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第2章 黒い風と金のいと
お祖父さまと一緒 1
しおりを挟む「これが、寝泊まりする場所か」
ユージーンは、部屋の様子に驚いている。
と、同時に少し感動を覚えていた。
「なんという……狭さだ」
王宮の私室よりも狭い。
あたり前なのだが、ユージーンにとっては、あたり前ではないのだ。
今まで魔術師連れとはいえ、1人で出かけたことなどなかったし、王宮以外で寝泊まりするにしても「一般の」宿に泊まったこともなかった。
ユージーンは、今、サハシーに来ている。
サハシーは初めてではないが「一般の」宿に泊まるのは初めてだ。
王太子として来た際には、王宮専用の常宿に泊まる。
逗留している者がいなくても、近衛騎士が張り番をしている建物だった。
見た目にも宿とは言えず、風格のある城。
一生に一度の贅沢でサハシーに来た中流貴族などは、その城をひとつの見所にしているくらいだ。
引きかえると、確かに狭い。
が、城と宿を比べれば、たいていの場所は狭いのだけれど。
「部屋が5つあるが……? なぜ5つに切り分けて、わざわざ小さくする? 意味がわからんな」
ここは上流貴族用の宿であり、客を招いたり、子連れで泊まったりする。
そのため複数の部屋が用意されていた。
主寝室に副寝室、ゲストルーム、居間、専用調理室付きの食堂。
どの部屋も、1人で使うには十分な広さがある。
居間の大きなガラス窓を開くと広いテラスに出られるようになっていた。
調度品も高級品ばかりだ。
ベッドにしてもソファ、カウチだって、広々としていて、ふかふか。
上流貴族は、お抱えの調理人を伴うことが多いため、調理室も充実している。
食堂の側は、ちょっとしたサロンになっていた。
棚には珍しい酒が、ずらりと並んでいる。
「このような仕切り、なくしてしまえば良いものを。狭い部屋が、ますます狭くなるではないか。書斎がないのも気になる。しかも、なぜ室内に湯殿を……??」
王宮では、私室は私室、風呂は風呂と分かれていた。
湯に浸かる場所は、そのためだけに別で存在している。
そのため、寝室と風呂がなんのために同居しているのか、理解できずにいた。
ユージーンは、なにかと不足に感じていたが、これでも「目の飛び出る」ような金額の張る部屋なのだ。
上流貴族であっても長期逗留が難しいくらいには、高かった。
もとよりサハシーは保養地であり、総じて物価は高くなる。
が、支払いなどしたことのないユージーンにとって「相場」や「物価」は数値以上の意味を持たない。
高いだの安いだのとは、感じたこともなかった。
「まぁ、良い。俺は、王太子として来たのではないのだからな」
ひと通り室内を見分したあと「狭い」居間の「小さい」カウチに座りかけて、立ち止まる。
壁に埋め込まれた、縦長の鏡に映る自分の姿を見つめた。
「存外、変わるものだ」
サイラスの魔術で髪と目の色を変え、身なりもいつもとは異なっている。
それだけで別人のように見えた。
髪と目は、赤みの暗い黄褐色。
いつもの王族用の衣装とは違い、丈の短いアースグレーの上着と揃いのズボン、少しゴワつく白いシャツ、それに細いリボンタイ。
シャツがゴワつくと感じるのは、ユージーンがいつもシルクを身につけているからだ。
リネン生地など知る由もない。
知識として「そのようなもの」があると知ってはいても、実物は見たことがなかった。
サイラスに魔術をかけられた時も、散々に見たりさわったりしたのだが、物珍しく、また髪をいじくってみたりする。
「客室係も気づいておらぬようだったし、これならば外を歩いても問題なかろう」
などと、着心地はともかく、ご満悦だ。
部屋にあるクローゼットには、あらかじめ似たような服が用意されている。
3日間かけて、侍従に着替えかたも教わっていた。
なにしろユージーンは靴紐すら結べなかったのだから。
生まれながらに、およそ自分で身の回りのことをする、という習慣がない。
服の裾がどうなるかなど気にせず生活してきている。
私室で1人になることはあっても、1人で生活をするのは初めてだった。
もちろん、この建物の中にも外にも王宮魔術師がユージーンの警護にあたってはいる。
が、姿を消しているので、魔力感知のできないユージーンには、いないも同然なのだ。
気が済むまで鏡に映る自分を見たあと、不意に我に返る。
「そうだ。俺は、遊びに来たのではない。やることをやらねば」
レティシアを守るため、役に立ちそうな魔術を覚えたかった。
サハシーには、大きな図書館もある。
街に出れば、珍しい魔術道具も売っていると報告書には書いてあった。
買いかたはよくわからないが、金は持ってきている。
サイラスから「小遣い」をもらったのだ。
おそらく足りないということはないだろうと思う。
もし足らなければ、そこいらにいるはずの魔術師を呼んで、出させることもできる。
とはいえ、図書館に入るにも金を取られるというのだから、べらぼうだ。
王宮では図書館への出入りなど自由にできる。
というより、ユージーンが行かなくても「誰か」が必要な本を取ってくる。
本を読むというだけのことに、金がかかる理屈もわからない。
ただ、街はそういうものなのだ、と納得はしていた。
王宮と街とでは、存在の在り様が違うとユージーンは思っている。
実際は、ユージーンの「尺度」が違うという話なのだけれども。
「図書館までは馬車……ではなく、歩いてゆくとしよう」
ユージーンは真面目だったし、頭も悪くはない。
街の地図は、すっかり頭に入っている。
馬車で移動してもいいのだが、歩けば街を見て回ることができると考えた。
なにより、馬車の呼び方を知らない。
地図の上で、さほど遠くない距離に図書館があるのはわかっているのだ。
せっかく王宮の外にいるのだから、いつもとは違うことをしたいとも思う。
ユージーンは真面目で、頭も悪くなかったが世間知らずだった。
たとえば地図上で「さほど遠くない」が、どれほどの距離になるかを知らない、だとか。
途中で空腹を覚えたらカフェに寄る、だとか。
ここが何も言わなくてもお茶の出てくる王宮ではなく、しかも自分1人で自分の面倒をみなければならないということも、わかってはいない。
にもかかわらず、やはり真面目なので、目的を果たそうとはする。
早速に部屋を出て、宿の扉を開けた。
石畳の広い道には人が溢れている。
王太子として出歩く時には見慣れない光景だ。
公務で領地に出向くことはあれど、王太子ご来訪ともなれば、人垣はできても、道はがら空き。
近衛騎士の先導しかいない道を歩く。
当然だが、ユージーンの行く手を阻む者などいない。
(街というのは歩きづらいものなのだな……非常に邪魔だ……)
少し顔をしかめつつ、頭の中に地図を広げ、図書館のほうに歩き出した。
ユージーンは王族だ。
せかせかと歩く癖はない。
いつものゆったりとした足取りで歩を進める。
とたん、後ろから何かが肩にぶつかってきた。
刺客が現れたのかと、ハッとする。
王宮の中にいれば、常に身の安全は保障されているので、刺客を気にしたことなんてなかった。
サイラスから「くれぐれも気をつける」ようにと、言われてもいた。
ユージーンは気にしていないが、周りは魔術師に取り囲まれている。
刺客ならば、とっくに始末されていたはずだ。
さりとて、ユージーンには、そんなことはわからない。
「おっと! 悪いね、お兄さん!」
振り向く間もなく、声をかけてきた相手が前を走っていく。
単に、ぶつかられただけだと気づくまでにも時間がかかった。
(まったく……せわしないことだ……だいたい無礼であろう。頭のひとつも下げぬとは……誰も躾をせぬのか)
憤慨はしている。
さりとて、叱り飛ばしたくても、相手の姿はすでにない。
(しかたあるまい。今、俺は王太子ではないのだからな。扮装が露見しておらんということでもあるし、悪いことではない)
ここは街で、自分はお忍びで来ている身だ。
怒ってもしかたがない、と気持ちを切り替える。
ほんの少し「サイラスがいたら」と思わなくもなかったけれど。
その後も、たびたびぶつかられたりしながら、頭の中の地図通りに歩いた。
が、歩けども歩けども辿り着かない。
おかしいとは思うが、自分が道を間違えたのかもしれない、などとは思わずにいる。
ユージーンは、自分に絶対の自信を持っていた。
だから、間違えるはずはなかったし、その発想すらない。
(あの地図は縮尺がおかしい。王宮に帰ったら、すぐに見直しをさせねばならん)
確かに地図は間違っている。
だが、地図というのは「いつ作られたものか」が重要なのだ。
街は移り変わる。
いつまでも同じではない。
それも知らず、人に道を訊ねるとの考えもなく、ひたすら歩いた。
歩きながら、心の中にハテナが浮かぶ。
(あの縮尺はどうなっている? いったい、いつ図書館に着けるのだ?)
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