溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

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リヒト⑤

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 気づけば僕は、ユーリ様と暮らすお屋敷の、いつもの寝台に寝ていた。

 いつ戻ってきて、いつ寝たのか覚えていない。

 お祈りをしましょうね、とエミール様に言われて。
 なんだかぼうっとしてしまったことは覚えている。

 お祈りをしましょうね。

(祈りなさい)

 誰かの声がしている。

(あなたを信じる民のために、祈りなさい)
(祈りなさい、ハーゼ様)

 そうだ。祈らなくてはならない。
 僕は……僕は…………。

「おはようございます」

 急に話しかけられて、僕は驚いて顔を上げた。
 ベッドに座る僕を、茶色い髪のひとが見下ろしている。

「テオバルドです、リヒト様」

 僕が尋ねる前に、彼の方から名乗ってくれた。
 昨日からユーリ様が居ないから、代わりに僕のお世話をすると、そういえば昨日言われた気がする。

 テオバルドさんは寝台の横に立ったまま、僕に聞こえるようにハッキリとした声を出した。

「お着替えを出していたのですが、そのまま休まれたんですね」

 着替え……と、僕が首を巡らせたら、テオバルドさんが突然頭を下げた。このひとは動作がとても速いので、僕の目には影がびゅんっと横切るように感じてしまう。

「すみませんっ! 説明不足でしたっ!」
「い、いいえ……」
「あのですね、リヒト様。あなたのことはユリウス様より直直じきじきに託されていますが、俺はあなたのことをほとんど知りません。ですから、一つ一つお尋ねしていく形となります。失礼があったらすみません。先に謝っておきます」

 テオバルドさんがそう言ってまた素早く一礼をした。

 僕はどう答えていいかわからずに、
「ご迷惑をおかけします」
 と返して、ベッドの上でおずおずとお辞儀をした。

 ユーリ様が居ない、ということを僕はいまさらに強く感じた。

 ユーリ様が居ない。
 それだけで、なにをすればいいかわからない。
 昨日まではユーリ様が僕を起こしてくれて、あれをしよう、これをしよう、とぜんぶ決めてくれたから。

 僕はどうしていいかわからずに、テオバルドさんに何も伝えることができなかった。
 僕が黙り込んでしまったので、テオバルドさんも途方にくれたようだった。彼の形をした人影がそわそわと動いている。
 なにかを言わなければならない、と僕は焦って口を開いた。

「お、お風呂に入っても、いいですか」

 間の抜けた僕の言葉に、テオバルドさんがビシっと姿勢を正して、
「もちろんです!」
 と答えた。

 僕はホッとして、もう一度彼に頭を下げた。昨日はお屋敷に戻ってすぐに寝てしまったので、お風呂も食事もしていなかったのだ。
 おまけに着替えもしていなかったと気づいて、僕は恥ずかしくなった。

 今日からはちゃんとしなければ。
 ちゃんと食べると、ユーリ様に約束をしたのだから。

 まずはお風呂に入って、身なりを整えよう。

 僕はそう思ったけれど、いくら待ってもテオバルドさんは動かない。
 お風呂に入っていいと言われたと思ったのに、僕の聞き間違いだったのだろうか。

 どうしよう、とベッドに座ったまま布団を握り締めていると、しばらくしてテオバルドさんが、
「えっ? あ、ああっ!」
 と大きな声を上げて。

「あのですね、もしかして浴室までの道がわからないとかですか?」

 テオバルドさんは僕に、そう問いかけてきた。

 この部屋の右の扉から出て、左側へ続く扉を開けたら浴室だ。行き方は覚えている。でも、ユーリ様は僕を抱っこして運んでくれていたから、僕は当然のようにテオバルドさんも抱き上げてくれるだろうと思い込んでいた。

 僕は慌てて寝台から降りた。歩けるのだから、ひとりで移動するべきだ。そんな当たり前のこともわからないなんて。
 恥ずかしくて逃げてしまいたい衝動をこらえながら僕は、急いでテオバルドさんへ伝えた。

「行き方はわかります、ごめんなさい、僕、ひとりで行けます」
「あ、いや、あっ! 危ないですよっ!」

 ドンっ、となにかにぶつかって、僕は思いきりよろけた。転ぶ直前に、伸びてきたテオバルドさんの手に支えられる。

「箪笥です。怪我はしてませんか?」

 ぶつかった物の正体を教えられて、そこに箪笥があったことを思い出す。このお屋敷に住み始めた当初から、箪笥はずっとそこにある。
 僕が動いても危なくないように、ユーリ様がベッド周りの空間をしっかりと確保してくれていたから、本来ならぶつかるような場所ではなかった。
 慌てすぎたせいで壁際に寄りすぎたのだ。
 自室内も碌にに歩けないのかと、テオバルドさんには呆れられてしまっただろう。

「……ありがとうございます」

 僕は羞恥を覚えながらも、支えてくれたお礼をぼそぼそと口にした。
 テオバルドさんは「う~ん」と困ったような唸り声を漏らして、それから僕に尋ねてきた。

「失礼ながら、手を引いてもいいですか。手ぐらいなら、ギリギリゆるしてもらえると思うんで」

 ゆるす?
 誰のゆるしが要るのだというのだろう。考えて、ああ僕か、と気づく。

 僕は右手を差し出して、
「よろしくお願いします」
 と答えた。

 テオバルドさんが僕の手を握って、引いてくれる。
 僕はぎくしゃくと足を踏み出した。
 これ以上の失態はできないという緊張で、上手く歩けない。よろよろと不安定な僕の動きに合わせて、テオバルドさんはゆっくり歩いてくれた。

 浴室に到着すると、テオバルドさんが手伝いを申し出てくれた。
 僕はそれを断った。

「ひとりで大丈夫です」

 僕の言葉を吟味するようにテオバルドさんはしばらく黙っていたけれど、
「わかりました。私は外で控えておりますので、なにかあれば声をかけてください」
 と言ってドアの外へ消えて行った。

 僕は一生懸命手を動かして、服を脱いだ。
 ボタンがどこにあるのか、触ってもよくわからない。服を引っ張ってひとつひとつ確かめながら、なんとか上の服を脱ぎ落すことができた。
 ズボンの方はまだ簡単だ。トイレのときに脱ぎ着しやすいように、僕のズボンはウエストがゴムになっていて、ユーリ様がお召しの物のようなベルトや他の装飾はつけられていないから、ストンと脱ぐことができる。

 首輪だけは外せない。鍵はユーリ様が持っているし、そもそも僕が自分で鍵穴に鍵を入れるなんて細かな芸当ができるはずもなかった。
 濡れても大丈夫な加工が施されているので、装着したままでも問題ないだろう。

 裸になった僕は、浴槽の方へと近づいた。
 いつもユーリ様が座らせてくれる椅子に座り、ユーリ様がしてくれるように、手桶で浴槽の湯をすくって、頭からざぶりと掛けた。
 肌に、ほのかな温もりを感じる。

 リヒトは温度がわかりにくいから、ひとりでお風呂に入ってはいけないよ。
 子どもの頃にユーリ様から言われたことをいまさらに思い出して、僕は泣きそうになった。

 僕はひとりではなにもできない。

 でもこんな僕でも、唯一、できることがある。

 それは神様の声を聞くことだ。

 石造りの、祭壇のある部屋で。
 僕は何度か、不思議に響く神様の声を耳にした。

 ユーリ様のご無事をデァモント様にお祈りすれば、神様は応えてくださるだろうか。
 ユーリ様は必ず無事にここへ帰ってくると、言ってくださるだろうか。

(祈りなさい、ハーゼ様。祈りなさい)

 真っ白な装束に身を包んだひとが、繰り返しそう言っていたのを覚えている。

 祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。

 僕は浴室の床に両膝をついた。
 そのままの姿勢で目を閉じて、一心にユーリ様の無事をお祈りする。

 祈っているうちに、神様の前に行くときは体を清めなければなりません、と言われて、昔、水垢離みずごりというものをさせられたことがあるなと思い出した。

 あれはいつだっただろうか。
 月神祭、と呼ばれる日のときだったろうか。

 ユーリ様に拾われる前の記憶を手繰り寄せながら、僕は水を求めて浴槽に伸びる蛇口を探した。

 お風呂のお湯が熱すぎたとき、ユーリ様がそこから水を注いで温度を調整していたから、蛇口からは冷たい水が出るはずだった。

 蛇口らしき鉄色のシルエットを見つけ、浴槽のへりに手をついて、もう片方の手を伸ばす。

 身を乗り出した拍子に、足が滑った。
 ざぶん! と水音が上がった。
 頭から浴槽の中へ落ちてしまったのだ。

 僕はお湯の中でもがいた。足を底について、体を持ち上げるだけだ。わかっているのに、自分の体勢がどうなっていて、どっちが上でどっちが下なのか認識ができない。

 ごぼっと口の中から空気が出て行った。
 どうして良いかわからずに、思わず助けを呼ぼうとしてお湯を飲んでしまう。

 ダメだ。苦しい。
 ユーリ様。ユーリ様。ユーリ様!

 急に体が浮いた。
 と思ったら、胸に空気が入ってきた。

「……さまっ! リヒト様っ! 大丈夫ですかっ!」

 誰かが叫んでいる。茶色い髪のひと……テオバルドさんだ。

 ごほごほ咳き込む僕の背を、テオバルドさんが叩いている。

 お風呂場で溺れるなんて、僕は本当にダメだなぁ、と情けなくて涙が出た。

 ごめんなさい、と僕は息苦しい呼吸の合間に、テオバルドさんへ謝った。
 ごめんなさい、と繰り返しながら、喉元へと手をやる。

 首輪を探って、ユーリ様の髪と同じ色の宝石をぎゅっと握りしめる。

 ユーリ様。
 ユーリ様。
 僕はちゃんと祈ります。

 役立たずで、迷惑になるばかりの僕だけど。

 神様の声を聞くことは、できるはずだから……。
 
  
 
 
 

 
 
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