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リヒト⑨
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テオバルドさんはポケットからなにかを取り出すと、てのひらに乗せたそれを僕の方へ差し出してきた。
なんだろう。二つの輪っかがくっついている、なめし革でできた変わった形の小物だ。
これをどうするんだろう、と不思議に思いながら見ていると、テオバルドさんは中心の筒状になっている部分をペンの上部から差し込み、少しふくらんだ持ち手のところまで通した。
「リヒト様、ここに指を入れてください」
促されるままに二つの輪っかに親指とひとさし指を入れると、僕の手の中でペンがしっかりと固定されるのがわかった。輪っかとペンを通している筒は繋がっているから、僕が手を離してもペンが転がり落ちることはない。
「わぁ……すごい」
こんな便利なものがあるなんて、と僕が目を丸くしたら、エミール様も僕と同じような表情になって、
「こんな補助具は初めて見ました。テオ、これは?」
と、テオバルドさんへ尋ねた。
エミール様も見たことがないなんて、とっても珍しいものなのかも。
僕もテオバルドさんを見つめると、テオバルドさんは頭を掻きながら「実は」と口を開いた。
「実は昨日ユーリ様に言われて。リヒト様が、その……うまくペンが持てないんじゃないかと、心配をされていまして、それで……なにか対策を考えろ、とですね、俺に丸投げ……ゴホっ、ゴホン! 俺に全権を預けてくださったんです」
またしてもユーリ様が僕のために!
教本をたくさん揃えてくださったことといい、僕がペンを持てないだろうことを予測してくださったことといい、いったいユーリ様はどれだけ僕のために動いてくださっているのだろう。
僕が声もなく感動している横で、エミール様がなぜかひどく気づかわしげに眉を寄せて、
「テオバルド……」
とテオバルドさんの名前を呼ばれた。
テオバルドさんがエミール様にてのひらを向けて、
「大丈夫です! 殿下のために働けることが俺の喜びですから! 同情は無用です!」
そう力強く言い切った。
僕はよくわからないながらに、つまりこの補助具はテオバルドさんが用意してくださったのだろうかと悟り、頭を下げた。
「あの、ありがとうございます。ユーリ様に言われて、テオバルドさんがこれを探してくれたのですね」
「探したというか……作ったというか……」
お手製! すごい!
「すごい! ありがとうございます!」
「テオバルド、すごいじゃないですか! とても器用ですね!」
僕とエミール様二人がかりでテオバルドさんのすごさを称えると、テオバルドさんが涙目になり、
「ううっ、やさしさが沁みる……!」
と天井を仰いで呟いた。
「ユーリ様も、あなたに任せて良かったと思うことでしょう」
「エミール様……ありがとうございます。勿体ないお言葉です」
テオバルドさんがエミール様へと恐縮した様子で一礼をした。
僕は指に装着した補助具とテオバルドさんを交互に見ながら、なんだか申し訳ない気持ちになってきた。
ユーリ様の命でテオバルドさんは、嫌いな僕のためにご自分の時間を割いて、これを作ってくれたのだ。
「あの……ご迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」
いい機会なので僕はテオバルドさんへと謝罪の言葉を告げた。
テオバルドさんがぎょっとしたように目を見開いて、ぶんぶんと首を横に振る。
「いえ、とんでもない! 迷惑と思ったことはないですよ!」
「でも、テオバルドさんは、僕のこと嫌いなのに。ユーリ様が仰るから、僕のために動いてくださってるって、僕、ちゃんとわかってます。だからこれ以上ご迷惑にならないように、」
「ちょおぉぉぉっと待ってください! えっ、な、なんでそんな話に!?」
テオバルドさんがひどくうろたえて、エミール様に向かって忙しない仕草で両手まで振り出した。
「ちちち違いますからねっ! 俺、一回もリヒト様が嫌いとか言ってないですからねっ!」
「テオ、テオバルド、落ち着きなさい」
「いやマジで! 俺は一回も!!」
「テオバルド!」
エミール様が、僕が初めて聞くような大きな声を出された。
呼ばれたテオバルドさんだけなく、僕の肩もビクっと跳ねてしまう。
「わかりましたから、落ち着きなさい。リヒト、なにか誤解があるようですよ。なぜテオバルドがあなたを嫌ってるなんて思ったんですか?」
エミール様の手が僕の背中を撫でてくる。
僕は言っていいものか迷ったけれど、エミール様の飴色の目がやさしく促してきたので、チラとテオバルドさんを見てから、小さな声で答えた。
「前に僕が……テオさんって言ったら、僕に愛称で呼ばれたくないって……」
「テオバルド、あなたそんなことを」
「言ってません! いや、言ったかもですがそういう意味じゃ……って、いやあのときエミール様も居ましたよね!」
「オレも? ……あ、ああ! リヒト、あれは違いますよ」
心当たりがあったのだろう、エミール様がおかしそうに笑いながら、僕の顔を覗き込んできた。
「あれは、あなたに愛称で呼ばれたくないという意味ではなくて、」
「俺がリヒト様と気安く接してたらユーリ様に嫉妬されるんですよ! あのきれいなお顔で、氷のような目で見つめられながら淡々と追い詰められる俺の気持ちわかりますかっ?」
テオバルドさんがエミール様の言葉を途中で奪い、半泣きで僕に訴えてくる。
でも僕は素直に頷けなくて、口ごもってしまう。
そんな僕にエミール様が、
「他にも気になることがあるのですか?」
と水を向けてくださった。
言ってしまってもいいのかな。僕はしばらく迷っていたけれど、エミール様とテオバルドさんが辛抱強く僕の言葉を待っていることに気づいて、恐る恐る、すこし前までユーリ様がいらっしゃらないときは食事やおやつがもらえていなかったことを打ち明けた。
そうしたら、テオバルドさんが。
「はぁっ?」
裏返った声で叫んで、それから、
「ちょっ! 食べてないと思ったら! くそっ、マジかよ! もおぉぉぉ!」
と、地団駄を踏んだかと思うと、力なくへなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
僕は視界から消えてしまったテオバルドさんの動きを追って、立ち上がった。
デスクの向こうの床で、テオバルドさんが打ちひしがれている。
「リヒト、誤解があるようですよ」
エミール様が先ほどと同じことを仰った。
誤解、と言われても、おやつを貰えていなかったことは事実だ。味覚に乏しい僕は、食欲にも乏しくて、食べないなら食べないでよかったのだけれど、ユーリ様がお仕事で居ないときに限っておやつがなかったので、このお屋敷で働くひとたちは皆、僕が嫌いなんだと思っていた。だって、僕がここの使用人でも思うだろう。手がかかるばかりのお荷物だ、って。
それでもお薬を飲むようになってから……いや、それよりも前、ユーリ様が僕を治す薬を探すためにお留守にされた後からは、テオバルドさんが食事やおやつを食べさせてくれていたし、他の使用人のひとたちもユーリ様の命とはいえお荷物な僕に対して色々と気配りをしてくれているから、僕は皆のことが好きだった。
だからおやつが貰えないことが嫌だったのではなく、どうすれば嫌われないようにできるかが知りたかったのだ。
それを、テオバルドさんに尋ねようとしたのだけれど。
テオバルドさんは床に貼り付いてうつむいたまま、わなわなと体を震わせている。
怒らせてしまったのだろうか。
おやつを貰ってない、なんて、エミール様の前で言ったのだから怒って当然だ。
「ご、ごめんなさい」
僕は慌てて謝り、テオバルドさんの近くへ行こうと足を踏み出して、ふらついた。
目が見えると、足元の注意がついおろそかになってしまう。足底をきちんと床につける、という基本的な動作が上手くできずに、ぐらりと傾いでしまった僕を、エミール様が支えてくださる。
「リヒト、危ないから座ってください」
「でも、テオバルドさんが」
「テオ、立って、ちゃんとリヒトに弁明なさい」
エミール様の言葉に、テオバルドさんが機敏に立ち上がり、僕に向かってガバっと頭を下げてきた。相変わらず動きが速い。
「失礼しましたっ! えっとですね、弁明というかなんというか……あの、ここだけの話にしてもらいたいんですが」
ここだけの話。どういう意味だろう。
僕が首を傾げたら、エミール様が、
「ユーリ様には言うなということですよ」
と説明してくれた。
ユーリ様に内緒の話? 首を傾げてテオバルドさんを見上げたら、テオバルドさんが軽く肩を引いて、咳ばらいをした。
「ゴホン。えっとですね、まず、軽食やおやつは毎回ちゃんと用意していました」
「え?」
「本当です。いつもリヒト様が食事を召し上がるあの部屋のテーブルの上に、毎回シェフお手製の焼き菓子やケーキ、菓子パンなどが並んでいました」
衝撃の事実だ。
なぜそれを誰も僕に言ってくれなかったのだろう。
なんだろう。二つの輪っかがくっついている、なめし革でできた変わった形の小物だ。
これをどうするんだろう、と不思議に思いながら見ていると、テオバルドさんは中心の筒状になっている部分をペンの上部から差し込み、少しふくらんだ持ち手のところまで通した。
「リヒト様、ここに指を入れてください」
促されるままに二つの輪っかに親指とひとさし指を入れると、僕の手の中でペンがしっかりと固定されるのがわかった。輪っかとペンを通している筒は繋がっているから、僕が手を離してもペンが転がり落ちることはない。
「わぁ……すごい」
こんな便利なものがあるなんて、と僕が目を丸くしたら、エミール様も僕と同じような表情になって、
「こんな補助具は初めて見ました。テオ、これは?」
と、テオバルドさんへ尋ねた。
エミール様も見たことがないなんて、とっても珍しいものなのかも。
僕もテオバルドさんを見つめると、テオバルドさんは頭を掻きながら「実は」と口を開いた。
「実は昨日ユーリ様に言われて。リヒト様が、その……うまくペンが持てないんじゃないかと、心配をされていまして、それで……なにか対策を考えろ、とですね、俺に丸投げ……ゴホっ、ゴホン! 俺に全権を預けてくださったんです」
またしてもユーリ様が僕のために!
教本をたくさん揃えてくださったことといい、僕がペンを持てないだろうことを予測してくださったことといい、いったいユーリ様はどれだけ僕のために動いてくださっているのだろう。
僕が声もなく感動している横で、エミール様がなぜかひどく気づかわしげに眉を寄せて、
「テオバルド……」
とテオバルドさんの名前を呼ばれた。
テオバルドさんがエミール様にてのひらを向けて、
「大丈夫です! 殿下のために働けることが俺の喜びですから! 同情は無用です!」
そう力強く言い切った。
僕はよくわからないながらに、つまりこの補助具はテオバルドさんが用意してくださったのだろうかと悟り、頭を下げた。
「あの、ありがとうございます。ユーリ様に言われて、テオバルドさんがこれを探してくれたのですね」
「探したというか……作ったというか……」
お手製! すごい!
「すごい! ありがとうございます!」
「テオバルド、すごいじゃないですか! とても器用ですね!」
僕とエミール様二人がかりでテオバルドさんのすごさを称えると、テオバルドさんが涙目になり、
「ううっ、やさしさが沁みる……!」
と天井を仰いで呟いた。
「ユーリ様も、あなたに任せて良かったと思うことでしょう」
「エミール様……ありがとうございます。勿体ないお言葉です」
テオバルドさんがエミール様へと恐縮した様子で一礼をした。
僕は指に装着した補助具とテオバルドさんを交互に見ながら、なんだか申し訳ない気持ちになってきた。
ユーリ様の命でテオバルドさんは、嫌いな僕のためにご自分の時間を割いて、これを作ってくれたのだ。
「あの……ご迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」
いい機会なので僕はテオバルドさんへと謝罪の言葉を告げた。
テオバルドさんがぎょっとしたように目を見開いて、ぶんぶんと首を横に振る。
「いえ、とんでもない! 迷惑と思ったことはないですよ!」
「でも、テオバルドさんは、僕のこと嫌いなのに。ユーリ様が仰るから、僕のために動いてくださってるって、僕、ちゃんとわかってます。だからこれ以上ご迷惑にならないように、」
「ちょおぉぉぉっと待ってください! えっ、な、なんでそんな話に!?」
テオバルドさんがひどくうろたえて、エミール様に向かって忙しない仕草で両手まで振り出した。
「ちちち違いますからねっ! 俺、一回もリヒト様が嫌いとか言ってないですからねっ!」
「テオ、テオバルド、落ち着きなさい」
「いやマジで! 俺は一回も!!」
「テオバルド!」
エミール様が、僕が初めて聞くような大きな声を出された。
呼ばれたテオバルドさんだけなく、僕の肩もビクっと跳ねてしまう。
「わかりましたから、落ち着きなさい。リヒト、なにか誤解があるようですよ。なぜテオバルドがあなたを嫌ってるなんて思ったんですか?」
エミール様の手が僕の背中を撫でてくる。
僕は言っていいものか迷ったけれど、エミール様の飴色の目がやさしく促してきたので、チラとテオバルドさんを見てから、小さな声で答えた。
「前に僕が……テオさんって言ったら、僕に愛称で呼ばれたくないって……」
「テオバルド、あなたそんなことを」
「言ってません! いや、言ったかもですがそういう意味じゃ……って、いやあのときエミール様も居ましたよね!」
「オレも? ……あ、ああ! リヒト、あれは違いますよ」
心当たりがあったのだろう、エミール様がおかしそうに笑いながら、僕の顔を覗き込んできた。
「あれは、あなたに愛称で呼ばれたくないという意味ではなくて、」
「俺がリヒト様と気安く接してたらユーリ様に嫉妬されるんですよ! あのきれいなお顔で、氷のような目で見つめられながら淡々と追い詰められる俺の気持ちわかりますかっ?」
テオバルドさんがエミール様の言葉を途中で奪い、半泣きで僕に訴えてくる。
でも僕は素直に頷けなくて、口ごもってしまう。
そんな僕にエミール様が、
「他にも気になることがあるのですか?」
と水を向けてくださった。
言ってしまってもいいのかな。僕はしばらく迷っていたけれど、エミール様とテオバルドさんが辛抱強く僕の言葉を待っていることに気づいて、恐る恐る、すこし前までユーリ様がいらっしゃらないときは食事やおやつがもらえていなかったことを打ち明けた。
そうしたら、テオバルドさんが。
「はぁっ?」
裏返った声で叫んで、それから、
「ちょっ! 食べてないと思ったら! くそっ、マジかよ! もおぉぉぉ!」
と、地団駄を踏んだかと思うと、力なくへなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
僕は視界から消えてしまったテオバルドさんの動きを追って、立ち上がった。
デスクの向こうの床で、テオバルドさんが打ちひしがれている。
「リヒト、誤解があるようですよ」
エミール様が先ほどと同じことを仰った。
誤解、と言われても、おやつを貰えていなかったことは事実だ。味覚に乏しい僕は、食欲にも乏しくて、食べないなら食べないでよかったのだけれど、ユーリ様がお仕事で居ないときに限っておやつがなかったので、このお屋敷で働くひとたちは皆、僕が嫌いなんだと思っていた。だって、僕がここの使用人でも思うだろう。手がかかるばかりのお荷物だ、って。
それでもお薬を飲むようになってから……いや、それよりも前、ユーリ様が僕を治す薬を探すためにお留守にされた後からは、テオバルドさんが食事やおやつを食べさせてくれていたし、他の使用人のひとたちもユーリ様の命とはいえお荷物な僕に対して色々と気配りをしてくれているから、僕は皆のことが好きだった。
だからおやつが貰えないことが嫌だったのではなく、どうすれば嫌われないようにできるかが知りたかったのだ。
それを、テオバルドさんに尋ねようとしたのだけれど。
テオバルドさんは床に貼り付いてうつむいたまま、わなわなと体を震わせている。
怒らせてしまったのだろうか。
おやつを貰ってない、なんて、エミール様の前で言ったのだから怒って当然だ。
「ご、ごめんなさい」
僕は慌てて謝り、テオバルドさんの近くへ行こうと足を踏み出して、ふらついた。
目が見えると、足元の注意がついおろそかになってしまう。足底をきちんと床につける、という基本的な動作が上手くできずに、ぐらりと傾いでしまった僕を、エミール様が支えてくださる。
「リヒト、危ないから座ってください」
「でも、テオバルドさんが」
「テオ、立って、ちゃんとリヒトに弁明なさい」
エミール様の言葉に、テオバルドさんが機敏に立ち上がり、僕に向かってガバっと頭を下げてきた。相変わらず動きが速い。
「失礼しましたっ! えっとですね、弁明というかなんというか……あの、ここだけの話にしてもらいたいんですが」
ここだけの話。どういう意味だろう。
僕が首を傾げたら、エミール様が、
「ユーリ様には言うなということですよ」
と説明してくれた。
ユーリ様に内緒の話? 首を傾げてテオバルドさんを見上げたら、テオバルドさんが軽く肩を引いて、咳ばらいをした。
「ゴホン。えっとですね、まず、軽食やおやつは毎回ちゃんと用意していました」
「え?」
「本当です。いつもリヒト様が食事を召し上がるあの部屋のテーブルの上に、毎回シェフお手製の焼き菓子やケーキ、菓子パンなどが並んでいました」
衝撃の事実だ。
なぜそれを誰も僕に言ってくれなかったのだろう。
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