理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第2章 黒い風と金のいと

そんなこととは露知らず 3

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 サイラスは、サハシーにいた。
 王太子のお守りのために、時間を割いている。
 
(いっときも目を離せないのですから、子供以上に手がかかりますねぇ)
 
 何を思ったのか、王太子がサハシーに行くと言い出した。
 あの際、もっと強硬に反対すべきだったのかもしれない。
 が、あの時の王太子は、ローエルハイドの孫娘に傷つけられ、落ち込み過ぎていた。
 何に対しても上の空で、公務も放り出す始末。
 これでサハシー行きを取りやめさせれば、当面、即位しないなどと言い出しかねない。
 そう思い、少しだけならと送り出したのだ。
 
 けれど、とんだことになってしまった。
 大公が、サハシーにまで王太子を追いかけてくるなんて、予測の範囲外。
 サイラスの「予定」では、大公が来るとしても王宮に姿を現すはずだった。
 もちろん、もっと早い段階で、だ。
 
 レスターが大公の相手にならないことはわかっていたが、足止めにはなっている。
 さりとて、大公が本気で王太子と自分に始末をつけるつもりでいたなら、王宮の警護など、なんの役にも立たない。
 わかっていながら、来たら来たでかまわないと思っていた。
 
 王太子が殺されてしまった時点で、サイラスには打つ手がなくなる。
 それを避けるため、事前に策を用意していたのだ。
 王太子は気づいていなかっただろうが、戻ったあと「換敷かんじき」で、部屋を移動させている。
 
 もっとも危険で安全な場所に。
 
 王宮内の宰相の別宅だ。
 王太子自身には、治癒と同時に姿の見えなくなる「蔽身へいしん」の魔術をかけている。
 自身にかけるのは簡単でも、人にかけるのはそれなりの腕がいる、といった代物だった。
 同時に、王太子の私室と入れ替えた部屋には「姿映すがたうつし」という魔術で、王太子がいるように見せかける細工までほどこしていた。
 
 そして、サイラス自身も、逃げる用意を準備済み。
 宰相が事態を耳にして怒鳴りこんでくることも予測済み。
 なんのかんのとはぐらかして、時間稼ぎをした。
 大公が乗り込んできた際に、宰相には自分と一緒にいてほしかったのだ。
 
 サイラスは宰相ではなく、宰相の妻の命を盾にするつもりでいた。
 
 彼女には、エッテルハイムの城に行く前に、あらかじめ「梱魄こんぱく」の魔術をかけており、サイラスが死ねば彼女も死ぬ、という算段だ。
 長持ちはしないし、耐性ができてしまうため、同じ人物に2度はかけられない。
 が、大公が来た際に発動状態であればよかった。
 それを知れば、宰相は、間違いなく、大公にサイラスの命乞いをするに違いないのだから。
 
 大公は、息子と孫娘のどちらを選ぶのか。
 愛情深さゆえに苦悩したかもしれない。
 そんな彼の姿を見たい気もしていた。
 しかし、大公は来なかった。
 しばらく生かしておくとの判断をしたのだと察しはつく。
 ひと息つくとともに、落胆もした。
 
 サイラスには、常に矛盾をかかえた2つの選択肢がある。
 
 自分が世界を統べる王となるか、もしくは大公がこの世界を破滅させるか。
 サイラスにとっては、どちらでもいいのだ。
 だから、いつも2つの道に続く「予定」を立てている。
 が、王太子だけが殺されたのでは、サイラスはどちらの結果も得られない。
 魔術を持たない「ただの人」に成り下がってしまう。
 それは、サイラスの最も忌む「最悪の結果」だ。
 
 その最悪の結果が、サハシーで起ころうとしていた。
 王太子につけた魔術師から早言葉はやことばで連絡を受けた時、未だかつてないほどにサイラスは肝を冷やしている。
 まさか大公が王太子だけを狙うなどとは思っていなかったからだ。
 むしろ、自分だけが狙われるのなら予定内だったのだけれど。
 
(レスターを始末したあと、こちらにはいらっしゃいませんでしたから……しばらく殿下だけは生かしておくつもりなのだとばかり思っていましたよ)
 
 裏をかかれた気になって、急ぎサハシーに転移した。
 が、森には絶対防御がかかっていて入れない。
 魔力感知されることを考えると、近づくこともできなかった。
 そのせいで、王太子の生死もわからず、サイラスはひどく焦ったのだ。
 のぼってきた階段を転がり落ちてしまったのではないかと。
 
 あの領域から王太子が姿を現した時には、心底、安堵した。
 同時に、やはり目が離せないと思い直している。
 1人になどすべきではなかったのだ。
 
 王太子からは、大公には会わなかったと聞いている。
 とはいえ、それをサイラスは信じていなかった。
 王太子が「会わなかった」からといって、大公があの森にいなかったことにはならない。
 事実、絶対防御がかかっていたのだから。
 
(よくわかりませんね。私に対する嫌がらせの類でしょうか……?)
 
 大公は、間違いなく、あの場所にいた。
 そして王太子を見つけていたはずだ。
 にもかかわらず、命は取らずにいる。
 王太子は「湖に落ちた」とも言っていた。
 大公が「事故死」などという俗な手を選ぶとは思えない。
 死ねば死んだで、生き残れば生き残ったでかまわない、程度の考えで王太子を湖に突き落としたのか。
 それなら、あり得そうだった。
 大公には、そんなところがある。
 レスターは、さぞ酷い目に合ったことだろう。
 
 たった1人の愛する者のために数十万を犠牲にする。
 
 尊くも気高く、それゆえに命を弄ぶことさえ許される存在。
 それが大公なのだと、サイラスは思っていた。
 大公にとって、王太子が生きようが死のうが、どうでもいいのだ。
 孫娘を危険にさらしたサイラスを罰するために、王太子の命を弄ぶこともいとわないに違いない。
 
(そんなところかもしれませんね。確かに、最悪の気分でしたよ)
 
 ひと通り、今回のことに整理をつけ、サイラスは「予定」を進める。
 次は、どちらの道を選ぶのか。
 結果が出るまでは、何度でも「予定」を繰り返すまでだ。
 
「殿下、王都では面倒なことが起きているようです」
 
 サハシーの宿の一室に、サイラスと王太子はいる。
 ソファに寝転がっていた王太子が、体を起こした。
 座り直してから、サイラスに視線を向ける。
 
「面倒なこと?」
「はい。ローエルハイドとラペルが、私戦になったらしく」
 
 とたん、王太子の顔色が変わった。
 ローエルハイドの名を出すのは望ましくなかったが、どの道、王宮に戻れば嫌でも耳に入る。
 事前に知らせておいたほうが、心構えもできるだろう。
 サイラスの「予定」では、王太子は大公と顔を合わせることにもなるのだ。
 
「私戦……ラペル……」
 
 王太子は、サイラスの人形ではある。
 とはいえ、頭は悪くない。
 なぜ私戦になったかは、この際、どうでもいいことだった。
 それを王太子もわかっている。
 
「誰が、受けたのだ」
「執事だそうにございます」
「あの執事か……」
 
 黒縁眼鏡の有能な執事。
 だが、彼は「元魔術騎士」なのだ。
 執事に鞍替えしたところで、騎士を捨て切ることはできない。
 騎士は、その資質において騎士なのだから。
 
「……あれレティシアは、どうするか」
「あの娘は、使用人を家族同然に思っているようですが、この件で庇うのは難しいのではないでしょうか」
「それならば……よいのだがな」
 
 庇えば、公爵家同士の私戦は避けられない。
 そうなると宰相は、その地位を辞さなければならなくなる。
 もちろん、アイザック・ローエルハイドが宰相にこだわるとは思えない。
 そして、国民は当然のごとくローエルハイドが勝利すると思いこみ、王宮に反感を持つという風潮にはならないだろう。
 ローエルハイドが勝利しさえすれば、宰相は、その地位に復帰できるからだ。
 それでも、両家に犠牲は出るし、大変な騒ぎになるのは目に見えている。
 考えれば、執事を見捨てるのが、最も穏便な手立てではあった。
 1人の犠牲で、事がおさまる。
 
「……大公は、出ては来ぬか」
「おそらく」
 
 国民が、ローエルハイド勝利を疑わないのは、その後ろにジョシュア・ローエルハイドがいるからだ。
 が、今回の件に大公は関わらない。
 息子も同じだろう。
 王太子の判断は、間違ってはいない、と思う。
 ただ、選択肢はひとつではない、というだけだ。
 少なくとも、サイラスの「予定」では、道はやはり2つ。
 
(さて、あなたは、どちらをお選びになりますか、大公様?)
 
 とても興味があった。
 彼の苦悩が目に見えるようで、喜びがサイラスの胸に満ちる。
 今度こそ、彼は己を解放するだろうか。
 それとも。
 
「相手が悪いとしか言いようがありません」
 
 王太子が、大きく溜め息をついた。
 彼の求めるローエルハイドの孫娘も苦悩するに違いない。
 家族同然の執事を見限らなければならないことについて。
 
「あの執事も……馬鹿な真似をしたものだ」
 
 ラペル公爵家の下位貴族には、セシエヴィル子爵家がついている。
 それは大公の妻、エリザベートの遠縁にあたる、いわば実家だった。
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