愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

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 ミレーが帰ってきたという知らせを門番から報告を受けた父・アレンが取り乱した形相で屋敷から飛び出してきた。
 アレンは執事長の差した傘に守られながら、表門まで走ってきた。
「ミレー! おまえ、お前今までどこにいたんだ!」
 その荒ぶる口調と焦りを見せた様子から、心配されているのか怒られているのか分からず、ミレーが身体を強張らせた。
 そんなミレーを守るように、駆け付けたアレンとミレーの間へイリーが立った。
「なんだ、お前……は……、あ、いや、あなた様は……!」
 はじめはミレーとアレンより背の高いイリーが割り込んだことを訝しく思ったようだが、すぐにイリーの身に付けている鎧に王国の紋章が刻まれているのに気づいて、態度を改めた。
(わかりやすいな……)
 クローバー家のような地位の貴族が、王家直属の騎士に喧嘩を売るようなことがあれば、即刻領土も爵位も取り上げられることがあるからだ。
 イリーはそんな手のひらを返したアレンの態度を気にした様子もなく、淡々と述べた。
「おたくの令嬢が幽閉されていたのを保護し、お連れした次第です」
「は? 幽閉? 保護?」
 イリーの説明が理解できずにいたアレンに、淡々と説明が続けられた。
「こちらのミレー嬢は数週間前に下町へ行く途中で暴漢に襲われ、そのあとずっと『監禁』され続けていたようなのですが、昨夜騎士団が救出し、保護いたしました。あまりに怖い思いをされたのでしょう……落ち着くまで騎士団で保護し……」
「暴漢……!? 暴漢って、まさか身を犯される乱暴をされたんじゃないだろうな! ミレー、答えろ! どうなんだ!!」
「どうか落ち着かれてください」
 イリーがアレンをなだめるが、彼は聞く耳を持たない。ミレーは、自分に伸ばされた父の手が怖くて身を強ばらせた。
(ど、どうしよう……こ、このあと何を言うんだっけ……どうするんだっけ……?)
「ミレー!!!」
 父の怒声と雷鳴が強く轟いた音が重なり、ミレーは恐怖ですくみ上がった。
「ひっ……!」
 イリーはそんなミレーの様子を見て、「あまり乱暴なことはしたくなかったが……」と小さくつぶやき、鞘から抜き出した剣先をアレンに向けた。
「ッ!」
 さすがにそこまでされれば、冷静さを取り戻さないわけにはいかなかったようだ。
 だが、アレンの鋭い眼光はまだミレーを射抜いている。
 ミレーの身体がガタガタと震える。
(ダメ……早く言わないと、イリーさんに風邪を引かせてしまう……で、でも……でも……)
 自分の身体が恐怖で震えているのか、寒さで震えているのか、もうわからなくなっていた。
 呼吸が粗くなってきて、息が苦しくなってきた時、耳に不快な笑い声が届いた。
「やだぁ、お義姉さまったら、濡れネズミのように哀れな姿で、なに突っ立っているの~? あまりに小汚いから乞食かと思ったわ~!」
 アリサの声を聞き、パニックになっていたミレーの脳が、嘘のように冷静さを取り戻した。
(あぁ……そうだ。私は、こんな怖い場所から解放されるために、今勇気を出さないといけないんだった)
 目を閉じ、脳裏に愛おしい彼の姿を思い浮かばせてから、再度目を開いた。
「お父様。わ、私は……そこにいるアリサに頼まれた買い物の使いで下町に行く途中、三人の暴漢に襲われ、……は、辱めを、受けました……」
「……なん、だと?」
 雨の勢いが酷く、父の表情が窺いにくいが、声から怒気を感じる。
「……つまり、キズモノにされた、ということか?」
「はい」
 直接音がしたわけではないと思う。だが、ミレーの耳に、何かが『切れる』音がたしかに聞こえた。
「あはは、なにそれ、やだぁ、お義姉さまったら、そんな恥ずかしげもないことをぬけぬけとよくも伝えられたわね~! この恥知らず! キズモノになっただなんて、私だったら恥ずかしすぎて、自分の首を斬って死んだ方がマシだわ~! なんでのうのうと生きているの? 死ねばいいのに、この『あばずれ』」
 隣で話を聞いていたアリサが、癇に障る笑い方で、ミレーを楽しそうに指差した。
 そう仕向けた張本人が、ずいぶんと偉そうに高みから言うものだと、ミレーは感情なく思った。
「そうだ、アリサの言うとおりだ! このあばずれが! お前なんぞクローバー家の恥さらしだ! 死ね、死んでしまえ!!」
 雨の隙間からでも、父が激情で顔を真っ赤にしているのがわかる。
 ミレーでもわかったのだから、次にアレンがどのような行動に出るか、イリーもわかったのだろう。
「貴様が自分で死ねないというのなら、父が自ら殺してやる!」
 そう言うとアレンは執事長の持っていた傘を奪い、折りたたんだそれをミレーの顔面に向けて突き出してきた。
 だがそれを予想していたイリーの剣が傘を二つに切り裂いて、先端を失った傘を持っていたアレンを背負い投げして、地面に叩きつけた。
 ぬかるんだ地面に背中から叩きつけられたアレンは、わずかの間動きを見せなかった。
 傍らにいた執事長に手を貸してもらいながらよたよたと起き上がったアレンは、わなわなと身体を震わせてミレーを睨んだ。
「貴様を今日限りで勘当する! もうクローバー家の人間ではない! 二度とクローバーの姓を名乗ることも、この敷地に立ち入ることも許さん! どこへでも行ってしまえ! どこででも野垂れ死んでしまえ! この出来損ないが!」
 とても実の子どもに使う言葉ではなく、イリーは唖然としていたが、ミレーにとっては日常的な事なので特に気に留めることもなく、ただ丁寧に礼をしてイリーとともに屋敷を去った。
 トボトボとその場を立ち去るミレーの背中に、アリサの甲高い笑い声が投げかけられる。
「みじめなお義姉さま、さよ~なら~! どこかで元気に死んでよね~!」
 清々した、というように、名残惜しさなど欠片もない声だ。
 イリーがミレーの背後をじろりと睨みつけるが、豪雨でそれは伝わらないだろう。
 ミレーはイリーに守られるように走りながら、行路の脇道に停まっている、公爵家御用達の馬車まで戻った。
 ずぶ濡れで駆け走ってくる二人に気づいたグランとマルクが、すぐに馬車の中へ招き入れてくれた。
「ただいま」
 馬車に乗ったミレーが、にこりとグランたちへ微笑みかけ、差し出されたタオルで乱暴に髪の毛を拭いた。
「おい、オレが拭ってやるから。そんなに乱暴にしたら髪が傷……」
 グランの小言が一度止み、代わりに取り上げられたタオルで優しく頭を押さえつけられた。
「……ミレー。おかえり」
 グランの優しい声に、張り詰めていたミレーの気持ちが緩んでしまった。
「……ふっ、ぅぅぐ……ぅぇええええ……」
 止まらなくなった。
 あふれ出す涙は、グランが優しく押さえつけてくれているタオルに吸い取られていくが、それでもまだあふれ出し続けている。
 少しだけ期待していたと思っていた。
 暴漢に襲われたと聞いたら、父はミレーを心配して、涙を流して抱きしめてくれるのではないかと。
 だが、少しどころではないことを、ミレーは今知った。
 本当は、心の底から期待していたのだ。父が、自分を心配してくれることを。
 そして、アリサを叱ってくれることを。
 しかし父は、アリサの言葉に耳を傾け、一緒にミレーをなじり、挙句「野たれ死ね」とまで言われてしまった。
(私は……バカだ……)
 自分の甘さを反省した。
 そして、流れ出ていくたくさんの涙に、家族へ抱いていた期待を込めた。
 こんな感情は、こんな思いは、もう自分には必要ない。
 そう決意させてくれた父と義妹に感謝をし、ミレーはすっぱり諦めることが出来た。
「……グラン、ありがとう。もう大丈夫だから」
 わだかまりが無くなった心でグランを見つめると、彼も一度深呼吸をしてから、力強い笑みで見つめ返してくれた。
 泣き終えた頃には、先ほどまで強く地面を打ち付けていた雨水は嘘のように上がり、晴れた空には虹が浮かんでいた。
「おぉ! オレたちを歓迎してくれるみたいな天気だな!」
 空を見上げ、グランが子どものようにはしゃいで見せる。
「わぁ。綺麗……!」
 雨も止んだことで、馬車は安心して先を行けた。
 多少地面がぬかるんで、ガタガタと不安定な場面もあったが、さすが公爵家御用達というべきか、身体が傾くほどの揺れを感じることはなかった。

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