1 / 19
出張の帰り
しおりを挟む
1
24才の冬。私、庄野鞠子はもう二度と逢うことのない人に処女を捧げました。
☆
「藤堂さん、おばんざい弁当とすき焼き風弁当、どっちがいいですか?」
東京行きの新幹線に乗り、窓際の席に座るとすぐに藤堂次長に尋ねた。既に日の落ちた群青色の空がガラスの向こうに広がり、京都の街並みがあっという間に視界から消え去って行く。
二人分の荷物を棚に上げてくれた藤堂さんは、長い脚を窮屈そうに曲げて通路側の席に腰を下ろした。指でネクタイをくいっと緩め、リラックスした表情で私を見る。未だにこの瞳に見つめられるとドギマギするのは、私が意識しすぎなせいだろうか。
「んー、すき焼きかな」
「だと思いました!じゃあ、私はおばんざい」
「いいのか、おばんざいで」
「いいんです。だってお昼もイマダコーヒーのカツサンド食べすぎたし、カロリー摂りすぎで」
「たしかにな。今回の出張で、おまえの食べっぷりには驚かされたよ」
「私は藤堂さんの飲みっぷりに驚かされました」
私はそれぞれの席の備え付けテーブルにお弁当をひとつずつ置く。藤堂さんには缶ビールを一本、自分にはお茶のペットボトルを添える。
藤堂さんはさっそくプルトップを開けて一口飲み、フウッと満足げに息をついた。昨夜もまあまあ飲んでいたはずだが、この人は本当にいくら飲んでも顔に出ない。悪酔いもしない。言動も変わらず足もふらつかない。・・・私とは大違いだ。
「藤堂さん、2日間お疲れさまでした」
「庄野もな。いろいろ気疲れしただろ。よく動いてくれて助かったよ。ありがとう」
「いえ、そんな、全然!足手まといにならないよう必死でした」
「いや、やっぱり7年目社員ともなると、頼りになるよ。俺はまだここのやり方に慣れてないとこがあるから、庄野がいてくれて助かった」
「私こそ、ご一緒できて勉強になりました。藤堂さんはやっぱりすごいです」
お世辞ではなく本心からそう言ったものの、なんとなく気恥ずかしくなって私は自分のおばんざい弁当をガサガサと開けた。隣で藤堂さんもすき焼き風弁当を開けている。と思ったら、自分が食べる前にお肉をゴソッと箸で取り、私のお弁当のご飯の上に乗せてくれた。
「おすそわけ」
「わぁ、ありがとうございます!じゃあ、私も」
煮物を少し取り分けて藤堂さんのお弁当の上に乗せる。それからなんとなくクスッと笑いあって、私たちは東京に向かう新幹線の中で夕食を食べ始めた。
藤堂さんがうちの会社に中途入社してきたのが7月の初め。あれから2ヶ月が過ぎ、今や彼は規模の小さな我が社の「顔」になりつつある。
もともとの彼は、誰もが名前を聞いたことがある大手商社の社員だった。あのまま勤めていれば将来も安泰だったはずの彼が、何を思ったかうちの社長の図々しいヘッドハンティングを受け入れてくれたこと自体、奇跡だった。34歳の途中入社でありながらいきなりの次長職待遇は異例中の異例だったが、それが藤堂さんなのだから異論などあるはずもなく、社内は歓迎ムード一色だった。
5年前の12月。輸入食材を扱ううちの会社が、大規模なフードフェスティバルに出店することになった。そういったイベントに大々的に参加するのは会社としても初めての試みだったので、勝手が分からず社長も社員も右往左往していた。当時入社2年目だった私も毎日遅くまで残業し、まるで文化祭の準備のようなお祭り騒ぎに翻弄されていた。
そのフェスティバルを主催していた大手企業の中のひとつが、当時藤堂さんが勤めていた商社だった。フェスティバルに出店する各グループには、指南役としてイベント主催者側から担当者がついてくれた。そのときうちの会社の面倒を見ていろいろ指導してくれたのが、商社側から来た藤堂さんだったのだ。
藤堂達矢。当時29歳だった彼は、溜め息が出るほど素敵で有能な商社マンだった。
恵まれたルックスに快活な表情と明確な言葉。颯爽とした立ち居振る舞いは、いかにも仕事のできる男という感じだった。実際、イベント初心者で慣れない私たちを親切かつ丁寧にフォローしてくれ、藤堂さんのおかげでうちの会社も無事に出店を成功させることができたのだと思う。当然、私たち社員の間では藤堂さんは憧れの的となった。
私にとってはカッコ良くて仕事もできて雲の上の人という感じだったが、偶然にも私が藤堂さんと同じ大学の後輩だと分かり(学部の偏差値は全然違ったけれど)、それ以来藤堂さんは私を「庄野」と呼び捨てにして妹のように可愛がってくれた。とは言っても、ほんの数週間のつきあいだったのだが。
あれからいくつもの季節が過ぎていき、私ももう29歳になった。
藤堂さんは34歳か・・・。ふと隣の席に眼をやると、藤堂さんは眼を閉じていつの間にか眠ってしまっている。年齢相応のごく小さな皺が目元にある。それがかえって大人の色気を滲ませていて、なんとなく落ち着かない気持ちになった。
時計を見ると午後8時を回っていた。私は藤堂さんの穏やかな寝顔をそっと盗み見ながら、5年前にもこの寝顔を暗闇の中で見ていたことを想い出した。なんて不思議な巡り合わせだろう。もう二度と、この人に逢うことはないと想っていたのに。
あのとき、私はフェスティバルの準備に誰よりも没頭していた。自分の身に起きた悲しいことを忘れたい一心で、とにかく仕事をしたかった。
つきあって3ヶ月の、同い年の彼氏にフラれたところだった。原因は、私が尻込みしてセックスに応じなかったから。
身体を重ねることが嫌だったわけじゃない。つきあうなら真面目に将来を考える関係になりたくて、慎重になっていただけだ。でも相手から見ると、私は24にもなって頑なに処女を守っているお堅い女に映ったらしい。なんとなく電話の声が冷たいな・・・と気づいた頃、その人は新しい彼女と既に深い仲になっていた。
「3ヶ月待たせたら、ヤリたい盛りの男は逃げるでしょうよ」
恋愛体質の友達にそう言われ、そうか、世の中そんなものなのかと思った。じゃあ私ももっと恋愛を気軽に考えるべきなんだなと思ったけれど、もともとの性格がどうにも邪魔をした。だんだんクリスマスが近づいてきて、今年こそはひとりじゃないイブを過ごせると期待していただけにかなり落ち込んだ。そんなとき会社がフードフェスティバルに参加することになり、私は俄然張り切って仕事に打ち込んだのだ。仕事をしている間は、失恋のことも忘れられると思ったからだ。
フェスティバルが終わった瞬間、達成感に満たされると同時に自分が空っぽになった気がした。
ひとりきりの淋しい年末がやってくる。別れた相手への未練などほとんどなかったけれど、フラれたという事実が改めて我が身に突き刺さった。
この臆病な性格が災いして、このままいつまで経っても大人の恋はできないのだろうか。そんな虚しさを感じながら、打ち上げの席でテーブルの斜め向かい側に座っている藤堂さんの横顔をこっそり眺めていた。
うちの社長にいたく気に入られ、あの日の打ち上げにも半ば強引に参加させられた藤堂さん。社員みんなから尊敬の眼で見られていた藤堂さん。独身らしいけれど、この人はきっとモテモテで恋愛上手で、遊び方もスマートなんだろうなと想像した。
あの日の私はイベントが終わった高揚感と喪失感、失恋の痛手でいつも以上に不安定だったのだと思う。気づいたら、珍しく少々飲みすぎていた。フワフワいい気持ちになって、いつの間にか個室の壁に背中を預けて眠ってしまったらしい。そんな醜態をさらすのは滅多にないことだった。
社長も同僚も、二次会に行きたくて私の世話が面倒だったのだろう。信じられないことに、私が眼を覚ましたときに辛抱強く待っててくれたのは、別会社の藤堂さんだけだった。
眼を開けて、誰もいない個室に藤堂さんだけが残っているのに気付いた私はひどく狼狽した。
「すみません!ごめんなさい!私は大丈夫なので、今からみんなと合流してください!」
必死に謝る私を見て、藤堂さんは笑いながら言った。
「二次会はパスして帰りたかったから、自分から庄野の世話を買ってでたんだ。おかげで助かった」
秘密を打ち明けるようにちょっと悪戯っぽく笑った藤堂さんの顔に、思わず見惚れてしまったのを覚えている。もしかしたら、この人は案外パッと見のイメージとは違う人なのかもしれないと思った。明朗で爽やかで物怖じしないように見えるけれど、本当は賑やかな場所がそれほど好きではない、静けさを好むな人なのかもしれないと。
私と少し似ている・・・?そんな錯覚すら覚えてしまうほど、ゆったりと心地良い空気を感じた。そしてせっかくそんな優しい空気に気付けたのに、藤堂さんが週明けには札幌の支社に転勤してしまう事実が私の胸に鈍く刺さった。
あのときの自分は本当にどうかしていたと思う。
あんなことを藤堂さんにお願いした自分が今でも信じられない。でも、後悔はしていない。あの夜のことは、5年近く経った今でも私にとって大切で忘れられない想い出になっているのだから。
もう二度と逢うことはないと諦めていた。だから東京に戻ってきた藤堂さんとこうして再会し、あろうことか彼がうちの会社に中途入社してくるという展開に心底慌てた。しかも昨日から1泊で、私は藤堂さんと二人きりで京都まで出張に行っていたのだ。
・・・嬉しかったけれど。激しく動揺しながら、すごく嬉しかったけれど。
「藤堂さん、そろそろ品川に着きますよ」
私は藤堂さんのワイシャツの腕にそっと手を伸ばした。筋肉の締まった腕の感触。藤堂さんが眼を開ける直前に、さっと手を引っ込める。
「ああ・・・俺、寝てたのか。悪い」
そう言って長い腕をストレッチしようとしたとき、テーブルの上に置いた藤堂さんのスマートフォンが振動した。手に取って画面を見た藤堂さんが、一瞬怪訝そうな顔をする。
「管理会社?なんだ・・・?」
賃貸マンションの管理会社から電話が入っているらしい。とりあえず下車してからかけ直すことにして、私たちは棚の上から急ぎ荷物を下ろし始めた。
24才の冬。私、庄野鞠子はもう二度と逢うことのない人に処女を捧げました。
☆
「藤堂さん、おばんざい弁当とすき焼き風弁当、どっちがいいですか?」
東京行きの新幹線に乗り、窓際の席に座るとすぐに藤堂次長に尋ねた。既に日の落ちた群青色の空がガラスの向こうに広がり、京都の街並みがあっという間に視界から消え去って行く。
二人分の荷物を棚に上げてくれた藤堂さんは、長い脚を窮屈そうに曲げて通路側の席に腰を下ろした。指でネクタイをくいっと緩め、リラックスした表情で私を見る。未だにこの瞳に見つめられるとドギマギするのは、私が意識しすぎなせいだろうか。
「んー、すき焼きかな」
「だと思いました!じゃあ、私はおばんざい」
「いいのか、おばんざいで」
「いいんです。だってお昼もイマダコーヒーのカツサンド食べすぎたし、カロリー摂りすぎで」
「たしかにな。今回の出張で、おまえの食べっぷりには驚かされたよ」
「私は藤堂さんの飲みっぷりに驚かされました」
私はそれぞれの席の備え付けテーブルにお弁当をひとつずつ置く。藤堂さんには缶ビールを一本、自分にはお茶のペットボトルを添える。
藤堂さんはさっそくプルトップを開けて一口飲み、フウッと満足げに息をついた。昨夜もまあまあ飲んでいたはずだが、この人は本当にいくら飲んでも顔に出ない。悪酔いもしない。言動も変わらず足もふらつかない。・・・私とは大違いだ。
「藤堂さん、2日間お疲れさまでした」
「庄野もな。いろいろ気疲れしただろ。よく動いてくれて助かったよ。ありがとう」
「いえ、そんな、全然!足手まといにならないよう必死でした」
「いや、やっぱり7年目社員ともなると、頼りになるよ。俺はまだここのやり方に慣れてないとこがあるから、庄野がいてくれて助かった」
「私こそ、ご一緒できて勉強になりました。藤堂さんはやっぱりすごいです」
お世辞ではなく本心からそう言ったものの、なんとなく気恥ずかしくなって私は自分のおばんざい弁当をガサガサと開けた。隣で藤堂さんもすき焼き風弁当を開けている。と思ったら、自分が食べる前にお肉をゴソッと箸で取り、私のお弁当のご飯の上に乗せてくれた。
「おすそわけ」
「わぁ、ありがとうございます!じゃあ、私も」
煮物を少し取り分けて藤堂さんのお弁当の上に乗せる。それからなんとなくクスッと笑いあって、私たちは東京に向かう新幹線の中で夕食を食べ始めた。
藤堂さんがうちの会社に中途入社してきたのが7月の初め。あれから2ヶ月が過ぎ、今や彼は規模の小さな我が社の「顔」になりつつある。
もともとの彼は、誰もが名前を聞いたことがある大手商社の社員だった。あのまま勤めていれば将来も安泰だったはずの彼が、何を思ったかうちの社長の図々しいヘッドハンティングを受け入れてくれたこと自体、奇跡だった。34歳の途中入社でありながらいきなりの次長職待遇は異例中の異例だったが、それが藤堂さんなのだから異論などあるはずもなく、社内は歓迎ムード一色だった。
5年前の12月。輸入食材を扱ううちの会社が、大規模なフードフェスティバルに出店することになった。そういったイベントに大々的に参加するのは会社としても初めての試みだったので、勝手が分からず社長も社員も右往左往していた。当時入社2年目だった私も毎日遅くまで残業し、まるで文化祭の準備のようなお祭り騒ぎに翻弄されていた。
そのフェスティバルを主催していた大手企業の中のひとつが、当時藤堂さんが勤めていた商社だった。フェスティバルに出店する各グループには、指南役としてイベント主催者側から担当者がついてくれた。そのときうちの会社の面倒を見ていろいろ指導してくれたのが、商社側から来た藤堂さんだったのだ。
藤堂達矢。当時29歳だった彼は、溜め息が出るほど素敵で有能な商社マンだった。
恵まれたルックスに快活な表情と明確な言葉。颯爽とした立ち居振る舞いは、いかにも仕事のできる男という感じだった。実際、イベント初心者で慣れない私たちを親切かつ丁寧にフォローしてくれ、藤堂さんのおかげでうちの会社も無事に出店を成功させることができたのだと思う。当然、私たち社員の間では藤堂さんは憧れの的となった。
私にとってはカッコ良くて仕事もできて雲の上の人という感じだったが、偶然にも私が藤堂さんと同じ大学の後輩だと分かり(学部の偏差値は全然違ったけれど)、それ以来藤堂さんは私を「庄野」と呼び捨てにして妹のように可愛がってくれた。とは言っても、ほんの数週間のつきあいだったのだが。
あれからいくつもの季節が過ぎていき、私ももう29歳になった。
藤堂さんは34歳か・・・。ふと隣の席に眼をやると、藤堂さんは眼を閉じていつの間にか眠ってしまっている。年齢相応のごく小さな皺が目元にある。それがかえって大人の色気を滲ませていて、なんとなく落ち着かない気持ちになった。
時計を見ると午後8時を回っていた。私は藤堂さんの穏やかな寝顔をそっと盗み見ながら、5年前にもこの寝顔を暗闇の中で見ていたことを想い出した。なんて不思議な巡り合わせだろう。もう二度と、この人に逢うことはないと想っていたのに。
あのとき、私はフェスティバルの準備に誰よりも没頭していた。自分の身に起きた悲しいことを忘れたい一心で、とにかく仕事をしたかった。
つきあって3ヶ月の、同い年の彼氏にフラれたところだった。原因は、私が尻込みしてセックスに応じなかったから。
身体を重ねることが嫌だったわけじゃない。つきあうなら真面目に将来を考える関係になりたくて、慎重になっていただけだ。でも相手から見ると、私は24にもなって頑なに処女を守っているお堅い女に映ったらしい。なんとなく電話の声が冷たいな・・・と気づいた頃、その人は新しい彼女と既に深い仲になっていた。
「3ヶ月待たせたら、ヤリたい盛りの男は逃げるでしょうよ」
恋愛体質の友達にそう言われ、そうか、世の中そんなものなのかと思った。じゃあ私ももっと恋愛を気軽に考えるべきなんだなと思ったけれど、もともとの性格がどうにも邪魔をした。だんだんクリスマスが近づいてきて、今年こそはひとりじゃないイブを過ごせると期待していただけにかなり落ち込んだ。そんなとき会社がフードフェスティバルに参加することになり、私は俄然張り切って仕事に打ち込んだのだ。仕事をしている間は、失恋のことも忘れられると思ったからだ。
フェスティバルが終わった瞬間、達成感に満たされると同時に自分が空っぽになった気がした。
ひとりきりの淋しい年末がやってくる。別れた相手への未練などほとんどなかったけれど、フラれたという事実が改めて我が身に突き刺さった。
この臆病な性格が災いして、このままいつまで経っても大人の恋はできないのだろうか。そんな虚しさを感じながら、打ち上げの席でテーブルの斜め向かい側に座っている藤堂さんの横顔をこっそり眺めていた。
うちの社長にいたく気に入られ、あの日の打ち上げにも半ば強引に参加させられた藤堂さん。社員みんなから尊敬の眼で見られていた藤堂さん。独身らしいけれど、この人はきっとモテモテで恋愛上手で、遊び方もスマートなんだろうなと想像した。
あの日の私はイベントが終わった高揚感と喪失感、失恋の痛手でいつも以上に不安定だったのだと思う。気づいたら、珍しく少々飲みすぎていた。フワフワいい気持ちになって、いつの間にか個室の壁に背中を預けて眠ってしまったらしい。そんな醜態をさらすのは滅多にないことだった。
社長も同僚も、二次会に行きたくて私の世話が面倒だったのだろう。信じられないことに、私が眼を覚ましたときに辛抱強く待っててくれたのは、別会社の藤堂さんだけだった。
眼を開けて、誰もいない個室に藤堂さんだけが残っているのに気付いた私はひどく狼狽した。
「すみません!ごめんなさい!私は大丈夫なので、今からみんなと合流してください!」
必死に謝る私を見て、藤堂さんは笑いながら言った。
「二次会はパスして帰りたかったから、自分から庄野の世話を買ってでたんだ。おかげで助かった」
秘密を打ち明けるようにちょっと悪戯っぽく笑った藤堂さんの顔に、思わず見惚れてしまったのを覚えている。もしかしたら、この人は案外パッと見のイメージとは違う人なのかもしれないと思った。明朗で爽やかで物怖じしないように見えるけれど、本当は賑やかな場所がそれほど好きではない、静けさを好むな人なのかもしれないと。
私と少し似ている・・・?そんな錯覚すら覚えてしまうほど、ゆったりと心地良い空気を感じた。そしてせっかくそんな優しい空気に気付けたのに、藤堂さんが週明けには札幌の支社に転勤してしまう事実が私の胸に鈍く刺さった。
あのときの自分は本当にどうかしていたと思う。
あんなことを藤堂さんにお願いした自分が今でも信じられない。でも、後悔はしていない。あの夜のことは、5年近く経った今でも私にとって大切で忘れられない想い出になっているのだから。
もう二度と逢うことはないと諦めていた。だから東京に戻ってきた藤堂さんとこうして再会し、あろうことか彼がうちの会社に中途入社してくるという展開に心底慌てた。しかも昨日から1泊で、私は藤堂さんと二人きりで京都まで出張に行っていたのだ。
・・・嬉しかったけれど。激しく動揺しながら、すごく嬉しかったけれど。
「藤堂さん、そろそろ品川に着きますよ」
私は藤堂さんのワイシャツの腕にそっと手を伸ばした。筋肉の締まった腕の感触。藤堂さんが眼を開ける直前に、さっと手を引っ込める。
「ああ・・・俺、寝てたのか。悪い」
そう言って長い腕をストレッチしようとしたとき、テーブルの上に置いた藤堂さんのスマートフォンが振動した。手に取って画面を見た藤堂さんが、一瞬怪訝そうな顔をする。
「管理会社?なんだ・・・?」
賃貸マンションの管理会社から電話が入っているらしい。とりあえず下車してからかけ直すことにして、私たちは棚の上から急ぎ荷物を下ろし始めた。
2
あなたにおすすめの小説
小野寺社長のお気に入り
茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。
悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。
☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。
上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
恋愛に臆病な28歳のOL椎名澪(しいな みお)は、かつて自分をフッた男性が別の女性と結婚するという噂を聞く。ますます自信を失い落ち込んだ日々を送っていた澪は、仕事で大きなミスを犯してしまう。ことの重大さに動揺する澪の窮地を救ってくれたのは、以前から密かに憧れていた課長の成瀬昇吾(なるせ しょうご)だった。
澪より7歳年上の成瀬は、仕事もできてモテるのに何故か未だに独身で謎の多い人物。澪は自分など相手にされないと遠慮しつつ、仕事を通して一緒に過ごすうちに、成瀬に惹かれる想いを抑えられなくなっていく。けれども社内には、成瀬に関する気になる噂があって・・・。
※ R18描写は後半まで出てきません。「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
アダルト漫画家とランジェリー娘
茜色
恋愛
21歳の音原珠里(おとはら・じゅり)は14歳年上のいとこでアダルト漫画家の音原誠也(おとはら・せいや)と二人暮らし。誠也は10年以上前、まだ子供だった珠里を引き取り養い続けてくれた「保護者」だ。
今や社会人となった珠里は、誠也への秘めた想いを胸に、いつまでこの平和な暮らしが許されるのか少し心配な日々を送っていて……。
☆全22話です。職業等の設定・描写は非常に大雑把で緩いです。ご了承くださいませ。
☆エピソードによって、ヒロイン視点とヒーロー視点が不定期に入れ替わります。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しております。
続・上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。
会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。
☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。
「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
サディスティックなプリテンダー
櫻井音衣
恋愛
容姿端麗、頭脳明晰。
6か国語を巧みに操る帰国子女で
所作の美しさから育ちの良さが窺える、
若くして出世した超エリート。
仕事に関しては細かく厳しい、デキる上司。
それなのに
社内でその人はこう呼ばれている。
『この上なく残念な上司』と。
続・最後の男
深冬 芽以
恋愛
彩と智也が付き合い始めて一年。
二人は忙しいながらも時間をやりくりしながら、遠距離恋愛を続けていた。
結婚を意識しつつも、札幌に変えるまでは現状維持と考える智也。
自分の存在が、智也の将来の枷になっているのではと不安になる彩。
順調に見える二人の関係に、少しずつ亀裂が入り始める。
智也は彩の『最後の男』になれるのか。
彩は智也の『最後の女』になれるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる