アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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誠也のご褒美

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 週の初めからスパートをかけた甲斐あって、今回は締め切りより一日早く仕事を終えることができた。我ながら、序盤にスランプで苦労していたとは思えない仕上がり具合だ。
 ソファに腰かけて原稿に眼を通している野村の機嫌も非常に良い。フンフンと鼻歌交じりに、時に笑みを浮かべながら誠也の仕事ぶりをチェックしている。

 今回は特に自信作だ。何といっても珠里が身体を張ってモデルになってくれたのだ。誠也としてもここで全力を出さないわけにはいかなかった。
 今現在誠也が抱えている仕事は、連載とは言え一話完結の読み切り的内容がほとんどだ。毎月ストーリーもキャラクターも変わるので、その月によって作品の出来やファンの反応に多少の差が出てしまうことはある。だが今回はいつになく良いものが描けた気がする。ヒロインの顔が珠里に似てしまうのをなんとか回避しようと、四苦八苦したのも事実なのだが。

「うん、いいね。よくまとまってる。って言うかここ最近で一番いいよ」
 野村が満足げに頷いたので、誠也もホッとした。野村は普段はおちゃらけた髭面の中年オヤジだが、編集者としては優秀でキャリアも申し分ない。なんだかんだ言っても野村に認めてもらえると気持ちが落ち着き、次への自信に繋がるのは以前から変わらない。

「心理描写も丁寧だし、何といってもヒロインが可愛い。いやー、嫁さん経由でエロ下着を提供した甲斐があったわ」
 それを言われると珠里とのあれこれが脳裏に浮かぶので、誠也は変に勘繰られないよう苦笑いを浮かべた。

「女性読者にも喜ばれそうだな。最近増えてるんだよね、女性ファン」
「そう言えば珠里の友達が、俺の漫画が好きだって言ってくれてるらしいです」
「ああ、そう!そういうの、うちとしても嬉しいよねぇ。へえー、珠里ちゃん、いい友達持ったね」
「そうですね」
 誠也は顔をほころばせながら頷いた。麻実子の言葉を報告してきたときの珠里の嬉しそうな顔を思い出す。

「来年は新雑誌のSFモノで忙しくなると思うけどさ、うちも引き続きよろしくね。二足のわらじみたいでしんどいかもしれないけど、なるべく無理のないよう協力するからさ」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。本気でがんばらせていただきます」
 誠也と野村は冗談交じりに深々と頭を下げあって笑った。

 来年早々に創刊される新雑誌で、誠也はSFを題材にした作品を隔月で連載することが正式に決まった。大人向けのクールでストイックな世界観に、セクシュアルな恋愛を絡めると言うのが編集長の注文だ。もともと自分が好きなジャンルをまた描けるというだけで、久々の緊張感と共に武者震いのような感覚も生じている。正直、楽しみで仕方ない。

 今のアダルト漫画は、来年から隔月にペースダウンすることになった。つまりSFとアダルトを毎月交互に描くことになる。
 頭の切り替えがかなり必要で作業に負担が増えるのではと危惧もされているが、誠也本人は気分転換もできていい刺激になるだろうと思っている。SFの場合どうしても細部の描きこみが細かくなるため、これを機にアシスタントを使ってはどうかと勧められたが、今のところその気はなかった。

「楽しみだね~。来年は音原くんにとって飛躍の年になりそうだ」
 野村はニコニコしながらそう言うと、大型のショルダーバッグにゴソゴソ手を突っ込み、何やらチケットのようなものを取り出した。
「じゃあさ、がんばってる音原くんにご褒美。これ、良かったら使ってよ」
 眼の前に差し出された紙片は、どうやら宿泊施設の招待券のようだった。

「ここね、うちの会社が提携してて毎年一定数タダ券が回ってくるのね」
 リゾート地として有名なK高原にあるホテル名が記載されている。ホテルそのものではなく、敷地内にいくつかあるコテージの利用券のようだ。
「何度か嫁さんと行ったことあるんだけど、緑の中に佇むログハウスって感じですごくいいんだよね~。今回久々にオレんとこに券が回ってきたから予約してたんだけどさ、実は先日うちの嫁さんの妊娠が分かってね」
「え……っ、本当ですか?それは、おめでとうございます……!」
 いやぁ、今更なんだけどさぁ、と野村は照れ笑いした。

「まあ、そういうわけで今ちょっと悪阻つわりがきつくてね。旅行どころじゃないってんで、行くのやめたんだ。でもせっかく日にち押さえてるからもったいないなと思って、そこでだ。音原くんにこれを使ってもらえないかと」
 野村は誠也にチケットを握らせる。二泊分あった。

「……俺に?え、でも、いいんですか……?他に行きたがる人いるでしょう」
「社内の連中はみんなそれぞれ夏休みの予定入れてるし、今更だよ。それに音原くん、珠里ちゃん引き取ってからずっと旅行なんてまともにしてないっしょ?」
「ええ、まあ……」
 それどころではなかったというのが実際のところだ。珠里を置いて誠也だけ旅行というわけにもいかなかったし、じゃあ珠里と一緒にとなると、身内とは言え若い男と年頃の少女ゆえ妙に気が引けた。
 仕事中心の生活で誠也は旅自体すっかりご無沙汰だったし、珠里もまた修学旅行と短大時代の友人との旅行くらいしか出掛けた経験がない。

「だからさ、行ってきなよ。珠里ちゃんとふたりで」
「……えっっ」
 思わず顔が熱くなる。どういう意味で言っているのかと訝しむと、野村はすべてお見通しとでも言うようににんまりと笑った。

「もう大人同士なんだし、自由にしたらいいよ。珠里ちゃんもきっと喜ぶと思うよ」
「あ……」  
 野村はいつから誠也の気持ちを見抜いていたのだろう。長年この家に出入りして珠里ともよく顔を合わせていたから、自然に感じるものがあったのだろうか。

「……ありがとうございます。……なんか、申し訳ないな」
「いやいや、むしろ使ってくれた方がありがたいんだから。キャンセルしないで済むし。あ、日にちはこことここ、押さえちゃってるんだ。珠里ちゃん、有休取れるかな」
 野村が8月のカレンダーを見て、ちょうどお盆明けの日曜と月曜を指差した。
 二泊だと、帰ってくるのが火曜か。珠里には月、火と続けて有休をとらせることになる。誠也自身も仕事を前倒ししてある程度進めておく必要がある。
 だが多少無理をしてでも行きたいと思った。きっと珠里は喜ぶ。一緒に旅行などしたことがないからこそ、絶対行きたいと言うだろう。

「野村さん、ありがとうございます。喜んで使わせてもらいます」
 誠也はチケットを手に野村に深く頭を下げた。野村はちょっと照れた様子だったが、「おみやげはハムとチーズでいいよ~」と嬉しそうに笑っていた。


 思った通り、帰宅した珠里はチケットを見た途端大はしゃぎした。
「嬉しい!すっごく嬉しい!絶対行く!大丈夫、まだ有休一回も使ってないから余裕!」
 まるで小学生のような興奮ぶりに、思わず吹き出しそうになる。だがこんなに喜ぶと言うことは、それだけこの手の楽しみに飢えていたということだ。自分の責任だと思うと、胸の奥が少々痛んだ。

「嬉しいなぁ。K高原って行ってみたかったんだ。……誠ちゃんと一緒に行けるなんて、夢みたい。楽しみすぎる……」
 あんまり可愛いことを言うので、たまらず珠里の身体を抱きしめてしまった。
「……ごめんな。今までこういうことに気が回らなくて」
 抱きしめられて顔を赤くした珠里は、一瞬言葉の意味が分からなかったようで不思議そうに誠也の顔を見上げてきた。

「旅行ひとつ、連れてってやらなかった」
 そう言うと、珠里は大きく眼を見開いて首を横に振った。
「なんでそんなこと言うの?私、そんなこと気にしたことないよ。だって、ここで毎日誠ちゃんと一緒に暮らせるだけで幸せだったもん」
 少し怒ったような真剣な眼差し。これもこの子の思いやりだろう。自分はそれに随分甘えてきた。これからは、自分が珠里を甘やかしてやりたいと心から思う。

「そっか。でもこれからは、行きたいところがあれば遠慮しないで言ってくれ。一緒に行こう。俺もおまえといろんなとこ行きたい」
 抱きしめたままそう言ったら、珠里は少し潤んだ眼をまた輝かせた。「うん……!」と心から幸せそうな顔で頷く。

 ひどく懐かしい気持ちが込み上げてきた。なんだろうと記憶を辿ると、遠い昔の幼稚園児の顔が脳裏に浮かんでハッとした。
 叔母の響子の通夜で、しくしく泣き続けていた幼い女の子。
 翌日の告別式の直前、誠也はオモチャ売り場で買ってきたばかりの品をその子に手渡した。当時子供に人気だったアニメ番組「マジカル☆アイラちゃん」の魔法のバトン。それを手にしたときの珠里の表情は、いま誠也を見上げている美しい娘の顔と同じ輝きを放っていた。

 思わずフッと笑みがこぼれる。それから妙にせつなくなって、珠里を抱く腕にもっと力を籠めた。
「誠ちゃん、どうしたの……?」
 誠也の胸で、珠里がもごもご言っている。誠也は笑いながら珠里の髪に顔を埋めた。

 ……そうか。俺はあのとき魔法のバトンで、未来の嫁さんを手に入れたのか。
 胸の奥でそう呟いたが、今はまだ心にしまっておくことにした。



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