Home, Sweet Home

茜色

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満ちる月

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 夕方家に帰り着くと、藤堂さんは既に出掛けた後だった。
 ジョギングの後シャワーを浴びたついでに、どうやらお風呂場の掃除をしてくれたらしい。鏡も浴槽もピカピカに磨かれていて、小さくなっていた石鹸は新しいものを下ろしてあった。
 優しくて頼りになる旦那さんを持つというのは、こういう感じなのだろうか。図々しくそんなことを想像し、恥ずかしくなる。さっさと夕飯を食べてお風呂に入ろうと思い、休む間もなく台所に立った。

 今夜は自分だけの食事だ。冷凍ご飯がまだ残っていたので、缶詰のカニをほぐし入れてチャーハンにした。レンジでふかしたジャガイモに醤油と砂糖をからめてバターをまぶし、ほうれん草となめこのお味噌汁も用意する。わりと美味しくできたので、藤堂さんにも食べてほしかったな、とチラッと思ったりした。


 お風呂から出た後お気に入りのルームウェアを身に着けると、夜風に当たるために居間のガラス戸を開けた。パステルカラーのボーダー柄のルームウェアはパーカータイプで、香苗が今年の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。
 生乾きの髪のまま縁側に腰を下ろした。夜空を見上げると、頭上に見事にまん丸の月が浮かんでいる。
 そうか、今日って満月だったんだ・・・。
 眼が眩むほどの金色の光に圧倒されてしまう。庭の木々や葉が月光に照らされてきらめき、澄んだ虫の声がいつも以上に耳に響いてくる。幻想的で美しい光景にしばし心を奪われた。このまま光に取り込まれそうな気持ちになる。

 ・・・藤堂さんと一緒に見たかったな。藤堂さん、今日の満月に気付いたかな。
 そんなふうにぼんやり想いを馳せながら月に見惚れていると、暗がりから門扉がカチャカチャと鳴る音が聞こえてきた。時計を見るとまだ9時前だった。藤堂さんは飲みに行ったはずだから、帰宅時間にしては早すぎる気がする。・・・じゃあ誰?こんな時間に来られても、この格好じゃ出られない・・・。
 軽く焦っているうちに、今度は玄関の鍵をガチャッと開ける音がした。
 ウソっ、やっぱり藤堂さん・・・?!慌てて縁側から腰を上げようと振り返ると、長い脚で大股で歩く藤堂さんがもう居間に入ってきていた。

「あ、やっぱり月、見てた?」
「お、おかえりなさい・・・!早くないですか?飲みに行くって・・・」
「そのつもりだったんだけどね」
 そう言いながら藤堂さんは一度和室に入ってジャケットを脱ぎ、持っていたコンビニの袋からアイスクリームのカップを2つ取り出して縁側にやって来た。
「新築祝いで寿司出してもらって、ある程度飲んだら気が済んじゃって。あの後みんなは居酒屋に繰り出したけど、俺は帰ってきちゃった」
 藤堂さんは私の隣にストンと腰を下ろすと、抹茶のアイスクリームとプラスチックのスプーンを手渡してきた。
「わぁ、おみやげ!」
「居酒屋行こうって外歩き出したら、ちょうど月が見えてさ。あー、今日って満月だったんだって気付いたら、店で酒飲むよりここに座っておまえと一緒に月見したほうが楽しいかなって思って」
 そう言って、藤堂さんは自分の分のアイスクリームの蓋を開けた。溶けるから早く食え、と私に笑いかけながら。その顔を見ていたら不意に涙ぐみそうになって、私は急いでアイスの蓋を開けた。

 月明りの下、抹茶アイスを並んで食べながら今日一日の出来事を報告しあった。
 この数日の少し微妙だった空気が、嘘みたいに取り払われて和んでいく。
 私は今日ランチを共にした友人の香苗がいかに個性的な人物かを話して聞かせ、藤堂さんは久しぶりに会った前の会社の同僚たちの様子や招かれた新居について話してくれた。
「家自体はえらく綺麗だったけど、やっぱり都内だから敷地が狭いんだよな。目一杯ぎりぎりまで建ててるから庭なんてないんだ。まあ駅近だし、仕方ないんだろうな」
「私も前に友達の新居に呼ばれたら、すっごい小さい土地に細長い3階建てだったからびっくりしましたよ」
「そういうのも淋しいよな。俺もマンション暮らしだったから人のこと言えないけど。・・・こんなふうに庭のある家に暮らしてみると、全然精神的に違うもんな」
 私たちはそんな会話をしながら、祖父母が大事にしていた庭を眺めた。私一人じゃさすがに世話が行き届かず定期的に植木屋さんに手入れを頼んでいるが、自分でもできるだけ気にかけるようにしている大好きな庭だ。

 ここに越してくるまでは土いじりなんてほとんどしたことがなかった。でも今は、ミニトマトやハーブを育ててみたり、球根を植えてみたり、失敗も多いがガーデニングの真似事に挑戦している。
 この家は平屋だけれど、敷地が結構大きいので家の間取りもかなり広めに造られていた。そのせいか、うちで過ごしていると時間がゆったり流れているような気持ちになれるのが好きだった。こんなふうに縁側にのんびり腰かけて、緑がいっぱいの庭やお月様を眺めることができる暮らしはとても豊かで幸せなものに思えた。

「この家に居候させてもらってホントに良かったよ。もう出ていきたくなくなりそうで、ヤバいわ」
 藤堂さんは私より先にアイスを食べ終わると、冗談めかした様子で私に微笑んだ。
「・・・いいですよ。出ていかなくて」
 視線が絡みあった。急に胸がドキドキして、私はつい眼をそらしてしまう。
「そういうこと言うと、本気にして居座るぞ」
「本気にしていいです。いてください、ずっと」
 ・・・出ていかないでください。ずっと一緒に、ここにいてください。
 私は視線を上げないまま、残りのアイスクリームをスプーンでゴリゴリ削った。心臓が音を立てて騒いでいる。藤堂さんがじっと私の横顔を見つめているのを感じて、耳たぶが熱くなった。

「室井って、庄野のこと好きなんだな」
 突然室井くんの名前を出されて私は困惑し、思わず藤堂さんの顔を見た。からかっているのかと思いきや、わりと真面目な顔で私を見ている。どちらかと言うと、真実を探るような眼で。
「・・・室井くん、何か言ったんですか?」
「いや。でもおまえに対する態度とか、やり取り見てれば分かるよ。アイツに好きだの何だのいろいろ言われてるんだろ?」
「・・・冗談で言ってるんですよ。ふざけてるだけで。ああいうキャラなんです」
「そうか?ああやって大っぴらに口にすることで、周りの男を牽制してるんじゃないか?室井なりに本気で好きなんだと思うけどな」
「・・・本気で好きだったら、あんなふうに私を困らせるような言動はしないと思います。ああいうこと言われるたびに、すごくイヤなんです」
「ははっ。アイツはまだ子供なんだよ。自分の気持ちを押し付けるのが愛情だと思ってるのかもな」
 ・・・藤堂さんは?本気で好きになったら、どんなふうに愛情を表現するのだろう?

「7月に俺の歓迎会やってもらったときな、室井が隣の席に来て、社員の一人一人についてあれこれお節介な情報を教えてくれたんだ。近藤主任はバツ2だとか、内村さんが社長の天敵で要注意人物だとか、そういう類のことを。そのときアイツ、『庄野さんには決まった相手がいるから口説いても無駄ですよ』って釘を刺してきたんだよ。その後アイツの言動を見て、なんだ、決まった相手って室井本人のことだったんだって」
「ち、違います・・・!なんでそんなウソばっかり・・・」
 だから藤堂さんは、前に私が週末のデートの予定がないと言ったとき意外そうな顔をしたのか。
「庄野の周辺から、邪魔になりそうな男を除外したいんだろ。アイツなりのやり方なんじゃないの?セコいと思うけど」
「だからって・・・。決まった相手とか、別にいないし・・・。そういう嘘を言われるの迷惑です」

「・・・いないの?」
「え?」
「彼氏、いないのか?おまえ、モテるだろ」
「モテませんよ、そんな・・・。い、いないです。彼氏・・・」
 どうしよう、なんでこんな会話になってるの・・・?
 藤堂さんの顔を見るのが怖い。せっかく5年前に処女をもらってやったのに、結局未だに恋人もできない淋しい生活を送っている女だと呆れられたかもしれない。

 私は食べ終わったアイスの容器を脇に置くと、息苦しい空気を変えるように明るい声を出した。
「ああ、美味しかった!ご馳走さまでした。私、抹茶アイス大好き」
「そうだろ。京都でも抹茶パフェ美味そうに食べてたもんな。」
「あれは最高でした。京都の抹茶スイーツはやっぱり一味違いますよね」
「味が濃いよな。渋みが深いっていうか。京都は美味いもんがたくさんあったな」
「ね!楽しかったですね。また行きたいなぁ・・・」
 私は黄金色の満月を見上げながら呟いた。京都での2日間は、仕事がメインとは言え藤堂さんと美味しいものをたくさん食べて回って観光もして、本当に本当に幸せな時間だった。

「行こうか、また」
「・・・え?」
「京都。また行くか、一緒に」
 ドキンと胸が音を立てた。月明りを映した藤堂さんの瞳を、思わず探るように見てしまう。また出張に同行してもいい、そういう意味なのは分かっているけれど、どうしても鼓動が静まってくれない。
「い、行きたいです。一緒に・・・」
「うん・・・。じゃあ、また行こう。仕事抜きで」
 びっくりして眼を見開いた瞬間、藤堂さんの唇が私の唇をふさいでいた。


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