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最終章 黒い羽と青のそら
目指せ皮むき職人 2
しおりを挟む「どういうつもりだ、だと? お前は、誓いの口づけをしたくない、と言ったではないか! しかも証人の前ですることを拒んでいる!」
王族にも、婚姻の儀というものがある。
そこで誓いを立てると、正妃を変えることはできない。
婚姻の儀は、正妃とのみ行われるものだからだ。
側室や愛妾をかかえることはあっても、正妃は1人。
その地位は、側室や愛妾とは桁違いのものだった。
側室や愛妾を、どけだけ寵愛していようが、関係はない。
周囲からどう扱われるか、という話なのだ。
「つまり、証人の前で誓ってしまっては、婚姻後に困るからであろう!」
「な、なにを……」
びしいっと、ユージーンは、グレイに人差し指を突き付ける。
ユージーンの中では、確固とした理屈があった。
王族の婚姻の儀には「誓いの口づけ」なるものはない。
貴族の風習なのだろうが、ユージーンは「誓いを立てられない」ということを、問題としている。
なにか後ろ暗いことを考えているに違いないと、思っていた。
ユージーンは、またサリーに向き直る。
「良いか、サリー。あの黒縁は、証人の前で口づけぬと言っている。婚姻後に不義を働くつもりがあるからに相違ない。そうでもなければ、証人の前で、堂々と誓いが立てられぬ道理などないではないか」
誓いを立てたとしても、証人がいないのでは、証明のしようがない。
つまり、後に別の女性と新たな婚姻をしようとすればできる、ということだ。
単に、グレイは「シャイ」なだけなのだが、ユージーンには「シャイ」という概念がない。
「そうかもしれませんね」
えっ?と声を上げ、レティシアが驚いたように、サリーを見る。
グレイも驚いているのか、言葉をなくしていた。
「誓いの口づけもできないようでは……」
「で、あろう。つらいだろうが、先々のことを考えれば……」
うむうむ、とユージーンは、鷹揚にうなずく。
レティシアは、サリーを助けるため、サイラスに挑んだくらいなのだ。
サリーに何かあれば、レティシアが悲しむ。
ユージーンは、それを気にしていた。
ここでサリーが不幸になるのを食い止めれば、レティシアに、ますます「好きに」なってもらえるかもしれないし。
「ま、待ってくれ!」
グレイが、バタバタとサリーに駆け寄ってくる。
ひどく顔色が悪い。
自らの悪事が露見したからだろう、とユージーンは目を細めた。
「そんなことは断じてない! 信じてくれ、サリー」
「信じてはならんぞ、サリー。この黒縁は、誓いを立てられぬ男なのだからな」
自分なら、たとえ国民すべての前であろうと、誓いを立てられる。
レティシアとの婚姻の儀を思い浮かべた。
「俺は、民400万人の前でも、誓いの口づけをする」
そうすれば、レティシアに手を出そうなどという不届き者も、排除できるに違いない。
なかなかに、いい風習ではないか。
「私は、本当にそんな……」
「まだ言うか」
ユージーンは、サリーの少し横手にいたアリシアに、視線を向ける。
ほかの者も、自分と同じ意見だと思っていた。
「証人の前で、誓いも立てられぬ男を信じられるか? アリシア?」
「う……そ、それは……女としては、嘘でも誓いは立ててほしい……」
「いいや! 嘘ではいかんのだ! お前は、愛し愛される婚姻を、望んではおらんのかっ?」
「ひっ……あ、その……の、望んでる! そのほうが、いいのは確かだし!」
「で、あろう」
うむ、とうなずく。
その時だ。
グレイが、ギッとユージーンを睨んできた。
「き、貴様という奴は……っ……私の気持ちも知らず……っ……!」
「お前の気持ちなど知らん! 事実、お前は誓いを拒んでいるではないか!」
「誓うさ! いくらでも誓う! 私は、誓わないとは言っていないっ!」
「ほう。本当に誓えるのだな、黒縁」
「当然だろうっ! 私が愛しているのは、サリーだけなのだからなっ!」
ユージーンは、疑いのまなざしでグレイを見る。
グレイの「愛している」が、どのくらい大事かを、ユージーンは知らない。
それを言うのに、5年もかかったとか、ものすごく勇気を振り絞ったとか。
王宮では、そうした言葉は、日常的に飛び交っている。
そして、口先ばかりの者のほうが多かったのだ。
「ならば、証人が増えても、問題はないと?」
「ない! 何百人でも連れて来い!」
「当日になって、逃げる気なのではないか?」
「逃げはしない! 騎士の剣に誓ってやるっ!」
「では、俺が証人を手配してやろう」
ユージーンは、テーブルに戻り、レティシアに言う。
「そういうことだ。俺が、証人を百人、用意してやる。良いな、レティシア」
「で、でも……た、大変なんじゃ……」
「かまわん。サリーのためだ」
「あ、うん」
こくっと、レティシアがうなずいた。
さすがに証人が百人もいれば、グレイも不逞なことはできないはずだ。
「当日は、俺も列席する。あの黒縁が逃げ出すようなことがあれば、叩き切らねばならんからな」
まだ疑心は晴れきっていないが、できるだけのことはした。
これでサリーも少しは安心して婚姻に臨めるだろうし、レティシアも準備に邁進できるだろう、と思う。
「お食事中、すんません」
奥からテオが、姿を現した。
周囲を見回しながら、ユージーンのほうに歩いて来る。
「お前、また、なんかやらかしたのかよ? 空気おかしいぞ……?」
「俺は、なにもしておらん」
やらかしたのは、グレイなのだ。
少なくとも、ユージーンの中では、そういうことになっている。
「なら、早いとこ、こっちに来てくれよ。料理長に、俺が怒られんだぞ」
「おお、そうであったな」
今日からは、厨房での仕事もあるのだった。
新しい仕事を覚えなければならない。
「あれ? まだ食べ終わってなかったのか?」
「い、いや……それはそうなのだが、しかたあるまい。行くぞ、テオ」
テーブルの皿は、ほとんど空になっている。
サラダが、ほんの少し残っているだけだ。
薄切りされた橙色のあれが。
(俺とて、残したくて残しているのではない)
と、口実に乗っかり、そそくさとテーブルを離れた。
「では、新しい仕事をしてくる。お前は、しっかり食べるのだぞ、レティシア」
食堂にいる者たちは、誰も動かない。
ユージーンは、引き留められないことに、安堵する。
「お前、絶対、なんかしただろ?」
「しておらんと言っているではないか」
「けど、なぁんか雰囲気おかしかったぞ?」
「それは、グレイのせいだ」
テオに、事のあらましを語って聞かせる。
自分が何かやらかしたなどと、勘違いされては困るからだ。
外に対してはともかく、屋敷内では噂が広がるのが早い。
勘違いだったとしても、瞬く間に知らない者がいないくらいになってしまう。
この、ひと月余りで、ユージーンも、それを学んでいた。
「はぁ……グレイ、すげぇな」
「なにがだ?」
「いや、だってさ、百人の前で口づけって……恥ずかしいだろ?」
「恥ずかしいことなどない。誓うことを、恥ずかしがるほうがおかしいのだ」
誓いの口づけなのだから、少しも恥ずかしいことはない。
レティシアも確か、そのようなことを言っている。
それに、とユージーンは付け加えた。
「アリシアも、同意していたぞ」
「え…………ま、マジで……?」
「マジだ」
新しく覚えた言葉を、ユージーンは「正しく」使っている。
王宮に戻った際、字引きに加えようと思っているためだ。
使っていなければ、言葉というのは廃れるものなので。
「証人の前で、愛し愛される婚姻だと誓いの口づけを交わす。それを望んでいる、とな。誓いというのは、風習に則ったものでなくてはいかんのだ」
「そ、そうか……そういうもんか……」
「お前も、いずれ婚姻する日が来よう。覚えておいたほうがよいぞ、テオ」
テオが式について、しきりに気にしているようだったが、ユージーンの気持ちは、すでに別のほうに向いている。
それは、新しい仕事と薪割りの時間配分について、だった。
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