どうやら婚約者の隣は私のものではなくなってしまったようなので、その場所、全てお譲りします。

皇 翼

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逃げるしかない。
そう決心して、すぐに頭の中でその段取りと道筋を考えた。逃げ出した後のことは考えない。雑念が入れば、逃げることすら叶わなくなる。一生こんな場所に縛られ、愛した人が他の女と愛し合う苦痛を見せられるよりは、逃げ出して惨めに一人死ぬ方がマシだ。例えその死がどのような苦痛に塗れていようとも。
そう、断言できる。

普通のか弱い令嬢であれば、本来は逃げ出すことすら叶わないだろう。しかし幸い、私には魔道具がある。これはエスペランツァ侯爵令嬢としての知識だけではなく、私自身が研究と努力で築き上げた技術だった。

私はそっとドレスのポケットの中に手を忍ばせ、そこにしまっていた二つの魔道具を確かめた。
大事なものだからこそ、渡すまで失くさないようにと持っていたことが幸いした。

一つは『姿を一時的に見えなくする』指輪型の魔道具。
カイデンと共に久しぶりに街へ遊びに行こうと思って作ったものだった。警備が共にいる、王族の立場では息がつまる。だから二人でお忍びで出かけられたら……と話していた。けれどもう必要はない。彼と街へ一緒に行く機会などもうないし、何よりもいらない。
皮肉にもこれが今、私自身の逃亡に役立つ。

もう一つは、『身体能力を向上させる』懐中時計型の魔道具。
これはカイデンの誕生日に贈るつもりだった。王族である彼は、常に危険と隣り合わせだ。だからこそ、彼を守るために、彼に身につけてほしいと願って作ったものだった。いざという窮地に立たされた時に助けになれるように。

――だけど、もう彼のために使うつもりはない。渡してたまるかとまで思ってしまう。だから、私自身のためにこれは使わせてもらおう。


舞踏会は大規模で、多くの貴族が集まっている。これ以上ないほどに人口密度が高いかつ、兵士もその多さに誰が誰なのかわからなくなっている中で警備をしている。そんな状態の中、人の目を掻い潜り、王宮から抜け出すことはきっと可能なはずだ。

私は深く息を吸い込み、中庭の片隅からそっと抜け出した。背後では今も華やかな談笑が続いている。誰も私が消えようとしていることなど気づいていない。それがなんだか虚しくて、笑えそうなくらいに面白かった。あんなに苦労を重ねて来たのに、誰にもなんとも思われていない。誰も私の努力なんて見えていないんだから、今も見ないでいて。

進む。足音を立てないように細心の注意を払いながら、ゆっくりと進み続けた。
舞踏会会場から完全に離れ、王宮から市街地へと出る廊下をただただ歩く。静けさで、自身の心臓の鼓動を余計に感じた。どうやら私は物凄く緊張している様だ。
震える指先で魔道具を握りしめた。逃げると決めたものの、心臓が痛いほどに高鳴る。全身を駆け巡るのは恐怖と不安。今にも兵士に見つかってしまうかもしれない。ここで見つかってしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。
捕まって折檻を受けるのだろうか、それとももう一生外に出られない?カイデンと女がイチャイチャするのを見せつけられ続ける?

冗談じゃない。思考の隅にそれがあるだけで気が狂いそうだ。
そんなことを考えていると、人間の気配を感じた。

「いいよなー、貴族様は。あんな豪華絢爛なところであははおほほと笑って、踊り散らかして」
「……真面目に警備を続けろ。喋るな」
「お前もそう思うだろ?あー、俺も貴族になりてーなー」

声が聞こえた瞬間、ビクリと身体を強張らせてしまったが、どうやら私にはまだ気付いていないらしい。
だから警戒しながら、兵士達を避けながらコソコソと進んでいく。しかし彼らを回避するコースを取ろうとしたのが良くなかったのかもしれない。ドレスの裾が引っ掛かって、花瓶を倒してしまった。

「誰だ!?」

すぐにこちらへ走ってくる気配を感じる。
しかし魔道具を使わずに移動するには限界だ。ここで『姿を一時的に見えなくする』魔道具を発動させた。最初から姿を隠せば、こんなコソコソしなくて済んだのだが、ここまで発動させなかったのは理由がある。
この魔法は他人の精神を操る事で、こちらの姿をする。だから、発動させると他人に発動している間だけ倒れそうなくらいに魔力を搾り取られ続けるのだ。
逃げるまでのこの間だけがこの魔道具の唯一の欠点とも言えた。

少しグラっと来ながらも、私は更にもう一つの魔道具を取り出した。瞬時に体が軽くなるのを感じる。身体能力向上の効果だ。これでドレスを着ながらも、一気に外まで駆け抜けた。カイデンでも使えるようにと、二つを使えば切り抜けられるように設計してあって正解だった。

もう、振り返るつもりはない。
王宮を出れば、私の人生はまったく違うものになる。
今のように何不自由ない衣食住は捨てることになるし、とんでもない不幸を味わうかもしれない。でも、それでもいい。私は、誰かにそれを決められたのではなく、自分の意思でこの未来を選ぶのだから。
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