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テオバルドの報告を聞き終えたユリウスは、強引に仕事を片付けて、帰宅を果たした。
ユリウスが帰ってくる、ということをひと足先に屋敷へ戻っていたテオバルドから聞いていたのだろう。リヒトは玄関ホールのソファでユリウスを待っていた。
エミールは気をきかせて早々に自分の屋敷へと戻っていったらしい。
ドア前で控えている衛士が開けた扉から、ユリウスが中へ飛び込むと、リヒトがパッと立ち上がりこちらへと走り寄ってくるのが見えた。
危ない、と言いかけたユリウスだったが、リヒトの足取りは確かだった。
「ユーリ様っ!」
しがみついてくる華奢な体をユリウスは両腕で受け止め、しっかりと抱きしめる。
「ユーリ様、僕、僕、治りましたっ!」
弾んだ声で一生懸命に報告してくるリヒトがいとしくて、ユリウスの胸は甘苦しく締め付けられた。
可愛い可愛いリヒト。ユリウスのオメガ。
「良かった……リヒト、良かったね」
ほとんど口づけるように距離で耳朶へと唇を寄せて囁くと、リヒトが「わぁっ!」と叫び声をあげる。
耳が聞こえるようになってからというもの、リヒトはユリウスがこうして近くでなにかを言う度に真っ赤になってしまうのだが、その理由が、ユリウスの声を聞くと照れ臭いから(テオバルド談)、というのだから可愛らしい。
目が良くなったときも、ユリウスの顔を見るのも恥ずかしいと言っていたリヒトだ。
まだ僕の顔と声に慣れないのかぁ、とすこしおかしく思いながら、ユリウスはてのひらで彼の両頬を包んだ。
「リヒト、わかる? 僕の体温」
「う……ふぁい……ゆ、ユーリ様、お顔が近いです」
「近づけてるんだよ、僕のオメガ。もっとよく顔を見せて」
ユリウスがそう乞うと、リヒトが鼻筋にすこしのしわをつくって、困ったように微笑んだ。
リヒトの手が、ユリウスの手の甲に重なってくる。ユリウスよりも小さくて、やわらかなてのひらが控えめな仕草で甲を撫でた。
ほろり、と笑みをこぼして、リヒトの金色の瞳がこちらを見上げてくる。
「ゆぅりさま」
この子の、どこか覚束ない『ゆぅりさま』の言い方が、ユーリは好きだった。
触覚が戻っても舌の動かし方は変わっていないのか、これまでと同じ話し方でリヒトが言葉をつむぐ。
「ユーリ様の手が、一番あたたかいです」
「……一番?」
聞き捨てならないとばかりにユリウスは下まぶたをひくりと動かした。
それに気づいていないリヒトが、ユリウスの手の甲に手を重ねたままで、うふふと笑う。
「エミール様と、テオさんの手にも触らせてもらったんです。テオさんの手が一番冷たくて、ユーリ様が一番あったかいです」
ユリウスの斜め横で「ひぃっ」と悲鳴が聞こえた。
目だけを動かしてそちらを伺うと、廊下の隅で壁に貼り付いているテオバルドが見えた。
テオバルドの手が冷たかったというのは、恐らく彼がひどい緊張状態だったからだ。
リヒトに手を触らせてくれとお願いをされたテオバルド。もしも彼がそこでその申し出を拒否していたならば、リヒトはきっと傷ついただろう。リヒトをしょんぼりさせてしまえば、ユリウスの機嫌を損ねる。だがしかしリヒトの手を握る方を取っても、ユリウスの機嫌を損ねる。どちらにせよテオバルドに逃げ道はないのだ。
テオバルドなりにリヒトのためを思っての行動だったということは、怯え切った彼の表情から伝わってきた。だからこの件に関してのお咎めはなしでいい、とユリウスは思うが、しかし先ほどの報告に、リヒトの手を握ったという話がまったく入っていなかったため、テオバルドには後で正確な報告の仕方というものを叩きこんでやらなければならない。
それよりも気になるのが、「テオさん」呼びである。
いったいいつからリヒトはテオさんなどと呼ぶようになったのか。ユリウスはおのれの記憶を辿りながら、今後リヒトには、ユリウス以外の人間に軽々しく触れてはならないとしっかり言い聞かせておかないと……と考えた。
リヒトはユリウスの抱く嫉妬心にまったく気づいた様子もなく、無邪気にユリウスの方へと手を伸ばしてくる。
指先がユリウスの顎に触れた。
わぁ、と感動にも似た声を漏らしたリヒトが、今度はてのひら全体でユリウスの顔の輪郭を辿った。
「すごい。僕、ユーリ様に触ってます……」
あまりに可愛い感想に、ユリウスはくっくっと肩を揺すって笑ってしまう。
「これまでもずっと、きみは僕に触れてたよ、リヒト」
小柄な体をひょいと抱き上げると、リヒトの目線の方が高くなった。
「さぁリヒト、今日はお祝いだ。きみの皮膚感覚が戻ったお祝いだよ。あ、そういえば味覚はどうなんだろう。触覚が治ってから、もうなにか食べたかい?」
リヒトの頬にちゅっとキスを落として尋ねると、リヒトが首を横に振った。
まだなにも口にしていないということかと思ったが、そうではなかった。
触覚が正常に働くようになったリヒトは、エミールの提案で焼き菓子を食べてみたらしい。もしかしたら味覚も、と期待する気持ちがあったのだろう。味はわかりませんでした、と教えてくれる声にはかなしそうな色が溶けていた。
「大丈夫だよ、僕のオメガ。焦らなくていいんだ。一度に二つも感覚が戻ったら、きみはびっくりしすぎてまた眠ってしまうかもしれないからね」
一つずつがちょうどいいんだよ、と冗談めかした口調でユリウスが語りかけると、リヒトの眉間から愁いがほどけた。
ユリウスにしてみれば、五感のうち、三つも取り戻せたことが奇跡である。
催眠術にかかっていた期間がリヒトよりも短い、元ハーゼのあの子どもは、結局二つの感覚しかまだ戻っていないのだ。今後どうなるかはわからないし、ゲルトが献身的に世話をしているためユリウスは静観しているが、その彼と比べるとリヒトの回復は驚異的と言って差し支えなかった。
頑張ってるなぁ、とユリウスはいつも思う。
リヒトのこの華奢な体の中で、どれほど凄絶な戦いが繰り広げられているのだろう。
服薬をやめたいと思うことも多々あったはずだ。現に泣きながら「僕は治りますか」とユリウスにしがみついてきたことも、一度や二度じゃない。
それでもあきらめずに戦い続けたリヒトは、自分の手で奇跡を掴み寄せたのだ。
聴覚、視覚と、触覚。
それらを得たリヒトの笑顔は眩しく、ユリウスの胸はしずかな感動で満たされた。
しかし、ユリウスのオメガが触覚を取り戻したことで、思わぬ弊害が発生することとなる。
リヒトを抱っこして喜びを分かち合っていたユリウスに、護衛兼側近のロンバードが不躾にも割り込んできたのだ。
「ところでユリウス様、夕食のセッティングはどうするんですか?」
ユリウスはリヒトの肩越しに、半眼で視線を向ける。
「どう、というのは?」
男の質問の意味がわからず、胡乱な声で問いかけると、ロンバードが逞しい肩を軽く竦めた。
「お二人の席は別々にしていんでしょうかねって聞いてんですよ」
「はぁ?」
ユリウスの語尾が跳ねあがった。なにを言っているのだろうかこの男は。
「これまで通りでいい」
リヒトの触覚が戻ったことと、リヒトを膝に乗せて食事を食べさせてあげることはまた全然べつのことだ。なぜ席を分ける必要があるのか。
「なにも変わらないよ。ねぇ、リヒト。きみもいままで通りでいいよね」
腕の中のオメガに尋ねると、自分に訊かれるとは思っていなかったのか、リヒトは金の瞳を真ん丸にして、反射のようにこくりと頷いた。
ユリウスが帰ってくる、ということをひと足先に屋敷へ戻っていたテオバルドから聞いていたのだろう。リヒトは玄関ホールのソファでユリウスを待っていた。
エミールは気をきかせて早々に自分の屋敷へと戻っていったらしい。
ドア前で控えている衛士が開けた扉から、ユリウスが中へ飛び込むと、リヒトがパッと立ち上がりこちらへと走り寄ってくるのが見えた。
危ない、と言いかけたユリウスだったが、リヒトの足取りは確かだった。
「ユーリ様っ!」
しがみついてくる華奢な体をユリウスは両腕で受け止め、しっかりと抱きしめる。
「ユーリ様、僕、僕、治りましたっ!」
弾んだ声で一生懸命に報告してくるリヒトがいとしくて、ユリウスの胸は甘苦しく締め付けられた。
可愛い可愛いリヒト。ユリウスのオメガ。
「良かった……リヒト、良かったね」
ほとんど口づけるように距離で耳朶へと唇を寄せて囁くと、リヒトが「わぁっ!」と叫び声をあげる。
耳が聞こえるようになってからというもの、リヒトはユリウスがこうして近くでなにかを言う度に真っ赤になってしまうのだが、その理由が、ユリウスの声を聞くと照れ臭いから(テオバルド談)、というのだから可愛らしい。
目が良くなったときも、ユリウスの顔を見るのも恥ずかしいと言っていたリヒトだ。
まだ僕の顔と声に慣れないのかぁ、とすこしおかしく思いながら、ユリウスはてのひらで彼の両頬を包んだ。
「リヒト、わかる? 僕の体温」
「う……ふぁい……ゆ、ユーリ様、お顔が近いです」
「近づけてるんだよ、僕のオメガ。もっとよく顔を見せて」
ユリウスがそう乞うと、リヒトが鼻筋にすこしのしわをつくって、困ったように微笑んだ。
リヒトの手が、ユリウスの手の甲に重なってくる。ユリウスよりも小さくて、やわらかなてのひらが控えめな仕草で甲を撫でた。
ほろり、と笑みをこぼして、リヒトの金色の瞳がこちらを見上げてくる。
「ゆぅりさま」
この子の、どこか覚束ない『ゆぅりさま』の言い方が、ユーリは好きだった。
触覚が戻っても舌の動かし方は変わっていないのか、これまでと同じ話し方でリヒトが言葉をつむぐ。
「ユーリ様の手が、一番あたたかいです」
「……一番?」
聞き捨てならないとばかりにユリウスは下まぶたをひくりと動かした。
それに気づいていないリヒトが、ユリウスの手の甲に手を重ねたままで、うふふと笑う。
「エミール様と、テオさんの手にも触らせてもらったんです。テオさんの手が一番冷たくて、ユーリ様が一番あったかいです」
ユリウスの斜め横で「ひぃっ」と悲鳴が聞こえた。
目だけを動かしてそちらを伺うと、廊下の隅で壁に貼り付いているテオバルドが見えた。
テオバルドの手が冷たかったというのは、恐らく彼がひどい緊張状態だったからだ。
リヒトに手を触らせてくれとお願いをされたテオバルド。もしも彼がそこでその申し出を拒否していたならば、リヒトはきっと傷ついただろう。リヒトをしょんぼりさせてしまえば、ユリウスの機嫌を損ねる。だがしかしリヒトの手を握る方を取っても、ユリウスの機嫌を損ねる。どちらにせよテオバルドに逃げ道はないのだ。
テオバルドなりにリヒトのためを思っての行動だったということは、怯え切った彼の表情から伝わってきた。だからこの件に関してのお咎めはなしでいい、とユリウスは思うが、しかし先ほどの報告に、リヒトの手を握ったという話がまったく入っていなかったため、テオバルドには後で正確な報告の仕方というものを叩きこんでやらなければならない。
それよりも気になるのが、「テオさん」呼びである。
いったいいつからリヒトはテオさんなどと呼ぶようになったのか。ユリウスはおのれの記憶を辿りながら、今後リヒトには、ユリウス以外の人間に軽々しく触れてはならないとしっかり言い聞かせておかないと……と考えた。
リヒトはユリウスの抱く嫉妬心にまったく気づいた様子もなく、無邪気にユリウスの方へと手を伸ばしてくる。
指先がユリウスの顎に触れた。
わぁ、と感動にも似た声を漏らしたリヒトが、今度はてのひら全体でユリウスの顔の輪郭を辿った。
「すごい。僕、ユーリ様に触ってます……」
あまりに可愛い感想に、ユリウスはくっくっと肩を揺すって笑ってしまう。
「これまでもずっと、きみは僕に触れてたよ、リヒト」
小柄な体をひょいと抱き上げると、リヒトの目線の方が高くなった。
「さぁリヒト、今日はお祝いだ。きみの皮膚感覚が戻ったお祝いだよ。あ、そういえば味覚はどうなんだろう。触覚が治ってから、もうなにか食べたかい?」
リヒトの頬にちゅっとキスを落として尋ねると、リヒトが首を横に振った。
まだなにも口にしていないということかと思ったが、そうではなかった。
触覚が正常に働くようになったリヒトは、エミールの提案で焼き菓子を食べてみたらしい。もしかしたら味覚も、と期待する気持ちがあったのだろう。味はわかりませんでした、と教えてくれる声にはかなしそうな色が溶けていた。
「大丈夫だよ、僕のオメガ。焦らなくていいんだ。一度に二つも感覚が戻ったら、きみはびっくりしすぎてまた眠ってしまうかもしれないからね」
一つずつがちょうどいいんだよ、と冗談めかした口調でユリウスが語りかけると、リヒトの眉間から愁いがほどけた。
ユリウスにしてみれば、五感のうち、三つも取り戻せたことが奇跡である。
催眠術にかかっていた期間がリヒトよりも短い、元ハーゼのあの子どもは、結局二つの感覚しかまだ戻っていないのだ。今後どうなるかはわからないし、ゲルトが献身的に世話をしているためユリウスは静観しているが、その彼と比べるとリヒトの回復は驚異的と言って差し支えなかった。
頑張ってるなぁ、とユリウスはいつも思う。
リヒトのこの華奢な体の中で、どれほど凄絶な戦いが繰り広げられているのだろう。
服薬をやめたいと思うことも多々あったはずだ。現に泣きながら「僕は治りますか」とユリウスにしがみついてきたことも、一度や二度じゃない。
それでもあきらめずに戦い続けたリヒトは、自分の手で奇跡を掴み寄せたのだ。
聴覚、視覚と、触覚。
それらを得たリヒトの笑顔は眩しく、ユリウスの胸はしずかな感動で満たされた。
しかし、ユリウスのオメガが触覚を取り戻したことで、思わぬ弊害が発生することとなる。
リヒトを抱っこして喜びを分かち合っていたユリウスに、護衛兼側近のロンバードが不躾にも割り込んできたのだ。
「ところでユリウス様、夕食のセッティングはどうするんですか?」
ユリウスはリヒトの肩越しに、半眼で視線を向ける。
「どう、というのは?」
男の質問の意味がわからず、胡乱な声で問いかけると、ロンバードが逞しい肩を軽く竦めた。
「お二人の席は別々にしていんでしょうかねって聞いてんですよ」
「はぁ?」
ユリウスの語尾が跳ねあがった。なにを言っているのだろうかこの男は。
「これまで通りでいい」
リヒトの触覚が戻ったことと、リヒトを膝に乗せて食事を食べさせてあげることはまた全然べつのことだ。なぜ席を分ける必要があるのか。
「なにも変わらないよ。ねぇ、リヒト。きみもいままで通りでいいよね」
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