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届けられた書簡
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しおりを挟むまだ早い時間のエミールの来訪に、リヒトはベッド上で半身を起こしこそはしたが、最初は気怠げで虚ろな表情を浮かべていた。部屋着のまま乱れた銀髪を整えることもしていないその様子に、エミールは胸を痛めた。
ふだんこのオメガに、ユリウスがどれほどこころを砕いていたかが察せられる。
エミールはベッドの端に腰を掛け、ユリウスからの手紙を膝に置いて、それをゆっくりゆっくりと読み上げた。
愛情に溢れた手紙を声に出すことは少し気恥ずかしくもあったが、ユリウスの綴った言葉の数々を、確実にリヒトに届けなければならない。
その使命感でエミールは、リヒトにも聞き取りやすいよう、速度や音量に注意しながら、語りかけるように音読した。
リヒトはエミールが手紙を読み始めると、徐々にその身を乗り出して、ひと言も聞き漏らすまいとまばたきすらもやめて、懸命に耳を澄ましていた。
途中、大きな金色の瞳からぼろりと涙がこぼれた。
ユリウスを想ってしずかに泣くリヒトに、エミールの目も熱くなった。
ユリウスの手紙は、確実にリヒトの胸に沁みたようだった。
「きみのユーリより」
最後の文章を声を乗せると、リヒトが唇だけを動かして、
「きみのユーリより」
その言葉を、声もなく繰り返した。
エミールが手紙をリヒトの手に握らせると、リヒトはそれをそっと胸に押し抱いた。
「僕の、ユーリ様……」
リヒトが肩を震わせ、咽び泣いた。
細く、華奢なユリウスのオメガ。
その体の線がこの数日でさらに儚くなったように見えて、エミールはそっと肩甲骨の浮き出た背を撫でた。
「リヒト。あなたが食事をしていないと、屋敷の者たちが皆心配していました。でも、リヒト。ユーリ様はあなたの食べる姿が好きだと言っています。ユーリ様に、見せてあげたくはありませんか?」
リヒトの背をさすりながら問いかけると、涙で濡れた瞳がエミールを見上げた。
エミールは彼に微笑みかけ、冗談交じりの口調で告げた。
「ユーリ様が驚くぐらい、丸々太ったリヒトを!」
リヒトの唇が震えた。
笑おうとして失敗したのだろうか。
くしゃりと顔を歪めて、リヒトは手紙を抱きしめたまま深くうつむいた。
「リヒト。食事をしましょう。ユーリ様が好きだと仰ったあなたの食べる姿を、オレも見てみたいです」
サラサラのリヒトの髪を指先で梳きながら、エミールは彼を食事に誘った。
リヒトに初めて会ったとき、この子はエミールに、どうすればずっとオメガでいられるか、と問いかけてきた。アルファとオメガの間で成立する、つがいについてもあまり知らないようだった。
オメガであるリヒトの、バース性に関する知識はあまりに乏しい。
けれどそれはリヒトのせいではなく、ユリウスの責任だ。ユリウスがリヒトに与える情報を絞り、管理した結果だ。
あのときはリヒトを無知のままにしているユリウスに腹が立った。
バース性や、アルファとオメガの間で起こることをきちんと説明をすべきだと思った。
だからリヒトに、そういったことをオレからユーリ様に話します、と伝えた。
リヒトは、ユーリ様にはなにも言わないで、と泣きそうな顔で答えていた。
繊細な子だ、とエミールはそのとき感じた。
繊細で、脆い子だと。
そんな玻璃細工のようなリヒトが、誰からもなにからも傷つけられないよう、ユリウスは様々なことにこころを砕き、先手を打ってリヒトに与える情報を選定している。
それをユリウスの独占欲のひと言で片づけるのは、あまりに短絡にすぎた。
リヒトをまもることはアルファとして生を受けたユリウスの、最も重要な使命なのだ。
リヒトに発情期がないため、つがい関係を結べない彼らは、しかしエミールの目には充分に互いを求め合う一対の生き物に見える。
ユリウスはともかく、リヒトはアルファの匂いも感じないのに、やはり解るのだろうか。
このひとが、自分の『運命』だと。
エミールはリヒトのはかなく白い頬を撫で、ユリウス不在の間なんとしても彼の宝物をまもらなければならないと、強く感じた。
それにはともかく食事だ。
「リヒト。実はオレもさびしくて、食欲がないんです。だから朝食も食べてない。あなたが付き合ってくれたら、とても嬉しいのですが。リヒト、オレと一緒に食べてくれませんか?」
リヒトはしばらく背を丸め、泣き続けていたが、やがて消え入りそうな声で、
「……はい」
と返事をした。
エミールは目を丸くして、室内で息を潜めるように控えていたテオバルドを素早く振り仰いだ。
いま「はい」と言った声が彼にも届いただろうか。
忠実なるユリウスの侍従は、エミールに負けず劣らず見開いた目で、こくこくと頷きそのまま扉まで移動すると顔を外へ出して女中を呼んだ。
「食事の支度を! リヒト様がお食べになりますっ!」
テオバルドは小声で叫ぶ、という器用な真似を披露した。
女中の短い悲鳴が聞こえ、それからバタバタと慌ただしく廊下を走る音がする。
屋敷中の者が皆一丸となって、リヒトのための食事を準備しだしたのがエミールにも伝わってきた。
ほどなくして続き部屋で、遅い朝食の支度が始まった。
エミールはその音を聞きながら、温めたおしぼりでリヒトの顔を拭き、髪を整え、簡単な整容を手伝った。
テオバルドは客人のエミールにそのような仕事をさせることに恐縮していたが、代わろうする彼を制止したのはエミール当人だ。
せっかくリヒトが身を任せてくれているのだし、食事をする気持ちになったのだから、下手に刺激しない方がいいとの判断だった。
しかしこの家の造りは本当に面白い、とエミールはリヒトの世話をしながらしげしげと室内を見渡した。
寝室、食事をするための部屋、トイレや浴室など必要な場所へはすべて扉ひとつで繋がっており、動線が短くシンプルな造りである。
主な移動範囲から外れた場所には、目立たないような扉が設置されていて、恐らくそこが使用人の通路になっているのだろうと察せられた。
家具は必要最低限。他の貴族の屋敷のような無駄な装飾はなく、壁には絵画の一枚も掛かっていなかった。
すべてはリヒトのためだろう。
落下して危ないもの、歩くときに邪魔になるもの、そういったものをすべて排除した結果が、この部屋なのだ。
ユリウスの愛のかたまりだな、とエミールはしみじみ思う。
そういえばクラウスも、部屋をエミールの好きな花や色で埋め尽くしたことがあった。
アルファという生き物は、そういう……オメガのための居場所を作りたい願望があるのだろうか。
それともこれはミュラー家の兄弟に受け継がれる遺伝なのだろうか?
エミールがおのれのつがいを思い出して含み笑いを漏らしていると、
「エミール様、支度が整いました」
テオバルドがそっと声をかけてきた。
エミールは頷き、まだ手紙を抱きしめているリヒトを覗き込んだ。
「リヒト。手紙はしわになってしまうので、ここに置いていきましょう」
「……はい」
とても残念そうに、リヒトがしゅんとする。
かわいそうだったが、食事の席に持って行って万が一濡らしてしまったときに、取り返しがつかない。
濡れると文字が滲んで読めなくなってしまうのだと説明すると、リヒトは手紙を枕元に慎重な手つきで置いた。
「エミール様」
「はい」
「手紙は破れていませんか?」
「え? いえ、大丈夫ですよ」
「僕がぎゅっとしすぎてしまったかもしれません。ぐしゃぐしゃになってませんか? おかしくなってませんか?」
ひたむきに問われて、エミールは彼の両手を包んでしっかりと否定した。
「リヒト。大丈夫です。手紙はきれいなままですよ」
「……良かったです」
エミールの返事に、リヒトがはにかむように微笑んだ。
小さな口をゆるめて笑うその顔は、ものすごく可愛い。
ユリウスがメロメロになる気持ちもわかる。
エミールはリヒトの手を引いて立ちあがらせた。そのまま食堂までを手をつないで歩く。
テーブルの上には、色とりどりの料理が並んでいた。
しかし数日固形物を口にしていないリヒトのため、どれもが胃にやさしい食材となっていた。
エミールはごくりと喉を鳴らした。
この屋敷の料理がおいしそうだったからではない。
緊張しているのだ。
チラとテオバルドへ視線をやると、青年は力強くひとつ頷いた。
その目は「お任せしました!」と語っている。
そうだ。
やるしかないのだ。
『あれ』を。
エミールは椅子を引き、そこに座った。
もう一度ごくりと生唾を飲み込み、羞恥をこらえ、勇気を振り絞って口を開いた。
「リヒト。オレの膝にどうぞ」
リヒトの手を軽く引きながらそう告げると、リヒトが金色の瞳を瞬かせた。
ユーリ様ぁぁぁ!
これでリヒトが座ってくれなかったら、オレはいい笑い者なんですけど!!
胸の中でユリウスに向けて盛大に叫ぶエミールの膝の上に。
リヒトがちょこんと腰を下ろした。
「わぁ!」
感動に、エミールは思わず叫んでいた。
恐らくテオバルドも同時に声を上げたはずだ。二人分の「わぁ!」がエコーしていた。
リヒトが驚いて立ち上がり、
「す、すみません。僕、間違えましたか?」
おずおずと尋ねてきた。
それを力いっぱい否定して、エミールは再度リヒトを膝に招き、ユリウスの書簡に示されていた通りに可愛い可愛いオメガの食事を手伝ったのだった。
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