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リヒト⑨
6
テオバルドさんがまた、えっとですね、と口にした。
「誤解のないよう先に言いますが、俺たちは誰もリヒト様を嫌ったりしてません。むしろあなたに構いたいという使用人の方が多いんですよ! この屋敷の者はユーリ様が選定した人間ばかりです。あなたに悪い感情を持つ者をユーリ様が選ぶはずがないんです!」
「ではなぜ、リヒトが、おやつを貰えなかったなんて勘違いをする羽目になったんですか?」
僕の代わりにエミール様が尋ねてくださった。
テオバルドさんが言いにくそうにごにょごにょと唇を動かして、意を決したように話しだした。
「それはその……なんというか、俺たちは知らなかったんですよ! だって想像できますか? 自分の主が朝に晩に、こんな子ども……失礼、リヒト様を膝に乗せて、手ずから食事を食べさせていたなんて! 想像しないでしょう! あんなベッタベタに甘やかしてたなんて! そのせいでリヒト様はひとりで食事もできない状態だなんて! そりゃあ知ってましたよ、リヒト様が五感が弱くて食事などにもお手伝いが必要な状態だって、そりゃあ存じ上げてましたとも! でもですよ! リヒト様はもう二十歳! その年齢で『あ~ん』で食べさせてもらってるなんて、想像できるはずないでしょうよぉぉぉぉ!」
テオバルドさんが全身を震わせるようにして、声を振り絞った。
あまりの早口に、聞こえているのに言葉が耳を素通りしていき、意味がよくわからない。
それでも僕がユーリ様に甘やかしてもらっていることを指摘されたのだとわかり、僕は恥ずかしさに消えてしまいたくなった。
僕が押し黙ったからだろう。テオバルドさんがまたビュンっと頭を下げて、謝罪をした。
「すみません。また取り乱しました。言っときますがこれはユリウス殿下がダメだという話で、リヒト様に対して物申したわけではありませんので! ともかく、そういうわけで俺たちは、食堂のテーブルに食べ物を置いておけばあなたが勝手に食べるだろうと考えていたんです。まさかリヒト様が気づいてないとは思わなかったんですよ。申し訳ありませんでした」
「ですがリヒトがそのおやつに手をつけていないことは知っていたのでしょう? それなのになにも声を掛けなかったのは怠慢では?」
エミール様が鋭く指摘すると、テオバルドさんが非常に言いにくそうに答えた。
「それはその……リヒト様はひとりでお留守番をするのがさびしくて、それで食欲がなくなっているのかと……。だって、ふだんはユーリ様にべったりだったので……」
ユーリ様がいらっしゃらなければ食事も喉を通らなくなる思われていたなんて、と僕は更なる羞恥に襲われた。でもユーリ様に甘え切ってひとりで食べることができなかったのだから、テオバルドさんの言葉はあながち間違いではないのがまた恥ずかしい。
「……だそうですよ、リヒト」
呆気にとられたようにテオバルドさんの話を聞いていたエミール様が、僕へとそう声をかけた。
僕はどう答えていいのか迷い、恥ずかしさをこらえてもごりと口を動かした。
「……はい……。えっと、あの、じゃあ、僕の勘違い、ということでしょうか」
「俺たちの対応不足、ということです」
テオバルドさんがキッパリと言われた。
でもいまの話では、テオバルドさんたちはちゃんと僕のおやつを用意してくれていたのだ。
ということはやっぱり僕が勝手に勘違いしていたということじゃないのかな。
僕が困ってエミール様を見ると、エミール様がやわらかく微笑して、僕の頭を撫でてくださった。
「つまり誰もリヒトを嫌ってないということですよ」
「……本当ですか?」
「テオバルドもオレも、あなたのことが大好きですよ、リヒト」
本当だろうか。
でも、じゃあ。
「じゃあ、僕、あの……テオバルドさんのこと、テオさんと呼んでもいいですか?」
僕がそう尋ねると、テオバルドさんが「うぐっ」と一瞬息を飲んだ。
やっぱり嫌なのかな、と僕が肩を落とす前に、テオバルドさんが大きな声で、
「もちろんですっ!」
と返事をしてくれた。
「ありがとうございます、テオさん」
嫌われていなかったことが嬉しくて、うふふと笑いながらお礼を言ったら、テオさんがまた「うぐっ」と喉を鳴らした。
「あ、でも、ユーリ様の前ではあまり呼ばないように……」
「テオ、あなたと二人のときにだけの呼び名、となるとその方がややこしいことになりそうですが」
「ぐっ……確かに……」
お二人がこそこそと会話をして、その結果テオさんが、
「俺のことはどうぞ、テオとお呼びください」
僕に頭を下げてそう言った。
なんだかよくわからなかったけれど、僕もつられてペコリと頭を下げた。
「ところでリヒト」
エミール様が改まったように僕を呼んだ。
僕はパチパチとまばたきをして、エミール様のおきれいな顔を見つめ返した。
「いまの話で、ふと気になったことが」
「……なんでしょうか?」
「食事はいま、どうしているのでしょう?」
「え?」
「あなたの目が治ってからの食事は、どうしているのですか?」
「…………」
エミール様からの質問に、僕は思わず黙り込んでしまった。
これは言ってもいいのだろうか。ユーリ様に甘えすぎだと叱られてしまうかな?
そう思いつつもエミール様に嘘はつきたくなくて、僕は口ごもりながら答えた。
「あの……僕、まだスプーンを上手く持つことができなくて、食べこぼしも、すごく多くて……」
目が見えるようになってわかったことだけれど、食事のときの僕はとてもきたない。
味がわからないどころか口の中の感覚も弱いので、咀嚼しているうちに食べ物が口からこぼれることがよくあるのだ。
目が治って最初の食事は衝撃だった。食べているうちにボロボロと胸元にパンやらスープやらが落ちていき、服がどんどん汚れていくのを目の当たりして、唖然としてしまった。
対するユーリ様は優雅だった。
きれいな唇はきれいなままで、食べこぼしなどひとつもない。
僕はユーリ様の膝に抱かれたままユーリ様を振り向いて、きたなくてごめんなさいと半泣きで謝った。
ユーリ様はにっこりと微笑まれて、ナフキンで僕の口元をこまめに拭っては、
「僕はいっぱい食べるリヒトが好きだよ。僕のオメガ。服なんかいくら汚したってかまわないからしっかり食べようね」
とやさしいお言葉かけてくださる。
僕は自分の前があまりにきたないので、ユーリ様の膝から降りてひとりで食べるべきではないかと考えた。
目も見えるのだし、スプーンを落さないように気をつけてさえいれば、自力での食事も可能じゃないかと思えたからだ。
けれど、ユーリ様は僕の訴えを聞いて、新緑色の瞳を限界まで見開いたかと思うと、ものすごい勢いで反対なさった。
「リヒト! なにを言うかと思えば! あのね、僕のオメガ。きみは上手く噛めないし口の中に食べ物が残っていても気づけないから、匙に乗せるひと口の量にまで気を配る必要があるんだ。離れて座ったらきみの異変に僕がすぐに気づけないかもしれないし、こうやって僕の手でひと口ずつ食べてもらう方が、僕がものすごく安心できるんだけど……リヒト、きみが嫌じゃないならこのまま食べてくれないかな?」
嫌だなんてとんでもない。
むしろユーリ様の手が僕の食べこぼしで汚れてしまうのが居たたまれないのだけど。
ユーリ様の宝石のような両目が、ひたと僕を見つめてきて……きれいな眉がとてもかなしげに寄せられていたから、僕はついつい、ユーリ様に寄りかかっていつものように口を開けてしまった。
途端にユーリ様の表情がぱぁっと明るくなって、小さな匙が僕の口の中に入ってくる。
もぐもぐと咀嚼する僕の頬に、ユーリ様のキスが降ってきて、
「ふふっ。動いてるリヒトのほっぺた、可愛いね」
とろりと甘い囁きに、僕のお腹の底がなんだか落ち着かなくなってしまった。
ユーリ様とのやりとりを思い出しながら、結局目が見えるようになったいまもユーリ様のお膝の上で、ユーリ様に食べさせてもらっているのだと僕が正直に告白したら、エミール様が半眼になって、テオさんが頭を抱えた。
なんだろう、その反応は。
「……やっぱり、やめたほうがいいでしょうか?」
ユーリ様に甘えすぎだ、と二人に指摘される前に僕がおずおずと問いかけると、エミール様もテオさんもぶんぶんと首を横に振って、
「ユーリ様が良いというだから、それでいいと思います」
「ででで殿下がそれで良いのなら、俺ごときが口を挟むことではないので! ぜひともリヒト様はそのままで!」
と、なぜかすこし引きつった顔で、僕はこのままでいいのだと力説してくれた。
でもやっぱり僕はユーリ様に甘えすぎだと思うので、頑張って食事ぐらいひとりでできるようになりたい。
触覚が治ったら、スプーンも持てるし、口の中の感覚だってわかるから上手く噛めるようになるだろう。
視覚と聴覚が治ったように、触覚もある日突然良くなるのだろうか……。
そうなればいいなと思いながら僕は、文字の勉強の続きに取り掛かった。
「誤解のないよう先に言いますが、俺たちは誰もリヒト様を嫌ったりしてません。むしろあなたに構いたいという使用人の方が多いんですよ! この屋敷の者はユーリ様が選定した人間ばかりです。あなたに悪い感情を持つ者をユーリ様が選ぶはずがないんです!」
「ではなぜ、リヒトが、おやつを貰えなかったなんて勘違いをする羽目になったんですか?」
僕の代わりにエミール様が尋ねてくださった。
テオバルドさんが言いにくそうにごにょごにょと唇を動かして、意を決したように話しだした。
「それはその……なんというか、俺たちは知らなかったんですよ! だって想像できますか? 自分の主が朝に晩に、こんな子ども……失礼、リヒト様を膝に乗せて、手ずから食事を食べさせていたなんて! 想像しないでしょう! あんなベッタベタに甘やかしてたなんて! そのせいでリヒト様はひとりで食事もできない状態だなんて! そりゃあ知ってましたよ、リヒト様が五感が弱くて食事などにもお手伝いが必要な状態だって、そりゃあ存じ上げてましたとも! でもですよ! リヒト様はもう二十歳! その年齢で『あ~ん』で食べさせてもらってるなんて、想像できるはずないでしょうよぉぉぉぉ!」
テオバルドさんが全身を震わせるようにして、声を振り絞った。
あまりの早口に、聞こえているのに言葉が耳を素通りしていき、意味がよくわからない。
それでも僕がユーリ様に甘やかしてもらっていることを指摘されたのだとわかり、僕は恥ずかしさに消えてしまいたくなった。
僕が押し黙ったからだろう。テオバルドさんがまたビュンっと頭を下げて、謝罪をした。
「すみません。また取り乱しました。言っときますがこれはユリウス殿下がダメだという話で、リヒト様に対して物申したわけではありませんので! ともかく、そういうわけで俺たちは、食堂のテーブルに食べ物を置いておけばあなたが勝手に食べるだろうと考えていたんです。まさかリヒト様が気づいてないとは思わなかったんですよ。申し訳ありませんでした」
「ですがリヒトがそのおやつに手をつけていないことは知っていたのでしょう? それなのになにも声を掛けなかったのは怠慢では?」
エミール様が鋭く指摘すると、テオバルドさんが非常に言いにくそうに答えた。
「それはその……リヒト様はひとりでお留守番をするのがさびしくて、それで食欲がなくなっているのかと……。だって、ふだんはユーリ様にべったりだったので……」
ユーリ様がいらっしゃらなければ食事も喉を通らなくなる思われていたなんて、と僕は更なる羞恥に襲われた。でもユーリ様に甘え切ってひとりで食べることができなかったのだから、テオバルドさんの言葉はあながち間違いではないのがまた恥ずかしい。
「……だそうですよ、リヒト」
呆気にとられたようにテオバルドさんの話を聞いていたエミール様が、僕へとそう声をかけた。
僕はどう答えていいのか迷い、恥ずかしさをこらえてもごりと口を動かした。
「……はい……。えっと、あの、じゃあ、僕の勘違い、ということでしょうか」
「俺たちの対応不足、ということです」
テオバルドさんがキッパリと言われた。
でもいまの話では、テオバルドさんたちはちゃんと僕のおやつを用意してくれていたのだ。
ということはやっぱり僕が勝手に勘違いしていたということじゃないのかな。
僕が困ってエミール様を見ると、エミール様がやわらかく微笑して、僕の頭を撫でてくださった。
「つまり誰もリヒトを嫌ってないということですよ」
「……本当ですか?」
「テオバルドもオレも、あなたのことが大好きですよ、リヒト」
本当だろうか。
でも、じゃあ。
「じゃあ、僕、あの……テオバルドさんのこと、テオさんと呼んでもいいですか?」
僕がそう尋ねると、テオバルドさんが「うぐっ」と一瞬息を飲んだ。
やっぱり嫌なのかな、と僕が肩を落とす前に、テオバルドさんが大きな声で、
「もちろんですっ!」
と返事をしてくれた。
「ありがとうございます、テオさん」
嫌われていなかったことが嬉しくて、うふふと笑いながらお礼を言ったら、テオさんがまた「うぐっ」と喉を鳴らした。
「あ、でも、ユーリ様の前ではあまり呼ばないように……」
「テオ、あなたと二人のときにだけの呼び名、となるとその方がややこしいことになりそうですが」
「ぐっ……確かに……」
お二人がこそこそと会話をして、その結果テオさんが、
「俺のことはどうぞ、テオとお呼びください」
僕に頭を下げてそう言った。
なんだかよくわからなかったけれど、僕もつられてペコリと頭を下げた。
「ところでリヒト」
エミール様が改まったように僕を呼んだ。
僕はパチパチとまばたきをして、エミール様のおきれいな顔を見つめ返した。
「いまの話で、ふと気になったことが」
「……なんでしょうか?」
「食事はいま、どうしているのでしょう?」
「え?」
「あなたの目が治ってからの食事は、どうしているのですか?」
「…………」
エミール様からの質問に、僕は思わず黙り込んでしまった。
これは言ってもいいのだろうか。ユーリ様に甘えすぎだと叱られてしまうかな?
そう思いつつもエミール様に嘘はつきたくなくて、僕は口ごもりながら答えた。
「あの……僕、まだスプーンを上手く持つことができなくて、食べこぼしも、すごく多くて……」
目が見えるようになってわかったことだけれど、食事のときの僕はとてもきたない。
味がわからないどころか口の中の感覚も弱いので、咀嚼しているうちに食べ物が口からこぼれることがよくあるのだ。
目が治って最初の食事は衝撃だった。食べているうちにボロボロと胸元にパンやらスープやらが落ちていき、服がどんどん汚れていくのを目の当たりして、唖然としてしまった。
対するユーリ様は優雅だった。
きれいな唇はきれいなままで、食べこぼしなどひとつもない。
僕はユーリ様の膝に抱かれたままユーリ様を振り向いて、きたなくてごめんなさいと半泣きで謝った。
ユーリ様はにっこりと微笑まれて、ナフキンで僕の口元をこまめに拭っては、
「僕はいっぱい食べるリヒトが好きだよ。僕のオメガ。服なんかいくら汚したってかまわないからしっかり食べようね」
とやさしいお言葉かけてくださる。
僕は自分の前があまりにきたないので、ユーリ様の膝から降りてひとりで食べるべきではないかと考えた。
目も見えるのだし、スプーンを落さないように気をつけてさえいれば、自力での食事も可能じゃないかと思えたからだ。
けれど、ユーリ様は僕の訴えを聞いて、新緑色の瞳を限界まで見開いたかと思うと、ものすごい勢いで反対なさった。
「リヒト! なにを言うかと思えば! あのね、僕のオメガ。きみは上手く噛めないし口の中に食べ物が残っていても気づけないから、匙に乗せるひと口の量にまで気を配る必要があるんだ。離れて座ったらきみの異変に僕がすぐに気づけないかもしれないし、こうやって僕の手でひと口ずつ食べてもらう方が、僕がものすごく安心できるんだけど……リヒト、きみが嫌じゃないならこのまま食べてくれないかな?」
嫌だなんてとんでもない。
むしろユーリ様の手が僕の食べこぼしで汚れてしまうのが居たたまれないのだけど。
ユーリ様の宝石のような両目が、ひたと僕を見つめてきて……きれいな眉がとてもかなしげに寄せられていたから、僕はついつい、ユーリ様に寄りかかっていつものように口を開けてしまった。
途端にユーリ様の表情がぱぁっと明るくなって、小さな匙が僕の口の中に入ってくる。
もぐもぐと咀嚼する僕の頬に、ユーリ様のキスが降ってきて、
「ふふっ。動いてるリヒトのほっぺた、可愛いね」
とろりと甘い囁きに、僕のお腹の底がなんだか落ち着かなくなってしまった。
ユーリ様とのやりとりを思い出しながら、結局目が見えるようになったいまもユーリ様のお膝の上で、ユーリ様に食べさせてもらっているのだと僕が正直に告白したら、エミール様が半眼になって、テオさんが頭を抱えた。
なんだろう、その反応は。
「……やっぱり、やめたほうがいいでしょうか?」
ユーリ様に甘えすぎだ、と二人に指摘される前に僕がおずおずと問いかけると、エミール様もテオさんもぶんぶんと首を横に振って、
「ユーリ様が良いというだから、それでいいと思います」
「ででで殿下がそれで良いのなら、俺ごときが口を挟むことではないので! ぜひともリヒト様はそのままで!」
と、なぜかすこし引きつった顔で、僕はこのままでいいのだと力説してくれた。
でもやっぱり僕はユーリ様に甘えすぎだと思うので、頑張って食事ぐらいひとりでできるようになりたい。
触覚が治ったら、スプーンも持てるし、口の中の感覚だってわかるから上手く噛めるようになるだろう。
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