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素直になりたい
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さっきお風呂上がりのバスタオル姿を見られたせいで少しだけギクシャクしたものの、二人でテーブルを挟んで食事を始めると、すぐに穏やかで優しい空気に包まれた。
生姜焼きはお肉が少し硬くなってしまったが、藤堂さんは喜んで食べてくれた。
「帰ってきてあったかいご飯が用意されてるのって、ホントに幸せだよ」
そう言って微笑まれると、もうぐちゃぐちゃ悩んだことなどどうでも良くなってくる。私なんかに気を遣ってくれて、優しい人だなとしみじみ思った。
「・・・でも、札幌でも美味しいご飯を作ってくれた女性、いたでしょう?」
藤堂さんに少しだけ分けてもらったビールのせいか、私はいつもより大胆な気持ちになってそんなセリフを口にしていた。答えを聞くのが怖くて、先送りにしていた疑惑。
「今も、遠距離恋愛だったりするんですか?」
自分でも驚いたことに、私は笑顔を作ってそう尋ねていた。本当は、怖くて胸の奥がビクビク震えている。でも今日は不思議なほど素直に、真実を知りたいと願った。
「・・・遠距離?誰が?」
藤堂さんは怪訝そうな顔で私を真正面から見た。ポカンとした顔で、箸を持つ手が止まっている。
「あの、だから、藤堂さんには札幌に彼女がいるっていう、その、噂が・・・」
「・・・は?」
何だろう、この反応は。藤堂さんは心底不思議そうな顔をしている。あれ?じゃあ室井くんの言ってた話は、やっぱり嘘なのだろうか・・・?
「誰がそんなこと言ったの?」
「・・・ええと、あの、室井くんが」
ハアーッと藤堂さんが溜め息をついて、箸を置いた。ビールのグラスを掴むと何やら忌々しそうにクッと煽る。
「またアイツか。まったく。・・・具体的にどういうことを言ってた?」
「あの・・・社長が藤堂さんにお見合いを勧めてたのを、室井くんがたまたま聞いてたらしくて。藤堂さんが断ったら、社長が『札幌の彼女とまだ別れてないのか』みたいなことを・・・」
「・・・ああ、アレか」
藤堂さんは改めて箸を握り直すと、カボチャを口に運びながら少し黙り込んだ。沈黙に、私の胸がきりきりと痛む。藤堂さんは少し怒っているみたいだ。
「いないよ。札幌に彼女なんて」
ちょっとイラついたような声。私はビクッとなりながらも、安堵で胸の奥が一気に熱くなるのを感じて泣きそうになった。良かった・・・。嬉しくて本当に泣き出しそうだ。
「最近、社長がやたらと見合いを勧めてくるんだよ。面倒くさいから、間に合ってるって言って断った。そうしたら社長が勝手に、札幌に女がいるのかみたいなことを冗談交じりに言っただけ。そんなのいないけど、まあ適当に濁しておけばこれ以上しつこく見合いを押し付けられないだろうと思って、笑って流しただけだよ。室井はそのやり取りを見たんだろ」
「そ、そうだったんですか・・・」
私はものすごくホッとして、胸が弾むやら涙ぐみそうになるやらで、慌ててお茶を飲んだ。
「・・・おまえさ。俺のこと、他所に女がいながらおまえにああいうことするような男だと思うのか?」
「えっ・・・」
日曜の夜の、キスとそれ以上のことを言っているのは明白だった。あのときのことを想い出して私の頬はパッと紅くなり、そんな私を見て藤堂さんも少し戸惑った顔になった。
「いや、だから、そういう軽薄な男に見られたのかと、ちょっと傷ついたわけで・・・」
「そ、そんなこと思ってません!ごめんなさい・・・!ただ、ちょっと気になったから・・・」
こういうとき、どんなふうに気持ちを伝えればいいのか全然分からない。どうしてこんなに不器用なのか、自分でも情けなくなった。藤堂さんは黙ったまま私の顔をじっと見つめている。何か言ってくれればいいのに、藤堂さんもまたそれ以上何も言わずにためらうような顔をしているから、ますます混乱してしまうのだ。
全部食べ終わって「ごちそうさま」と箸を置いた後、藤堂さんは改まった顔で私を見た。
「・・・5年近くあっちにいたから、まったく何もなかったわけじゃない」
胸がキュッと引き攣るような感覚に襲われた。私の知らない札幌での藤堂さんの生活・・・。
「ちょっとつきあった相手はいたよ。一人・・・二人か。でも全然本気になれなくて、すぐダメになった。そのうち恋愛自体が面倒くさくなって、後はもう仕事ばっかりしてた。どんな相手だったか、顔もろくに覚えてない。それだけだよ」
「そう、だったんですか・・・。ごめんなさい、私、つまらない噂話に乗ったりして・・・」
「庄野だって・・・この5年の間に、誰かつきあわなかったのか?おまえなら男の方から寄ってくるだろ」
今度は藤堂さんが少し複雑な顔で聞いてきて、ふと視線をそらした。
これって、私の過去を少しは気にしているってことなのだろうか。恐る恐る見ると、藤堂さんは微妙に不安そうな眼をしているようにも見える。
「私、そんなモテないですよ」
「それ、室井がガードしてるからじゃないか?」
「それは分からないですけど・・・。ええと、デートくらいした人は、いました。ご飯食べに行ったり、映画とか。でも、ちっとも楽しくなくて」
藤堂さんが眼を上げて私の瞳を覗き込んできた。安堵したような眼差し。さっきの私もこういう眼をしていたのだろうか。
「結局、ちゃんとつきあうとかそういうふうにならなくて。周りからはとりあえずつきあってみればいいじゃないって言われるんですけど、なんかダメなんですよね。手、握られたりすると、ああやっぱり嫌だなって思っちゃって」
私がそう言うと、藤堂さんが突然私の手をギュッと握ってきたので、心臓がドキンと跳ね上がった。
「藤堂さ・・・」
「俺の手は、平気か?・・・握られても、嫌じゃない?」
「・・・い、嫌なはずないです。だって、私・・・嫌だったら5年前にあんなこと藤堂さんに頼みません」
私は頬が真っ赤に染まるのをどうすることもできずに俯いた。手を握られたままなので、胸のドキドキがまったく収まらない。逃げ出したくなるほど恥ずかしいのに、今すぐ抱きしめてほしくてたまらない。
「庄野・・・」
藤堂さんが私の手をそっと引き寄せようとしたとき、庭先でガッシャーン!!とすさまじい音が鳴り響いた。私たちは同時にビクッと飛び上がり、慌てて繋いでいた手を離した。
「何か、飛んできた?!割れたみたいな音がしたな」
「植木鉢は全部しまったんですけど・・・!」
「ちょっと見てくる。ここにいろ」
藤堂さんは急いで立ち上がり、居間の雨戸を細く開けて身体を滑らせるようにして縁側に出た。風が凄くて、カーテンが勢いよく舞い上がる。引き出しから懐中電灯を取り出して、私も窓辺に駆け寄った。
「大丈夫、これだよ」
どこかの家から飛んできたブリキ製の大きなじょうろが、物置か雨戸に当たったらしく庭の敷石の上に転がっていた。ぶつかったせいか形がへこんでいる。私はゴミ袋を一枚持ってきて、藤堂さんが拾い上げたじょうろを中に入れ、玄関に持っていった。玄関の戸もガタガタと激しく揺れていて、この轟音の中、はたして今夜は眠れるだろうかと心配になった。
そのまま私は食事の後片付けに取り掛かった。藤堂さんは家中の雨戸を確認し、念のために玄関扉などのガラス部分が割れないよう、会社から持ち帰った養生テープを貼って補強してくれた。私の部屋の窓も確認してくれ、自室を見られるのは恥ずかしかったけれど、やっぱりこんな夜に藤堂さんがいてくれてものすごく心強かった。
夜10時を過ぎ、藤堂さんはようやく明日からの出張用にワイシャツや下着の替え、必要な資料などをキャリーバッグに詰め始めた。途中で社長から電話がかかってきて、明日の時間のことで指示を受けている。
「明日、いつもより出るの早いんですか?」
電話を終え、詰め終わった荷物を居間の隅っこに置いている藤堂さんに尋ねた。
「うん。台風は今夜中に抜けるから飛行機はたぶん問題なく飛ぶだろうけど、空港に着くまでの電車がな。時間読めないから、社長が早めに出ようって。俺は勝手に出てくから、庄野は気にしないでいつもの時間まで寝てろよ。たぶん今夜は外がうるさくて寝不足になるだろうから」
明日に備えてもう寝るわ、と藤堂さんが微笑んだ。
さっきあんな雰囲気になって気持ちが通じあう感覚があったのに、こんなにあっさり寝ちゃうんだ・・・。そりゃそうよね。藤堂さんは明日から出張で早いんだし・・・。
分かってはいるけれど、やっぱり少し落胆する気持ちになる。私ったら何を期待しているのだろう。おやすみのキスくらいしてくれると思ったのだろうか?
私は藤堂さんに「おやすみなさい」と告げると、自分の部屋に引き上げた。
雨風の音が激しすぎてまったく眠れない。
私の部屋は窓辺にベッドを置いているため、雨戸を叩きつける嵐の音がもろに響いてほとんど騒音レベルだった。しかも風がちょうどこちらに向かって吹いているので、時折バリバリと何かが裂けるような凄まじい音が耳に飛び込んできて、その度に「ひゃっ」と身体をすくませてしまう。
以前台風が来たときはどうしたんだっけ・・・。そうだ、今藤堂さんが使っている和室で寝たんだった。あの部屋だと縁側があるおかげでダイレクトに風雨が当たらないので、私の部屋よりもだいぶ静かなのだ。
「参ったなぁ・・・」
これじゃ台風が通り過ぎるまで眠れそうにない。しかも夕食時に藤堂さんと交わした意味深な会話や手を握られた感触が蘇ってきて、胸の奥がせつない疼きに翻弄されている。
はあっ・・・と大きな溜め息をついて寝返りを打ったとき、部屋のドアをノックする音がしたのでびっくりした。
「庄野、起きてるか?・・・開けてもいいか?」
遠慮がちな藤堂さんの声に、胸がドキッと音をたてる。
「あ、起きてます!大丈夫です」
私がベッドから急いで身体を起こした数秒後に、遠慮がちにドアが開いてスウェット姿の藤堂さんが顔を覗かせた。
「あ、やっぱりこの部屋すごい音だな。これじゃ眠れないだろ」
「えへへ。ちょっとすごいです。風の向きがちょうどこっちなんですよね」
「・・・おまえもこっちに来い。和室で寝ろ」
「えっ、でも・・・」
「いいから。俺はソファで寝るから、俺の布団を使えばいい。ほら、おいで」
藤堂さんは私の部屋に足を踏み入れると、ベッドまで来て私の手首を引っ張った。慌てて枕と上掛け布団を抱えた私を、藤堂さんは黙ったまま和室へと連れて行った。
生姜焼きはお肉が少し硬くなってしまったが、藤堂さんは喜んで食べてくれた。
「帰ってきてあったかいご飯が用意されてるのって、ホントに幸せだよ」
そう言って微笑まれると、もうぐちゃぐちゃ悩んだことなどどうでも良くなってくる。私なんかに気を遣ってくれて、優しい人だなとしみじみ思った。
「・・・でも、札幌でも美味しいご飯を作ってくれた女性、いたでしょう?」
藤堂さんに少しだけ分けてもらったビールのせいか、私はいつもより大胆な気持ちになってそんなセリフを口にしていた。答えを聞くのが怖くて、先送りにしていた疑惑。
「今も、遠距離恋愛だったりするんですか?」
自分でも驚いたことに、私は笑顔を作ってそう尋ねていた。本当は、怖くて胸の奥がビクビク震えている。でも今日は不思議なほど素直に、真実を知りたいと願った。
「・・・遠距離?誰が?」
藤堂さんは怪訝そうな顔で私を真正面から見た。ポカンとした顔で、箸を持つ手が止まっている。
「あの、だから、藤堂さんには札幌に彼女がいるっていう、その、噂が・・・」
「・・・は?」
何だろう、この反応は。藤堂さんは心底不思議そうな顔をしている。あれ?じゃあ室井くんの言ってた話は、やっぱり嘘なのだろうか・・・?
「誰がそんなこと言ったの?」
「・・・ええと、あの、室井くんが」
ハアーッと藤堂さんが溜め息をついて、箸を置いた。ビールのグラスを掴むと何やら忌々しそうにクッと煽る。
「またアイツか。まったく。・・・具体的にどういうことを言ってた?」
「あの・・・社長が藤堂さんにお見合いを勧めてたのを、室井くんがたまたま聞いてたらしくて。藤堂さんが断ったら、社長が『札幌の彼女とまだ別れてないのか』みたいなことを・・・」
「・・・ああ、アレか」
藤堂さんは改めて箸を握り直すと、カボチャを口に運びながら少し黙り込んだ。沈黙に、私の胸がきりきりと痛む。藤堂さんは少し怒っているみたいだ。
「いないよ。札幌に彼女なんて」
ちょっとイラついたような声。私はビクッとなりながらも、安堵で胸の奥が一気に熱くなるのを感じて泣きそうになった。良かった・・・。嬉しくて本当に泣き出しそうだ。
「最近、社長がやたらと見合いを勧めてくるんだよ。面倒くさいから、間に合ってるって言って断った。そうしたら社長が勝手に、札幌に女がいるのかみたいなことを冗談交じりに言っただけ。そんなのいないけど、まあ適当に濁しておけばこれ以上しつこく見合いを押し付けられないだろうと思って、笑って流しただけだよ。室井はそのやり取りを見たんだろ」
「そ、そうだったんですか・・・」
私はものすごくホッとして、胸が弾むやら涙ぐみそうになるやらで、慌ててお茶を飲んだ。
「・・・おまえさ。俺のこと、他所に女がいながらおまえにああいうことするような男だと思うのか?」
「えっ・・・」
日曜の夜の、キスとそれ以上のことを言っているのは明白だった。あのときのことを想い出して私の頬はパッと紅くなり、そんな私を見て藤堂さんも少し戸惑った顔になった。
「いや、だから、そういう軽薄な男に見られたのかと、ちょっと傷ついたわけで・・・」
「そ、そんなこと思ってません!ごめんなさい・・・!ただ、ちょっと気になったから・・・」
こういうとき、どんなふうに気持ちを伝えればいいのか全然分からない。どうしてこんなに不器用なのか、自分でも情けなくなった。藤堂さんは黙ったまま私の顔をじっと見つめている。何か言ってくれればいいのに、藤堂さんもまたそれ以上何も言わずにためらうような顔をしているから、ますます混乱してしまうのだ。
全部食べ終わって「ごちそうさま」と箸を置いた後、藤堂さんは改まった顔で私を見た。
「・・・5年近くあっちにいたから、まったく何もなかったわけじゃない」
胸がキュッと引き攣るような感覚に襲われた。私の知らない札幌での藤堂さんの生活・・・。
「ちょっとつきあった相手はいたよ。一人・・・二人か。でも全然本気になれなくて、すぐダメになった。そのうち恋愛自体が面倒くさくなって、後はもう仕事ばっかりしてた。どんな相手だったか、顔もろくに覚えてない。それだけだよ」
「そう、だったんですか・・・。ごめんなさい、私、つまらない噂話に乗ったりして・・・」
「庄野だって・・・この5年の間に、誰かつきあわなかったのか?おまえなら男の方から寄ってくるだろ」
今度は藤堂さんが少し複雑な顔で聞いてきて、ふと視線をそらした。
これって、私の過去を少しは気にしているってことなのだろうか。恐る恐る見ると、藤堂さんは微妙に不安そうな眼をしているようにも見える。
「私、そんなモテないですよ」
「それ、室井がガードしてるからじゃないか?」
「それは分からないですけど・・・。ええと、デートくらいした人は、いました。ご飯食べに行ったり、映画とか。でも、ちっとも楽しくなくて」
藤堂さんが眼を上げて私の瞳を覗き込んできた。安堵したような眼差し。さっきの私もこういう眼をしていたのだろうか。
「結局、ちゃんとつきあうとかそういうふうにならなくて。周りからはとりあえずつきあってみればいいじゃないって言われるんですけど、なんかダメなんですよね。手、握られたりすると、ああやっぱり嫌だなって思っちゃって」
私がそう言うと、藤堂さんが突然私の手をギュッと握ってきたので、心臓がドキンと跳ね上がった。
「藤堂さ・・・」
「俺の手は、平気か?・・・握られても、嫌じゃない?」
「・・・い、嫌なはずないです。だって、私・・・嫌だったら5年前にあんなこと藤堂さんに頼みません」
私は頬が真っ赤に染まるのをどうすることもできずに俯いた。手を握られたままなので、胸のドキドキがまったく収まらない。逃げ出したくなるほど恥ずかしいのに、今すぐ抱きしめてほしくてたまらない。
「庄野・・・」
藤堂さんが私の手をそっと引き寄せようとしたとき、庭先でガッシャーン!!とすさまじい音が鳴り響いた。私たちは同時にビクッと飛び上がり、慌てて繋いでいた手を離した。
「何か、飛んできた?!割れたみたいな音がしたな」
「植木鉢は全部しまったんですけど・・・!」
「ちょっと見てくる。ここにいろ」
藤堂さんは急いで立ち上がり、居間の雨戸を細く開けて身体を滑らせるようにして縁側に出た。風が凄くて、カーテンが勢いよく舞い上がる。引き出しから懐中電灯を取り出して、私も窓辺に駆け寄った。
「大丈夫、これだよ」
どこかの家から飛んできたブリキ製の大きなじょうろが、物置か雨戸に当たったらしく庭の敷石の上に転がっていた。ぶつかったせいか形がへこんでいる。私はゴミ袋を一枚持ってきて、藤堂さんが拾い上げたじょうろを中に入れ、玄関に持っていった。玄関の戸もガタガタと激しく揺れていて、この轟音の中、はたして今夜は眠れるだろうかと心配になった。
そのまま私は食事の後片付けに取り掛かった。藤堂さんは家中の雨戸を確認し、念のために玄関扉などのガラス部分が割れないよう、会社から持ち帰った養生テープを貼って補強してくれた。私の部屋の窓も確認してくれ、自室を見られるのは恥ずかしかったけれど、やっぱりこんな夜に藤堂さんがいてくれてものすごく心強かった。
夜10時を過ぎ、藤堂さんはようやく明日からの出張用にワイシャツや下着の替え、必要な資料などをキャリーバッグに詰め始めた。途中で社長から電話がかかってきて、明日の時間のことで指示を受けている。
「明日、いつもより出るの早いんですか?」
電話を終え、詰め終わった荷物を居間の隅っこに置いている藤堂さんに尋ねた。
「うん。台風は今夜中に抜けるから飛行機はたぶん問題なく飛ぶだろうけど、空港に着くまでの電車がな。時間読めないから、社長が早めに出ようって。俺は勝手に出てくから、庄野は気にしないでいつもの時間まで寝てろよ。たぶん今夜は外がうるさくて寝不足になるだろうから」
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さっきあんな雰囲気になって気持ちが通じあう感覚があったのに、こんなにあっさり寝ちゃうんだ・・・。そりゃそうよね。藤堂さんは明日から出張で早いんだし・・・。
分かってはいるけれど、やっぱり少し落胆する気持ちになる。私ったら何を期待しているのだろう。おやすみのキスくらいしてくれると思ったのだろうか?
私は藤堂さんに「おやすみなさい」と告げると、自分の部屋に引き上げた。
雨風の音が激しすぎてまったく眠れない。
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以前台風が来たときはどうしたんだっけ・・・。そうだ、今藤堂さんが使っている和室で寝たんだった。あの部屋だと縁側があるおかげでダイレクトに風雨が当たらないので、私の部屋よりもだいぶ静かなのだ。
「参ったなぁ・・・」
これじゃ台風が通り過ぎるまで眠れそうにない。しかも夕食時に藤堂さんと交わした意味深な会話や手を握られた感触が蘇ってきて、胸の奥がせつない疼きに翻弄されている。
はあっ・・・と大きな溜め息をついて寝返りを打ったとき、部屋のドアをノックする音がしたのでびっくりした。
「庄野、起きてるか?・・・開けてもいいか?」
遠慮がちな藤堂さんの声に、胸がドキッと音をたてる。
「あ、起きてます!大丈夫です」
私がベッドから急いで身体を起こした数秒後に、遠慮がちにドアが開いてスウェット姿の藤堂さんが顔を覗かせた。
「あ、やっぱりこの部屋すごい音だな。これじゃ眠れないだろ」
「えへへ。ちょっとすごいです。風の向きがちょうどこっちなんですよね」
「・・・おまえもこっちに来い。和室で寝ろ」
「えっ、でも・・・」
「いいから。俺はソファで寝るから、俺の布団を使えばいい。ほら、おいで」
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