もう、愛はいりませんから

さくたろう

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兄の秘密

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 “領地に下がれ”
 という命令が、ほどなくして父から下った。ルクレティアがリーヴァイへ喚いた妄言と、気絶の噂が広まったらしい。

 断る理由はない。以前の自分だったら恥と思い、オーウェンと離れたくもなく、抵抗したかもしれないが、今の自分はそうはしなかった。領地に戻る馬車の中で、ルクレティアは思った。

(これは良いことかもしれないわ。わたしの評判は最悪でしょうけれど、後釜に据えられるフォルセティ家の娘はたくさんいる。アリシア様とオーウェン様が恋に落ちていく様子を見なければ、わたしだって嫉妬することないもの) 

 馬車に乗り込む前に渡された手紙が、がさりと音を立てる。ソフィーからのものだった。開くと彼女らしい丸い文字で、短い文章があった。

 “ルクレティアへ
 貴女にかけられた魔術を解くために研究を続けるわ。少なくとも魔術は貴女の体に害を及ぼそうとしているものじゃなくて、記憶の操作だけが目的のよう。だからどうか心配しないで。それから、腕輪を同封します。護りの魔力を込めたから、あなたの身を守ってくれると思うわ。また手紙を書きます。
 ソフィーより
 追伸――結婚生活よりも貴女の魔術を解く方が面白いわ。王都にしばらくは留まる予定”

 確かに見事な装飾が施された金の腕輪が入っていた。魔力を貯めることができるものだ。既に相当量の魔力が入っているが、きっとソフィーのものだろう。
 ふふ、と笑い、手紙を閉じる。その時、手紙に重なるようにして、もう一枚が入っていることに気がついた。
 開き、それが誰からのものであるか気がついて、書かれた文章を、何度も何度も読み返した。

 “ルクレティアへ
 俺が何かをしてしまったのなら心から謝罪する。すまない。
 必要なものがあれば言ってくれ。いつだって届けに行く。
 また前のように会えることを願う。
 どんなときもルクレティアを大切に思っている。
 兄より”
 
 手紙の文字までには、恐怖を抱かなかった。ソフィーが気を利かせ、一緒に入れたのだろう。

(兄様……。兄様は、何も知らずにわたしに嫌われてしまったと思っているんだわ。わたしは最低よ。兄様はただ、わたしを心配してくれているのに)

 罪悪感が募った。結局王都にいる時に、兄とは一度も顔を合わせなかった。彼が遠慮していたためだ。
 はあ、とため息を吐いてルクレティアは手紙から顔を上げ、リーヴァイのことを考えた。

(そういえば兄様は結婚しないのかしら。年下のソフィーに先を越されてしまって、大丈夫なのかしら)

 兄は顔も精悍で、長い見事な黒髪は漆黒の夜のように艷やかで、背も高く、才能もあり身分も申し分ない。
 だが浮ついた話はないし、両親も彼に無理に結婚を勧めるような真似はしていない。ルクレティアは幼少期にすでに婚約者がいたにもかかわらず。

 ――兄様は自由でずるいわ!

 幼いルクレティアは、度々兄にそう文句を言った。そういう時、兄は困ったように笑いながら、ルクレティアの頭を撫でただけだった。
 彼の浮ついた話は聞いたことがなかった。気の多いオーウェンとは違い――。

(あれ……? どうしてオーウェン様が違うなんて思うのかしら。彼が浮気したことなんてないわ。誠実な人なのに)

 自分はやはり、おかしいのかもしれない。名目として使われた療養だが、気分が落ち着くまで一人になるのは悪い考えではないように思えた。

 両親の許しが下りるまで、領地で過ごすことになっていた。少ない使用人の他には自分だけ。だが衣食住には困らないし、領地は自然に囲まれていた。美しい風景のあるこの土地は懐かしく、王都で感じた恐怖を覆い隠してくれる。

 数日の間、屋敷の中で本を読んだり、刺繍をしたりしながら過ごしていた。幼い頃に王都へ行って以来の、数年ぶりの帰郷だった。穏やかな暮らしに心は慰められ、すぐにこの生活が気に入った。
 そうしてある晴れたその日、ルクレティアは庭を散歩しようと考えた。

 広大な領地を持つフォルセティ家のお屋敷の庭はやはり広く、森と言っても過言ではない。幼い頃は一人で出歩くことを禁じられていた。だからいつも、リーヴァイと一緒に遊んでいた。小さなルクレティアは兄が大好きで、いつも後を付いて回った。兄はそんなルクレティアを嫌がるでもなく側にいさせてくれていた。
 領地のどこにだって、彼との思い出が溢れていた。離れている今、彼に対して抱くのは恐怖ではなく、ゆるりとした愛情だった。

 やがて森の中に、その小屋が見え、ルクレティアは目を細める。

(懐かしいわ。兄様といつも、この場所を秘密基地にしたんだっけ)
 
 猟師の休憩所兼道具入れのために作られたようなその小屋は古く、使われてはおらず、子供たちの格好の隠れ場になっていた。
 ルクレティアは扉に手をかけた。鍵はかかっていなかった。
 ぎいと、鈍い音を立てて、木製の扉は開く。中には当時のままのおもちゃや子供の頃の宝物が散乱していた。

(ここで遊ぶの、楽しかったな。わたしは兄様のことが大好きで、彼と結婚するんだって何度も言っては、困らせていたわ。困りながらもわたしの頭を撫でてくれる彼のことが、やっぱりとても、好きだったんだわ)

 二人して王都に行ってからは、少しだけ疎遠になってしまったが、仲は悪くはなかったはずだ。
 ドレスが汚れるのも厭わずに、埃まみれのその床に、ルクレティアは座った。

(もしずっと領地で暮らすことができれば、わたしは誰かを憎むことも、憎まれることもなかったのかしら)
 
 悲しみに心が支配されそうになり、慌てて首を横に振る。今のルクレティアは、誰かを憎むことも、憎まれることもないはずだった。
 
(兄様の持ち込んだものは魔術書がほとんどだわ。わたしも真似して魔法を出しては失敗して、兄様に笑われたんだっけ。そういえば、わたし、ここで日記を書いていたわ)

 兄が魔術書を読む横で、その日の出来事を、絵や文字にして遊んでいた。あの日記はまだここにあるだろうか。
 ちょっとした好奇心が疼いて、ルクレティアは立ち上がる。日記は、魔術書の下に置かれており、すぐに発見できた。古び、黄ばんだ紙だったが、文字は読める。
 手に取ると、何かが床に滑り落ちた。
 白い、薔薇の押し花だ。昔からリーヴァイは、この花をルクレティアにくれていた。ルクレティアはそれを大事にしておきたくて、たくさんの押し花を作ったのだ。もう、遠い昔の話だった。

 自分はどんなことを書いたのだろうと、日記帳をめくり始める。多くは、何気ない日常だ。使用人の話や、料理の話。

 “リーヴァイが白い薔薇をくれたから、とても好きな花だと言っておいた。そうしたら、いつもそればかりくれる。ほんとはそこまで好きな花じゃないのに。でも、嬉しい。リーヴァイ、だいすき”

 思い出に目を細めなら当時の日々を辿っていると、あるページで目が止まり、そうしてそこから動かせなくなった。

「どういうこと?」

 思わず、口から言葉が出た。日記帳には、こう書かれていた。
 
 “新しく来たリーヴァイは、泣いてばかりいる。わたしが守ってあげなくちゃ。だって兄さまになるんだって。血がつながっていないのは、秘密なんだってお父様はおっしゃっていた。だから、みんなには、ひみつ”

 瞬間、ルクレティアの脳裏に、ある場面が蘇る。立ち尽くす兄に、泣きながら縋り付く自分の姿。
 リーヴァイの顔が苦渋に歪む中、ルクレティアは、はっきりと言った。

 ――わたしは、リーヴァイ兄様を、愛しているの。男の人として、好き……。

 震える手から、日記帳が滑り落ちた。

 知らないはずの記憶だった。リーヴァイに愛の告白をしているなんて、あり得ない。だって日記を読むまでは、彼が実の兄だと信じて疑っていなかった。兄として、彼が好きだった。そのはずだ。
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