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リヒト⑥
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まだここに居ますから、と言ってくれたエミール様は、なんとその日はこのお屋敷に泊まってくださった。
その予定ではなかったのに、ご自身の従者やテオバルドさんたちと相談をして、あっさりと宿泊を決められた。
たっぷり昼寝をした僕は、その後飾緒作りの練習に再度取り組んで、夕ご飯はエミール様と食べて、それからエミール様と一緒に寝台に入った。
「叱られてしまいますね」
エミール様は僕と並んで横になりながら、そんなことを口にした。
誰に叱られるのだろうか。テオバルドさんだろうか。それともエミール様のお屋敷のひとにだろうか。
エミール様が叱られるのは嫌で、僕は、
「誰に叱られてしまいますか?」
と尋ねた。
僕なんかが力になれるとは思わなかったけれど、エミール様が叱られる前にぜんぶ僕のせいにしてもらえれば、エミール様への叱責は少しはマシになるかもしれない。
だから叱られる相手を知りたかったのだけれど。
「ユーリ様とクラウス様にですよ!」
返ってきた返事に、僕はきょとんとしてしまう。
なんでユーリ様がエミール様を叱るんだろう?
あれ? でもこの場合僕が叱られるってことだろうか?
身分もわきまえずに、ユーリ様のお兄様のつがいと一緒のベッドで寝たと、怒られてしまうだろうか?
それなら僕は、べつのところで寝た方がいいんじゃないかな。
エミール様に言ってみようかな。
そう考えて口を開きかけたけれど、エミール様が、
「でもこれぐらいの役得、あってもいいですよね」
と言って僕の頭を撫でてくれたから。
切り出すタイミングを逃して、結局僕はエミール様と一緒に眠ってしまった。
しかし僕は本当に眠りすぎだと思う。
お昼寝もしたのに、翌朝もエミール様に起こされるまでぐっすり寝ていたのだから。
翌日はエミール様に温室を見ていただいた。
僕が手すりを伝って温室までひとりで行くと、後ろをついてきたエミール様は小さな子を褒めるように僕を褒めてくれた。
それから、水やりや肥料撒きをする僕を見て、こんな重いカゴを抱えて大丈夫かと心配してくれた。
でも僕が楽しく仕事をしていることをわかってくださり、一緒にお花の手入れなどをしてくださった。
その後は飾緒の練習の続きをした。
エミール様がわざわざ僕のために作ってくれた丸台や色分けされた棒はとても使いやすくて、僕は紐を編む作業に夢中になって取り組んだ。
日が沈むころには、昨日から編み続けた黒い紐は、僕の背丈ほどの高さにまでなっていた。
「初めてにしては上出来ですよ、リヒト! すごくきれいに編めています」
エミール様が拍手つきでそんな感想をくださった。
僕は照れ臭くなってうふふと笑いながら、エミール様が先端を結んで整えてくれたその紐を受け取り、じっくりと触ってみた。
視力と触覚の弱い僕にはあまりわからないけれど、そんなにおかしな仕上がりにはなっていないようでホッとする。
「明日は紐の色を明るい色に変えて試してみましょう。白い丸台で作業しにくいようなら、べつの色を用意しますので」
エミール様の提案に僕は頷き、今日はエミール様は帰ってしまうのだろうかとふと気になった。
「……エミール様」
「はい、なんでしょう」
「今日は、帰ってしまいますか?」
「え?」
「お泊まりには、なりませんか?」
寂しさに駆られてつい尋ねてしまってから、僕は口を押えた。
泊まってくださいと言える立場ではなかったし、エミール様も迷惑だろう。
エミール様が身を屈めて、僕の顔を覗き込んでくる。
「オレが泊まっても、リヒトは気を遣ったりしませんか?」
質問に質問が返ってきた。
僕は驚いて首を横に振った。
「昨日、エミール様がお泊まりしてくださって、嬉しかったです」
「それは良かった。オレもとても楽しかったので、もう一泊したいなぁと思ってました」
「……本当ですか?」
「はい。泊まってもいいですか?」
しずかな声で問われて、僕は勢いよく頷いた。
もう一泊、ということは明日には戻ってしまわれるのだろう。
それでもエミール様が居てくださることで、ユーリ様不在のさびしさが少しやわらぐ。
エミール様も同じことを感じてくださったなら嬉しいな。僕はそう願いながら、エミール様と一緒に編んだ紐の片づけを行った。
そしてその日も、エミール様と一緒の寝台で、二人で並んで眠った。
翌日、エミール様は僕に宿題を残して、ご自身のお屋敷に戻られた。
エミール様はエミール様でクラウス様に家のことを任されているので、管理のために一度帰らなければならないとのことだった。
けれど、また明日には来ますね、と嬉しいお言葉もくれた。
僕はエミール様にお礼を言って、温室の仕事を終えてから宿題にとりかかった。
宿題とはもちろん、飾緒作りのことだ。
紐が四本から八本に増えていた。八本のときは、二本ずつを手に取って、動かしてゆく。
一緒に動かす棒は同じ色に塗られているから、どれを動かせばいいかわかりやすかった。
編み込む紐が増えたら、仕上がりの飾緒も少し太くなる。
紐の色は、黒と金の二色を使った。
白い丸台に金の紐は僕の目には同化して見えにくかったけれど、紐の先についた棒のおかげで作業に支障はなかった。
編み始めの下準備や、編んでいる途中の支援は、テオバルドさんが行ってくれる。
本当はこんなこと彼の仕事ではないのだろうけど、ユーリ様にそう言い遣っているからだろう、テオバルドさんは文句も言わずに僕を手伝ってくれた。
エミール様が居ない間の食事も、テオバルドさんが介助してくれる。お風呂も。洗面も。着替えも。
ユーリ様が送ってきたという『事典』を見ながら、色々と気配りをしてくれる。
僕がひとりでやりますと言っても、お風呂で溺れたり焼き菓子でむせたりしたから、テオバルドさんは介助の手を減らすことはしなかった。
ユーリ様が不在の中、一日、また一日と経過してゆく。
エミール様は毎日来てくださり、僕と一緒に飾緒作りをしてくれた。
飾緒を作り初めて五日。編み紐は十六本に増えていた。
ユーリ様が出立されて、十日が経過している。
届いた手紙は、最初にいただいたもの一通だけだった。
「手紙をくださること自体が、とっても珍しいことなんですよ」
とは、エミール様のお言葉だ。
「基本的に騎士団が動くときは、災害支援などの場合を除いて、任務先の場所や目的を悟られないように秘密裏に動くことが多いんです。ですからオレも行き先は知りませんし、聞いても教えてくれません。秘密にするのは国をまもるためでもありますし、オレをまもるためでもあります。オレがクラウス様の動向のすべてを把握していたら、クラウス様と敵対する相手が居た場合、オレに危険が迫ることになりますから」
エミール様は物を知らない僕にそう教えてくれて、
「ですから、ユーリ様が移動途中で手紙を出したことが異例なのです。どうしてもリヒトに届けたかったんでしょうね」
と続けた。
僕は、もはや宝物となっている手紙を思い浮かべながら、ユーリ様に改めて感謝した。
けれど、誰もユーリ様の情報を持っていない、というのも不安だ。
本当にご無事なのだろうか。
本当にここに帰ってきてくれるのだろうか。
不安で、怖くて、落ち着かない。
そんな僕を慰めてくれたのは、やはりエミール様だった。
「オレも最初はそうでしたよ」
僕の不安を理解して、エミール様はそう声をかけてくれた。
「クラウス様が任務に赴かれるときは、いつも不安で、心配で、夜も眠れなくなります。でも彼は必ずオレのところへ帰ってきてくれる。これまでもそうでしたし、これからもそうでしょう。そしてユリウス様も。リヒト、あなたのところに必ず元気に戻って来られますよ」
そうだろうか。
そうだとすればそれは、いつになるのだろうか。
僕はユーリ様の顔も、覚えていられない。
視界がいつもぼやけているからだ。
声だって聞き分けられない。
耳が悪くて、ぜんぶの音が歪んで聞こえてしまうから。
ユーリ様が戻ってこられたとき、僕はユーリ様に気づけるだろうか。
いつかのように、他のひとをユーリ様と間違えてしまったらどうしよう。
抱えた不安はどんどんと膨らんで、僕を押しつぶしてしまいそうだ。
しょんぼりとする僕を見かねたのか、エミール様が明るい口調で提案をしてくださった。
「リヒト、願掛けをしましょう。願掛けは、お願いごとが叶うように祈りながらなにかを行なうことです。リヒト、ユーリ様とクラウス様のご無事を願って、飾緒を完成させましょう」
願掛け。
願いごとが叶うようにお祈りをしながら、飾緒を完成させる。
ユーリ様の無事を、お祈りしながら。
僕が、飾緒を作れたら。
ユーリ様はここへ、戻ってきてくれるのだろうか……。
その予定ではなかったのに、ご自身の従者やテオバルドさんたちと相談をして、あっさりと宿泊を決められた。
たっぷり昼寝をした僕は、その後飾緒作りの練習に再度取り組んで、夕ご飯はエミール様と食べて、それからエミール様と一緒に寝台に入った。
「叱られてしまいますね」
エミール様は僕と並んで横になりながら、そんなことを口にした。
誰に叱られるのだろうか。テオバルドさんだろうか。それともエミール様のお屋敷のひとにだろうか。
エミール様が叱られるのは嫌で、僕は、
「誰に叱られてしまいますか?」
と尋ねた。
僕なんかが力になれるとは思わなかったけれど、エミール様が叱られる前にぜんぶ僕のせいにしてもらえれば、エミール様への叱責は少しはマシになるかもしれない。
だから叱られる相手を知りたかったのだけれど。
「ユーリ様とクラウス様にですよ!」
返ってきた返事に、僕はきょとんとしてしまう。
なんでユーリ様がエミール様を叱るんだろう?
あれ? でもこの場合僕が叱られるってことだろうか?
身分もわきまえずに、ユーリ様のお兄様のつがいと一緒のベッドで寝たと、怒られてしまうだろうか?
それなら僕は、べつのところで寝た方がいいんじゃないかな。
エミール様に言ってみようかな。
そう考えて口を開きかけたけれど、エミール様が、
「でもこれぐらいの役得、あってもいいですよね」
と言って僕の頭を撫でてくれたから。
切り出すタイミングを逃して、結局僕はエミール様と一緒に眠ってしまった。
しかし僕は本当に眠りすぎだと思う。
お昼寝もしたのに、翌朝もエミール様に起こされるまでぐっすり寝ていたのだから。
翌日はエミール様に温室を見ていただいた。
僕が手すりを伝って温室までひとりで行くと、後ろをついてきたエミール様は小さな子を褒めるように僕を褒めてくれた。
それから、水やりや肥料撒きをする僕を見て、こんな重いカゴを抱えて大丈夫かと心配してくれた。
でも僕が楽しく仕事をしていることをわかってくださり、一緒にお花の手入れなどをしてくださった。
その後は飾緒の練習の続きをした。
エミール様がわざわざ僕のために作ってくれた丸台や色分けされた棒はとても使いやすくて、僕は紐を編む作業に夢中になって取り組んだ。
日が沈むころには、昨日から編み続けた黒い紐は、僕の背丈ほどの高さにまでなっていた。
「初めてにしては上出来ですよ、リヒト! すごくきれいに編めています」
エミール様が拍手つきでそんな感想をくださった。
僕は照れ臭くなってうふふと笑いながら、エミール様が先端を結んで整えてくれたその紐を受け取り、じっくりと触ってみた。
視力と触覚の弱い僕にはあまりわからないけれど、そんなにおかしな仕上がりにはなっていないようでホッとする。
「明日は紐の色を明るい色に変えて試してみましょう。白い丸台で作業しにくいようなら、べつの色を用意しますので」
エミール様の提案に僕は頷き、今日はエミール様は帰ってしまうのだろうかとふと気になった。
「……エミール様」
「はい、なんでしょう」
「今日は、帰ってしまいますか?」
「え?」
「お泊まりには、なりませんか?」
寂しさに駆られてつい尋ねてしまってから、僕は口を押えた。
泊まってくださいと言える立場ではなかったし、エミール様も迷惑だろう。
エミール様が身を屈めて、僕の顔を覗き込んでくる。
「オレが泊まっても、リヒトは気を遣ったりしませんか?」
質問に質問が返ってきた。
僕は驚いて首を横に振った。
「昨日、エミール様がお泊まりしてくださって、嬉しかったです」
「それは良かった。オレもとても楽しかったので、もう一泊したいなぁと思ってました」
「……本当ですか?」
「はい。泊まってもいいですか?」
しずかな声で問われて、僕は勢いよく頷いた。
もう一泊、ということは明日には戻ってしまわれるのだろう。
それでもエミール様が居てくださることで、ユーリ様不在のさびしさが少しやわらぐ。
エミール様も同じことを感じてくださったなら嬉しいな。僕はそう願いながら、エミール様と一緒に編んだ紐の片づけを行った。
そしてその日も、エミール様と一緒の寝台で、二人で並んで眠った。
翌日、エミール様は僕に宿題を残して、ご自身のお屋敷に戻られた。
エミール様はエミール様でクラウス様に家のことを任されているので、管理のために一度帰らなければならないとのことだった。
けれど、また明日には来ますね、と嬉しいお言葉もくれた。
僕はエミール様にお礼を言って、温室の仕事を終えてから宿題にとりかかった。
宿題とはもちろん、飾緒作りのことだ。
紐が四本から八本に増えていた。八本のときは、二本ずつを手に取って、動かしてゆく。
一緒に動かす棒は同じ色に塗られているから、どれを動かせばいいかわかりやすかった。
編み込む紐が増えたら、仕上がりの飾緒も少し太くなる。
紐の色は、黒と金の二色を使った。
白い丸台に金の紐は僕の目には同化して見えにくかったけれど、紐の先についた棒のおかげで作業に支障はなかった。
編み始めの下準備や、編んでいる途中の支援は、テオバルドさんが行ってくれる。
本当はこんなこと彼の仕事ではないのだろうけど、ユーリ様にそう言い遣っているからだろう、テオバルドさんは文句も言わずに僕を手伝ってくれた。
エミール様が居ない間の食事も、テオバルドさんが介助してくれる。お風呂も。洗面も。着替えも。
ユーリ様が送ってきたという『事典』を見ながら、色々と気配りをしてくれる。
僕がひとりでやりますと言っても、お風呂で溺れたり焼き菓子でむせたりしたから、テオバルドさんは介助の手を減らすことはしなかった。
ユーリ様が不在の中、一日、また一日と経過してゆく。
エミール様は毎日来てくださり、僕と一緒に飾緒作りをしてくれた。
飾緒を作り初めて五日。編み紐は十六本に増えていた。
ユーリ様が出立されて、十日が経過している。
届いた手紙は、最初にいただいたもの一通だけだった。
「手紙をくださること自体が、とっても珍しいことなんですよ」
とは、エミール様のお言葉だ。
「基本的に騎士団が動くときは、災害支援などの場合を除いて、任務先の場所や目的を悟られないように秘密裏に動くことが多いんです。ですからオレも行き先は知りませんし、聞いても教えてくれません。秘密にするのは国をまもるためでもありますし、オレをまもるためでもあります。オレがクラウス様の動向のすべてを把握していたら、クラウス様と敵対する相手が居た場合、オレに危険が迫ることになりますから」
エミール様は物を知らない僕にそう教えてくれて、
「ですから、ユーリ様が移動途中で手紙を出したことが異例なのです。どうしてもリヒトに届けたかったんでしょうね」
と続けた。
僕は、もはや宝物となっている手紙を思い浮かべながら、ユーリ様に改めて感謝した。
けれど、誰もユーリ様の情報を持っていない、というのも不安だ。
本当にご無事なのだろうか。
本当にここに帰ってきてくれるのだろうか。
不安で、怖くて、落ち着かない。
そんな僕を慰めてくれたのは、やはりエミール様だった。
「オレも最初はそうでしたよ」
僕の不安を理解して、エミール様はそう声をかけてくれた。
「クラウス様が任務に赴かれるときは、いつも不安で、心配で、夜も眠れなくなります。でも彼は必ずオレのところへ帰ってきてくれる。これまでもそうでしたし、これからもそうでしょう。そしてユリウス様も。リヒト、あなたのところに必ず元気に戻って来られますよ」
そうだろうか。
そうだとすればそれは、いつになるのだろうか。
僕はユーリ様の顔も、覚えていられない。
視界がいつもぼやけているからだ。
声だって聞き分けられない。
耳が悪くて、ぜんぶの音が歪んで聞こえてしまうから。
ユーリ様が戻ってこられたとき、僕はユーリ様に気づけるだろうか。
いつかのように、他のひとをユーリ様と間違えてしまったらどうしよう。
抱えた不安はどんどんと膨らんで、僕を押しつぶしてしまいそうだ。
しょんぼりとする僕を見かねたのか、エミール様が明るい口調で提案をしてくださった。
「リヒト、願掛けをしましょう。願掛けは、お願いごとが叶うように祈りながらなにかを行なうことです。リヒト、ユーリ様とクラウス様のご無事を願って、飾緒を完成させましょう」
願掛け。
願いごとが叶うようにお祈りをしながら、飾緒を完成させる。
ユーリ様の無事を、お祈りしながら。
僕が、飾緒を作れたら。
ユーリ様はここへ、戻ってきてくれるのだろうか……。
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