世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗羅

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 穏やかな毎日は幸せな毎日。
 彼は穏やかな人で、家事にも育児にも協力的だった。

「紗羅ちゃんが外に出たいなら協力するよ」

 そう言われたのは息子、紗柚が入園できる歳になった頃。
 もともと家族と同居しているせいで大人の手はたくさんあった。母から不労所得の管理の仕方も教わったけれど、それを完全に引き継ぐのはまだ先で、正直毎日が退屈だった。

「僕の方は融通が効くし」

 そう言った彼は家業を手伝う、と言うよりは事務や経理を担当しているから毎日の勤務は定時に始まり定時に終わる。義父や義兄は自分が納得するまで何時になっても、といった職人気質ではあるものの彼は完全なる事務方で、営業は義母の担当だからか残業になることもない。
 今までは手分けしていた事務や経理を彼がやることで作業の効率も上がり、業績も伸びたと良いことずくめらしい。
 彼自身、家業に興味を持って彼なりのアプローチはしているけれど、義父や義兄のようにしっかりと携わる気はないらしい。「兄弟で同じことして比べられたくないじゃない?」と言った彼の本心は分からないけれど、県外の大学を選んだ理由はその辺にあるのかもしれない。

 家を継ぎたかった私と、家業を継がないと決めた彼。だからこそ、家を出て姓を変えることに躊躇いがなかったのだろう。

「仕事したいっていうか、家にいるのもそろそろ退屈になってきたかな」

「別にフルタイムで働く必要はないけど外で人と交流持つのいいんじゃない?
 仕事じゃなくても園の役員とか、小学校になればPTAとか。地元に残ってる子って好きだよね、そういうのも」

 役員とかPTAとか、私の頃は母がそういったものを引き受けていた覚えはないけれど、紗凪の時は積極的に引き受けていたことを思い出す。与えられた仕事のために園や学校に足を運び、紗凪の様子が見れたと嬉しそうに笑う母を見るたびになんとも言えない気持ちになったのを覚えている。
 私の時は参観日や行事ごとの時しか来てくれなかったのに、と思ってしまう。

 2人目を望んでいたせいで役員を引き受けることができなかったのだと今では理解している。昔からの家だから母が通院していたりすれば周りは察するだろうから、無理に仕事を押し付けられることもなかったのだろう。

「仕事、したくないわけじゃないけど役員とか、やってみたいかも」

 私がそういうと「だよね、紗羅ちゃんが仲良くしてた子も色々やってるみたいだよ」と聞きなれた名前をいくつか並べる。私よりも先に地元に戻っていた彼は私とは別の交友関係を持っていて、大学の頃の友人を優先した私と、地元の友人も大切にしていた彼との違いはそんなところに出ているのだろう。

「連絡とか、どうやって取ってるの?」

「学生の頃からのグループ、残ってない?」

「使わなくなったグループは抜けてるし」

「っぽいよね」

 人との縁を大切にする彼と、自分の理を優先させる私との違いなのだろうか。

「高校?」

「もあるけど中学生の時のも残ってるよ?」

「え、怖いんだけど。
 そもそも大学、県外だったよね?」

「別に、盆正月は帰ってきてたし、場所が便利とか言って泊りにくる奴とかいたし」

「便利って」

「テーマパークに行くのにちょうどいいって」

 呆れた理由に苦笑いが漏れたけど「そのせいか、こっちに帰ってきた時に文句言いながら気遣ってくれたしね」と人の良い笑顔を見せる。
 地元のつながりを軽視していたわけではないけれど、そんなのはこちらに戻ってから再構築すれば良いと思っていた。上辺だけの付き合いならそれで十分だ。

「それ、良いように使われてただけなんじゃないの?」

「でも結果、戻ってきた時に困ることなく地元に馴染めたよ」

「…今からだって馴染めるし、きっと」

 その言葉通り結局は仕事を始めることなく役員を引き受け、少しずつ地元での人間関係を築き直していく。汐勿の家のためにも必要なことだったけれど、上辺だけ取り繕う私と違い人当たりの良い彼のおかげで汐勿の跡取りとしても認知されていく。
 と言っても人当たりの良い彼が【汐勿の婿】になったことで私が地元に戻ったことが浸透されたようなものだけど。

 ずっと望んでいた汐勿の跡取りという肩書きと、次代を産んだ安心感。
 2人目を産むことも考えたけれど母のように苦しみたくないという思いと、紗柚に私のような気持ちを味合わせたくないという気持ちから積極的に考えることは無かった。
 彼との行為も子を授かるためと思えば必要だったけれど、それを叶えられた今、必要性を感じない。彼も求めてくることはないし、私自身、彼との行為になんの思い入れも無い。無いというか、最後の貴哉との行為に比べると優しいだけのそれに満足したことはない。だから、紗柚を真ん中に挟んで眠ることで家族としての絆を深め、男女の関係は薄れていった。
 恋愛結婚では無いのだからこれくらいがちょうど良いのかもしれない。

 穏やかに過ぎていく毎日。
 時折交わす貴哉とのメッセージは退屈な毎日を送る中でのほんの少しのスパイス。というか、家族である彼からは与えられない女性としての承認欲求。
 彼に見られても困ることのないメッセージだけど、いつまでも途切れることのないそれは貴哉の私に対する執着の現れ。貴哉の中から私の存在が消えてしまったら、貴哉が私よりも大切な人を見つけたら終わってしまうであろうやり取りなのだから。

 そんな時に届いた1通の手紙は私の心を騒つかせた。

 なんの変哲もない封筒に書かれてのは私の名前で、消印は以前住んでいたあの街。差出人のないその手紙を見て1番に思い浮かべたのは貴哉だった。
 その場で開けたい衝動に駆られたものの中身の予想がつかないのが怖くて、その手紙だけを持ち自分たちの部屋に向かう。彼はこの時間、実家に併設されている事務所にいるはずだ。
 もともと私の使っていた部屋はいずれは紗柚の部屋になるのだけれど、今はまだ私の私物の残るその部屋で手紙の封を開ける。

「………何これ?」

 思わず出てしまったのはそんな言葉。
 封筒の中には1枚の写真。その写真に映るのは貴哉と紗凪。

「何で?」

 2人には私以外に接点は無かったし、そもそもお互いの連絡先すら知らなかったはずだ。
 写真に映る風景は何となく見覚えがあるもので、そうなると貴哉は今もまだあの街に住んでいることになる。それならば紗凪から近づいたのかと考えるけれど、それをするメリットが思いつかない。

 卒業後はこちらに戻らず友人の家に居候することになったとは聞いていたけれど、その友人が貴哉であるはずもない。
 分からないことだらけで貴哉にコンタクトを取りたいと思ったけれど、メッセージを送るその理由が無い。

「ねえ、紗凪って今何してるの?」

 モヤモヤした気持ちのまま夕食の席で母に聞けば「大輝くんと2人で起業したとか言ってたけど、パソコンがどうとか派遣がどうとか。まあ、大輝君と一緒だから大丈夫なんじゃない?」と要領を得ない。

「大輝君?」

「紗凪の大学のお友達で学生の頃から一緒に仕事してるのよね」

 彼の疑問に答えているような、答えていないような曖昧な言葉。

「どこに住んでるかとか分かる?」

「え、確か大輝君のお父さんが使ってた事務所が使えるから大輝君の地元に行くとは言ってたけど。
 え、大学の近くなんじゃないの?」

「何それ、そんなことで大丈夫なの?」

「だって、もう成人してるんだし、あちらのお父さんの伝手もあるから大丈夫って言うから。
 電話でご挨拶はさせてもらったけど、あちらはあちらで紗凪を巻き込んで申し訳ないって言われるし。
 学生の頃も卒業してからも仕事は順調だから心配しなくて良いって言われるから大丈夫なんじゃないの?」

 母の言葉に苛つくのは自分の想像していたものと紗凪の現在の齟齬が気持ち悪かったから。
 紗凪が卒業したことは当然知っていたし、就職したことも知っていた。就職祝いだって一応渡したけれど、友人の家に居候とか、きっとそれなりの会社にしか入れなかったのだと勝手に決めつけて小馬鹿にしていたのに自分と思っていたのと違うことに焦りが生まれる。
 起業していたなんて知らないし、居候だと思っていたのに事務所を構えているとなると話がだいぶ違ってくる。

「確か、紗凪に名刺もらってたはずよ?
 探しておこうか?」

 そう聞かれたけれど、「別に知りたければ自分で聞くから良いよ」と答えるしかなかった。
 結局、彼が「え、紗凪君凄くないですか?」と興味を持ち、その流れで母が思い出した地名は貴哉と私が暮らしていた街の隣の街。

「え、紗羅ちゃんがいたのもその辺じゃなかった?」

「隣街だね」

「じゃあ、そのまま住んでたら紗羅ちゃんと同居とかもあったかもね」

 呑気な彼の言葉に「そうね、」と答えた私と違い、貴哉のことを思い出したのか母は微妙な笑顔を見せる。
 何気ないふりをして話を続けるけれど、その地名を聞けば何らかの接点が生まれてもおかしくはない。おかしくはないけれど、貴哉からも紗凪からも、何も言われていないことが私の気持ちを騒つかせる。



〈貴哉は彼女、出来た?〉

 貴哉にそう送ったのは共通の友人の出産の知らせを貰ったから。貴哉にそんな連絡をするなんて無神経だなと思ったけれど、その事情を知っているのはきっと私だけなのだから仕方ないとその気持ちを飲み込む。そして、自分の言葉だって無神経だったと自嘲する。

《出来たよ》

〈そうなんだ、おめでとう〉

 貴哉に大切な人ができたら私との繋がりは無くなると思っていたけれど、それでも届くメッセージをどう理解するべきなのだろうか。

 彼女ができたと言いながら連絡をしてくるくせに紗凪と会ったことを伝えないことに不自然さを感じ、疑心暗鬼になってしまう。共通の友人の近況を伝えるのなら、偶然会った弟のことこそ連絡してくれるべきではないのか。

 ふたりの関係が【姉の元婚約者】と【元婚約者の弟】であれば咎められるようなものではないし、報告されたところで気不味くないのかと思うだけだ。
 だけどふたりの関係がもっと形の違うものだったなら…。

 改めて写真を見ても至近距離からのものではないせいか、その微妙な表情までは読み取ることができない。だけど、ふたりの背後に映るのは最後にふたりで過ごしたあの部屋のあるマンションだということは分かる。

「確かめないと」

 そんな呟きと共に無意識に写真を握りつぶしていた。

 





 
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