愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

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「じゃあ、喉も潤ったところで、食事にしよう」
 オリヴァーの父がそう言うと、すでに用意されていたのか、すぐにスープが運ばれてきた。
(え、飲み物の後に飲み物が出てくるの……?)
 それに、グランの家では、水とスープとおかずとパンは一緒に出てきたのに、ずいぶんともったいぶった出し方をするなと訝しんだ。
 そんなミレーの考えを察したように、オリヴァーがミレーに耳打ちをした。
「何から食べたらいいか迷わないように順番で出してくれるのと、出来たての料理が冷めないように、っていう配慮をしてくれているんだ」
「そうなのね……!」
 なるほど、と感心していると、ミレーの前にスープが運ばれてくる。
(スープなら、グランの家で習ったわ!)
 念のため、となりのオリヴァーたちの食べ方を見ると、やはり同じだったから、安心していつものとおりに食べた。
(あ、オリヴァーのお父様も綺麗な食べ方。みんな、すごいな……)
 でも自分も、それに倣うことが出来ているのではないかと思ったら、少し自信がついた。
 スープを食べ終えると、次はサラダが出てきた。
(サラダは、グランの家ではたまに、採れたての野菜が手に入ると作ってくれたなぁ。……あ、このサラダもすごく美味しい……)
 下町では食べたことのない野菜もあったが、どれも瑞々しくて美味しかった。
「…………」
 ふと、グランに会う前のことを思い出し、食べる手が止まった。
「ミレー?」
 その様子に気づいたオリヴァーが、ミレーに呼びかける。
「え? あ、ど、どうしたの?」
「なにか、悩み事か?」
 オリヴァーが心配そうにミレーを見つめる。
 心配されているのだ、と思ったら、胸の奥がくすぐったくなったが、ゆるく頭を振った。
「私、グランと会う前は、ごはんがこんなに美味しいものだなんて、思ったことがなかったから。……毎日美味しくない、って思いながら、それでも生きるために食べなくちゃいけないって思っていたから、頑張って口の中に押し込んでいたけど。ごはんって、こんなにあたたかくて美味しいものなんだなって、感動しちゃって」
 照れながらそう伝えると、オリヴァーは眉を下げながら笑った。
「そりゃあ、肉も野菜もそのまま食っていたんだから、こういう料理は新鮮だろうな」
 オリヴァーの発言に驚いてむせ出したのは、それまで神妙な顔つきで食事をしていたマルクとオリヴァーの父だった。
「え、なに、オリヴァー、待っ……。ミレー、君は生家で何を食べていたんだ?」
 マルクが水を飲んで落ち着いてから、動揺した声で問いかけた。
「え、だから、お肉とお野菜……」
「生で?!」
「だから、ちゃんと水に浸していました」
 前にもこんな質問をされた気がする。
 マルクとオリヴァーの父の反応は、その時と同じだった。
「……ごめんね、今日はお肉に変更。じっくり火を通したお肉を持ってきて。魚は明日にしよう」
 オリヴァーの父が隣にいた執事にそう告げると、執事は恭しく頭を下げてそれを厨房に伝えに行った。
「魚……?」
 ミレーが『魚』に反応すると、オリヴァーの父が申し訳なさそうな顔をした。
「あ、もしかして魚が食べたかったかな?」
「いえ、あの……魚って、なんですか?」
 その言葉に、オリヴァーの父がまた固まった。
「あー。下町は海のほうに面していないから、魚介類はまだ食べてないなぁ。魚食べたことないのか」
 オリヴァーは納得してくれたようだが、何故か彼の父はテーブルに突っ伏して泣き出した。
 その様子に驚いたが、オリヴァーが「気にしなくていい」と言う。無茶を言う。
(気になるって……)
 それを言うべきか悩みながらオリヴァーの方を向くと、彼を挟んで隣に座るマルクが、寂しそうな表情で微笑んでいた。
「……魚は美味しいから、是非明日食べてみるといい」
「魚って、食べ物なんですか。……楽しみです」
 食への興味が出てきたことに、一番驚いていたのはミレー自身だった。
 実家にいた頃は、毎日食事が憂鬱だったのに、今では毎食何を食べるのだろうとワクワクしている。
(これが幸せかぁ)
 そう、うっとりしていると、オリヴァーの父が泣くのをやめて、テーブルから顔を上げた。
「やっぱり魚にしよう! ミレーちゃんに魚を食べさせてあげたい!!」
 そうして立ち上がると、先ほど厨房へ向かった執事を追いかけて行った。
「忙しいな、あの親父は」
 オリヴァーが呆れたような声で呟いた。


 結局今夜は肉から魚になった。
 そこで、問題が発生した。
「…………」
 目の前に用意された、初めて見る魚という料理。
「白身魚のムニエルでございます」
 目の前に出される、白い大皿に乗せられた、実家で食べた肉とはまた違う物体に、ミレーは慄いた。
 食べるとき、大皿の両サイドにたくさん置かれたナイフとフォークとスプーンに困惑した。
(ど、どれを使えばいいの?)
 オリヴァーを見れば、彼は待っていました、と言わんばかりに手本を見せてくれた。
 彼は両サイドのそれぞれ外側から、一本ずつフォークとスプーンを取って見せた。
(なるほど、一番外側のフォークとスプーンを持つのね。……スプーン、いるの? フォークだけで良いのでは? そもそもスプーンって、デザートやスープ用じゃないの?)
 ミレーが困惑しているのを察したようで、オリヴァーがまた耳打ちして教えてくれた。
「これはフィッシュスプーンって言って、魚を食べるときにはこれを使うんだ」
 オリヴァーの助言は大変ありがたかった。
 しかし、使う道具が分かっても、食べ方まではこの場で教えることが出来ない。
 ミレーはさっそくオリヴァーとマルクの作法を見ながら、見よう見まねで食べようとしたが、柔らかい魚の身をうまく掬うことが出来ず、取りこぼしてしまう。
「ぁっ……」
 下町ではお肉を食べるとき、グランが細かく一口大に切ってくれたので、フォークで突いて食べるだけで簡単だった。
(魚ってこんなに食べにくいの……?)
 苦戦するのを見かねてオリヴァーが手を貸してくれそうな気配を察したが、今このような場所で教えてもらうのが恥ずかしい気がして断った。
「誰だってみんな最初は初心者なんだから、恥ずかしがらずに頼れよ」
「は、恥ずかしがってない……」
 苦戦しながら答えるミレーに、オリヴァーが呆れた。
「じゃあなんで頼らないんだよ」
「こ、これは、私が自分で解決することだと思うから……!」
「あほじゃねえの」
「う、うるさい……!」
 しかし、いくら偉そうな口を叩いても、魚を食べることが出来そうにない。ボロボロとフォークに乗せることが出来ない魚がさらに落ちていく。
 無様な気持ちが募り、ミレーは食べるのを諦めようと、フォークとスプーンを置こうとした。その時。
「あっ……あぁぁぁあ」
 向かい側の席から、情けない声があがった。
 ふと顔を上げて見ると、オリヴァーの父が、ミレーより不器用なフォークとスプーン使いをして困った表情を浮かべていた。
「ボク魚料理の作法って本当に苦手で……難しいよね、コレ。ごめんね」
 申し訳なさそうに謝られたが、ミレーのほうが一層慌てた声で謝った。
「も、申し訳ございません! 苦手なのに、私のために用意をしてくれて……」
「全然謝ることじゃないよ。魚は美味しいんだよ。ボクの作法が上達しないだけ。……やっぱりいつもどおりスプーンだけで掬って食べちゃおう!」
「え、そ、それで良いんですか……?」
「我が家だから別にいいよ~。ミレーちゃんも気にしないで、食べやすいふうに食べて良いんだよ~」
「…………」
 信じられないという気持ちで、オリヴァーの父を見つめていた。
「ほら、不器用な父上も言っているように、自由に食べて良いんだよ。もちろん、これからよそで食べる機会もあるから、作法はこれから学んでいくが、今日は自由に食べろ」
 オリヴァーもそう言ってくれたが、本当にこのような食べ方をして良いのだろうかと困っていると、背中を押すようにオリヴァーが続けた。
「当主がそれで良いって言っているんだから、それで良いんだよ」
「……たしかに!」
 力強く頷くと、オリヴァーはようやく安心したように笑みを浮かべた。
 オリヴァーの父にも頭を下げた。
「ありがとうございます、オリヴァーの御父君」
「その、オリヴァーの御父君って他人行儀すぎない? ボクはクラウド、クラウド・グランディアって言うんだ。だから、クラウドお父様って呼んで良いよ~」
「く、クラウドお父様……?」
「うん、ミレーちゃん!」
「……おとう、さま……」
「ミレーちゃん?」
 視界が歪んでいく。
「ミレー?」
 オリヴァーの父・クラウドとマルクの心配そうな声が聞こえる。だが、視界が揺らいで、二人の顔が見えない。
「……おとうさま」
 お父様、と呼んで、このように優しく呼び返してくれる。そのような関係を、ずっと求めていたのだとわかった。
 それが、実の父とはもう叶わないと感じたのと同時に、実の父ではないけれど、愛情をこめて名前を呼んでもらえたことが嬉しくて、ミレーの心が乱れていた。
「ミレー」
 あふれ出す涙を止めるように目をつむっていると、優しい声に呼びかけられる。
 ミレーは迷わずその声の主の胸にしがみついて、彼の名を呼びながら泣いた。
「オリヴァー……オリヴァー!」
「……おい、クソ親父! 何ミレーを泣かせているんだよ!」
 オリヴァーの声が、クラウドを叱りつける。
「え、えぇぇ? ボクが泣かせちゃったの? ご、ごめんね、ごめんねミレーちゃん」
 クラウドは悪くないと言いたかったが、声にならなかった。
 ただ頭を振り続けるミレーの頭を撫でながら、オリヴァーがクラウドを呼んだ。
「謝るより、ミレーの頭を撫でてやってくれ」
(え?)
「え、いいの……?」
 対面時は、ミレーに触れることさえ威嚇して嫌がったオリヴァーが、何を言っているのだろうと理解できずにいた。
「今回だけでいいから……」
 なんだかイヤイヤという感じのオリヴァーの声の後で、ミレーの頭に、オリヴァーの厚さとは違う手のひらが添えられ、優しく髪を撫でられた。
「ごめんね、ミレーちゃん。きみを傷つけるつもりはなかったんだよ」
 それは、ずっと実父にかけてもらいたかった言葉だった。
 一生叶わない夢を、父になるかもしれないクラウドに叶えてもらった。
 その瞬間、ミレーの中にわずかに残っていた実父への想いは、完全に断ち切れた。

(私の父は、この人だ……)

 そう、思った。

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