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終章 水都に湧く想い
第55話
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「もう済んだのか?」
「はい。ありがとうございました。郡司佐也加副本部長」
約束通り佐、也加は階段の前で待っていてくれた。
降りてきた階段に足をかけると、数段先を上る佐也加が訊いてきた。
「美堂俊助はどうなった?」
「知っていたんですか!?」
冬鷹は思わず足を止める。誰にも話してはいないはずだ。
「貴様と雪海が何故死ななかったのか解るか?」
「え?」
度重なる質問。唐突な話の流れに冬鷹は戸惑い、とうとう言葉を失う。
「リンクした状態で貴様の心臓が止まればウンディーネの〈暴走〉は確かに止まる。だが、ウンディーネが完全停止しては雪海の身体も停止する事になる。
つまり、あの状況で別の要因が働いていた事になる。考えられるのはあの時、ウンディーネの中にいたもう一つの存在」
全身の毛穴から冷や汗が噴き出すのが判った。
ウンディーネの〈暴走〉を止める――その事に集中するあまり考えが及んでいなかった。
佐也加の言葉通り、あのとき、もしかしたら冬鷹の心臓と共に、ウンディーネごと雪海の命も止めていたかもしれない。
「俺、そんな――、」
「今のはあくまで、これまで〈アドバンス流柳〉について判った事を元にした憶測にすぎん。〈ERize-47〉や〈金剛〉の威力の兼ね合いで、都合よく貴様の心臓を『弱らせる』に留めた可能性も否定できない。それに貴様が死しても、心の臓が止まる瞬間までリンクし続けていられるかもわからない」
フォローしてくれたのだろうか――いや、違う。これは佐也加にとって包み隠さない事実でしかないのだ。
「ただ、これもあくまで憶測――いや、想像でしかないが。あのとき、貴様の心臓が止まりそうだった。その寸前、暴走が納まり、主導権を取り戻した俊助氏が、今度は貴様の心臓に己を同調させる形で貴様の身体に乗り移ったのではないか――私はそう考えた。
〈霊〉とは〈魂〉、〈魂〉とは〈生命子〉の特異集合物、〈生命子〉の偏りとは〈異能〉――そう捉える事もできるのではないだろうか、とな。もっとも、〈霊〉や〈魂〉について私は明るくはないが。
ただ事実、〈霊視〉を使える隊員により、冬鷹の身に宿る霊の存在を確認した。状況から考えて美堂俊助で間違いないはずだ」
淡々と紡がれた説明に納得すると、冬鷹は急いで佐也加を追い駆けた。
「だから、俺が伊東怜奈と話したいって言った時、あっさりと認めてくれたんですか?」
「詳しい意図など想像でしかない。だが、大切な事なのだろうと思っただけだ」
佐也加にしてはどこか情緒的な答えで、冬鷹はほんの一瞬呆気に取られた。
だが当の本人にはそんな自覚は無いようで、普段通りただただ凛然としていた。
「それで、兄と会わせてやったのか?」
「……いえ。俊介さんがそれを望んでいなかったので、」
冬鷹は怜奈と話したこと、そして俊助と話した事を伝えた。
「そうか。聡明さは相変わらずだったか」
「俊助さんのこと知ってるんですか?」
「直接話した事はない。学年が違う故か話す機会もなかった。だが美堂俊助が神童と呼ばれていたという事実は、一学年下の私の耳にも届いていた」
懐古の念を感じさせぬ淡々した口調だ。しかしそこには確かな敬意が感じられた。
「実技面こそ良い結果は残せていなかったようだが、彼が中等部一年時の夏休みの際に自由研究で提出したレポート『氷冷系異能の統一化および異能具による再現』は、大学院生の論文と比較しても遜色ないと言われていた。実際、先日私も目を通したが、中学生が書いたとは俄かには信じがたい程、緻密な考察と独創的且つ高度な思考におけるアイディアだった」
「氷冷系異能の統一化および異能具――それって今回使われたあの水晶ですか?」
「根本的なコンセプトは同じものに思えた。しかし実践的な完成度は此度のものが遥かに上だ」
「じゃあ、俊介さんが中学生の頃のものから更に手を加えて、それを怜奈ちゃんが作った――って事ですか?」
「かもしれん。あるいは伊東怜奈がレポートを元に兄の研究に手を加えたか――どちらにしろしろ驚くべき兄妹だという事だ」
口調こそ淡々としているが、佐也加が驚いているという事実に、冬鷹は衝撃を受けた。
「氷冷の〈精製〉〈造形〉〈操作〉、それに魔素子貯蔵をも付与。さらに高い〈制御性〉〈出力〉。その上、使用も容易で、高い実践値が見込める。問答無用の[A]ランク異能具だ。それを量産できるほど完成した理論と設計を形にしたのだから、末恐ろしいと言わざるを得ん」
「郡司佐也加副本部長ほどの方でもそう思われるんですか!?」
それだけで、いかに俊助と怜奈が才に溢れる兄妹だったか伺い知れる――いや、計り知れなくなった。
しかし、佐也加は静かに首を横に振った。
「私などまだまだ未熟だ。家族の事では冷静さを欠き、判断を遅らせ、あまつさえ冬鷹――弟に妹と街の運命をかけた天秤を委ねた」
「姉さんは、〈アドバンスト流柳〉でウンディーネを止められるかもしれないと解ってたんだね」
思えばあの橋の上で佐也加が言った言葉。
『我ら特別編成部隊が雪海を殺すか。それとも貴様自身の手で終わらせるか。貴様が選べ。他の者には邪魔をさせない』
――佐也加は冬鷹に「殺せ」とは決して命令しなかった。
それに、冬鷹ですら気付けたのだ。〈アドバンスト流柳〉の事を――冬鷹の事を最も真剣に見てくれている佐也加ならば、気が付かぬはずがない。
「なんで、あの時に直接言ってくれなかったの?」
「妹を救うために、弟に命をかけさせるような言葉など、口にできるはずがなかろう」
佐也加の言葉がじんわりと冬鷹の心に温かく沁み込む。
なんとも、意外――素直にそう思ってしまった。
だが、どこか分かってもいた。
佐也加は凛々しく、時に淡々とし、厳しい。
言動は常に、情よりも理を優勢している。
しかし、それは全て他者への優しさから来ている。
街を守るのは、街に住む人々のため。
隊員に厳しいのは、隊員の命を繋ぐため。
冬鷹に一際厳しいのは、冬鷹と雪海――家族のため。
階段を上り地下一階へと着いた。冬鷹はこの階に残り、佐也加は軍の仕事で一階へ向かう事となっている。
「冬鷹、貴様はよくやってくれた。上官としては述べる事はできない。だが姉として感謝を伝えたい。妹を、街を、私の大切なもの全てを救ってくれてありがとう」
「そっ、そんな、俺は――みんなが助けてくれたから、」
「謙遜などいらぬ。貴様の意思がなくば、誰も付いては来なかった。そうではないか?」
「そう、なのかな?」
「奢る事なかれ――それもまた一つの道か。貴様の場合それが合っているのかもしれぬ」
佐也加は悩む弟に背を向け、ゆっくりと階段を上がってゆく。
「私もあとで顔を出すと伝えてくれ」
去り際に見せた横顔には、姉らしい柔らかな微笑が浮かんでいたような気がした。
「はい。ありがとうございました。郡司佐也加副本部長」
約束通り佐、也加は階段の前で待っていてくれた。
降りてきた階段に足をかけると、数段先を上る佐也加が訊いてきた。
「美堂俊助はどうなった?」
「知っていたんですか!?」
冬鷹は思わず足を止める。誰にも話してはいないはずだ。
「貴様と雪海が何故死ななかったのか解るか?」
「え?」
度重なる質問。唐突な話の流れに冬鷹は戸惑い、とうとう言葉を失う。
「リンクした状態で貴様の心臓が止まればウンディーネの〈暴走〉は確かに止まる。だが、ウンディーネが完全停止しては雪海の身体も停止する事になる。
つまり、あの状況で別の要因が働いていた事になる。考えられるのはあの時、ウンディーネの中にいたもう一つの存在」
全身の毛穴から冷や汗が噴き出すのが判った。
ウンディーネの〈暴走〉を止める――その事に集中するあまり考えが及んでいなかった。
佐也加の言葉通り、あのとき、もしかしたら冬鷹の心臓と共に、ウンディーネごと雪海の命も止めていたかもしれない。
「俺、そんな――、」
「今のはあくまで、これまで〈アドバンス流柳〉について判った事を元にした憶測にすぎん。〈ERize-47〉や〈金剛〉の威力の兼ね合いで、都合よく貴様の心臓を『弱らせる』に留めた可能性も否定できない。それに貴様が死しても、心の臓が止まる瞬間までリンクし続けていられるかもわからない」
フォローしてくれたのだろうか――いや、違う。これは佐也加にとって包み隠さない事実でしかないのだ。
「ただ、これもあくまで憶測――いや、想像でしかないが。あのとき、貴様の心臓が止まりそうだった。その寸前、暴走が納まり、主導権を取り戻した俊助氏が、今度は貴様の心臓に己を同調させる形で貴様の身体に乗り移ったのではないか――私はそう考えた。
〈霊〉とは〈魂〉、〈魂〉とは〈生命子〉の特異集合物、〈生命子〉の偏りとは〈異能〉――そう捉える事もできるのではないだろうか、とな。もっとも、〈霊〉や〈魂〉について私は明るくはないが。
ただ事実、〈霊視〉を使える隊員により、冬鷹の身に宿る霊の存在を確認した。状況から考えて美堂俊助で間違いないはずだ」
淡々と紡がれた説明に納得すると、冬鷹は急いで佐也加を追い駆けた。
「だから、俺が伊東怜奈と話したいって言った時、あっさりと認めてくれたんですか?」
「詳しい意図など想像でしかない。だが、大切な事なのだろうと思っただけだ」
佐也加にしてはどこか情緒的な答えで、冬鷹はほんの一瞬呆気に取られた。
だが当の本人にはそんな自覚は無いようで、普段通りただただ凛然としていた。
「それで、兄と会わせてやったのか?」
「……いえ。俊介さんがそれを望んでいなかったので、」
冬鷹は怜奈と話したこと、そして俊助と話した事を伝えた。
「そうか。聡明さは相変わらずだったか」
「俊助さんのこと知ってるんですか?」
「直接話した事はない。学年が違う故か話す機会もなかった。だが美堂俊助が神童と呼ばれていたという事実は、一学年下の私の耳にも届いていた」
懐古の念を感じさせぬ淡々した口調だ。しかしそこには確かな敬意が感じられた。
「実技面こそ良い結果は残せていなかったようだが、彼が中等部一年時の夏休みの際に自由研究で提出したレポート『氷冷系異能の統一化および異能具による再現』は、大学院生の論文と比較しても遜色ないと言われていた。実際、先日私も目を通したが、中学生が書いたとは俄かには信じがたい程、緻密な考察と独創的且つ高度な思考におけるアイディアだった」
「氷冷系異能の統一化および異能具――それって今回使われたあの水晶ですか?」
「根本的なコンセプトは同じものに思えた。しかし実践的な完成度は此度のものが遥かに上だ」
「じゃあ、俊介さんが中学生の頃のものから更に手を加えて、それを怜奈ちゃんが作った――って事ですか?」
「かもしれん。あるいは伊東怜奈がレポートを元に兄の研究に手を加えたか――どちらにしろしろ驚くべき兄妹だという事だ」
口調こそ淡々としているが、佐也加が驚いているという事実に、冬鷹は衝撃を受けた。
「氷冷の〈精製〉〈造形〉〈操作〉、それに魔素子貯蔵をも付与。さらに高い〈制御性〉〈出力〉。その上、使用も容易で、高い実践値が見込める。問答無用の[A]ランク異能具だ。それを量産できるほど完成した理論と設計を形にしたのだから、末恐ろしいと言わざるを得ん」
「郡司佐也加副本部長ほどの方でもそう思われるんですか!?」
それだけで、いかに俊助と怜奈が才に溢れる兄妹だったか伺い知れる――いや、計り知れなくなった。
しかし、佐也加は静かに首を横に振った。
「私などまだまだ未熟だ。家族の事では冷静さを欠き、判断を遅らせ、あまつさえ冬鷹――弟に妹と街の運命をかけた天秤を委ねた」
「姉さんは、〈アドバンスト流柳〉でウンディーネを止められるかもしれないと解ってたんだね」
思えばあの橋の上で佐也加が言った言葉。
『我ら特別編成部隊が雪海を殺すか。それとも貴様自身の手で終わらせるか。貴様が選べ。他の者には邪魔をさせない』
――佐也加は冬鷹に「殺せ」とは決して命令しなかった。
それに、冬鷹ですら気付けたのだ。〈アドバンスト流柳〉の事を――冬鷹の事を最も真剣に見てくれている佐也加ならば、気が付かぬはずがない。
「なんで、あの時に直接言ってくれなかったの?」
「妹を救うために、弟に命をかけさせるような言葉など、口にできるはずがなかろう」
佐也加の言葉がじんわりと冬鷹の心に温かく沁み込む。
なんとも、意外――素直にそう思ってしまった。
だが、どこか分かってもいた。
佐也加は凛々しく、時に淡々とし、厳しい。
言動は常に、情よりも理を優勢している。
しかし、それは全て他者への優しさから来ている。
街を守るのは、街に住む人々のため。
隊員に厳しいのは、隊員の命を繋ぐため。
冬鷹に一際厳しいのは、冬鷹と雪海――家族のため。
階段を上り地下一階へと着いた。冬鷹はこの階に残り、佐也加は軍の仕事で一階へ向かう事となっている。
「冬鷹、貴様はよくやってくれた。上官としては述べる事はできない。だが姉として感謝を伝えたい。妹を、街を、私の大切なもの全てを救ってくれてありがとう」
「そっ、そんな、俺は――みんなが助けてくれたから、」
「謙遜などいらぬ。貴様の意思がなくば、誰も付いては来なかった。そうではないか?」
「そう、なのかな?」
「奢る事なかれ――それもまた一つの道か。貴様の場合それが合っているのかもしれぬ」
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