけれど。
そして、たいがいは「言うことをよく聞く」ようにもなった。
(私にこれほど執着してこなければ、もっと使い勝手がいいのですがね)
クィンシーは、今年で25歳になる。
社交界での華でもあった。
兄であるサイラスが「寝ろ」と言えば、誰とでも寝る。
そのため、周囲から好色であると思われているが、内実は違った。
サイラスが渡す薬なくしてクィンシーは性的な興奮をいっさい覚えないのだ。
もっとも、例外は何にでもつきもの。
クィンシーがサイラスの頬に頬をすりつけてくる。
舌で、ぺろりと舐められた。
サイラスは、それを無表情で受け止める。
兄だけを求める、クィンシーは残念な子なのだ。
もちろんサイラスは実の弟と肉体関係を持ったりはしない。
何度ねだられても、はねつけている。
「やっぱり駄目?」
「きみは、私の弟をやめたいと言っているのですか?」
「そんな……っ……違う! 違うよぅ、にぃさん……」
クィンシーが腕をほどき、サイラスの前にひざまずいてきた。
サイラスの膝に両手を乗せ、目には涙を浮かべている。
爵位を譲り、魔術師となった今、クィンシーにはわずらわしさしか感じない。
それでもこうして「飼って」いるのは、使い途があるからだ。
「だって……だって、にぃさんはボクとはあんまり会ってくれないでしょう? なのに、あいつとは四六時中ベッタリだ……」
あいつ、というのは王太子のことを指している。
会うと、クィンシーは、必ずこの手の不満をもらした。
執着心も強ければ、嫉妬心や独占欲も強いのだ。
「私は副魔術師長なのですよ? 私の出世を喜んでくれないのですか?」
「そりゃあ……にぃさんが偉くなるのは嬉しいよ。でも……」
話が長くなるのは、ごめんだった。
早く切り上げて、ここから去りたい。
無駄話に時間を割く暇などないと、心ではクィンシーを切り捨てている。
たとえ残念な弟であっても、実の弟に冷淡になってしまうのには理由があった。
クィンシーには魔力がない。
それはサイラスが心を砕く意味がない、ということと同義だ。
サイラスは魔術師以外の価値を認めていない。
それでも、サイラスは、クィンシーの目元に浮かぶ涙を優しくぬぐう。
微笑みかけながら、頬を撫でた。
「王太子は赤の他人。きみは私の実の弟。どちらが大事かなんて、聞く必要もないと思いませんか?」
魔力を持たないクィンシーより、魔力を無尽蔵に与えてくれるであろう王太子のほうを何百倍も大事に思っている。
サイラスの心の声はクィンシーには聞こえない。
目を輝かせ、大きくうなずいた。
「そうだよねぇ、ボクは、たった1人の肉親。にぃさんの弟だもの。ボクのほうがあいつより大事に決まってる」
ようやくクィンシーは機嫌を直したようだ。
やっと本題に入れる。
「今度は誰と寝ればいいの?」
クィンシーが、あたり前のように聞いてきた。
数えきれないほどの男女とベッドを共にしてきたので、なんとも思っていないのだろう。
それに肝心なこと以外は、あまり覚えてもいないに違いない。
これでもサイラスは弟の「ためだけに」薬を作っている。
性的な興奮や欲求を一時的に高めるだけではなく、事が終わったら、それらの感覚を消す特別仕様の薬なのだ。
クィンシーは兄であるサイラスにしか性的な欲望をいだけないため、他の者との関係は、いわば強制的なものに過ぎなかった。
今でさえ「残念な子」であるのに、発狂でもされたらかなわない。
感覚を残させないようにしているのは正気を保たせる必要があるからだ。
「誰とも寝なくていいですよ、今回はね」
「寝なくていいんだぁ。珍しいなぁ」
「その代わり、失敗は許しません。そうですね、もし失敗したら……」
「しない、絶対しないよぅ! にぃさん、お願い……ボクを見捨てないで……」
すがりついてくる弟の背をあやすように、ぽんぽんと軽く叩く。
そして、優しく言った。
「きみがちゃんとできたら問題はないのですから、心配はいりません」
「……わかった。ちゃんとする……」
これはまだ準備段階に過ぎないのだ。
そんな手前で失敗など、できようはずもない。
弟の体を引き離し、サイラスは仕事の内容について話す。
「ふーん、大公の邪魔をすればいいだけぇ?」
「そうなのですがね。それほど簡単ではありませんよ?」
「ボク、直接、会ったことないけど、そんなに強い人なのぉ? にぃさんが、簡単じゃないって言うくらい?」
「ええ、お強いかたですよ、大公様は」
クィンシーは、あまりピンときていない様子だ。
あの流星を知らないのだから、いたしかたがないと思えた。
「だから、最も信頼できる、きみに頼んでいるのです」
「そぉかぁ。うん。ボク、頑張るね。絶対に失敗しないよぉ」
他の者が相手であるなら簡単なことでも、大公を相手にするとなると別だ。
簡単なことが簡単ではなくなる。
むしろ、危険なことになるとわかっていた。
が、クィンシーは、残念な子だ。
仮にクィンシーと自分との関係がバレたとしても、その時は、弟が勝手にした不始末にしてしまえる。
それも見越して、サイラスはクィンシーを選んだのだった。
「じゃあ、ねぇ。にぃさん……ご褒美くれるぅ?」
小さくため息をつく。
なにをするということもないが、クィンシーはサイラスの体を見たがるのだ。
見られて減るものでなし、目的を達成するためなら安いものだと思う。
前払いなのは釈然としないが、サイラスはあっさりローブを脱ぎ捨てた。
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