愛しているからこそ、彼の望み通り婚約解消をしようと思います【完結済み】

皇 翼

文字の大きさ
7 / 31

5.新生活

しおりを挟む
「ルネ先生、ありがとうございました!」
「はい。お大事に」

スッキリした様な表情と声音で礼を言い、部屋から出ていく子供を見送る。
あれから――あの葬儀からは既に1カ月が経過していた。クレアは結局、兄の魔法によって予定通り葬儀前に別の場所に転送された。目覚めた後は元々計画していた通りに今までの生活に関係する全てを捨て去り、新たな人生を送っていた……別人を演じることによって。

少し前に兄が用意してくれていた戸籍、新たに与えられたのはルーネストという名前だった。
クロシュテインとはいくつかの国をまたいだ上に海を隔てた場所にあるアルスレイク共和国という小さな島国から来た――という設定だ。

アルスレイクはクロシュテインとはかなり離れていることもあり、元々あまり親交がなく、もし調べられたとしても情報が漏れにくい。その上、アルスレイクは国全体の魔法水準が低い事もあり、全ての人間が手動で管理されている。それに田舎の方だと未だに戸籍を取得せずに生活している部族もいるらしい。だからある程度年をとってから戸籍を作るという事も決して珍しくはなかった。
クロシュテインのように書類も魔力を使って書き換え出来ないように作成年代や書類を書いた人間の魔力を保存をするなどと言った面倒な処理をしないことも手伝った。

国としてはいくらでも関係ない人間が偽造できるという無法地帯状態であり、犯罪の温床になることが多いという大きな欠点だが、今回はクレアにとって有利な条件でしかない。
それに万が一にも詳細を調べられ、問い詰められた場合でも、遠方の国ということで誤魔化しが効く。それに加えて貴族だったころの癖で抜けなかったものを表面に出してしまい、怪しまれたこともあったが、アルスレイクの文化だと言うと、完全に誤魔化しきることが出来た。


諸々の経緯の上、クレアは今現在『ルーネスト』として、クロシュテイン王国の西端にあるモーリスという街の診療所にて医師の一人として働いていた。
しかし男性を演じていると言ってもクレアが本当に男になったわけではない。身体は女性のままで男装をしているのである。

元々クレア自身、女性としてはそれなりに背の高い方であったことが幸いした。容姿に関しては胸に晒を巻き、髪の毛を少し短くしただけで周囲からも少し細身の男性として上手く認識されている。
特殊な髪の毛や瞳の色もアルスレイクでは普通だと言えば、上手く馴染むことが出来た。これはこの街の人達の人柄――『穏やかで基本的に他人を疑わない』という点にもあるのだが、それも織り込み済みでこの街への滞在を決めたのだ。

この男装という方向性は元々兄に提案された策だったが、クレアもこの男として暮らす事をかなり気に入っていた。なにせ男の立場であれば、いつまでも結婚しなかったとしても誰かから不審に思われることはない。

クレアにはエスト以上に好きになれる人はこの先現れないという確信めいたものがあった。落ちるなんて思っていなかった恋――いつの間にか落ちていた恋と言えど、それほどまでに本気の想い……一生に一度の恋だったのだ。
両親は性別までもを捨てる必要はないのではないかとずっと反対していたが、譲る気配のないクレアに対して最終的には折れる形で丸め込まれた。

「……そろそろ帰ろうかな」

現在時刻は18時直前。先程の子供が最後の患者だったようで、丁度退勤時間だった。
羽織っていた白衣を脱ぎ、軽く服装を整える。

学歴や功績、後ろ盾も何もないルーネストとしてのクレアを雇ってくれたこの診療所。院長も朗らかな性格で、同僚も院長の人柄からか貴族の様に他人を見下して足を引っ張るような人間はいない。

それに加え医師として働く人間の数が少なく、クレアが来る前は人員不足によって日々の診療すら困窮していたようで、そんなところに現れたクレア――もといルーネストはむしろ歓迎されてすらいた。
改めて恵まれているな、と感じながらもなんとなく過去に思いを馳せていた脳を切り替える。

与えられている診療室の鍵を返却して受付で働く女性に『お疲れ様です』と声を掛けられながら、診療所を出た。

長時間座っていたせいで硬直した筋肉を軽く背伸びをしてほぐしながら、夜の帳が降りて暗くなった家路につく。
貴族令嬢として暮らしていた屋敷とは比べ物にならない程に小さな借家だが、暮らし心地は悪くない。食事の準備やら家事やらの慣れない作業もここに来た当初は苦労したが、今はその苦労自体が楽しいとすら思えるほどに精神的にも余裕が出来た。

未だにふとした瞬間にエストの事を思い出すと心が痛みはするが、きっとこれもこの優しい街での穏やかな時間が解決してくれるのだと信じている。クレアの新生活はそれなりに順調だった。

しかしその3日後。そんな穏やかな生活はによって崩れ去ることとなる。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました

音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。 ____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。 だから私は決めている。 この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。 彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。 ……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...