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第2章 黒い風と金のいと
意志を継ぎたがる者 4
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ユージーンは、私室のカウチに横になっている。
この部屋を使うのも、そう長くはない。
その時を、少しだけ楽しみにしているのを感じた。
(広過ぎるというのも考えものだ。使い勝手が悪い)
サハシーの初日、ユージーンは部屋の狭さに驚いている。
が、数日も経つと、案外、使い勝手がいいことに気づいたのだ。
狭いからこそ、自分の手のとどくところに、必要なものが揃っていた。
湯に浸かるためだけに、いちいち歩いて行かなくてもすむし。
「殿下、正妃選びの儀の日取りが定まりました」
「そうか」
ユージーンは、カウチに寝転がったまま、うなずく。
思えば、すべてはあの「正妃選びの儀」の日に始まったのだ。
ユージーン初の、頭が真っ白、を経験した日でもある。
あれから、何度、彼女に、頭を真っ白にされてきただろう。
『はい! 辞退します!』
声が耳に蘇った。
そんなことになるとは思っていなかったので、腹を立てたのを覚えている。
顔に泥を塗られたと思ったし、脅されているとも考えた。
(だが、あれは、そのようなことは、考えてもいなかったのだろうな)
今なら、わかる。
レティシアに、他意はない。
単純に、ユージーンが好みではなかっただけなのだ。
それはそれで、落胆するのだけれども。
(夜会に来た、あれは、本当に美しかった)
その後、夜会用のドレスを着たレティシアは見ていない。
動きやすい服装を、彼女は好むのだろう。
時には使用人の服さえ、平気で着ていた。
動き易さを優先し、膝だって丸出しにする。
(やはり、あのような格好は感心せぬが……似合ってはおったな)
夜会服姿も良かったが、レティシアには飾り気のないドレスが良さそうだ。
彼女らしい、と思える。
そういえば、2人きりで会話をしたのも、あの夜会が最初だった。
今でもそうだが、レティシアは、いつもわけのわからない言葉を使う。
粘着。
あの夜に知った言葉は、最近、すっかり言われた慣れていた。
レティシアにつけられた「愛称」のように感じられるからだろうか。
彼女に「褒め言葉ではない」と言われていても、なんだか馴染み深くなっている。
悪態をつく姿でさえも、愛らしいのだ、レティシアは。
(俺がおらぬところでも、散々、悪態をついているのだろうな)
容易に想像できた。
ウサギ姿の際に、経験している。
いつか、あのウサギが自分だったのだと、打ち明けて驚かせてやりたい。
あれだけは、怒られる筋ではないのだ。
彼女のほうからキスしてきたのだし、自分は抵抗できなかったのだから。
(ウサギになって、あれの膝に抱かれていたい気もする……だが、それだけで満足できん……俺は、あれを好いているのでな)
ウサギのキスは、何度もした。
偽物のレティシアとも、だ。
さりとて、本物のユージーンとしては、まだ1度もない。
ウサギ相手でもなく、偽物の彼女とでもなく、まともにキスがしたい、と思う。
できれば、早々に。
(理想の男だかなんだか知らんが、あれの傍にはおらんではないか)
魔術師からの報告でも、屋敷に男の出入りはなかった。
そして、屋敷の者でないのも確かだ。
どこの誰だかはともかく、現状、レティシアの近くにはいない。
たいして親密な関係になっていないのは、確信している。
女性にありがちな、おとぎ話の恋を夢見ているだけかもしれない。
そのうち目が覚めるはずだ。
(……伝えておくのだったな……良い機会であったというに……)
転移して公爵家に行った日の翌朝。
レティシアは、自分の食事を用意してくれていた。
あの時、気持ちを伝えておけば、と悔やむ。
目的は、薬の鑑定を大公に依頼するためだった。
レティシアには会いたかっただけで「用事」があったのではない。
だから「用があったのか」と聞かれ、つい「用事などない」と答えてしまった。
人目など、ユージーンにとっては、認識外。
いつも王宮で人に囲まれて生活している。
周りに使用人がいるのはあたり前で、視界に入っていても、意識していない。
そのため、自分の気持ちを伝える「良い機会」だった、などと思える。
(怒っておらんレティシアはめずらしいのだ……惜しいことをした……)
レティシアとのことでは、後悔が多かった。
ちゃんと考えてから行動する、というのは大事なことなのだ。
もっとも、思考の基礎がユージーンは「なっていない」のだけれど、それはともかく。
(自分の頭を使わねば、何事も成し得ぬ)
真面目に、そう思っている。
実のところ、サハシーでの出来事を、まだ少しだけ引きずっていた。
図書館のことや釣りのこと。
1人になったからこそ、わかったことが、たくさんあったからだ。
靴紐も自分で結べるようになったし。
(あれのおかけで、いろいろなことを知った。俺は、変わらねばならんのだ)
気持ちを新たにするユージーンの耳に、扉を叩く音が聞こえた。
聞き馴染みのある叩きかただ。
それだけで、サイラスだとわかる。
短く声をかけた。
「お待たせをいたしました、殿下」
サイラスが、カウチの近くまで歩み寄ってきた。
ユージーンは、寝転がったままでいる。
サイラスに、イスは勧めない。
長く、そのようにしてきたからだ。
サイラスを見つめ、過去を振り返る。
病にかかったあと、苦しさが薄れ、目を開いたらサイラスがいた。
『殿下、もう心配はいりません。私がついておりますよ』
サイラスは、そう言って微笑んでくれたのだ。
握られた手に、どれほど安心しただろう。
あれからのち、大きな病には、1度もかかっていない。
少しの体調変化にも、サイラスが適切に対応してくれている。
正妃選びの儀の日まで「困ったこと」になることさえ、なかった。
必要なことは、すべてサイラスに教えられている。
それが「サイラスが必要だと判断」したことに限られていたとしても。
(俺は、手がかかったのであろうな)
十歳になる頃まで、サイラスはユージーンが寝付くまで傍にいた。
夢でうなされることがないようにと、見守ってくれたのだ。
おかげで、いつしか夢は見なくなった。
ユージーンは、ある意味、真面目。
だから、あれはなにか、これはどういう意味かと、聞くばかりしている。
そのひとつひとつに、サイラスは答えをくれた。
それは、サイラスの都合の良いように、捻じ曲げられた答えだったかもしれないけれど。
剣も乗馬も、できるようになるまでやれるよう、段取りをつけてくれたのもサイラスだった。
それは、ユージーンの信頼を強固にし、サイラスの思うように動かせる者としたかったからかもしれないけれど。
サイラスは、いつも言う。
『殿下の望みが、私の望みですから』
その言葉が、逆さまだったとしても、結果は変わらない。
どちらに軸があるかなど、些細なことだと、ユージーンは思っている。
いずれにせよ、ユージーンの望みは叶えられてきたのだ。
いつもいつも。
ユージーンは、サイラスの名を呼ぶ。
『サイラス、父上は、なぜ俺を見舞ってくれんのだ?』
『サイラス、剣の腕を磨きたいのだが、どうすればよい?』
『サイラス、俺は国王になるのだろ?』
幼い頃からずっと、サイラスだけが、傍にいてくれた。
騙されていた、とユージーンは思っていない。
(俺は、お前の望みを1度も叶えておらんな)
今日も、ユージーンは、サイラスの名を呼ぶ。
「サイラス」
「はい。殿下」
傍に控えていたサイラスが、ユージーンの近くまで来て、跪く。
ユージーンは、体を起こして、カウチに座った。
顔を上げたサイラスと視線を交える。
微笑むサイラスに、うなずいてみせた。
「俺の心は、決まっている」
この部屋を使うのも、そう長くはない。
その時を、少しだけ楽しみにしているのを感じた。
(広過ぎるというのも考えものだ。使い勝手が悪い)
サハシーの初日、ユージーンは部屋の狭さに驚いている。
が、数日も経つと、案外、使い勝手がいいことに気づいたのだ。
狭いからこそ、自分の手のとどくところに、必要なものが揃っていた。
湯に浸かるためだけに、いちいち歩いて行かなくてもすむし。
「殿下、正妃選びの儀の日取りが定まりました」
「そうか」
ユージーンは、カウチに寝転がったまま、うなずく。
思えば、すべてはあの「正妃選びの儀」の日に始まったのだ。
ユージーン初の、頭が真っ白、を経験した日でもある。
あれから、何度、彼女に、頭を真っ白にされてきただろう。
『はい! 辞退します!』
声が耳に蘇った。
そんなことになるとは思っていなかったので、腹を立てたのを覚えている。
顔に泥を塗られたと思ったし、脅されているとも考えた。
(だが、あれは、そのようなことは、考えてもいなかったのだろうな)
今なら、わかる。
レティシアに、他意はない。
単純に、ユージーンが好みではなかっただけなのだ。
それはそれで、落胆するのだけれども。
(夜会に来た、あれは、本当に美しかった)
その後、夜会用のドレスを着たレティシアは見ていない。
動きやすい服装を、彼女は好むのだろう。
時には使用人の服さえ、平気で着ていた。
動き易さを優先し、膝だって丸出しにする。
(やはり、あのような格好は感心せぬが……似合ってはおったな)
夜会服姿も良かったが、レティシアには飾り気のないドレスが良さそうだ。
彼女らしい、と思える。
そういえば、2人きりで会話をしたのも、あの夜会が最初だった。
今でもそうだが、レティシアは、いつもわけのわからない言葉を使う。
粘着。
あの夜に知った言葉は、最近、すっかり言われた慣れていた。
レティシアにつけられた「愛称」のように感じられるからだろうか。
彼女に「褒め言葉ではない」と言われていても、なんだか馴染み深くなっている。
悪態をつく姿でさえも、愛らしいのだ、レティシアは。
(俺がおらぬところでも、散々、悪態をついているのだろうな)
容易に想像できた。
ウサギ姿の際に、経験している。
いつか、あのウサギが自分だったのだと、打ち明けて驚かせてやりたい。
あれだけは、怒られる筋ではないのだ。
彼女のほうからキスしてきたのだし、自分は抵抗できなかったのだから。
(ウサギになって、あれの膝に抱かれていたい気もする……だが、それだけで満足できん……俺は、あれを好いているのでな)
ウサギのキスは、何度もした。
偽物のレティシアとも、だ。
さりとて、本物のユージーンとしては、まだ1度もない。
ウサギ相手でもなく、偽物の彼女とでもなく、まともにキスがしたい、と思う。
できれば、早々に。
(理想の男だかなんだか知らんが、あれの傍にはおらんではないか)
魔術師からの報告でも、屋敷に男の出入りはなかった。
そして、屋敷の者でないのも確かだ。
どこの誰だかはともかく、現状、レティシアの近くにはいない。
たいして親密な関係になっていないのは、確信している。
女性にありがちな、おとぎ話の恋を夢見ているだけかもしれない。
そのうち目が覚めるはずだ。
(……伝えておくのだったな……良い機会であったというに……)
転移して公爵家に行った日の翌朝。
レティシアは、自分の食事を用意してくれていた。
あの時、気持ちを伝えておけば、と悔やむ。
目的は、薬の鑑定を大公に依頼するためだった。
レティシアには会いたかっただけで「用事」があったのではない。
だから「用があったのか」と聞かれ、つい「用事などない」と答えてしまった。
人目など、ユージーンにとっては、認識外。
いつも王宮で人に囲まれて生活している。
周りに使用人がいるのはあたり前で、視界に入っていても、意識していない。
そのため、自分の気持ちを伝える「良い機会」だった、などと思える。
(怒っておらんレティシアはめずらしいのだ……惜しいことをした……)
レティシアとのことでは、後悔が多かった。
ちゃんと考えてから行動する、というのは大事なことなのだ。
もっとも、思考の基礎がユージーンは「なっていない」のだけれど、それはともかく。
(自分の頭を使わねば、何事も成し得ぬ)
真面目に、そう思っている。
実のところ、サハシーでの出来事を、まだ少しだけ引きずっていた。
図書館のことや釣りのこと。
1人になったからこそ、わかったことが、たくさんあったからだ。
靴紐も自分で結べるようになったし。
(あれのおかけで、いろいろなことを知った。俺は、変わらねばならんのだ)
気持ちを新たにするユージーンの耳に、扉を叩く音が聞こえた。
聞き馴染みのある叩きかただ。
それだけで、サイラスだとわかる。
短く声をかけた。
「お待たせをいたしました、殿下」
サイラスが、カウチの近くまで歩み寄ってきた。
ユージーンは、寝転がったままでいる。
サイラスに、イスは勧めない。
長く、そのようにしてきたからだ。
サイラスを見つめ、過去を振り返る。
病にかかったあと、苦しさが薄れ、目を開いたらサイラスがいた。
『殿下、もう心配はいりません。私がついておりますよ』
サイラスは、そう言って微笑んでくれたのだ。
握られた手に、どれほど安心しただろう。
あれからのち、大きな病には、1度もかかっていない。
少しの体調変化にも、サイラスが適切に対応してくれている。
正妃選びの儀の日まで「困ったこと」になることさえ、なかった。
必要なことは、すべてサイラスに教えられている。
それが「サイラスが必要だと判断」したことに限られていたとしても。
(俺は、手がかかったのであろうな)
十歳になる頃まで、サイラスはユージーンが寝付くまで傍にいた。
夢でうなされることがないようにと、見守ってくれたのだ。
おかげで、いつしか夢は見なくなった。
ユージーンは、ある意味、真面目。
だから、あれはなにか、これはどういう意味かと、聞くばかりしている。
そのひとつひとつに、サイラスは答えをくれた。
それは、サイラスの都合の良いように、捻じ曲げられた答えだったかもしれないけれど。
剣も乗馬も、できるようになるまでやれるよう、段取りをつけてくれたのもサイラスだった。
それは、ユージーンの信頼を強固にし、サイラスの思うように動かせる者としたかったからかもしれないけれど。
サイラスは、いつも言う。
『殿下の望みが、私の望みですから』
その言葉が、逆さまだったとしても、結果は変わらない。
どちらに軸があるかなど、些細なことだと、ユージーンは思っている。
いずれにせよ、ユージーンの望みは叶えられてきたのだ。
いつもいつも。
ユージーンは、サイラスの名を呼ぶ。
『サイラス、父上は、なぜ俺を見舞ってくれんのだ?』
『サイラス、剣の腕を磨きたいのだが、どうすればよい?』
『サイラス、俺は国王になるのだろ?』
幼い頃からずっと、サイラスだけが、傍にいてくれた。
騙されていた、とユージーンは思っていない。
(俺は、お前の望みを1度も叶えておらんな)
今日も、ユージーンは、サイラスの名を呼ぶ。
「サイラス」
「はい。殿下」
傍に控えていたサイラスが、ユージーンの近くまで来て、跪く。
ユージーンは、体を起こして、カウチに座った。
顔を上げたサイラスと視線を交える。
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