13 / 22
誠也と風邪ひき娘
しおりを挟むすり下ろした生姜と蜂蜜を紅茶に加え、軽くかき混ぜた。
スプーンで一口味見する。甘すぎる気がするが、珠里にはこれくらいがちょうど良いだろう。喉の痛みや風邪に良いとのことで、以前珠里が誠也に作ってくれたものだ。真似して適当に作ってみたが、出来としては、まあこんなものだろう。
誠也はマグカップを持って珠里の部屋のドアをノックした。
珠里は夏物の薄い掛け布団にくるまって、スマートフォンを手にベッドに寝そべっていた。
誠也が入って行くと、小さな笑みを浮かべながら半身を起こした。熱と寒気があるからだろう、今日は長袖のパジャマを身に着けている。
ふと、珠里がこのマンションに来たばかりの少女の頃を思い出した。化粧を落とし、安心しきった無防備な顔は、誠也の胸に懐かしさを伴う保護本能を掻き立てる。
「麻実ちゃんにメールしたの。私の姿が見えないって心配してたらしくて、留守電が何回も入ってたから」
サイドテーブルにスマートフォンを置きながら珠里が言う。さっきより声が掠れている。熱が上がってきたせいかもしれない。
「安心してたか?」
「うん。なんかすごい謝ってた。麻実ちゃんは別に何も悪くないのにね。黙って帰ってきて悪いことしちゃった」
普段の珠里なら、友達に何も告げずに帰ってくるようなことはまずしないだろう。それだけ今夜は身体も気持ちもしんどかったということか。
「悪いのは、門……何だっけ、なんとかっていう男だろうが」
誠也が忌々しげに言うと、珠里は「カドクラくん」と答え、「私も、かわし方が下手だったから」と苦笑いを浮かべた。
こういう、変に自分に落ち度があったと考えるところに、男はつけこむのだ。珠里の美点でもあるが、これからはもっと図々しく、自分を肯定して生きることを覚えた方がいい。
夕方ホテルの前で会ったとき、珠里の隣を陣取っていた浴衣姿の男を思い出す。
「イケメン」にあと一歩届かない風の今どきの若者は、胡散臭そうに、そして警戒するように誠也をちらちら見ていた。珠里に気があるのは見え見えだったし、ああいう手合いは花火大会などにかこつけて、しょうもない迫り方をする典型的なタイプに見えた。
誠也が珠里を心配して河川敷まで迎えに行こうとしたのは、そういう理由もあったのだ。だがそこまで過保護に振る舞うと、同僚の前で珠里に恥をかかせるかもしれないと思い、しばらく逡巡していた。
結果、珠里がひとりで戻ってきて偶然会えたから良かったものの、一歩間違えたら危ない目に遭っていたかと思うとゾッとした。しつこくナンパしてきたというバカ者二人組に関しては、警察に届けようかと思うほど腹が立ったが、さすがに珠里に「無理がある」と止められた。
誠也はベッドのふちに腰を下ろし、マグカップを手渡した。
受け取った中身を見て、珠里が「作ってくれたの?」と嬉しそうに笑う。その顔を見ただけで、ささくれだっていた気持ちもスッと穏やかになった。こうして珠里が無事に家に帰ってきて安心して身体を休められるなら、それだけで自分も満たされるというものだ。
熱い紅茶を少しずつ飲む姿を眺めながら、珠里の額にそっと触れた。やはり熱いが高熱というほどではなさそうだ。
帰ってきてすぐ体温計で測ったら37度7分だったと言うが、熱を出すこと自体数年ぶりなので体感的には数字よりキツく感じられるのかもしれない。
「それ飲んだら、寝ろ。明日一日寝てていいから」
「うん、ありがとう。……ねえ、誠ちゃん」
「何だ」
「聞いていい……?」
「?」
「夕方、一緒にいた女の人って、編集者さん?」
「誰?女の人?」
「髪がすごく長い……」
「……あー、妖怪?」
「妖……っ?!」
珠里が咳き込んだので、誠也は笑いながらマグカップを受け取り背中をさすってやった。
「妖怪ってあだ名なんだよ、社内で。本人は知らないと思うけど」
「そ、そうなの……。言いたいことは分かるけど、ちょっとひどい……」
「ははっ、たしかにな。何、あの人がどうした?野村さんの後輩だけど」
「あ、うん。あの人って……誠ちゃんと仲いいの……?」
珠里が少し上目遣いで訊いてくる。最初は何を気にしているのかまるで分からなかったが、表情を見ていたら、どうやらヤキモチのような感覚で言っているのだと気づいた。なんともこそばゆい、それでいて嬉しいような気持ちになって、自然誠也の顔が緩んだ。
「別に仲良くはないよ。仕事でも直接接点ないし。会えば世間話する程度」
「そ、そうなの……?でも、あの人、誠ちゃんの腕に触ってた」
誠也の顔がますます緩む。珠里がそういうことを気にして口にすることが、たまらなく可愛く思えて仕方ない。
「たしかにボディタッチは多いな。女性誌に長くいたらしいから、『男の気を惹くテクニック』みたいなのに詳しいらしいぞ。俺にはまるで効果ないけどな」
「……ほんと?何も感じないの……?」
「まったく趣味じゃない」
「……誠ちゃんの趣味って、どういうタイプ……?」
ただでさえ熱で火照っている珠里の頬が、もっと赤く染まっていく。こういうひとつひとつが心から愛おしくてたまらない。
昨日まではそんな感情を持て余して悩んでいたが、これからはもう逃げなくていい。そう思うと誠也はひどく幸福な気持ちになった。踏み出すきっかけを今夜珠里がくれたことに、感謝の念が湧き上がってくる。
「そんなの、聞かなくても分かってるだろ」
「……え、言ってくれないと分かんない」
「おまえ、わりと小悪魔だな」
「意味、分かんないよ」
誠也は首の後ろをポリポリ掻きながら少し考え、照れくささを押し隠して顔を上げた。
身体を寄せ、珠里の頬に手を当てる。熱でとろんとした瞳を見つめながら、誠也は珠里の唇に自分の唇をゆっくり重ねあわせた。
唇も熱い。柔らかくて、少し湿っていて、ゾクゾクするほどなまめかしい。もっと奥まで味わいたいが、珠里がこういう状態なのでグッと我慢する。
代わりに唇を優しく食んだ。さっき花火の下でくちづけたときよりもっと長く、もっと深く。
おまえを愛していると、言葉ではなく温度で伝えるために。愛撫するように柔らかなキスをして、長い間胸に押し隠してきた想いをいくらでも注いでやりたいと思った。
「せぃ……ちゃ……」
唇を離すと、珠里が息を乱しながらしがみついてきた。眼は潤み頬は更に上気している。誠也の肩に顔を押し当て、細い身体を震わせている。
具合の悪い人間にするキスではなかった。誠也は自分の自制心のなさに慌て、「ごめん、ごめん」と珠里の背中を優しく撫でた。
「風邪、うつっちゃうよ……」
「舌入れてないから大丈夫だろ」
「ばか……」
珠里が赤い顔のまま誠也の胸を叩く。ちっとも痛くない。可愛すぎてもっと唇を貪りたくなるが、さすがにそれはまずいので冷静さを取り戻した。
「……分かったろ?俺の好み」
「……うん」
珠里がぎゅうっとすがりついてくる。パジャマ越しに柔らかなふくらみが押し当てられ、先日見てしまったあの白い魅惑の果実が頭をよぎった。理性が飛びそうになるのを必死にこらえ、誠也は父親の気持ちになって珠里の頭をポンポン叩きながら気を紛らわせた。
ようやく身体を離すと、誠也は珠里の身体をベッドに寝かせた。掛け布団を首まで引っ張り上げてやり、マグカップを手に部屋の灯りを一番小さくする。
「あのな。今日、新しい仕事の話、もらったんだ」
「えっ、そうなの?どんな内容?」
「来年の話だから詳しいことはこれからだけど、久しぶりにいい話だよ。熱が下がったらゆっくり話すよ」
「ほんと……?楽しみ……!」
暗がりでも珠里の瞳がキラキラ光るのが分かる。誠也は腰をかがめ、珠里の額にそっとキスした。
「おやすみ。ゆっくり休めよ」
「うん。おやすみなさい」
病気だと言うのに、至福の表情で珠里が微笑んだ。誠也も微笑み返し、部屋のドアを静かに閉めた。
流しでマグカップを洗い、自分もコップ一杯の水を飲み干した。そのままキッチンカウンターに寄りかかり、誠也は大きな息をひとつ吐いた。
今日一日で何もかもが変わってしまった。思いがけず。でも心の奥でこういう日がくることをずっと望んでいた。叶わないと思い込んで心に蓋をしていただけだ。
自分の唇に親指で触れてみた。
珠里の柔らかさを思い出すだけで、途端に腹の底が熱を帯びて疼いてくる。正直、キスだけで身体が反応しそうだった。
長いこと自分を抑え込んで我慢していた分、もう決して引き返せそうにない。現金なもので、今までの自分たちの関係を保とうなどという気持ちは、きれいさっぱりなくなっている。
おそらく自分は、今まで以上に珠里にメロメロの情けない男になるだろう。それならそれでいい。腹をくくって、腑抜けになるまで珠里をとことん愛し尽くしてやる。
珠里のおかげで、もう決して自分の本当の気持ちから逃げないと心に決めることができたのだから。
誠也は幸福に顔を緩ませながら、長かった今日一日の汗を流しにバスルームに向かった。
4
あなたにおすすめの小説
小野寺社長のお気に入り
茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。
悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。
☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
恋愛に臆病な28歳のOL椎名澪(しいな みお)は、かつて自分をフッた男性が別の女性と結婚するという噂を聞く。ますます自信を失い落ち込んだ日々を送っていた澪は、仕事で大きなミスを犯してしまう。ことの重大さに動揺する澪の窮地を救ってくれたのは、以前から密かに憧れていた課長の成瀬昇吾(なるせ しょうご)だった。
澪より7歳年上の成瀬は、仕事もできてモテるのに何故か未だに独身で謎の多い人物。澪は自分など相手にされないと遠慮しつつ、仕事を通して一緒に過ごすうちに、成瀬に惹かれる想いを抑えられなくなっていく。けれども社内には、成瀬に関する気になる噂があって・・・。
※ R18描写は後半まで出てきません。「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
Home, Sweet Home
茜色
恋愛
OL生活7年目の庄野鞠子(しょうのまりこ)は、5つ年上の上司、藤堂達矢(とうどうたつや)に密かにあこがれている。あるアクシデントのせいで自宅マンションに戻れなくなった藤堂のために、鞠子は自分が暮らす一軒家に藤堂を泊まらせ、そのまま期間限定で同居することを提案する。
亡き祖母から受け継いだ古い家での共同生活は、かつて封印したはずの恋心を密かに蘇らせることになり・・・。
☆ 全19話です。オフィスラブと謳っていますが、オフィスのシーンは少なめです 。「ムーンライトノベルズ」様に投稿済のものを一部改稿しております。
続・上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。
会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。
☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。
「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
【完結】女当主は義弟の手で花開く
はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!?
恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。
※他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる