アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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誠也と風邪ひき娘

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 すり下ろした生姜と蜂蜜を紅茶に加え、軽くかき混ぜた。
 スプーンで一口味見する。甘すぎる気がするが、珠里にはこれくらいがちょうど良いだろう。喉の痛みや風邪に良いとのことで、以前珠里が誠也に作ってくれたものだ。真似して適当に作ってみたが、出来としては、まあこんなものだろう。
 誠也はマグカップを持って珠里の部屋のドアをノックした。

 珠里は夏物の薄い掛け布団にくるまって、スマートフォンを手にベッドに寝そべっていた。
 誠也が入って行くと、小さな笑みを浮かべながら半身を起こした。熱と寒気があるからだろう、今日は長袖のパジャマを身に着けている。
 ふと、珠里がこのマンションに来たばかりの少女の頃を思い出した。化粧を落とし、安心しきった無防備な顔は、誠也の胸に懐かしさを伴う保護本能を掻き立てる。

「麻実ちゃんにメールしたの。私の姿が見えないって心配してたらしくて、留守電が何回も入ってたから」
 サイドテーブルにスマートフォンを置きながら珠里が言う。さっきより声が掠れている。熱が上がってきたせいかもしれない。

「安心してたか?」
「うん。なんかすごい謝ってた。麻実ちゃんは別に何も悪くないのにね。黙って帰ってきて悪いことしちゃった」
 普段の珠里なら、友達に何も告げずに帰ってくるようなことはまずしないだろう。それだけ今夜は身体も気持ちもしんどかったということか。

「悪いのは、カド……何だっけ、なんとかっていう男だろうが」
 誠也が忌々しげに言うと、珠里は「カドクラくん」と答え、「私も、かわし方が下手だったから」と苦笑いを浮かべた。
 こういう、変に自分に落ち度があったと考えるところに、男はつけこむのだ。珠里の美点でもあるが、これからはもっと図々しく、自分を肯定して生きることを覚えた方がいい。

 夕方ホテルの前で会ったとき、珠里の隣を陣取っていた浴衣姿の男を思い出す。
「イケメン」にあと一歩届かない風の今どきの若者は、胡散臭そうに、そして警戒するように誠也をちらちら見ていた。珠里に気があるのは見え見えだったし、ああいう手合いは花火大会などにかこつけて、しょうもない迫り方をする典型的なタイプに見えた。
 誠也が珠里を心配して河川敷まで迎えに行こうとしたのは、そういう理由もあったのだ。だがそこまで過保護に振る舞うと、同僚の前で珠里に恥をかかせるかもしれないと思い、しばらく逡巡していた。
 結果、珠里がひとりで戻ってきて偶然会えたから良かったものの、一歩間違えたら危ない目に遭っていたかと思うとゾッとした。しつこくナンパしてきたというバカ者二人組に関しては、警察に届けようかと思うほど腹が立ったが、さすがに珠里に「無理がある」と止められた。

 誠也はベッドのふちに腰を下ろし、マグカップを手渡した。
 受け取った中身を見て、珠里が「作ってくれたの?」と嬉しそうに笑う。その顔を見ただけで、ささくれだっていた気持ちもスッと穏やかになった。こうして珠里が無事に家に帰ってきて安心して身体を休められるなら、それだけで自分も満たされるというものだ。

 熱い紅茶を少しずつ飲む姿を眺めながら、珠里の額にそっと触れた。やはり熱いが高熱というほどではなさそうだ。
 帰ってきてすぐ体温計で測ったら37度7分だったと言うが、熱を出すこと自体数年ぶりなので体感的には数字よりキツく感じられるのかもしれない。

「それ飲んだら、寝ろ。明日一日寝てていいから」
「うん、ありがとう。……ねえ、誠ちゃん」
「何だ」
「聞いていい……?」
「?」
「夕方、一緒にいた女の人って、編集者さん?」
「誰?女の人?」
「髪がすごく長い……」
「……あー、妖怪?」
「妖……っ?!」
 珠里が咳き込んだので、誠也は笑いながらマグカップを受け取り背中をさすってやった。

「妖怪ってあだ名なんだよ、社内で。本人は知らないと思うけど」
「そ、そうなの……。言いたいことは分かるけど、ちょっとひどい……」
「ははっ、たしかにな。何、あの人がどうした?野村さんの後輩だけど」
「あ、うん。あの人って……誠ちゃんと仲いいの……?」

 珠里が少し上目遣いで訊いてくる。最初は何を気にしているのかまるで分からなかったが、表情を見ていたら、どうやらヤキモチのような感覚で言っているのだと気づいた。なんともこそばゆい、それでいて嬉しいような気持ちになって、自然誠也の顔が緩んだ。

「別に仲良くはないよ。仕事でも直接接点ないし。会えば世間話する程度」
「そ、そうなの……?でも、あの人、誠ちゃんの腕に触ってた」
 誠也の顔がますます緩む。珠里がそういうことを気にして口にすることが、たまらなく可愛く思えて仕方ない。

「たしかにボディタッチは多いな。女性誌に長くいたらしいから、『男の気を惹くテクニック』みたいなのに詳しいらしいぞ。俺にはまるで効果ないけどな」
「……ほんと?何も感じないの……?」
「まったく趣味じゃない」
「……誠ちゃんの趣味って、どういうタイプ……?」

 ただでさえ熱で火照っている珠里の頬が、もっと赤く染まっていく。こういうひとつひとつが心から愛おしくてたまらない。
 昨日まではそんな感情を持て余して悩んでいたが、これからはもう逃げなくていい。そう思うと誠也はひどく幸福な気持ちになった。踏み出すきっかけを今夜珠里がくれたことに、感謝の念が湧き上がってくる。

「そんなの、聞かなくても分かってるだろ」
「……え、言ってくれないと分かんない」
「おまえ、わりと小悪魔だな」
「意味、分かんないよ」
 誠也は首の後ろをポリポリ掻きながら少し考え、照れくささを押し隠して顔を上げた。

 身体を寄せ、珠里の頬に手を当てる。熱でとろんとした瞳を見つめながら、誠也は珠里の唇に自分の唇をゆっくり重ねあわせた。

 唇も熱い。柔らかくて、少し湿っていて、ゾクゾクするほどなまめかしい。もっと奥まで味わいたいが、珠里がこういう状態なのでグッと我慢する。
 代わりに唇を優しくんだ。さっき花火の下でくちづけたときよりもっと長く、もっと深く。
 おまえを愛していると、言葉ではなく温度で伝えるために。愛撫するように柔らかなキスをして、長い間胸に押し隠してきた想いをいくらでも注いでやりたいと思った。

「せぃ……ちゃ……」
 唇を離すと、珠里が息を乱しながらしがみついてきた。眼は潤み頬は更に上気している。誠也の肩に顔を押し当て、細い身体を震わせている。
 具合の悪い人間にするキスではなかった。誠也は自分の自制心のなさに慌て、「ごめん、ごめん」と珠里の背中を優しく撫でた。

「風邪、うつっちゃうよ……」
「舌入れてないから大丈夫だろ」
「ばか……」 
 珠里が赤い顔のまま誠也の胸を叩く。ちっとも痛くない。可愛すぎてもっと唇を貪りたくなるが、さすがにそれはまずいので冷静さを取り戻した。

「……分かったろ?俺の好み」
「……うん」
 珠里がぎゅうっとすがりついてくる。パジャマ越しに柔らかなふくらみが押し当てられ、先日見てしまったあの白い魅惑の果実が頭をよぎった。理性が飛びそうになるのを必死にこらえ、誠也は父親の気持ちになって珠里の頭をポンポン叩きながら気を紛らわせた。

 ようやく身体を離すと、誠也は珠里の身体をベッドに寝かせた。掛け布団を首まで引っ張り上げてやり、マグカップを手に部屋の灯りを一番小さくする。

「あのな。今日、新しい仕事の話、もらったんだ」
「えっ、そうなの?どんな内容?」
「来年の話だから詳しいことはこれからだけど、久しぶりにいい話だよ。熱が下がったらゆっくり話すよ」
「ほんと……?楽しみ……!」
 暗がりでも珠里の瞳がキラキラ光るのが分かる。誠也は腰をかがめ、珠里の額にそっとキスした。

「おやすみ。ゆっくり休めよ」
「うん。おやすみなさい」
 病気だと言うのに、至福の表情で珠里が微笑んだ。誠也も微笑み返し、部屋のドアを静かに閉めた。


 流しでマグカップを洗い、自分もコップ一杯の水を飲み干した。そのままキッチンカウンターに寄りかかり、誠也は大きな息をひとつ吐いた。

 今日一日で何もかもが変わってしまった。思いがけず。でも心の奥でこういう日がくることをずっと望んでいた。叶わないと思い込んで心に蓋をしていただけだ。

 自分の唇に親指で触れてみた。
 珠里の柔らかさを思い出すだけで、途端に腹の底が熱を帯びて疼いてくる。正直、キスだけで身体が反応しそうだった。
 長いこと自分を抑え込んで我慢していた分、もう決して引き返せそうにない。現金なもので、今までの自分たちの関係を保とうなどという気持ちは、きれいさっぱりなくなっている。

 おそらく自分は、今まで以上に珠里にメロメロの情けない男になるだろう。それならそれでいい。腹をくくって、腑抜けになるまで珠里をとことん愛し尽くしてやる。
 珠里のおかげで、もう決して自分の本当の気持ちから逃げないと心に決めることができたのだから。

 誠也は幸福に顔を緩ませながら、長かった今日一日の汗を流しにバスルームに向かった。



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