正義の味方にストーカーされてます。〜俺はただの雑魚モブです〜

ゆず

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逃すつもりなんてない

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グリーンの家に着くなり、ソファに腰を下ろすよう促された。テーブルにはカヌレが整然と並び、ふんわりと甘い香りが部屋に広がっている。
バニラと焦げた砂糖の香ばしさが静かに立ちのぼり、張りつめていた神経をそっとほぐしていった。

温かなカフェオレの香りも混じり、俺はようやく息を整えた――その矢先。
腰に回された腕がぐいと力を込め、身体ごと引き寄せられ、視界が傾く。

「……っ、おい、なにして――」

気づけばグリーンの膝の上に座らされていた。
ソファに深く腰かける彼の太ももに、俺の体重がそのまま預けられる。直に伝わる体温がやけに熱く、心臓の鼓動まで拾われそうで落ち着かない。

問い詰めようとする俺をよそに、グリーンは柔らかな笑みを浮かべたまま首を傾げる。

「……トオルさん、ボスの膝に座ろうとしてましたよね?」

――してねぇよ。
背筋が冷える。まさかあの場面まで把握されてるのかよ。

「ボスはよくて、私はダメなんてことないですよね?」

低い声が耳を撫でる。問いかけにすら逃げ道を与えない声音。抱き寄せる腕がさらにきつく締まり、完全に身動きを封じられる。

そのまま彼はテーブルに手を伸ばし、小さなカヌレをひとつ摘み上げると、俺の唇へと差し出してきた。

「はい、あーん」

「……自分で食える」

顔を背けようとしたところで、顎を軽く掴まれ視線を戻される。強制されているわけじゃないのに、不思議と抗えない。

「ボスの膝に座ろうとしたくらいですし、私の手から食べるくらい大したことないでしょう?」

「座ろうとした覚えはねぇっての……」

不満をこぼす間に、柔らかな焼き菓子が唇に触れる。甘い香りが鼻をくすぐり、結局噛みしめてしまった。
カリッとした食感が広がるのと同時に、グリーンの顔がぱっと綻ぶ。

「……美味しいですか?」

「……」

確かに美味い。だが素直に頷くのは癪で、無言で返すしかない。そんな俺を満足げに抱き寄せながら、グリーンはカヌレを口元へ運んでくる。

「ほら、もうひと口どうぞ。次はどれ食べますか?黒ゴマ味もありますよ。好きなのたくさん食べてくださいね」

「……子ども扱いかよ」

「いいえ。性的対象として見ていますから、子どもとは全く思っていませんね」

あ、そう。
膝から降ろされることもなく、マグを握らされた俺の手は、相手の導きで唇へと運ばれていく。
唇が触れるたび、耳に落ちる「いい子ですね」という囁きが、芯の奥にまで染み込んでいき、じわじわと抗えない支配に絡め取られていく。

カヌレを食べ終えると、グリーンは俺を抱えたまま、ゆったりとソファの背に身を沈めた。

「……そういえば、今日は新刊の発売日でしたよね。トオルさんが好きな作家さんの」

耳元で落ちる声に、思わず顔を上げる。

「……あ?もう出てんのか」

「ええ。ちゃんと買ってありますから、あとでゆっくり読んでください」

微笑みながら髪を梳く指が、妙に優しい。もはやこの体制になんとも思わなくなった自分が怖い。

「……」

どう言葉を返すべきか分からず黙っていると、軽く頭をぽんぽんと叩かれた。甘やかす仕草に、不覚にも気が抜けそうになる。

「でも――」

ふいに声色が低くなる。

「その前にお風呂にしましょう。トオルさんが他人の匂いを纏っているのは……どうにも気に入りません」

その穏やかな声音に反して、背筋がびくりと震える。
柔らかな笑みを浮かべているのに、言葉だけが鋭利な刃のように突き刺さる。

「もう準備は整っています。きれいにしてから、新刊を楽しみましょうね」

髪を撫でる仕草は優しい。けれど、その優しさが逃げ場を閉ざす。

「……まさか一緒に入るつもりか?」

皮肉を返すと、彼は口元に笑みを浮かべ――首をゆるりと横に振った。

「入りたい気持ちは山ほどありますよ。けれど……正直、我慢できる自信がないので」

「……」

「…もしかして期待してました?でしたら――」

「してねぇ。一人で入る」

最後まで言わせてたまるか。
冗談めいた笑顔の奥に、からかうような気配が透けて見えて、胸の奥がざわつく。

顎先を指でなぞられ、思わず呼吸を止める。
熱くもないのに、背中にじんわり汗がにじんだ。

「お風呂上がりは、髪も、スキンケアも……全部、私に任せてくださいね」

「……」

「トオルさんを甘やかすこと。それが、私の楽しみなんです」



湯船に身を沈めると、じんわりとした熱が張り詰めていた神経をほどいていく。
思わず長い息を吐き出す。――けれど、背後に残るグリーンの言葉が頭から離れず、湯の温もりに包まれてなお、心の奥は妙に落ち着かなかった。

湯気に頬を染めたまま、ざばりと立ち上がりシャワーを浴びる。髪を指で梳きながら、熱を含んだ水滴が肩を伝って落ちていく。
体を流し終えて脱衣所に戻ると、用意されていたのは整然と畳まれた着替え一式。下着からルームウェアまで、サイズも好みも完璧に揃えられている。

「……用意周到すぎだろ」

小さく舌打ち混じりに呟きながらも、結局それを身にまとってしまう。まだ髪から滴る水滴が首筋をくすぐった。

――そして。
湯気をまとって脱衣所を出た瞬間、ソファに腰掛けて待っていたグリーンがすっと立ち上がる。
広げられたバスタオルが、当然のように俺の肩へとかけられた。

「お疲れさまでした。湯加減はどうでした?」

「……別に」

「ふふ。頬が赤いですよ」

くすりと笑い、グリーンは当然のようにドライヤーを手に取って構える。

「さ、これは私の役目です。トオルさんは――こちらをどうぞ」

柔らかな笑みで強引さを包み込み、ソファへと導かれる。膝に置かれたのは新刊。読んでいろ、という無言の圧。
ドライヤーのスイッチが入ると、低く温かな風が髪を揺らし、指先が地肌を優しくなぞった。その心地よさに、抗うつもりが薄れていき、肩から力が抜け落ちていく。

「すべて私に任せてください。今日は疲れたでしょう?」

……もう好きにしてくれ。そう諦め、本へ視線を落とした。

ただ俺の悪い癖で、一度読み始めるともう止まらない。ページを繰る音さえ意識から抜け落ちるほど、文字の世界にのめり込んでいた。

気づけば時間の感覚も曖昧になり、周囲の気配すら遠のいていく。まだ物語は序盤、これから盛り上がっていく絶好の場面だった。

「……っ!?」

夢中で活字を追っていた矢先、脇腹を指先でゆっくりとなぞられ、ぞくりと背筋を駆け上がる感覚に意識が一瞬で現実へと引き戻される。

「すごい集中力ですね、トオルさん」

声に振り返ると、グリーンがいつの間にか背後から抱き寄せていた。捲れた服の隙間に手を差し入れ、素肌を直接なぞっている。

「…何してんだお前」

「頭も腕も足も撫でてみましたけど、まるで反応がなくて。――それで、どこまで触れたら気づいてくれるのか試してみたんです」

気づけば、この距離感にもだんだん慣れ始めている。
背後から抱えられ、素肌を撫でられても、本気で抵抗する気が起きなかった。――だが、流石に警戒心を失いすぎじゃないか、と遅れて胸の奥がざわついた。

「……トオルさん、もういい時間ですよ」

耳元に落ちる低い声に顔を上げれば、時計はすでに24時を過ぎていた。どうやら3時間ほど没頭していたらしい。時間を自覚した途端、強烈な眠気が押し寄せる。
グリーンは髪を梳きながら、微笑を崩さず言葉を重ねた。

「夜更かしはさせません。続きは明日でも読めますから」

「……まだ序盤だってのに」

思わず漏れた不満も虚しく、本はそっと俺の手から取り上げられる。
その代わりに背中を優しく撫でられ、髪を指先で梳かれるたびに、心地よいリズムが身体の奥へ染み込んでいく。
今日は一日中慌ただしかったせいか、疲れは濃く、抗えない眠気が一気に押し寄せてきた。

「大丈夫。全部、ここに置いておきますから。だから今日は休んでください」

――抵抗の言葉を探そうとしても、重くなる瞼に遮られていく。
活字の余韻を追っていた意識は、ゆっくりと深みに引きずり込まれ……やがてソファに小さな寝息が落ちた。

……そのまま抱き上げられ、揺れる感覚にかすかに身じろぐ。けれど温かい腕に包まれて、眠気はさらに強く沈んでいった。

好意は隠す気もなく、けれど決して強引には来ない。
むしろ、居心地のよさを惜しみなく差し出してくる――この甘やかしは一体なんなんだ。

(……お前と一緒にいると、人間ダメになりそうだ。……ここまでして何がしたいんだよ)

意識の底に沈みながら浮かんだ思考は、声になることもなく闇に溶けていった。



グリーンは腕の中で眠るトオルを見下ろし、ゆるやかに髪を梳いた。

「……本当に、無防備ですね。――まあ、それを見せていいのは、私の前だけですが」

囁きに返るものはなく、静かな寝息が微かに胸を震わせる。
本人は気づいていないだろうが、ここまで心を緩めている時点で、もう半ばこちらのものだ。

力ずくで閉じ込め、触れ、壊れるほど抱いてしまえば、永遠に逃れられなくなる。
――だが、それは私が求めている事ではない。

欲しいのは衝動の果てではなく、あなたの意志。トオルさんが自ら、私を求めてくれるその瞬間。

唇に淡い笑みを宿し、さらに抱き寄せる。この甘やかしも、この優しさも、すべてはその時のために。
逃す気など、最初からあるはずがないのだから。
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