そのハンカチ返してくださいッ!

山田ランチ

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10章 夜会

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 会場は城の中で一番大きな大広間だった。軽快な音楽が流れ、談笑している紳士貴婦人で溢れており、今までに経験した事がないくらいの規模の夜会にイレネはタイストの横で固まってしまっていた。しかしすぐに会場の視線が一気にこちらに向く。その視線は主に女性達のものだった。

「今日はイレネが楽しむ為の夜会なんですから気楽に参加して下さい。話し掛けてくる者達は適当にあしらいますので、イレネは隣りにいてくれればいいですよ」

 王都の貴族達を知らないイレネはタイストの言う通りにするしかない。とにかく会場で会わなくてはいけないのは、この夜会を主催していくれた両陛下とハララムだった。

「タイスト! 夫人もお久し振りです」

 豪華な衣装に包まれたハララムは、その豪華な衣装に負けない程の華やかさを持ち合わせ、まるで本の中から出てきた王子様のようだった。タイストは背もあり筋肉もある為、王子様という感じはしない。それでもタイストの方が圧倒的に格好良く見えてしまうから不思議なものだ。

「妻にはそれ以上近づかないように。いいね?」

 ハララムとイレネの間には五歩分程の距離がある。その間に割って入るようにしてタイストが立った。

「そんなに警戒しなくてもいいよ。奥さんには手を出さないからさ」
「当たり前だ。そんな事より妻がお前に言いたい事があるそうだ。さあイレネ」

 イレネはタイストの後ろから頭を下げた。

「先日はお招き頂きましたにも関わらず、失礼な帰り方をしてしまい申し訳ございませんでした」
「え? 全然気にしてなかったのに。辺境伯夫人はとっても礼儀正しいんだね」

 その時、会場の中を縫うようにしてこちらに近付いてきた女性達と目が合った。しかし女性達は少し離れた所で談笑を始めてたようだった。

(今。睨まれた?)

「何か飲み物を取ってくるからここにいて下さい。ハララム、余計な事は言わないように」
「あ、僕は軽めのやつで!」
「それは自分でどうぞ」

 タイストが歩き出した瞬間、こちらに近づいて来ていた女性達がすかさず後を追い掛けて行った。

「さすがは旦那様ですね」
「もしかして夫人たら怒っちゃった? でもタイストは昔からモテるから嫉妬する方が疲れるよ。だからさ、気晴らしに僕と……」
「嫉妬だなんてとんでもない! 私が嫉妬だなんておこがましいです」
「それじゃああれを見ても平気なんだ?」

 その間にもタイストは更に女性に囲まれていく。するとハララムはどこか楽しそうに一歩寄ってきた。

「もしかしてだけど、夫人はタイストの事があまり好きではない? いやいいんだよ、結婚は家同士のものだから恋人は別に作るなんてのもよくある話だし」
「え? 私は旦那様が好きですよ」

 するときょとんとした表情が返ってきた。

「好き? 本当に?」
「……少しだけ理解し難い所もありますし、突然決まった結婚でしたが、ちゃんと大切にされていると感じます。同じ気持ちではなくても互いに想い合う心はあると思うんです」
「確かに大切にはしているな、うん」

 ずいっと差し出されたグラスには林檎のお酒が入っていた。甘酸っぱい良い香りのするグラスを受け取ると、タイストはハララムとの間に割って入ってきた。

「イレネ大丈夫でしたか? この男に何もされませんでしたか?」
「酷いなぁ、夫人をここに置いていくくらいには僕の事を信用しているくせに、素直じゃないんだから全く」

 無視するように背中を向けると完全に視界からハララムが消えてしまう。

「ウェクスラー小侯爵様は緊張している私を気に掛けて下さっていたんです」
「小侯爵だなんて呼ばないでハララムと呼んでよ。友人の妻は友人だからね! それに内緒の話もしたし、もう僕達は完全に友人だよ」

 ヒョコッとタイストの横から顔を覗かせてきたハララムは、遊んでいる様子だというのにどこか色気のある仕草だった。

「この者の事は放っておいて、両陛下がいらっしゃるまで踊りましょうか」
「待って下さい! 私ダンスはあまり……」

 嬉しそうな表情を浮かべて手を引かれて行けば拒否など出来る訳がない。そのまま事もあろうか広間の中心に歩いて行くと、ゆったりとした曲が流れ始めた。

(あ、これなら何とかついていけるかもしれないわ)

 しかしタイストの内ポケットに入っているハンカチが気になって仕方ない。当の本人はまさか妻の愛液を吸わせたハンカチを胸元に入れているとは微塵も感じさせない、優雅さな足捌きでリードしてくる。イレネはタイストに翻弄されるように踊り続け、そして曲は次に移っていった。

「イレネ、こちらへ」

 上手く広間から抜け出ると、途中で残念そうなご令嬢達の顔が視界に入ってくる。きっと次は自分がタイストと踊ろうと思っていたのだろう。しかしタイストの足の方が早かった。

「旦那様どちらに向かっているんです?」

 混み合っている会場内でも、タイストが通ると自然に道が出来ていく。そしてその先には国王陛下と王妃殿下が座っていた。ダンスに夢中になり両陛下が入場された事にも気が付かなかった。

「ようやく会えたな。キュトラ辺境伯夫人よ」
「この度はこのように素敵な夜会を催して頂き、誠にありがとうございます」

 これでもう今日の任務は終わったと言っても過言ではない。

「堅苦しい挨拶はなしだ。今日はエステラがどうしても辺境伯夫人と話がしたいと言って半ば無理矢理の日程だったんだが、万事上手くいったようだな」
「お話ですか? どういったお話でしょう?」
「ハハッ! そう固くなる事はない。さあエステラ、夫人をお連れしなさい」

 バッと前に出てきたタイストの手に驚いていると、国王は少し眉を上げた。

「だ、旦那様! 私は大丈夫です」

 国王陛下に楯突くような態度は良くない。小声でそう告げたが、手を引き戻す気はないようだった。

「全く夫婦揃って用心深いな。エステラが“女子会”とやらをしたいそうなんだ。付きやってくれないか?」
「美味しいお菓子を用意しているのよ。お酒よりも美味しい飲み物を沢山用意しているわ。さぁ行きましょう」

 少し強引だがタイストに少し似ている顔立ちのせいか、言われるままに別室へと連れて行かれてしまった。


 エステラが用意してくれていたという部屋はなんと私室だった。

「それでは失礼致します」

 何を失礼するのか分からずに立ち尽くしていると、侍女は手際よくドレスを脱がせてきた。

「え、ちょッ、待って、王妃様!?」

 助けを求めるようにエステラを見ると、いつの間にか衝立の向こうで同じように着替えをしているようだった。

「ご安心なさって! お帰りの際にはまた元通りにして差し上げるから!」

 そういう事ではないが何の反論も出来ないまま、侍女にぐるんと回されコルセットが手際よく外されていく。正直コルセットを早々に脱げるのは嬉しいと思っていると、今度は上からファサッと肌触りのいいナイトドレスを被せられた。そのままフカフカのソファに誘導され埋もれるように座った後、膝の上にこれまたフカフカのクッションを押し込まれてようやく侍女は離れて行った。

「あの、これは一体……」
「やっぱり私の見立ては完璧ね。イレネはピンクがとても似合うと思ったの。あ、イレネと呼んでもいいわよね? 私の事はステラと呼んで。やってみたかったのよね女子会。今更古いと思われるかもしれないけど、王妃の私を誘ってくれる令嬢達はいなくて……でも今日は憧れだった女子会ですもの、俄然やる気が出来てきたわ!」

 女子会にやる気が必要なのかふと過ぎったが、嬉しそうに一気に話したエステラの笑顔を見れば微笑んで頷くしかなかった。王妃と二人きりで話す事など何も浮かばない。しかしエステラはとにかくよく喋った。もちろん両陛下の印象など国民が勝手に持っている印象だが、いつも陛下の後ろでお淑やかに見えていた。だからこれ程に印象が変わるとは思いもしなかった。

「それでタイストとの結婚生活はどう? あの子は堅物というか面白みがないのよね。陛下とはまるで大違い。結婚生活は楽しくやれているの?」
「旦那様は私の事をよく気に掛けて下さり、とてもお優しいお方です」
「あの子は昔からどこか恋愛事には疎いの。あの容姿だし家柄もあるから言い寄ってくる子は多かったけど、いまいち好意を向けられているという事に気が付いていないみたいだったわ」
「確かに、旦那様は先程も大変おモテになられておりました」
「言い寄られてもいつもはっきりと断らないのよ。でもあなたは妻なんですから、嫌なものは嫌とはっきり言うのよ。いいわね?」

 どうやったら伯爵家出の妻が辺境伯の夫に意見出来るというのか。それに本当にタイストには言いたい事などなかった。

「でも旦那様に惹かれるのは仕方がない事だと思うんです」
「なるほど、理解があるという訳。そういうあなたも惹かれた一人かしら?」

 両手を組んで楽しげに言った。

「……あれだけ素敵な方に恋をしない女性などいるでしょうか?」
「フフッ、良かったわ! 私達は政略結婚だけれど、旦那様に恋が出来るなら素敵な事だもの。そして恋してもらえたらより素敵よね」
「そうですね……」
「でもやっぱり今日みたいにタイストがモテるところを目にするのも疲れるでしょうから、私から言ってもいいのよ?」
「疲れたりなんてしません。むしろあんなに素敵なお方が私の旦那様かと思うと、なんと言いますか、幸せな気持ちになります」
「嫉妬はしないの?」
「嫉妬ですか? ハララム様にも聞かれましたが嫉妬なんてしません。だって旦那様は素敵な方ですから他の女性達もお話したいですよね?」

 するとエステラは頭を抱えた。

「こっちの方が重症かもしれないわ」

 しかし次の瞬間ガバッと起き上がった。

「もう切り替えましょう! これを食べて見て? ハララムのお店のケーキよ」
「蜥蜴と薔薇の袋のお店ですよね? 私も先日購入しました。とても美味しかったです!」

 ハララムの名のお陰で少しだけ緊張が解け、テーブルの上に乗っていケーキに目を向けた。クリームで薔薇が飾り付けられた豪華なケーキが乗っており、以前店に行った時には見つけなかった物だった。

「もしかして新作ですか? この間はありませんでした」
「実はこれ、試作品らしいの。味や見た目の評価が欲しいと言われたのよね。でもあのお店のお菓子は正直どれも美味よ。間違いないわ」

 真剣な顔で頷くエステラは侍女が切り分けたケーキを上品に口に運んだ。そしてその瞬間、カッと目を見開いた。

「イレネ! あなたも食べてごらんなさい!」

 綺麗な薔薇の花弁を崩すして口に運ぶと、イレネも目を見開いた。

「甘くないです! こんなに甘そうなのに甘くないです!」

 二回言うとエステラはゆっくりとフォークを置いた。

「まさかこんなに美しくて可愛らしくて愛らしくて甘そうなケーキが甘くないなんてあなた信じられる!? しかも色がなんだかおかしいじゃない」
「確かに信じられません。ケーキは甘い物です。甘くないといけないと思うんです!」
「そうよね、残念だけれど女子会は解散にしましょう。今からハララムに抗議しに行くわよ! こんな物が世に広まってしまったら大変だもの。恋人達の別れの理由にも、家族の不仲の原因にもなりえるわ。このケーキを両親からプレゼントされた子は、“お父様とお母様は僕の事嫌いなの?” なんて思ってしまうかも。とにかく阻止しに行くわよ!」

 鼻息を荒くしながら再びドレスに着替え出すエステラにハラハラしながら、イレネも急いで着替えると、夜会に乗り込もうとする背を追った。 
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