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光あれ
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夢うつつの中、泣きながらユリウスにしがみついてくるリヒトのこころを慰撫するように、ユリウスはおのれのオメガへと語りかける。
「リヒト。僕を信じて。僕の愛を、疑わないで」
この先、なにがあっても。
五感が戻っても戻らなくても。
ユリウスが絶対に、ゆるぎなく、リヒトの傍に居ることを。
疑わないでほしい。
リヒトが、鬼気迫るほどの表情で、ユリウスの言葉をひとつも聞き漏らすまいと耳を澄ませ、言葉のひとつひとつを大切に拾っているのが伝わってきた。
彼の目は濡れて、そこにユリウス自身の緑の瞳が映り込み、ゆらゆらと揺れてきれいだった。まるで、森の湖にたゆたう月のようだ。
ユリウスはたまらない気分になって、リヒトにキスをした。
やわらかな唇が、ユリウスの愛を受け止めてくれる。
触れた、という感触はないだろう。それでもリヒトは、なにかを感じとったかのように、彼の方からも唇を寄せてきた。
ちゅ、ちゅ、と小鳥が啄むかのような可愛らしい動きに、ユリウスの理性が焼き切れそうになる。
もうすこし深く口づけてもいいだろうか。
我慢できずに、リヒトの後頭部を掻き抱いて唇を重ねようとしたら、リヒトが思いの外勢いよく顎を上げて顔を近づけてきたので、タイミングがずれて歯がガチっと当たってしまった。
「あいた」
さほどの痛みはなかったが、歯がぶつかったおかげで理性が戻ってくる。
ユリウスはホッと息を吐いて、リヒトの口が傷ついていないかを確認した。
リヒトは言われるがままに口を開いて、ついでのようにあくびをする。
眠気が強いのだ。
それなのに、リヒトは眠るまいと頑張ってユリウスに話かけてくる。
「ゆぅりさま……だいすきです。ぼく、がんばります。がんばって、ゆぅりさまをまちます。ほんもののゆぅりさまがかえってくるのを、まちます」
キスまでしておいてまだ夢だと思っているリヒトが可愛すぎて、ユリウスは肩を揺すって笑った。
それから華奢な体を抱きしめて、ちゅ、とキスを降らせる。
「眠っていいよ、リヒト。目が覚めたら熱も下がってる。きみが元気になったら、大事な話をしようね。リヒト。忘れないで。きみの願いは、僕がすべて叶えるから。だから、起きたら僕に教えて? 視力を取り戻したい。聴力を取り戻したい。それから? なにがしたい? きみがやりたいこと、ぜんぶ僕に教えてね。おやすみ、リヒト。僕のオメガ」
「……ふぁい……」
呂律の怪しい返事をなんとか発して、リヒトは瞼を閉じた。
寝息はすぐに聞こえてきて、あっという間に眠りの世界に入ったことを教えてくる。
ユリウスはやわらかな銀糸の髪を撫で、リヒトの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
自分もこのまま寝てしまいたい。
そんな願望が湧いてくるが、来賓室では戻って来ないユリウスをエミールやロンバードたちが待っているだろう。
リヒトを抱きしめたまま顔を捻って時計を確認すると、思ったほど時間は経っていなかった。寝台に突っ伏して寝ていたのも、ほんの十数分のことのようだった。
「そろそろ行かなきゃなぁ……」
ぼそり、と呟いて、諦めの息を吐く。
仮に自分がエミールたちの元へ戻らなかったとしても、誰もユリウスを怒ったりはしないだろう。
……この部屋の外で剣呑な気配を放っている人物以外は。
ユリウスは渋々リヒトから体を離し、寝台を抜け出した。
リヒトの体が冷えないよう、毛布でしっかりとリヒトを包むことは忘れない。
湯たんぽのように温かかったリヒトと離れたことで、ユリウスの肌は急激に冷えてしまった。
ぶるり、と体を震わせて、ユリウスはもう一度リヒトの寝顔を見つめてから、部屋を出た。
ドアを開くと、途端にその隙間から、攻撃的なアルファの威圧が押し寄せてくる。
ユリウスは慌てて廊下へ出て、怒りのオーラがリヒトに届かないように後ろ手に素早くドアを閉じた。
「お早いお帰りでしたね、兄上」
壁に背を預け、腕を組んで自分を待っていたのはクラウスだ。
兄がここに居ることは、この攻撃的なオーラのせいで察知することができていた。
クラウスは、じろり、と鋭い一瞥をこちらへ投げかけてくる。
次兄がなぜこれほどに怒っているのか、ユリウスはしばし胸に手を置いて考えてみた。
クラウスを差し置いて自分ひとりがリヒトとイチャイチャしていたからか。いやだがしかし、それは次兄からの申し出だ。後のことは自分がしておくから、先に帰っていい、と許可をくれたのは他ならぬクラウス自身なのだから。
では、エミールに待ちぼうけを食わせたからか。
リヒトの寝顔だけ見てくる、と言って部屋を空けてからもう三十分ほどが経過している。クラウスからしてみれば、おのれのオメガが軽んじられた、と思っても仕方ない……かもしれない。
いまひとつ自信はなかったが、ユリウスはその線で当たりをつけ、潔く謝ることにした。
「あ~、兄上、その」
両手を挙げて服従の姿勢を見せながら、クラウスに一歩近づいたユリウスだったが、その途端に左腕を掴まれ、気づけば壁にドンと背中が当たっていた。
ついでに、バン! と派手な音を立てて、ユリウスの顔の横にクラウスがてのひらを当てた。
次兄の青い双眸が間近でぎらりと光っている。
「あにう」
「私より先にエミールに会うとはな」
低く、恫喝するようにクラウスが囁いた。
そっちか~! とユリウスは思わず天を仰いだ。
「兄上、違います、不可抗力です。僕のリヒトがなぜかエミール殿のところへ居ると聞いて、馳せ参じただけです。結果的に兄上より先にエミール殿に会ってしまいましたが、僕の目的はリヒトです」
「私が傍に居ないときのエミールなんて、私ですら目にしたことがないんだぞ」
それは当然である。
クラウスが目にできるのは、クラウスが傍に居るときのエミールだけだ。
よしんば物陰に隠れて遠くから観察しようとしても、そこはつがい同士。互いの匂いには敏感なので、すぐに察知されてしまうだろう。
「兄上。さては疲れてますね」
わけのわからない言いがかりを受けて、ユリウスは兄を労うべくお疲れ様でしたと言おうとしたが、クラウスはユリウスの左腕を掴んでいた手をゆっくりと目の高さまで持ち上げ、さらに声音を低くした。
「エミールの手を握ったのか?」
あ~、はいはい、そのことね、とユリウスは重ねて得心し、横目でおのれの侍従を探した。
ユリウスがエミールの手を握ってリヒトの風呂の件を尋ねたことが、クラウスの耳に入ればそれは叱られて当然だ。
だが、黙っていればわからない事柄である。
告げ口をしたのはどっちだ、とユリウスは、兄の肩越しにロンバードとテオバルドの姿を見つけ、冷たい眼差しで二人を射た。
物言わぬユリウスの視線を浴びたロンバードは察しの良さを披露して、
「誤解です」
と飄々とした口調で答えた。
「俺も倅も団長にはなにも言ってやしませんよ。団長の変態的な嗅覚が」
「誰が変態だ」
クラウスが振り向きもせずにぼそりと吐き捨て、眉間にしわを寄せた。
「エミールの手首から、ユーリ、おまえの匂いがした」
なるほど、変態的な嗅覚である。
「申し訳ありません。迂闊に触れました。もうしません」
ユリウスは全面降伏をした。クラウスが奥歯をゴリっと噛み締め、
「おまえがエミールに触れた分だけ、私がおまえに触ろう」
意味不明な論理を展開して、ユリウスの手首をぎゅっと握りしめてくる。
ユリウスはやれやれと吐息して、右手で兄の頭をポンと撫でた。
「それで兄上の気が済むならかまいませんが、その思考回路はマリウス兄上とおんなじですよ」
「む……そうか」
「ついでにエミール殿がアマル殿だったら、面白がって一緒に僕のことを抱きしめてきますが」
「……エミールがアマル殿のような性格じゃなくて良かった」
「ええ、本当に」
つがい愛にいのちを懸けているくせに、いつまで経っても弟離れをしない二人の兄に苦笑をこぼすユリウスを、クラウスが軽くハグをしてから解放した。先ほどまでの圧倒的なアルファの威圧は消えている。
「まったく、あんたらアルファってのは……」
ロンバードが呆れも隠さずにぼりぼりと頭を掻いて呟いたが、息子の方はまだ繊細さを持ち合わせており、クラウスの迫力に呑まれきってしまったように声も出せず、ただ口をパクパクと開閉させていた。
「ところで兄上、本当に早いお戻りでしたね」
「ああ。こんな夜中だしな。昼間に改めて登城することを条件に、早々に帰らせてもらった。ユーリ。おまえも来なさい。国王陛下にこの度の報告をしなければならない」
「ええ。むろん同行させていただきます」
「エミールにも話があるようだが、それも昼間にまとめて行うことで異論はないな?」
クラウスが戻るまでの時間つぶしでエミールと話をする約束をしていたが、すでにクラウスは帰宅しているのだから、これもべつに問題はないだろう。
ユリウスが頷くと、次兄は唇の端で笑って、
「では戻っていいぞ。明日は正午に出発する。それまでは各々自由時間だ」
と嬉しいことを言ってくれた。
正午まではリヒトと二人で過ごせるということだ。
ユリウスは喜色満面となり、出てきたばかりの部屋へいそいそと戻ろうとする。その背を兄の声が追ってきた。
「ユーリ、風呂に入りたければ湯を用意するが、どうする?」
遠征から戻ったばかりでクラウス邸へ直行した形になったので、たしかにきれいとは言いがたい。
だがもうすでにベッドには入ってしまったわけだし、往路の強行軍とは違って帰りは子どもの体調を見ながら宿屋に泊まることも多かった。だから風呂はひと眠りしてからでいいだろう。なにより、いまはもう一秒でもリヒトと離れたくなかった。
ユリウスの答えを聞いたクラウスは、
「私もそうしよう」
と言って踵を返した。
そういえばエミールはどうしたのだろう。もう寝たのだろうか。
ユリウスの疑問に、クラウスがじわりとした微笑を浮かべる。
「あれは誰かに見せれる状態じゃないからな。部屋からは出るなと言っておいた」
王城から飛んで帰ってきたクラウスに、出立のときと同様の、ものすごく深い口づけでもされたのだろうか。
そう予想したユリウスへと、
「団長が変態的な……」
とロンバードが口パクでなにかを言いかけ、クラウスに殴られた。
ユリウスは彼らへひらりと手を振って、
「それでは僕も休ませてもらいます、兄上。ロンバード、テオバルド、おまえたちも下がっていい。解散だ」
今度こそ解散の言葉をかけて、リヒトの眠る部屋へと戻った。
上着を脱ぎ、シャツのボタンを外し、ベルトや装飾具も外して楽な服装になってから、改めてリヒトの横へ潜り込む。
ポカポカのリヒトを抱きしめて、ふぅ、と大きく息を吐いた。
「朝になって熱が下がってたら、僕がお風呂に入れてあげるね、リヒト。それからご飯を食べて、僕たちの家に帰うね。僕は明日は王城へ行かなくちゃならないけど、またすぐに帰ってくるから。リヒト。リヒト。ああ、本物のリヒトだ。この二十日、きみを思い出さない日はなかったよ。ずっときみのことを考えてた。リヒト。愛してるよ、僕のオメガ」
胸に抱きこんだリヒトの、なめらかなひたいにキスを落として。
ユリウスは目を閉じた。
リヒトの体温と、匂い。
それがおのれの内側へと沁みてゆき、ユリウスの中がリヒトで満たされてゆくのを感じた。
至福だ、とユリウスは思った。
しあわせを噛み締めながら、ユリウスも眠りについた。
リヒトの寝つきが伝染したかのように、あっという間に寝てしまっていた。
「リヒト。僕を信じて。僕の愛を、疑わないで」
この先、なにがあっても。
五感が戻っても戻らなくても。
ユリウスが絶対に、ゆるぎなく、リヒトの傍に居ることを。
疑わないでほしい。
リヒトが、鬼気迫るほどの表情で、ユリウスの言葉をひとつも聞き漏らすまいと耳を澄ませ、言葉のひとつひとつを大切に拾っているのが伝わってきた。
彼の目は濡れて、そこにユリウス自身の緑の瞳が映り込み、ゆらゆらと揺れてきれいだった。まるで、森の湖にたゆたう月のようだ。
ユリウスはたまらない気分になって、リヒトにキスをした。
やわらかな唇が、ユリウスの愛を受け止めてくれる。
触れた、という感触はないだろう。それでもリヒトは、なにかを感じとったかのように、彼の方からも唇を寄せてきた。
ちゅ、ちゅ、と小鳥が啄むかのような可愛らしい動きに、ユリウスの理性が焼き切れそうになる。
もうすこし深く口づけてもいいだろうか。
我慢できずに、リヒトの後頭部を掻き抱いて唇を重ねようとしたら、リヒトが思いの外勢いよく顎を上げて顔を近づけてきたので、タイミングがずれて歯がガチっと当たってしまった。
「あいた」
さほどの痛みはなかったが、歯がぶつかったおかげで理性が戻ってくる。
ユリウスはホッと息を吐いて、リヒトの口が傷ついていないかを確認した。
リヒトは言われるがままに口を開いて、ついでのようにあくびをする。
眠気が強いのだ。
それなのに、リヒトは眠るまいと頑張ってユリウスに話かけてくる。
「ゆぅりさま……だいすきです。ぼく、がんばります。がんばって、ゆぅりさまをまちます。ほんもののゆぅりさまがかえってくるのを、まちます」
キスまでしておいてまだ夢だと思っているリヒトが可愛すぎて、ユリウスは肩を揺すって笑った。
それから華奢な体を抱きしめて、ちゅ、とキスを降らせる。
「眠っていいよ、リヒト。目が覚めたら熱も下がってる。きみが元気になったら、大事な話をしようね。リヒト。忘れないで。きみの願いは、僕がすべて叶えるから。だから、起きたら僕に教えて? 視力を取り戻したい。聴力を取り戻したい。それから? なにがしたい? きみがやりたいこと、ぜんぶ僕に教えてね。おやすみ、リヒト。僕のオメガ」
「……ふぁい……」
呂律の怪しい返事をなんとか発して、リヒトは瞼を閉じた。
寝息はすぐに聞こえてきて、あっという間に眠りの世界に入ったことを教えてくる。
ユリウスはやわらかな銀糸の髪を撫で、リヒトの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
自分もこのまま寝てしまいたい。
そんな願望が湧いてくるが、来賓室では戻って来ないユリウスをエミールやロンバードたちが待っているだろう。
リヒトを抱きしめたまま顔を捻って時計を確認すると、思ったほど時間は経っていなかった。寝台に突っ伏して寝ていたのも、ほんの十数分のことのようだった。
「そろそろ行かなきゃなぁ……」
ぼそり、と呟いて、諦めの息を吐く。
仮に自分がエミールたちの元へ戻らなかったとしても、誰もユリウスを怒ったりはしないだろう。
……この部屋の外で剣呑な気配を放っている人物以外は。
ユリウスは渋々リヒトから体を離し、寝台を抜け出した。
リヒトの体が冷えないよう、毛布でしっかりとリヒトを包むことは忘れない。
湯たんぽのように温かかったリヒトと離れたことで、ユリウスの肌は急激に冷えてしまった。
ぶるり、と体を震わせて、ユリウスはもう一度リヒトの寝顔を見つめてから、部屋を出た。
ドアを開くと、途端にその隙間から、攻撃的なアルファの威圧が押し寄せてくる。
ユリウスは慌てて廊下へ出て、怒りのオーラがリヒトに届かないように後ろ手に素早くドアを閉じた。
「お早いお帰りでしたね、兄上」
壁に背を預け、腕を組んで自分を待っていたのはクラウスだ。
兄がここに居ることは、この攻撃的なオーラのせいで察知することができていた。
クラウスは、じろり、と鋭い一瞥をこちらへ投げかけてくる。
次兄がなぜこれほどに怒っているのか、ユリウスはしばし胸に手を置いて考えてみた。
クラウスを差し置いて自分ひとりがリヒトとイチャイチャしていたからか。いやだがしかし、それは次兄からの申し出だ。後のことは自分がしておくから、先に帰っていい、と許可をくれたのは他ならぬクラウス自身なのだから。
では、エミールに待ちぼうけを食わせたからか。
リヒトの寝顔だけ見てくる、と言って部屋を空けてからもう三十分ほどが経過している。クラウスからしてみれば、おのれのオメガが軽んじられた、と思っても仕方ない……かもしれない。
いまひとつ自信はなかったが、ユリウスはその線で当たりをつけ、潔く謝ることにした。
「あ~、兄上、その」
両手を挙げて服従の姿勢を見せながら、クラウスに一歩近づいたユリウスだったが、その途端に左腕を掴まれ、気づけば壁にドンと背中が当たっていた。
ついでに、バン! と派手な音を立てて、ユリウスの顔の横にクラウスがてのひらを当てた。
次兄の青い双眸が間近でぎらりと光っている。
「あにう」
「私より先にエミールに会うとはな」
低く、恫喝するようにクラウスが囁いた。
そっちか~! とユリウスは思わず天を仰いだ。
「兄上、違います、不可抗力です。僕のリヒトがなぜかエミール殿のところへ居ると聞いて、馳せ参じただけです。結果的に兄上より先にエミール殿に会ってしまいましたが、僕の目的はリヒトです」
「私が傍に居ないときのエミールなんて、私ですら目にしたことがないんだぞ」
それは当然である。
クラウスが目にできるのは、クラウスが傍に居るときのエミールだけだ。
よしんば物陰に隠れて遠くから観察しようとしても、そこはつがい同士。互いの匂いには敏感なので、すぐに察知されてしまうだろう。
「兄上。さては疲れてますね」
わけのわからない言いがかりを受けて、ユリウスは兄を労うべくお疲れ様でしたと言おうとしたが、クラウスはユリウスの左腕を掴んでいた手をゆっくりと目の高さまで持ち上げ、さらに声音を低くした。
「エミールの手を握ったのか?」
あ~、はいはい、そのことね、とユリウスは重ねて得心し、横目でおのれの侍従を探した。
ユリウスがエミールの手を握ってリヒトの風呂の件を尋ねたことが、クラウスの耳に入ればそれは叱られて当然だ。
だが、黙っていればわからない事柄である。
告げ口をしたのはどっちだ、とユリウスは、兄の肩越しにロンバードとテオバルドの姿を見つけ、冷たい眼差しで二人を射た。
物言わぬユリウスの視線を浴びたロンバードは察しの良さを披露して、
「誤解です」
と飄々とした口調で答えた。
「俺も倅も団長にはなにも言ってやしませんよ。団長の変態的な嗅覚が」
「誰が変態だ」
クラウスが振り向きもせずにぼそりと吐き捨て、眉間にしわを寄せた。
「エミールの手首から、ユーリ、おまえの匂いがした」
なるほど、変態的な嗅覚である。
「申し訳ありません。迂闊に触れました。もうしません」
ユリウスは全面降伏をした。クラウスが奥歯をゴリっと噛み締め、
「おまえがエミールに触れた分だけ、私がおまえに触ろう」
意味不明な論理を展開して、ユリウスの手首をぎゅっと握りしめてくる。
ユリウスはやれやれと吐息して、右手で兄の頭をポンと撫でた。
「それで兄上の気が済むならかまいませんが、その思考回路はマリウス兄上とおんなじですよ」
「む……そうか」
「ついでにエミール殿がアマル殿だったら、面白がって一緒に僕のことを抱きしめてきますが」
「……エミールがアマル殿のような性格じゃなくて良かった」
「ええ、本当に」
つがい愛にいのちを懸けているくせに、いつまで経っても弟離れをしない二人の兄に苦笑をこぼすユリウスを、クラウスが軽くハグをしてから解放した。先ほどまでの圧倒的なアルファの威圧は消えている。
「まったく、あんたらアルファってのは……」
ロンバードが呆れも隠さずにぼりぼりと頭を掻いて呟いたが、息子の方はまだ繊細さを持ち合わせており、クラウスの迫力に呑まれきってしまったように声も出せず、ただ口をパクパクと開閉させていた。
「ところで兄上、本当に早いお戻りでしたね」
「ああ。こんな夜中だしな。昼間に改めて登城することを条件に、早々に帰らせてもらった。ユーリ。おまえも来なさい。国王陛下にこの度の報告をしなければならない」
「ええ。むろん同行させていただきます」
「エミールにも話があるようだが、それも昼間にまとめて行うことで異論はないな?」
クラウスが戻るまでの時間つぶしでエミールと話をする約束をしていたが、すでにクラウスは帰宅しているのだから、これもべつに問題はないだろう。
ユリウスが頷くと、次兄は唇の端で笑って、
「では戻っていいぞ。明日は正午に出発する。それまでは各々自由時間だ」
と嬉しいことを言ってくれた。
正午まではリヒトと二人で過ごせるということだ。
ユリウスは喜色満面となり、出てきたばかりの部屋へいそいそと戻ろうとする。その背を兄の声が追ってきた。
「ユーリ、風呂に入りたければ湯を用意するが、どうする?」
遠征から戻ったばかりでクラウス邸へ直行した形になったので、たしかにきれいとは言いがたい。
だがもうすでにベッドには入ってしまったわけだし、往路の強行軍とは違って帰りは子どもの体調を見ながら宿屋に泊まることも多かった。だから風呂はひと眠りしてからでいいだろう。なにより、いまはもう一秒でもリヒトと離れたくなかった。
ユリウスの答えを聞いたクラウスは、
「私もそうしよう」
と言って踵を返した。
そういえばエミールはどうしたのだろう。もう寝たのだろうか。
ユリウスの疑問に、クラウスがじわりとした微笑を浮かべる。
「あれは誰かに見せれる状態じゃないからな。部屋からは出るなと言っておいた」
王城から飛んで帰ってきたクラウスに、出立のときと同様の、ものすごく深い口づけでもされたのだろうか。
そう予想したユリウスへと、
「団長が変態的な……」
とロンバードが口パクでなにかを言いかけ、クラウスに殴られた。
ユリウスは彼らへひらりと手を振って、
「それでは僕も休ませてもらいます、兄上。ロンバード、テオバルド、おまえたちも下がっていい。解散だ」
今度こそ解散の言葉をかけて、リヒトの眠る部屋へと戻った。
上着を脱ぎ、シャツのボタンを外し、ベルトや装飾具も外して楽な服装になってから、改めてリヒトの横へ潜り込む。
ポカポカのリヒトを抱きしめて、ふぅ、と大きく息を吐いた。
「朝になって熱が下がってたら、僕がお風呂に入れてあげるね、リヒト。それからご飯を食べて、僕たちの家に帰うね。僕は明日は王城へ行かなくちゃならないけど、またすぐに帰ってくるから。リヒト。リヒト。ああ、本物のリヒトだ。この二十日、きみを思い出さない日はなかったよ。ずっときみのことを考えてた。リヒト。愛してるよ、僕のオメガ」
胸に抱きこんだリヒトの、なめらかなひたいにキスを落として。
ユリウスは目を閉じた。
リヒトの体温と、匂い。
それがおのれの内側へと沁みてゆき、ユリウスの中がリヒトで満たされてゆくのを感じた。
至福だ、とユリウスは思った。
しあわせを噛み締めながら、ユリウスも眠りについた。
リヒトの寝つきが伝染したかのように、あっという間に寝てしまっていた。
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これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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