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1章 イレネの葛藤
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結婚式当日、それはそれは完璧な姿で現れたタイスト・キュトラは、この世の女性の理想を詰め込んだような姿をしていた。光沢のある銀色の結婚衣装が似合う完璧な体格に、硬そうな金色の髪は前髪が上げられ、垂れた一房の前髪には色気が凝縮されているようだった。涼しげな目元は既婚者さえ射止める矢のようで、近づいた者だけが感じる事が出来る仄かに纏った香りは、ムスクの男性らしい香りがした。でも強すぎないのが良い所で、微かに立ち昇る香りに品の良さを感じずにはいられなかった。
イレネは緊張のあまり心臓が激しく鳴り、手足の末端は氷のように冷え切っていた。指先は抑え込んでも震えてしまい、父親のイオネスク伯爵の腕に添えていた手がガタガタと揺れて、いつの間にか添えていたはずの手はぎっちりと掴まってしまっており、物凄い力で引っ張られたイオネスク伯爵の上着は除々に左にずれていっている。
「イレネ、頼むからそろそろ止まってくれないか」
「無理よ。お父様こそ私を止めてったら」
「馬鹿な事を言うんじゃないよ。時に私は真っ直ぐに歩けているか? なんだか左にズレて行っているような気がするんだが……」
もうどこを歩いているのかも分からない浮遊感に泣きたくなっていると、ふと参列席に座っている兄のスタンと目が合った。何故かスタンは血の気のない顔に情けない表情を浮かべている。座っているというのにそのまま倒れてしまいそうに見えた。
「お兄様大丈夫かしら」
呟くと父親が切羽詰まった小声で珍しく怒ってきた。
「今はスタンの事などどうでもいいッ!」
イレネとイオネスク伯爵は互いに小声で囁き合いながら、先に立つ眩しい男性から視線を逸して足元を目指していた。視線を逸していたのには理由がある。真っ直ぐに見続けたらきっと緊張の逃げ出してしまいそうだったからだ。それでも磨き抜かれた通路のその先にある白の革靴の先端が視界に入った瞬間、自分でも信じられない程に奇妙な声を出してしまっていた。
「キエッ」
一瞬父親の足が止まる。しかしまた歩き出した父親の横顔を見ると、必死に笑いを堪えているようだった。
(ちょっとお父様! なんて顔をしているのよッ)
笑いを堪えているせいか顔は真っ赤になっており、肩が上下している。フガフガと鼻息を漏らしながら、とうとうタイスト・キュトラ辺境伯の目前へと到着していた。キュトラ辺境伯が右手を心臓に当て深く礼を取ると、優雅な手つきで差し出してくる。
「イレネ、イレネ?」
イオネスク伯爵は腕を必死に掴んでいる娘の手を半ば強引に引き離すと、そのままキュトラ辺境伯の手の上に置いた。そして逃げるようにその場から離れて行った。
「イレネ、さあこちらへ」
柔らかい物腰でそう言われならば半ば無意識で握った手を優しく誘導され、いつの間にか国王の前に向き直っていた。イレネは国王の姿も見ずに、ベール越しのまま夫となる者の横顔をじっと見つめていた。
「イレネ・イオネスク。……イレネ・イオネスクッ! こちらを向きなさい!」
「はいッ!」
背筋を真っ直ぐに伸ばし、弾かれたように国王に向き直った。気を取り直すような咳払いの後、良く通る声が聖堂に響いた。
「第五代国王マクシム・ドラゴシュの名の下に、両名の結婚を認めるものとする。良き夫婦となるべく、互いを慈しみ、支え合い、信じ合い、国の為、子らの為、健やかであれ!」
竜の装飾が施された鞘に包まれた宝剣が肩に触れ、祝福の言葉でこの結婚は正式なものとなった。
イレネは緊張のあまり心臓が激しく鳴り、手足の末端は氷のように冷え切っていた。指先は抑え込んでも震えてしまい、父親のイオネスク伯爵の腕に添えていた手がガタガタと揺れて、いつの間にか添えていたはずの手はぎっちりと掴まってしまっており、物凄い力で引っ張られたイオネスク伯爵の上着は除々に左にずれていっている。
「イレネ、頼むからそろそろ止まってくれないか」
「無理よ。お父様こそ私を止めてったら」
「馬鹿な事を言うんじゃないよ。時に私は真っ直ぐに歩けているか? なんだか左にズレて行っているような気がするんだが……」
もうどこを歩いているのかも分からない浮遊感に泣きたくなっていると、ふと参列席に座っている兄のスタンと目が合った。何故かスタンは血の気のない顔に情けない表情を浮かべている。座っているというのにそのまま倒れてしまいそうに見えた。
「お兄様大丈夫かしら」
呟くと父親が切羽詰まった小声で珍しく怒ってきた。
「今はスタンの事などどうでもいいッ!」
イレネとイオネスク伯爵は互いに小声で囁き合いながら、先に立つ眩しい男性から視線を逸して足元を目指していた。視線を逸していたのには理由がある。真っ直ぐに見続けたらきっと緊張の逃げ出してしまいそうだったからだ。それでも磨き抜かれた通路のその先にある白の革靴の先端が視界に入った瞬間、自分でも信じられない程に奇妙な声を出してしまっていた。
「キエッ」
一瞬父親の足が止まる。しかしまた歩き出した父親の横顔を見ると、必死に笑いを堪えているようだった。
(ちょっとお父様! なんて顔をしているのよッ)
笑いを堪えているせいか顔は真っ赤になっており、肩が上下している。フガフガと鼻息を漏らしながら、とうとうタイスト・キュトラ辺境伯の目前へと到着していた。キュトラ辺境伯が右手を心臓に当て深く礼を取ると、優雅な手つきで差し出してくる。
「イレネ、イレネ?」
イオネスク伯爵は腕を必死に掴んでいる娘の手を半ば強引に引き離すと、そのままキュトラ辺境伯の手の上に置いた。そして逃げるようにその場から離れて行った。
「イレネ、さあこちらへ」
柔らかい物腰でそう言われならば半ば無意識で握った手を優しく誘導され、いつの間にか国王の前に向き直っていた。イレネは国王の姿も見ずに、ベール越しのまま夫となる者の横顔をじっと見つめていた。
「イレネ・イオネスク。……イレネ・イオネスクッ! こちらを向きなさい!」
「はいッ!」
背筋を真っ直ぐに伸ばし、弾かれたように国王に向き直った。気を取り直すような咳払いの後、良く通る声が聖堂に響いた。
「第五代国王マクシム・ドラゴシュの名の下に、両名の結婚を認めるものとする。良き夫婦となるべく、互いを慈しみ、支え合い、信じ合い、国の為、子らの為、健やかであれ!」
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