異世界で焼肉屋を始めたら、美食家エルフと凄腕冒険者が常連になりました ~定休日にはレア食材を求めてダンジョンへ~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家

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静寂の町に潜む闇

夜闇の気配

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 どれほど眠ったのか分からない。
 胸の奥に重さを感じて目を開くと、部屋はすでに闇に沈んでいた。
 蝋燭はとうに消えて、わずかに差しこむ月明かりが窓辺を白く照らしている。

 ――どこかで泣き声が聞こえた。

 最初は夢の続きかと思った。
 だが、耳を澄ますと確かに聞こえる。
 か細くも押し殺すような子どもの泣き声。
 続けて、小さな足音が石畳を走っていく気配。

 眠気など一瞬で吹き飛んだ。
 寝台から飛び起き、剣を腰に下げて窓を開ける。
 外は一面の闇。星明りだけが頼りだ。
 建物の影が濃く落ち、路地の奥は墨を流したように見えない。

 泣き声は町外れの方へ遠ざかっていく。
 俺はためらうことなく部屋を飛び出した。

 深夜の町は異様な静けさに包まれていた。
 昼間には子どもたちの声が響いていた通りも、今は人気がなく、家々はまるで死んだように灯りを落としている。
 自分の靴音だけが響き、足が自然と速くなるような急き立てられる感覚になる。

 ――何かがおかしい。

 黒布の兵を追った戦場よりも、この無人の町のほうがよほど不気味だった。
 風が吹くたびに戸板がきしみ、どこかの屋根瓦が鳴る。
 その音が人の呻き声に聞こえて心臓を締めつける。

 子どもの泣き声はやがて嗚咽に変わり、細い足音とともに町の端へと消えていった。
 息を上げながら追ったが、辿り着いた時には声も足音もぷつりと途絶えていた。

 行き止まりの広場に立ち尽くし、呼吸を整える。
 元冒険者として身体を鍛えているつもりだが、起き抜けの全力疾走は苦しいものだった。

 落ちついたところでホーリーライトで街灯を補うように灯りを増やす。
 足跡を探して石畳を照らすが、風に舞う埃と乾いた砂だけがあった。
 影の奥に隠れているのかと身を屈めても、何も残されてはいなかった。

 まるで子どもごと夜に呑みこまれたように痕跡すらない。

「……いや、幻覚のはずがない」

 人気のない場所でつぶやいた声が響く。
 戦場の疲労が幻聴を見せたのではない。
 確かに泣き声はあった。
 足音も。俺はそれを追った。だが途中で消えたのだ。

 気味の悪さに背筋を冷たいものが這い上がる。
 心を乱さないように剣の柄を強く握りしめた。

 この夜闇の下に長居はできない――そう直感した。
 そこから足早に宿へと引き返す。
 振り返るたびに、暗がりから誰かが覗いているような錯覚に襲われた。

 ――こうして、その夜はほとんど眠れなかった。


 翌朝。宿の食堂に降りると、客の一人が「子どもがいなくなった」と呟いた。

 俺の耳は敏感にその言葉を捉えた。
 問い返そうとしたが、周囲の客は一様に顔を曇らせ、まるで口をつぐむかのように黙りこんでしまった。

 宿の主人に聞いても、そっけない返事しか返ってこない。

「……この辺りでは時々あることなんです。気にしても仕方がない」

 仕方がない、だと?

 子どもが行方不明になったというのに、町人たちは諦めたように肩をすくめるだけだ。
 どうにか見つけ出そうという気配は感じられない。
 その諦観こそが、昨日の夜に感じた不気味さの正体なのかもしれなかった。

 俺は苛立ちを隠せず、食堂を出て町を歩いた。
 昼間の表通りは相変わらず賑わっている。
 行商人が声を張り上げ、子どもたちが走り回り、大人たちは笑顔で買い物をする。

 ――まるで昨夜の出来事などなかったかのように。

 俺の胸にはますます重苦しい違和感が広がっていった。

 昼の光に照らされる町は一見平穏そのものだ。
 だが注意深く見れば、笑う顔の奥にかすかな影が差している。
 荷車を押す若者の目は笑っていても、どこか曇り、母親の笑みも引きつったように見える。
 声をかけてみても返ってくるのは曖昧な返事ばかりで、それ以上は決して踏みこませないという壁のようなものを感じた。

 やはり、何かが隠されている――。

 ***

 情報を集めるには、酒場が一番だ。
 夕刻、町で評判の酒場を訪れた。
 木造りの扉を開けると陽気な声と酒の匂いが押し寄せてくる。
 旅人や商人で賑わい、昼間の市場と同じように笑いが絶えない。

 奥のカウンターに立つ女主人は、年の頃は三十前後だろうか。
 栗色の髪をまとめ、朗らかな笑みを浮かべて客を迎えていた。
 その笑顔は場を和ませる力があり、常連たちは彼女を慕っているのがすぐに分かった。

 俺が席につくと、彼女はにこやかにジョッキを差し出してきた。

「お疲れでしょう、旅人さん。ここのエールは冷えてますよ」

 俺も笑みを作って礼を言う。
 だが、どこか引っかかるものを感じていた。
 彼女の笑顔は完璧すぎる。
 客の一人一人に声をかけ、冗談を飛ばし、軽やかに動く。
 その仕草には不自然なところはない。
 むしろ人当たりの良さが際立っていた。

 ――だが、目だ。

 笑顔の奥の瞳が、一瞬だけ冷たく光った気がした。
 こちらを見た瞬間、測るような視線を投げかけ、それをすぐに笑みに隠した。
 黒布の兵士との戦いを終えたばかりだからかと思いかけたが、ここが慣れない場であるというだけで、平常心を保っていることに気づく。

 俺は酒を口にしながら、彼女の振る舞いを観察した。
 町の誰もが彼女を信頼している。
 困ったことがあれば彼女に相談し、彼女の言葉に従う。
 そんな空気が酒場全体に満ちていた。

 ――もしも。

 子どもが消えるこの町で、誰かが糸を引いているとすれば。
 その中心に立てるのは、町の誰もが疑わぬ存在。

 女主人の微笑みが、逆に俺の胸をざわつかせた。
 夜の影は、この酒場から伸びているのかもしれない。
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