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本編
第二十五話
しおりを挟む神獣の成長は早い。
生後三ヶ月ほどで紅玉は一人歩きするようになり、意味不明な鳴き声を発するようになっていた。このままいけば、空を飛ぶようになるのも時間の問題だろうと、翡翠には脅かされているものの、今のところ紅玉は私にべったりなので、あまり心配はしていない。
「この子もいずれ、人の姿になるのかしら」
「神通力が使えるようになれば」
「私は別に、この姿のままでもいいんだけど……」
「だったら一緒には暮らせないな」
「どうしてそんな意地悪なこと言うのよ」
「事実だ。身体が大きく育てば、この部屋にも入らなくなる」
少しでも時間があると、翡翠は私の部屋を訪れてくれる。
けれど紅玉に対しては相変わらずだ。
抱き抱えるどころか触れることすらなく、ただ見るだけ。しかも観察するみたいに。
そして普段は人見知りしない紅玉も、なぜか翡翠にだけは近づこうとしない。
――困ったわ。
なんとか二人の仲を取り持とうと、一度、強引に紅玉を翡翠に抱かせようとしたことがある。けれど紅玉は怖がって逃げるし、翡翠はふてくされてどこかへ行ってしまうしで、失敗に終わってしまった。
「無理やり仲良くさせようとするのは逆効果だと思うわ」
連油の言った通り、紅玉は翡翠がそばにいると落ち着かないらしく、私にしがみついて離れない。それを見た翡翠は、私が紅玉を甘やかしすぎると言って、不機嫌になってしまうし――どう見ても悪循環だ。
――少し、距離を置いたほうがいいのかも。
翡翠がいないところでは、紅玉はよく喋る。
生後六ヶ月になると、龍の姿でも言葉を発するようになり、簡単な単語を何度も繰り返していた。生まれて初めて、「おかあしゃま」と舌足らずな声で呼ばれた時は、涙が出るほど喜んだものだ。
「おかあしゃま、どこへいくの?」
一歳になった今では、以前よりも言葉が上達して、いっそうお喋りになった。
その上、好奇心旺盛で、なんでも質問したがる。
「お父様のところよ」
「……なんで?」
「お顔を見に行くだけよ。あなたも一緒に来る?」
「いやぁ」
顔を背ける紅玉を抱き抱えて、連油に預けようとすると、いやいやするようにしがみつかれた。
「いかないで」
「……紅玉」
「ここにいて、かあしゃま」
「わがままを言ってはいけませんよ、御子様」
思わず足を止めた私に、連油が「早く行け」とばかり目配せする。
「御子様のお相手はわたくしが致しますから」
だだをこねる紅玉を連油に渡すと、私は後ろ髪引かれる思いで部屋をあとにした。執務室でも寝所でも、私が部屋を訪れると、翡翠は喜んで迎えてくれる。仕事の邪魔だけはしたくないので、日中は休憩時間を狙って翡翠に会いに行くようにしていた。
「他国の神獣たちが紅玉に興味を持っている」
私の淹れたお茶を飲みながら、翡翠は言った。
「実際に会って、自分の#番__つがい_#かどうか、確かめたいそうだ」
「……あの子はまだ、一歳になったばかりなのよ」
色恋沙汰は、幼い娘には早すぎる。
そう主張したつもりが、翡翠には伝わらなかったらしい。
「番が見つかれば、喜んで紅玉の面倒を見てくれるだろう」
「私に、あの子を手離せと言うの?」
思わず、喧嘩腰になってしまった。
翡翠は驚いたように私を見る。
「どうして怒っているんだ」
「あの子を邪険にしないでと言ったのに」
「娘の番を見つけることが、そんなに悪いことか?」
「あの子はまだ、番の意味さえ知らない子どもなのよ」
私は声を大にして言った。
「それに、あの子は番に出会うことを、望まないかもしれない。炎帝陛下のように」
紅玉は人間の私とは違うから、番に出会ってしまったら、きっと身も心も囚われて、相手のことしか考えられなくなってしまうだろう。母親である私のことも、きっとどうでもよくなってしまうに違いない。
――ううん、私のことは、この際どうだっていい。
子どもはいずれ、巣立っていくもの。
寂しいけれど、受け入れるしかない。
唇を噛み締める私に、「悪かった」と翡翠は言った。
「おまえを怒らせるつもりはなかったんだ」
「……私の方こそ、興奮してごめんなさい」
「喧嘩はしたくない」
「私だって」
腕を広げられて、彼の胸元に頬を寄せる。
「渾沌の話など、おまえにしなければよかった」
「あら、そういう問題じゃないわ」
「おまえは紅玉を無知な子ども扱いしているが、あの子は神獣だ」
口を酸っぱくして、翡翠は言う。
「あと九年もすれば成体になる」
そんなに早く――とショックを覚える。
「いずれ天帝陛下より呼び出しもあるだろう。神獣は国を任される前に、天上界へ行き、しかるべき教育を施される。紅玉も例外ではない」
「……いつ、地上へ戻ってこられるの?」
それは分からないと翡翠はかぶりを振った。
「俺が死んだあとかもしれないし」
「――そんな」
絶句する私に、翡翠は優しく続けた。
「陛下の呼び出しがかかる前に、紅玉が番に出会っていたら、話は別だ。あの子の番が神獣だった場合、番が紅玉を教育し、共同統治という形をとる。人間だった場合は――俺にもどうなるかはわからない」
私の可愛い、小さな赤ちゃん。
親の愛を知らない私に、母親になる喜びを教えてくれた。
あの子と離れ離れになるなんて考えられない。
けれど、番との出会いを強要するのもいや。
「俺がいるだけじゃ不満か?」
落ち込む私の髪を撫ぜながら、翡翠はいたずらな笑みを浮かべる。
「そんなことはないわ」
私は即座に言い返す。
ただ、この時間が、少しでも長く続けばいいと思うだけ。
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