理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第1章 暗い闇と蒼い薔薇

お祖父さまと逃避行 2

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「すっかり寝入ってしまわれましたね」
 
 レティシアが寝息を立てている。
 あどけない表情が微笑ましい。
 本を読んでいると思っていたら、ウトウトしはじめ、体が揺れ出した。
 床に倒れかかった彼女を支えたのは、大公だ。
 
 レティシアには、おかしな癖がある。
 
 大公の山小屋、もとい屋敷に来て、グレイはそのことに気づいた。
 居間には大きくて座り心地のいいソファがある。
 最初は彼女もそこに座って本を読んでいるのだが、時間が経つにつれ、あちこちと体勢を変え、最後には床に座り込んでしまうのだ。
 
 サリーが何度か指摘したものの「癖なんだよね」と苦笑いされてしまった。
 直そうとしても直らないのだとか。
 そのくらい集中しているのだろう。
 
「不思議なのですが、なぜ屋敷では、このようなことはなかったのでしょう」
「そうだね。屋敷でのレティは、遅くまで本を読む習慣がなかったのじゃないかな?」
「そう言えば、そうですね。夕食後、レティシア様は、しばらく屋敷の者と話をなさってからお部屋に戻られ、私どもと少し話したあと、お休みになられておりました」
 
 彼女はよく食べ、よく眠る。
 ここでもそれは同じだが、就寝時間がだいぶズレていた。
 話し相手が少なくなったからか、夜に本を読む時間が増えている。
 そして、よく居間で寝入ってしまうのだ。
 グレイは、ふと気づいたことがあって、口元を緩める。
 
「大公様がいらっしゃるから、ご安心なのでしょう。ここで寝てしまっても、大公様に寝室まで運んでもらえますからね」
 
 少し寂しく感じなくもない。
 家族と、家族同然とのごくわずかな差は、そういうところなのだろう。
 どうしたって他人に対し、気遣いゼロというわけにはいかないし、見せられない姿もある。
 無条件で体を委ねられるのも、家族だけなのだ。
 今のところは。
 
「安心させてやれているといいのだがね」
 
 言いながら、大公はレティシアの頭を撫でている。
 彼女の体を支え、そのまま膝を枕にして寝かせていた。
 深い眠りに落ちた頃を見計らい、寝室に運ぶのだと知っている。
 起こしてしまわないようにとの配慮だろう。
 
「ここなら安全かと存じます」
「どうかな」
 
 大公の口調は穏やかだ。
 不安や心配をしているようには見えなかった。
 
 他の者とは違い、グレイは元魔術騎士であり、彼から魔力を与えられている。
 この森全体が大公の絶対防御の領域内だとわかっていた。
 ここから出さえしなければ安全は確保されている。
 どんな魔術をもってしても破ることは不可能だ。
 大公以上の魔術師などいないのだから。
 
「ここに来て、そろそろ半月以上になるね」
「王太子は動きますか?」
 
 グレイの言葉に、大公が眉をひょこんと上げた。
 ゆるく微笑んでいる。
 
「王太子、ではないよ、グレイ」
「しかし、レティシア様に粘……しつこくつきまとっているのは王太子ではありませんか?」
「あれは、ただの駒に過ぎない。動いているのは副魔術師長だけさ」
 
 切って捨てるような内容を話す時でも大公の口調は変わらない。
 レティシアを見る瞳にも優しい光がともっている。
 いかにも愛おしげに彼女を見つめ、髪を繰り返し撫でていた。
 
「サイラスは、存外、せっかちでね」
「せっかち、ですか?」
「用意周到で用心深いのに、“待て”が、できないのだよ」
 
 グレイは、サイラスのことを、よく知らない。
 歳は近いのだが、実際に会ったのは、この間が初めてだった。
 サイラスが王宮魔術師になった頃、グレイは大公とともにとっくに王宮を辞していたからだ。
 
 公爵が宰相として王宮勤めをしていても、直接に関わることはない。
 グレイとサリーは貴族ではあるが、使用人でもある。
 そのため、夜会などに出席することもないので、顔を会わせる機会そのものがなかった。
 
 2人とも、王宮には関わりたくない、というのが本音でもある。
 サリーがかたくなに魔力顕現を隠してきたのは、そのせいだ。
 なにしろ、兆候を感じた際、最初に習得したのが魔力抑制だったというのだから、その本気度がどれだけのものかわかる。
 サリーの1番上の姉が、王宮勤めをしている貴族に無理矢理に愛妾にされたのが、心の傷になっているらしい。
 
「会った印象とは違いますね」
「あいつ自身、気づいていないだろうが、野心家というのは野心に振り回されるものなのさ。早く目的に達することばかりを考える」
「サイラスの目的というのは、魔術師長になることでしょうか?」
 
 レティシアを撫でていた大公の手が止まる。
 彼女から視線を外した瞳に、一瞬だけ冷ややかさが宿った。
 大公を敬愛しているグレイでさえ背筋が寒くなる。
 
 彼は冷淡でも冷酷でもない。
 ただ、容赦がないのも事実なのだ。
 
 グレイが部下だった頃、彼のくだした決断がくつがえされたことは1度もなかった。
 そのすべてに納得していたし、だからこそグレイは彼に付き従っている。
 それでも、彼の度を越した力におそれをいだきもするのだ。
 
「言っただろう、グレイ。あいつは野心家だ。魔術師長などで手を打とうとは思っていない。飢えて凶暴になっている獣というのは始末に悪いよ」
 
 物静かでやわらかな響きを持つ声音で、大公がそう言う。
 声と内容が、まるで噛み合っていない。
 しばしばあることなので、気にはしていなかった。
 
 大公と初めて会ったのは、グレイの魔力が顕現した十歳の時。
 翌年に戦争が始まり、グレイはすぐに志願している。
 大公の元に馳せ参じたのだ。
 グレイがまだ幼かったため、彼はずいぶんと渋っていたが、それこそ「粘着」して認めてもらった。
 
 その後、2年ほど魔術騎士として彼の元で戦った。
 戦後、大公が王宮を辞したため魔術騎士隊は解散。
 グレイは考えた末、3年間を執事修行に身を費やしている。
 そして、修行を終え15歳になった年、再び、大公の元を訪れたのだ。
 押しかけ執事になって20年、グレイは誰よりも大公を知っていると自負していた。
 
「どうなさるのですか?」
「どうしようかねえ」
「まぁ、大公様が何もなさらなくても、向こうは仕掛けてくるでしょうが」
「グレイは、さっき、ここは安全だと言っていただろう?」
 
 その言葉に対して、大公は「どうかな」と答えている。
 いつも確信を持った言い方をしないのが大公の主義だと知っていたので、あえて流したのだけれど。
 
「なにか……破る手立てがあるのですか?」
「何事にも、絶対なんてないのさ」
 
 なにか思い当たることでもあるのかもしれない。
 そんな口ぶりだった。
 
 まさかとは思うが、大公が言うのだから「何か」はあるのだろう。
 彼の判断は、いつも正しかった。
 間違えるのは、周りの者だけだ。
 
「私はね、自分が抑止力になるというのなら、それでもかまわないと思っている。だがね、このにまで、それを押しつけられたくはないのだよ」
 
 大公は黒い瞳にレティシアを映し、やわらかく微笑んでいる。
 彼女が見たらまた「戻って来られなくなる」ような表情だ。
 彼女の「お祖父さま病」は、とても分かり易い。
 
「……レティシア様は、ずいぶんと無防備になられました」
「心配かい?」
「以前の姫さまなら、なんとも思われなかったようなことで、傷ついてしまわれるのではないかと……心配になります」
 
 ふっと、大公が笑った。
 少し寂しげな表情に、グレイはハッとさせられる。
 長いつきあいの中、初めて見た顔だったからだ。
 
「そうだね。だが、グレイは今のレティのほうが好きなのじゃないかな?」
「…………ええ、その通りです」
「実は、私もそうなのだよ。今のこのが、可愛くて愛しくてならない」
 
 十年も疎遠にされ続けてきたのだから、当然に思える。
 にもかかわらず、大公は、やはり少し寂しげだった。
 が、その表情を消し、レティシアの体を抱き上げる。
 
 寝入っている彼女は大公の胸に顔を押しつけたまま、起きる気配はない。
 安心しきっているのだろう。
 完全に体を委ねている。
 彼女を抱きかかえ、大公が階段を上がっていく姿を見つめた。
 
(なぜ放っておいてくれないのだろうな。これだから王宮ってところは……)
 
 権力争いや自己顕示欲を満たすためのいさかい、見栄。
 そうした欲に取り巻かれている王宮を、グレイは嫌っている。
 大公は、抑止力になるのもやぶさかではない、と言っていたが、グレイのほうがよほど納得できていなかった。
 それでは2人は国のための生贄ではないか、と思うのだ。
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