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マルクと討伐隊
別れと誓い
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夜が明けても、空気の重さは晴れなかった。
中継基地の一角では、戦の後始末に追われる兵士たちの姿が続いていた。
血に濡れた地面を洗い流し、折れた槍や盾を集め、討ち取った黒布の兵の遺体を運び出す。
呻き声をあげる負傷者の横では、治療班が黙々と包帯を巻き替えていた。
俺は焚き火の前に腰を下ろし、疲労に沈む目を閉じる。
炎の揺らぎが瞼越しに感じられ、まだ胸の奥が熱い。
黒布の兵と刃を交えた時の感触が残っていた。
あの異様な気配、常人にはない冷徹さ……操られているのか、狂信なのか、答えは出ない。
ただ、あれを放置してはならないという確信だけは揺らぐことはなかった。
やがて、焚き火の向かいにグランが腰を下ろした。
防具の上から羽織った外套には煤が付き、疲れを隠そうともしない。
「ここまで手強い相手だったとは……」
「そうだな。同じ意見だ」
「久しぶりの激しい戦いで気が休まらん。貴殿はどうだ?」
グランはそう言って、硬い顔をほぐすように小さく笑った。
火の爆ぜる音だけが、しばらく二人の間を繋いでいた。
夜明け前の淡い光が谷間に差しこみ、兵舎の屋根や武具を鈍く照らしていく。
兵たちの影は長く伸び、疲労と安堵とが入り混じった表情がそこに浮かんでいた。
戦いの終わりは訪れたはずなのに、勝利を祝う声はどこからも上がらなかった。
むしろ皆の心に残っているのは、次にいつ、どこで黒布の兵と再び刃を交えるのかという重たげな感覚のような気がした。
焚火のおかげでいくらかゆるんだ空気。
グランがおもむろに口を開く。
「マルク殿。貴殿の腕がなければ、昨夜の戦いはもっと悲惨な結末を迎えていただろう」
「買いかぶりすぎだ。俺はただの元冒険者だ」
「そう謙遜するな。だが――」
グランは言葉を切り、焚き火にくべた枝を見つめた。
これまでには見せなかった細い目で正面を見据えている。
「……これ以上は進めぬ。兵の損耗が大きすぎる」
俺は黙って頷いた。
陣のあちこちで聞こえる呻き声、負傷兵の数。
記帳する副長の硬い筆運び。
それら全てが、彼の言葉の重みを裏づけていた。
戦場を駆け抜けたときの勇ましさは消え、今ここにいるのは疲弊した人間の集まりにすぎない。
それでも前を向かねばならないと分かっているからこそ、誰もが声を潜め、次の命令を待っているのだ。
「本当は貴殿に頼みたかった」
グランが低く続ける。
俺は黙ったまま言葉を待った。
「討伐を完遂するまで、共に戦ってほしかった。だが、我々の隊はこれ以上の追撃に耐えられぬ。無理に進めば、次に倒れるのは己自身だ」
その声音には悔しさが滲んでいた。
部下を率いる者の責任と、任務を全うしたい意志。その間で揺れる彼の葛藤が伝わる。
グランはただ強いだけの男ではない。
誰よりも現実を見据えて、その上でなお戦う道を選ぼうとしている。
だからこそ、その瞳に宿る光は重く、容易には揺らがなかった。
「だからこそ、今は退く」
グランは拳を握りしめた。
「だが、黒布の影は必ず討たねばならん。次に機が合えば、その時は――」
俺は彼の言葉を引き取るように言った。
「その時は、共に戦おう」
互いの視線が炎の向こうで交わる。
言葉少なでも、心に刻まれた誓いはしっかりと意味を持った。
沈黙の中、ふと焚き火が爆ぜて火の粉が舞い上がる。
橙色の光に照らされたグランの横顔は、疲労と決意の両方を宿していた。
彼は部下を守るために退くと決断した。
だがその目は、退くことを敗北と認めてはいなかった。
「次に再び剣を合わせる時までに兵を鍛え直す。必ずだ」
その言葉は独り言のようでいて、俺に向けた約束でもあった。
しばらくしてグランは立ち上がり、手を差し伸べてきた。
「別れの時だな」
「そうだな」
俺も立ち上がり、その手を固く握り返す。
分厚い掌の感触が伝えるのは、戦場を共にした者だけが持つ信頼感だった。
炎を背に立つグランの姿は、疲れ果てているはずなのに不思議な威厳を帯びていた。
将とはこうあるべきだと、誰もが心の奥で納得するような佇まいだった。
「次に会う時は、黒布の影を討つ時だ」
「ああ、必ず」
互いに短く言葉を交わし、手を離した。
翌朝、俺は馬に荷をくくりつけていた。
帰路のルートから大きく外れていることもあり、せめてもの礼にとグラン隊から馬を譲ってもらった。
まだ夜の冷えが残る早朝、基地の門前には数人の兵士が集まっていた。
彼らは黙ってこちらを見送っている。
顔に疲労の色を浮かべながらも、その目には昨夜とは違う光が宿っていた。
「お気をつけて」
副長が短く告げる。
「また会う日まで」
俺も一礼し、馬に跨がった。
振り返れば、グランが立っていた。
背筋を伸ばし、無言でこちらを見ている。
俺たちの間に言葉はいらなかった。
互いに目を合わせて、うなずくだけで十分だった。
その瞬間、戦場で流した血と汗が、確かな絆に変わったのを感じた。
立場も道も違えど、再び交わる時が来るだろう。
その時には共に剣を振るうのだ。
やがて、馬の蹄が乾いた土を打ち、街道へと踏み出す。
夜明けの光が遠い山の端から差しこみ、長い影を伸ばしていく。
カルンへ戻ることはしない。
セドやミレアに再び顔を合わせれば、俺の決意は揺らぐだろう。
彼らの心をこれ以上重くしたくもない。
だから別れはすでに済ませた。
あの兄妹には新しい日常を歩んでほしい。
それが俺にできる、ささやかな願いだった。
中継基地の一角では、戦の後始末に追われる兵士たちの姿が続いていた。
血に濡れた地面を洗い流し、折れた槍や盾を集め、討ち取った黒布の兵の遺体を運び出す。
呻き声をあげる負傷者の横では、治療班が黙々と包帯を巻き替えていた。
俺は焚き火の前に腰を下ろし、疲労に沈む目を閉じる。
炎の揺らぎが瞼越しに感じられ、まだ胸の奥が熱い。
黒布の兵と刃を交えた時の感触が残っていた。
あの異様な気配、常人にはない冷徹さ……操られているのか、狂信なのか、答えは出ない。
ただ、あれを放置してはならないという確信だけは揺らぐことはなかった。
やがて、焚き火の向かいにグランが腰を下ろした。
防具の上から羽織った外套には煤が付き、疲れを隠そうともしない。
「ここまで手強い相手だったとは……」
「そうだな。同じ意見だ」
「久しぶりの激しい戦いで気が休まらん。貴殿はどうだ?」
グランはそう言って、硬い顔をほぐすように小さく笑った。
火の爆ぜる音だけが、しばらく二人の間を繋いでいた。
夜明け前の淡い光が谷間に差しこみ、兵舎の屋根や武具を鈍く照らしていく。
兵たちの影は長く伸び、疲労と安堵とが入り混じった表情がそこに浮かんでいた。
戦いの終わりは訪れたはずなのに、勝利を祝う声はどこからも上がらなかった。
むしろ皆の心に残っているのは、次にいつ、どこで黒布の兵と再び刃を交えるのかという重たげな感覚のような気がした。
焚火のおかげでいくらかゆるんだ空気。
グランがおもむろに口を開く。
「マルク殿。貴殿の腕がなければ、昨夜の戦いはもっと悲惨な結末を迎えていただろう」
「買いかぶりすぎだ。俺はただの元冒険者だ」
「そう謙遜するな。だが――」
グランは言葉を切り、焚き火にくべた枝を見つめた。
これまでには見せなかった細い目で正面を見据えている。
「……これ以上は進めぬ。兵の損耗が大きすぎる」
俺は黙って頷いた。
陣のあちこちで聞こえる呻き声、負傷兵の数。
記帳する副長の硬い筆運び。
それら全てが、彼の言葉の重みを裏づけていた。
戦場を駆け抜けたときの勇ましさは消え、今ここにいるのは疲弊した人間の集まりにすぎない。
それでも前を向かねばならないと分かっているからこそ、誰もが声を潜め、次の命令を待っているのだ。
「本当は貴殿に頼みたかった」
グランが低く続ける。
俺は黙ったまま言葉を待った。
「討伐を完遂するまで、共に戦ってほしかった。だが、我々の隊はこれ以上の追撃に耐えられぬ。無理に進めば、次に倒れるのは己自身だ」
その声音には悔しさが滲んでいた。
部下を率いる者の責任と、任務を全うしたい意志。その間で揺れる彼の葛藤が伝わる。
グランはただ強いだけの男ではない。
誰よりも現実を見据えて、その上でなお戦う道を選ぼうとしている。
だからこそ、その瞳に宿る光は重く、容易には揺らがなかった。
「だからこそ、今は退く」
グランは拳を握りしめた。
「だが、黒布の影は必ず討たねばならん。次に機が合えば、その時は――」
俺は彼の言葉を引き取るように言った。
「その時は、共に戦おう」
互いの視線が炎の向こうで交わる。
言葉少なでも、心に刻まれた誓いはしっかりと意味を持った。
沈黙の中、ふと焚き火が爆ぜて火の粉が舞い上がる。
橙色の光に照らされたグランの横顔は、疲労と決意の両方を宿していた。
彼は部下を守るために退くと決断した。
だがその目は、退くことを敗北と認めてはいなかった。
「次に再び剣を合わせる時までに兵を鍛え直す。必ずだ」
その言葉は独り言のようでいて、俺に向けた約束でもあった。
しばらくしてグランは立ち上がり、手を差し伸べてきた。
「別れの時だな」
「そうだな」
俺も立ち上がり、その手を固く握り返す。
分厚い掌の感触が伝えるのは、戦場を共にした者だけが持つ信頼感だった。
炎を背に立つグランの姿は、疲れ果てているはずなのに不思議な威厳を帯びていた。
将とはこうあるべきだと、誰もが心の奥で納得するような佇まいだった。
「次に会う時は、黒布の影を討つ時だ」
「ああ、必ず」
互いに短く言葉を交わし、手を離した。
翌朝、俺は馬に荷をくくりつけていた。
帰路のルートから大きく外れていることもあり、せめてもの礼にとグラン隊から馬を譲ってもらった。
まだ夜の冷えが残る早朝、基地の門前には数人の兵士が集まっていた。
彼らは黙ってこちらを見送っている。
顔に疲労の色を浮かべながらも、その目には昨夜とは違う光が宿っていた。
「お気をつけて」
副長が短く告げる。
「また会う日まで」
俺も一礼し、馬に跨がった。
振り返れば、グランが立っていた。
背筋を伸ばし、無言でこちらを見ている。
俺たちの間に言葉はいらなかった。
互いに目を合わせて、うなずくだけで十分だった。
その瞬間、戦場で流した血と汗が、確かな絆に変わったのを感じた。
立場も道も違えど、再び交わる時が来るだろう。
その時には共に剣を振るうのだ。
やがて、馬の蹄が乾いた土を打ち、街道へと踏み出す。
夜明けの光が遠い山の端から差しこみ、長い影を伸ばしていく。
カルンへ戻ることはしない。
セドやミレアに再び顔を合わせれば、俺の決意は揺らぐだろう。
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