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夫の口から漏れたその小さな呟きに、凌家の夫人は目を丸くしました。
こんなことなら。
その言葉に続く台詞が、彼女には容易に想像がついてしまいました。
「こんなことなら……なんだって……?」
夫人の声が震えます。
凌家当主は失言に気が付いたように口を噤みましたが夫人の嘆きは止まりません。
「あたしが何のために……っ全部、この家のためだってのに!あんたが頼りないから!」
「自分のためだろう!」
夫が初めて声を張り上げました。その声の震えには、明確な怒りが混じっています。
傍聴人たちも、突然の内輪揉めに声をひそめました。
「お前はいつもそうだった。家のため?笑わせるな。お前は自分の虚栄心を満たすためだけに動いていた!家のためなわけがあってたまるか……息子の離縁した女の金を盗んでいただと?それでどうなったんだ、言ってみろ!家を守るどころか、泥を塗っただけではないか!」
「あ、あんた……」
「こんなことなら本当に、お前など選ぶのではなかった……!」
夫人の顔がゆがみ、目から涙が溢れます。けれどもそれは悲しみからくるものではなく、自分を正当化できない黒い怒りと悔恨から来ているものでした。
「あんた、よくも……なんてことを……」
コホン……
張り詰めた空気の中、小さな咳払いが響きました。
「申し訳ありませんが、そういった話は内々にお話してくださいませ」
蘭珠の声です。
彼女は呆れたような視線を凌家の人々に向けました。
自分を切り捨てた元婚家の醜い争いに辟易としていたのです。
「あなた方の事情など、私にもここにいる誰にとっても関係のないこと。それに、まだ話が終わったわけではありません」
言葉に詰まる夫人をよそに裁定人が宣告します。
「彼女の訴えを全面的に認める。凌家には持参金の返還、および不正使用に対する罰金の支払いを命じます。通達する書状に従って速やかに……」
夫人の耳に入る音が、急にゆがみを伴い始めました。
裁定人の声が遠くで響いています。
全額返還。罰金。
「な……何を……」
夫人がふらりとよろめきます。
「……何をも何もない。お前がもたらした結果だ……」
夫が吐き捨てるように言いました。
がくりと、夫人がその場に膝を落としました。まるで魂が抜けてしまったかのように。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい……こんなことが許されてたまるもんですか……あたしは……あたしは……」
ブツブツと繰り返される低い声のつぶやきには、誰も耳を貸そうとしません。
傍聴席からは冷ややかな声が聞こえてきます。
「自業自得……」
「当然の報いだろ……」
片方の席からは、ただ蘭珠のため息のみが響きました。
こんなことなら。
その言葉に続く台詞が、彼女には容易に想像がついてしまいました。
「こんなことなら……なんだって……?」
夫人の声が震えます。
凌家当主は失言に気が付いたように口を噤みましたが夫人の嘆きは止まりません。
「あたしが何のために……っ全部、この家のためだってのに!あんたが頼りないから!」
「自分のためだろう!」
夫が初めて声を張り上げました。その声の震えには、明確な怒りが混じっています。
傍聴人たちも、突然の内輪揉めに声をひそめました。
「お前はいつもそうだった。家のため?笑わせるな。お前は自分の虚栄心を満たすためだけに動いていた!家のためなわけがあってたまるか……息子の離縁した女の金を盗んでいただと?それでどうなったんだ、言ってみろ!家を守るどころか、泥を塗っただけではないか!」
「あ、あんた……」
「こんなことなら本当に、お前など選ぶのではなかった……!」
夫人の顔がゆがみ、目から涙が溢れます。けれどもそれは悲しみからくるものではなく、自分を正当化できない黒い怒りと悔恨から来ているものでした。
「あんた、よくも……なんてことを……」
コホン……
張り詰めた空気の中、小さな咳払いが響きました。
「申し訳ありませんが、そういった話は内々にお話してくださいませ」
蘭珠の声です。
彼女は呆れたような視線を凌家の人々に向けました。
自分を切り捨てた元婚家の醜い争いに辟易としていたのです。
「あなた方の事情など、私にもここにいる誰にとっても関係のないこと。それに、まだ話が終わったわけではありません」
言葉に詰まる夫人をよそに裁定人が宣告します。
「彼女の訴えを全面的に認める。凌家には持参金の返還、および不正使用に対する罰金の支払いを命じます。通達する書状に従って速やかに……」
夫人の耳に入る音が、急にゆがみを伴い始めました。
裁定人の声が遠くで響いています。
全額返還。罰金。
「な……何を……」
夫人がふらりとよろめきます。
「……何をも何もない。お前がもたらした結果だ……」
夫が吐き捨てるように言いました。
がくりと、夫人がその場に膝を落としました。まるで魂が抜けてしまったかのように。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい……こんなことが許されてたまるもんですか……あたしは……あたしは……」
ブツブツと繰り返される低い声のつぶやきには、誰も耳を貸そうとしません。
傍聴席からは冷ややかな声が聞こえてきます。
「自業自得……」
「当然の報いだろ……」
片方の席からは、ただ蘭珠のため息のみが響きました。
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