彼の至宝

まめ

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「ラウ。あんた今日は領主さまの邸に作物を届けてきておくれ」

 日が昇る前に起き、身支度を整えたラウが台所に姿をみせると、アニカは困った顔でラウにそう言った。

「ええ。なんだってそんな面倒くさそうな所に」

 味は悪くないとはいえ、突出して優れた作物を作るわけではない農家のラウ一家が、貴族に作物を収めるだなんて有り得ない話だとラウは目を見開いた。驚きすぎて力が緩んだのか、持っていたサンドイッチの中身を木皿にぼたぼたと溢してしまい、慌ててそれを元に戻そうと手で拾ってはパンの上にのせていった。

「それがねえ。あんたが町で野菜を飛ぶように売るもんだから噂になってるそうだよ。それで噂を聞いた料理番のお偉いさんが興味を持ったんだってさ。いいからさっさと届ける野菜を収穫したら行ってきな」

 アニカも面倒事だと思っているのだろう。市場に行かず作物を配達するだけの日は、必ず日が昇るまで農作業をしてから行くのが決まりだというのに、今日は届ける野菜を収穫したらすぐにでも行けだなんて言うのだから。

「いいけど。うちの作物は特段に優れているわけじゃ」

 届けた後につまらないものを寄越したと、言いがかりを付けられては堪ったものではない。

「そりゃあ、あたしも父さんも使いの人に言ったわよ。でもそれでもいいってんだから断ることなんてねえ」

 下手に断れば痛い目を見るのは明らかだ。あちらがそれでも良いと言うのだから、届けに行かなくてはならない。
 ああ面倒だな。ラウは大きな溜息を吐いてしまった。エーリクの事があるので出来れば貴族に近付きたくはなかった。いくら容姿が全くの別物であっても、彼の頭の中にはエーリクの鮮明な記憶があるし、瞳は同じものを持っているのだから。
 ラウは領主の使いが指示した葉野菜と瓜を馬車に積み込むと邸に向け出発しようとしたが、ふと林の中の木にポポタの実が生っているのに気付き、馬車を降りると木の側まで行った。腰に付けた布袋が膨れるまでそれを中に詰め込むと、ルビーの様に赤い実が沢山生った房を見てラウは笑みを浮かべた。
 そう言えばと、ラウはもう一つエーリクと共通点がある事に気が付いた。それは双方ともポポタの実が好物だという事だ。手と口を真っ赤に染めてでも、ポポタを食べ喜ぶのだ。
 家に持ち帰り仕事が終わった後にゆっくりと楽しもう。ラウは今晩のデザートに思いをはせた。彼の下降気味だった機嫌は、それに伴い一気に上昇していった。もちろんエーリクも大層にご機嫌だった。

「――あれ、ここは」

 エーリクが知っている。
 自宅から一刻半の場所に領主の邸はあった。ラウは馬車を門扉の前に止めた途端にそう直感した。とても懐かしいと彼の中のエーリクが伝えて来る。
 ここはディーデリックの公爵家が持つ邸の一つで、幼少の頃は彼とよくここで過ごした。人の多い王都よりも田舎にあるこの邸がエーリクは好きだった。ここにいればディーデリックが守ってくれる為、滅多に欲望を向けられることがなかったからだ。
 懐かしみ、喜ぶエーリクとは裏腹にラウは困ったと表情を曇らせた。エーリクが死んだ同日にラウは生まれた。だからエーリクの関係者は今も存命だ。国王もエーリクの父が未だに在位している。
 もし、もしディーデリックに会ってしまえば、いったい自分達はどうなってしまうだろうかと心配した。今はエーリクが何となく、ラウのどこか片隅にいるというだけだけれども。会って彼がエーリクに気が付いたら。もしエーリクと自分が入れ替わってしまうことがあったら。自分が消えてしまったらどうしよう。心配性なラウは思い悩んでしまった。
 気にするな大丈夫だ。これだけ顔が違うのだから気付くはずがない。それにただの農民に領主が直接会うわけがないだろう。
 そうエーリクに言われたラウは、それもそうかと納得し頷いたのだった。
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