理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第2章 黒い風と金のいと

そんなこととは露知らず 4

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 グレイは荷物をまとめていた。
 大公から「明日の朝までに」と言われている。
 この結果については、納得していた。
 大公の言う通り、執事に徹しきれなかった己の不心得ふこころえのせいなのだ。
 
「ねぇ……グレイ……待ってよ……出てくなんて、やめようよ……」
 
 レティシアの小さな声が聞こえる。
 泣きそうになっているのがわかって、胸が痛くなった。
 自分などのために心を痛めてくれている。
 そんなレティシアの気持ちに応えることができない。
 
「私から……もう1回、お祖父さまに……お願いしてみるから……」
 
 荷物を詰める手を止め、グレイはレティシアに向き直った。
 これ以上、レティシアに迷惑はかけられない。
 どうにもならないことは、グレイが1番よくわかっている。
 
「レティシア様、私を庇えば公爵家にご迷惑がかかります。これが最善だと、ご理解ください」
 
 レティシアが首を横に振った。
 唇が小さく震えている。
 
「わかんないよ……グレイが悪いわけじゃないじゃん……なのに、なんでグレイが出てかなきゃなんないんだよ」
 
 扉の近くに、サリーが立っていた。
 サリーはグレイと視線を合わせず、うつむいている。
 この私戦がどういう意味を持つか、わかっているからだ。
 
「そ、それにさ、お祖父さまならグレイを助けられると思うんだ……守ってくれるって……グレイは、ずっとお祖父さまに仕えてきたんだし……」
 
 ほかの相手だったなら、あるいは私戦もやむなしとなっていたかもしれない。
 というより、ほかの相手だったら、私戦にはならなかったはずだ。
 
 今回、大公は、この件に関わらない。
 
 そうとわかっていて、私戦を挑んできたに違いないのだから。
 執事に徹していれば、相手がどこの貴族か見落とすなどという失態はおかさなかっただろう。
 グレイとて、投げつけられた手袋を取る気はなかった。
 が、ジョーたちのことだけではなかったから、路面に落ちた手袋をつかんでしまったのだ。
 
 『孫娘に手をつけようという汚らわしい英雄気取り』
 
 大公を、そう揶揄された。
 それがグレイの自制を奪っている。
 大公を尊敬し、憧れを持って仕えてきた。
 だからこそ、許せなかったのだ。
 相手の手袋を手にすることの意味を考えもせず、騎士としての感情に走った。
 
(私は、有能どころか、執事失格だ。きみの言う通りだったよ)
 
 目で語り掛けるも、サリーは視線を合わせずにいる。
 返事はなかった。
 
「大公様に、ご迷惑をおかけすることはできません。どうか……どうか、屋敷を出ることをお許しください」
 
 深々とグレイは頭を下げる。
 そのグレイの耳に、サリーの声が響いた。
 
「レティシア様、ラペル公爵家の下位貴族にはセシエヴィル子爵家がついているのです」
 
 パッと顔を上げ、グレイはサリーを睨む。
 そのことは、言うつもりではなかったからだ。
 
「よせ、サリー」
「いいえ。レティシア様は、お知りになりたいはずよ。あなたのためではないわ、グレイ。このままだと、レティシア様は、大公様を信じられなくなるかもしれないでしょう?」
 
 反論したくなったが、言葉に詰まった。
 サリーは、正しい選択をする。
 地下室でも、そうだった。
 間違えるのは、いつも自分ばかりだ。
 
「そのセシエヴィル子爵家がついてることに、なにか意味があるの?」
 
 サリーが、大きく息を吸い込む。
 その言葉が、レティシアを板挟みにし、苦しめることになると、わかっているに違いない。
 
「セシエヴィル子爵家は、エリザベート様のご実家にございます」
 
 みるみるレティシアの目が、大きく見開かれた。
 大公の妻はレティシアの祖母にあたる。
 写真でしか見たことはなくても、大公が、いかに妻を愛していたかは知っているのだ。
 
「で、でも……お祖母さまは、平民だったって……」
「大公様と婚姻される際、エリザベート様が身を寄せられていた遠縁の家に、爵位が与えられたのです」
 
 大公の妻は、平民の出だ。
 が、婚姻するとなると釣り合いというものが必要になってくる。
 大公自身が気にしなくても、それが貴族の習わしなのだ。
 エリザベートは、両親を亡くしており、遠縁の家で暮らしていた。
 その家に、最低限の釣り合いの取れる爵位が与えられている。
 それがセシエヴィル子爵家だった。
 ラペル公爵家は、セシエヴィル子爵家の上位貴族。
 必然的に、私戦にはセシエヴィル子爵家も巻き込まれることになる。
 
「ですから……この私戦に、大公様が加わることも、旦那様が加わることも、望ましくないことなのです」
 
 大公にとっては妻の、公爵にとっては母の実家に、喧嘩を売るに等しい。
 そんなことは、絶対にさせられなかった。
 サリーには、グレイの気持ちが理解できるはずだ。
 彼女は、大公や公爵に大きな恩を感じている。
 おそらく、罵りたい気持ちでいるのだろうと、グレイは思っていた。
 
(こんなことになるのなら、彼女に気持ちを伝えておけば……いや、よけいなことは言わないに限る、か……)
 
 この状況下で気持ちを伝えても、サリーを悩ませるだけだ。
 むしろ、伝えていなかったことが幸いだったかもしれない。
 サリーに愛されているかはともかく、好意的ではあったのだし。
 
「どうにも……ならないの……?」
「レティシア様……大公様のお気持ちを……お察しくださいませ」
 
 大公の妻に対する気持ちは、とても重い。
 レティシアも知っている。
 誰もが知っている事実だった。
 
 あの蒼い薔薇は、今もなお繰り返し咲く。
 
 その気持ちを知っているのに、妻の実家と敵対しろなどと、どうして言えるだろう。
 レティシアが涙をこらえているのか、眉をきゅっと寄せていた。
 それだけでいい、と思う。
 これほどに大事に思ってもらえたのなら、十分だ。
 自分がただの「使用人」でなかったと感じられる。
 
「レティシア様。私は、自分で望んで屋敷を出るのです。レティシア様なら、お分かりいただけると思いますが、”ウチ”のみんなに迷惑をかけていると思いながら居座るのは、心苦しいではないですか」
 
 グレイは、レティシアに微笑んでみせた。
 しばしの間のあと、レティシアが、唇を噛む。
 それから、黙って体を返した。
 部屋から出て行くレティシアの後ろ姿を見送る。
 明日の朝、早い時間に屋敷を出ることにした。
 もう誰の見送りもいらない。
 この屋敷には愛着があり過ぎるのだ。
 グレイだって、出ていくのはつらい。
 
「本当に……執事失格ね」
「わかっているさ」
 
 サリーを抱きしめたくなるのを、ぐっと堪える。
 彼女が屋敷に来て5年。
 最初は、気の強い女性だと思っていた。
 サリーも、どこかしら警戒心をいだいていたように思う。
 が、以前のレティシアの扱いに苦慮する仲間として、だんだんに打ち解けていったのだ。
 そして、気づけば、サリーは、グレイにとって特別な女性になっていた。
 同じことで困り、同じことで悩む。
 今では、目で語れるほど、お互いを理解し合っていた。
 
「私に言うべきことが、あるんじゃない?」
 
 グレイは、少しだけ逡巡する。
 自分の気持ちを伝えるかどうか。
 
「今まで、ありがとう。きみには感謝しているよ、サリー」
 
 結局、言わないことにした。
 明日、生きているかどうかもわからない身だ。
 そんな男には、愛を囁く資格などない。
 
「あなたがいてくれたほうが助かるけれど、いなくてもなんとかするわ」
 
 そっけなく言って、サリーが部屋から出ていく。
 その背を見つめながら、グレイは少しだけ、笑った。
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