幸せな存在 ~歩み寄る恋をしよう~

志生帆 海

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成就編

夏便り 11

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「お母さん、疲れませんか」
「大丈夫よ。瑞樹くんこそ疲れたでしょう」
「僕は大丈夫です」
「ふふっ、そのスーツ似合っているわね」

 お母さんが皺の深い手で、僕の頬をそっと優しく撫でてくれた。

 その仕草と指先から伝わる熱に……わが子に触れるのと寸分も変わらない愛情を感じ、胸の奥がぐっと熱くなった。

 だから……瞼を閉じて、その感触を存分に堪能した。

「ありがとうございます。お母さんに褒められるの……嬉しいです」
「まぁ本当に可愛い子ね。もっともっと甘えていいのよ」
「……はい」

 退院したばかりのお母さんの心に負担を掛けたくなかった。だからありったけの真摯な気持ちを、心を込めて……僕という人間の全てを伝えようと努力した。

 その願いが通じたのか、憲吾さんと美智さんに受け入れてもらえて本当に良かった。

 こんなにすべて上手くいくとは、正直思っていなかった。現実社会はもっと厳しい事を、僕は知っている。

「お母さん、昼食の後は少し休まれてくださいね」

「ありがとう。そうするわ。そうだ、浴衣のある場所だけ教えておくわ。本当は私が着付けてあげたかったけれども流石にやめておくわ。だから美智さんに、お願できるかしら」

「えぇお義母さん。私に任せて下さい」

「頼んだわ。夕方になったら、あなたと芽生の浴衣姿を見せてね」

「はい!」


****

 昼食にそうめんを食べたあと、母さんが少し横になりたいといったので、和室に布団を敷いてやった。その足で、義姉さんと浴衣を探しに納戸を覗いた。三段の引き出しの桐箪笥に、浴衣は綺麗に畳まれてしまってあった。

「あったわ、これね。『宗吾さんへ』って書いてあるわ」

 白地に藍色の模様。すっきりとした清涼感があって、確かに瑞樹に似合いそうだ。

「こんな浴衣あったのか。記憶にないな」
「もったいないわね。一度も袖を通していないなんて」
「……母さんに悪いことしたな」
「宗吾さん、今からでも遅くないわよ。あとは芽生くんの浴衣はこっちかしら。あら? 何枚もあるわ」」
「ん? それは随分大きいようだが」

 広げて見せてくれた浴衣には見覚えがあった。楊柳生地の茶色の浴衣や、しじら織りの紺地と、シンプルだが質の良さそうなものばかり。

「誰のかしら」

 義姉さんは首を傾げていたが、俺には分かっていた。

 これは……亡くなった父のだ。

 そういえば家でよく和装していたな。夏場はもっぱら浴衣で過ごしていた人だった。

 父は学者肌で気難しくて、兄とは話があっても俺とはいまいちで、よく喧嘩したんだよな。手は出さなかったが、汚い言葉で反抗したり、あーぁ俺もとんがって若かったな。まさかあんなに早く呆気なく逝ってしまうとは……今になって後悔しているよ。

「そうか……これ、お義父さんのね」
「そうだ」
「ねぇ、ちょうど二枚あるから、憲吾さんと宗吾さんとで着てあげましょうよ」
「え!!」

 後ろで様子を伺っていた兄さんも、大きな声を上げた。

「今日はお盆のお迎え日だし喜ぶわよ。兄弟仲良く着ている所を見せてあげたら」
「う……分かったよ」

 兄弟で父の浴衣を着るなんて恥ずかしかったが、確かに今日からお盆だ。それが供養になるのなら……新盆でもないので服装も自由だしな。

「宗吾さん、盆棚の準備もありがとう。仏壇のお花は瑞樹くんが生けてくれたのね」
「あぁ」
「あなたたち、連携プレーがいいわね。あ、芽生くんのはこれね。うふふ、小さくて可愛い」

 それから義姉さんに一人ずつ並んで浴衣を着せてもらうことになり、少し照れくさかった。

 ぞろぞろと母さん見せに行くと、とても嬉しそうに笑ってくれた。

「まぁまぁ皆、浴衣になって……あぁよく似合うわ。滝沢家の一族って感じでいいわね。それは全部私の手作りの浴衣なのよ」

「お母さん、とても気に入りました」
「おばあちゃん、見てー」

 瑞樹が芽生と一緒にソファに座っている母の前に近づくと、母は彼の浴衣を懐かしそうに見つめて生地に触れた。

「傷んでなくてよかったわ。今見たら、まるで瑞樹くんのためにあつらえたみたいね。この浴衣は『花流水』という模様なの。花と水の柄が、あなたにぴったりよ」

「あ……確かに。嬉しいです」

 花を愛する瑞樹にぴったりの、静かな流れの優美な模様だ。

 でも、花柄なんて俺には似合わないだろう。だから着なかったのか。記憶になくてすまん。母さん。

「おばーちゃん、ボクはどう? パパの小さい時とにてるかな」

「芽生、とっても似合っているわよ。あなたは本当に宗吾の小さい時に似ているわね。その溌溂とした好奇心旺盛な大きな瞳。おばあちゃん、大好きよ」

「ボクもおばーちゃんのことがダイスキ!」

 兄さんが仏壇や盆棚の前に盆提灯を灯し、庭先や玄関先で迎え日として麻幹(おがら)を炊いてくれた。

「さぁそろそろお迎え日をしましょうか」
「あぁ」

 皆、浴衣姿で玄関先に集まった。

 瑞樹はお盆の行事を知らないようなので、簡単に意味を教えてやった。

 何事も意味を知ってからの方が、身が入るだろう。

「瑞樹、お盆は『盂蘭盆会(うらぼんえ)』を略したもので、夏のこの時期に行われる先祖供養の儀式だ」

「はい!」

「先祖の霊があの世から戻ってきて、また天に帰っていく日本古来の信仰と仏教の行事が結びついたもので、今から行うのが『迎え火』だ」

「そうなんですね。実はさっきから気になっている事があって……お供えしてあった胡瓜で作った馬と茄子の牛にも、何か意味がありますか」

「あぁそれは……芽生も聞いておけ。胡瓜と茄子には、先祖の霊が馬に乗って一刻も早くこの世に帰ってきて欲しい。そして戻る時は牛に跨ってゆっくりと戻って欲しいという願いが込められているそうだ」

「なるほど、ひとつひとつの事柄に意味があるのって、感慨深いですね」


 そうだ。

 ひとつひとつの事柄に意味がある。

 今日、お盆という大切な時間を、こんな風に父の浴衣を着て迎えている事も、瑞樹が家族の一員となってこの場にいるのも……

 全部、後から考えたら、きっと意味があるのだろう。

 だからこそ、大切に過ごしたい。

 瑞樹と過ごす一瞬一瞬を、後悔がないように過ごしていきたい。

「宗吾さん、僕は……この場に溶け込んでいますか」
「あぁ、しっくりとな」
「……よかったです」

 浴衣姿の彼は、至福の時をかみしめるように空を見上げた。

 茜色に染まる夕空に立ち上る煙の彼方を見つめて──

 夕日に照らされた彼の横顔は、趣が深く優美だった。

 

 
 
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