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第2章 黒い風と金のいと
意志を継ぎたがる者 3
しおりを挟む「アンタの言う通りだったぜ?」
「そうかい」
なんでもなさそうに言う彼の前に、ジークは立っている。
彼は、いつものごとくイスに座り、足を組んでいた。
口元を、少し緩めている。
「あいつに呼ばれたら行けって、アンタが言ったからだろ」
「そうだね」
「あいつに使われる気なんか、ねーからな」
「わかっているよ」
王太子が悪人ではないと、彼も思っているはずだ。
ジークだけが思っているのではない。
「アンタの孫娘だって、あいつが死んだら嫌な気分になるんじゃねーの?」
「その通り」
彼のすることに不満はなかった。
ただ、ちょっぴり気にいらないことがある。
それは、彼が、王太子のところにあえて行かせたことだ。
結果がわかっていることは、省く。
会話も行動も、必要のないことは言わないし、しない。
なのに、必要のないことをした、とジークは思っていた。
「必要がなかったとは、私は思っていないよ、ジーク」
彼は、王太子が代案を出してくると予測していたのだ。
ジークも、ほんの少しだが、その可能性は考えていた。
王太子は、諦めが悪くて面倒くさい。
だからこそ、小さなきっかけを見つけられもする。
「本当に、諦めの悪い王子様だね、彼は」
皮肉じみてはいるが、王太子をいくぶんか気に留めているのだろう。
もちろん、それは、今後すべきことに関わってくるから、というだけのこと。
王太子の生死を気にかけているのではない。
彼は、いつもの通りに振るまっている。
それでも、ジークにはわかっていた。
空気が、わずかにひりついている。
彼の放つ殺気が、こぼれ出しているのだ。
「サイラスを殺すのか?」
「殺すよ」
口調は、穏やかだった。
そこいらの石ころを、蹴飛ばすほどの感情もこめられていない。
むしろ、その感情のなさが、彼の心を表している。
彼は、たいていは誰しもに優しくある。
周りの人々を大事にもしていた。
けれど、帰結する点は、たったひとつ。
彼が守りたいのは、孫娘だけなのだ。
世界が滅びようが、そんなことは、どうでもいいに違いない。
息子も、屋敷の者たちも、ジークでさえも、犠牲にできる。
当然のことながら、彼自身も。
なぜ、そうなのかは、わからない。
それでも、わかる。
ジークにとっても、守りたいのは彼だけだから。
「最終的には、だがね」
とってつけたような彼の言葉に、ジークは肩をすくめる。
言わなくてもわかっているのに、と思った。
彼は、最も良い結果を出そうとしている。
それが、彼の孫娘の願いだからだ。
彼自身は誰を犠牲にできたとしても、彼女は、両親も、屋敷の者たちも、王太子でさえ犠牲にはできない。
彼は、彼の孫娘の心も守ろうと考えている。
が、どこまでも枝葉を伸ばすつもりもないのだろう。
せいぜい王太子まで、だ。
「難しいことじゃねーだろ」
ジークにすれば、ちょっと面倒だな、という感じ。
彼の孫娘については、彼の宝なので、どうでもよくないの範疇に入れている。
が、そのほかは、わりと、どうでもいい範疇に入っているのだ。
彼を守るため、しかたなくというところ。
「ジークは、直線で飛ぶのが好きなのだろう?」
「そーだよ。でも、しかたねーから、つきあってやるサ」
彼のしたいことや、やろうとしていることに異議はない。
置いていかれるほうが嫌だった。
だから、多少の曲線くらいは描いてみせる。
自分は彼の武器であり、相棒。
どこへなりと、ついていくまでだ。
「それほど面倒くさがりなのに、めずらしいこともあるものだねえ」
「あいつが、間が抜けてるんだよ」
王太子は、ジークを遠招の魔術を使って呼んでいる。
それは、彼の読み通りで、驚くことではなかった。
場所だって、彼が「おそらく」と言っていた、息子の家の裏庭で、当たり。
「さすがに、そこまでは、私にもわからないさ」
「だろーね」
あの裏庭には、彼が魔力を散らしている。
魔術師の感知に引っかかりにくいのと同時に、彼の感知には引っかかり易い。
散らしてあるのが彼の魔力なのだから、あたり前だ。
わずかにでも引っかかれば、彼が即座に認識できる。
王太子が来たことも、知っていたに違いない。
なにしろ、王太子は魔力だだ漏れ。
とはいえ、魔術師たちの魔力感知からは、逃れられていただろう。
ただ、それは魔術師に限っての話だ。
近衛騎士が通りかかりでもすれば、目視で見つかる。
普通に考えれば、わかりそうなものなのだけれど。
「あいつ……」
肉眼で丸見えな王太子に、呆れながら、蔽身の魔術をかけてやった。
ジークは、彼のように動作なしで魔術の発動はできない。
しかも、烏姿だと、人型の時とは動作が違う。
そのため、王太子の肩にとまり、爪で「ぐにぃ」っとしたのだ。
肩になんか、本当には、とまりたくなかった、と、ジークは思っていた。
王太子は「痛い」と文句を言っていたが、そのくらいは我慢すべきだろう。
わざわざ手間をかけて、間の抜けた穴をふさいでやったのだから。
「あいつ、馬鹿じゃねーくせに、なんで、ああなんだろ」
烏を、王太子は、即座にジークだと見抜いている。
その際に、審議で彼が言ったことを引用していた。
つまり、勘ではなく理屈で見抜いたのだ。
頭は悪くないのだ、けして。
にしても、あまりに間が抜け過ぎている。
彼は、答えを返さない。
ジークも返事を期待して言ったのではなかった。
理由は、わかっている。
王太子が「人」だからだ。
そして、ジークの言った「ああなのか」は、蔽身のことではない。
あれもあれで、間が抜けてはいるが、それはともかく。
ジークには考えられないような「間の抜けた」ことがあった。
王太子はサイラスを、まだ信じている。
騙されていたと思っているかどうかも、怪しい。
夢見の術までかけられて、痛みに、のたうち回るはめになったのに、サイラスに対する信頼を、切り捨ててはいないのだ。
王太子は、サイラスの目的のためだけに育てられていた。
親に見捨てられるよりも、残酷な仕打ちではなかっただろうか。
そのことに、王太子が気づいていないはずはない。
気づいていてなお、信頼を打ち捨てずにいる。
ジークは、人というものが嫌いだ。
彼や自分のように、シンプルではない。
ややこしくて面倒くさくて、意味がわからないことをする。
彼以外と関わらずにきたのも、人が嫌いだからだった。
さりとて、王太子とは顔を合わせ、会話をしてしまっている。
夢見の術を解く際に必要だったので、そこはしかたがない。
納得はしていた。
ただ、あまり長つきあいをしたいとは、思えずにいる。
「それほど長く時間はかけないよ」
「なら、いーけどサ」
彼の口調が、冷ややかなものになっていた。
サイラスとケリをつける時のことを考えているのだろう。
空気が、また微かに軋む。
「偶然というのは、恐ろしいものだからね」
その時が来てみなければ、どうなるかはわからない。
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心にあった、わずかな隙を突かれた。
「絶対なんて、ねーからな」
「そうだとも」
ジークは、烏に姿を変え、彼の肩にとまる。
彼からこぼれ出ている殺気を、全身で感じた。
同じ闇に、ジークも染まる。
もうすぐ事態が動く。
予感するまでも、なかった。
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