心を洗う洗濯機はありません。涙を乾かす乾燥機もありません。でも……

高橋晴之介(たかはしせいのすけ)

文字の大きさ
5 / 16
洗濯支援スタート

5

しおりを挟む
須田は翌日の準備を終え、ほとんど積み荷がない1tトラックに乗って多賀城文化センターを出た。まだ夕暮れ前である。海岸線の被害を確かめようとビジネスホテル新浜がある塩釜魚市場の入口を通り過ぎて国道45号線を松島方面に向かう。

瑞巌寺がある松島駅を越えて向かったのは野蒜海岸であった。
そこは須田が中学3年の冬休みに北海道旅行をした帰りに初日の出を拝んだ思い出の地である。
瑞巌寺がある松島湾の内側は大小264ともいわれる島々に守られて大きな被害はなかったようだが野蒜から東松島、石巻に掛けては津波をまともに受けて大きな被害が出たようだ。
初日の出を見た穏やかな海岸は、無残な姿に変わり自然の持つ恐ろしさを痛感した。
須田が生まれたのは静岡県沼津市の海が見える港のすぐそばだった。西伊豆に向かう観光船や漁船のエンジンの音を聞いて育った人間だからこそ海の恐ろしさを知っているはずだったが目に映ったの想像を絶する景色だった。

日が暮れると辺りは真っ暗になってしまう。海岸線の家屋は流され街灯もついていない。
道路もまだ陥没の跡があり、水が溜まっている場所もある。防波堤は街を守ってくれるが、ひとたび波が越えてしまうと水の出口を邪魔してしまうことになる。

石巻の手前でUターンして塩竃方面に戻る。トラックの窓を開けて走ると砂埃が舞っている。本来なら潮の香りが気持ちいいはずの春の海岸の道のはずだが、海に出る漁船の灯りもなかった。
塩釜ではもうスーパーもコンビニも、飲食店も営業している店が増えていた。下見に来た時のように店の前に大行列ができている様子もなく、ガソリンスタンドの給油制限も解消されていた。
日本中、いや世界中から支援物資とともに復旧を支援するたくさんの人が東北に集まっている。
明日から1人で本格的な洗濯支援を始める須田も緊張と興奮を覚えつつホテルの部屋でその日の活動報告を書き終えると、22時過ぎには横になった。
眠れず、テレビをつけたり消したりしながらウトウトしていると机の上のコーヒーの空き缶がカタカタと音を立てた次の瞬間、テレビが宙に浮き、冷蔵庫が倒れた。

4月7日木曜日23時32分
マグニチュード7.1の余震が発生した。
最大震度6強。須田がいた塩釜でも震度6弱を記録した。
塩釜漁港のそばの古い木造のホテル新浜の2階はミシミシと音を立てて激しく揺れた。須田は頭から布団を被っていたが揺れが収まると同時に津波警報のサイレンが大音量で響き渡る。寝るときにも余震に備えて室内用の靴を履いていたのは正解だった。ホテルの女将さんの『避難して~』
と叫ぶ声よりも大きな音でサイレンが響く。
外に出ると停電で当たりは真っ暗になっている。港からタイヤが焦げる臭いを残した車が高台に向かって走り去っていく。
須田も他の宿泊者とともに走って高台を目指す。東日本大震災の大津波でも被害がなかった場所までは300mほどの距離で何分もかからないが、その距離がとても長く感じた。何しろ魚市場の岸壁の上には漁船が打ち上げられるほどの力で津波は襲ってくる。

地元の人たちと一緒に高台まで全力で走りきると息が上がっていた。
しばらくして落ち着くと、足が激しく震え出した。
財布も携帯電話も持っていなかった。
握りしめた手のひらを開くことさえできず無理にその指をこじ開けると、そこにはグシャグシャにつぶれた煙草の箱があっただけであった。
ライターはその手の中になかった。
仕方なく誰かが煙草に火をつけるのを待ってライターを借りた。
何の味も感じない。ただ真っ暗な世界に煙が立ち上って行く様子をじっと眺め、吸っている煙草で2本目に火をつけた。

須田にとって一番大切な物が煙草だというのがアイツらしさではあるが、ライターがなければどうにもならない。

後に須田の報告書には次のように書かれていた。
・寝る時には靴を履いたまま。
・テレビの近く、冷蔵庫の近くは危ない。
・大切な物は巾着に入れて手首に通したまま寝る。
 (携帯、財布、小型のライト、薄い上着など)
・パジャマではなくジャージやスウェットを着たまま。
・着替えの半分はトラックの中に。
・煙草とライター忘れずに

日付が変わって4月8日の1時頃には津波警報が解除され、それぞれが家に戻って行ったが、停電は続いていた。

自分が怪我をしたり、もしものことがあれば洗濯支援どころか地元で被災している方の邪魔になる。最悪の場合には撤退することも考えながら、念のため上司に報告を試みたが、携帯は繋がらなかった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...