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かなしみの匂い
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最近、リヒトの元気がない。
彼を取り巻くかなしみの匂いもまた、リヒト自身の匂いに溶け込んで、消え去る気配はなかった。
いったいなにが、とユリウスは訝しみながらリヒトを抱きしめる。
かなしみの理由を問うても、リヒトは「なにもありません」と言うばかりで具体的な答えを返してはこない。リヒト付きの従者、テオバルドからも取り立てて重要だと思える報告は上がってきていなかった。
ユリウスの腕の中で、リヒトは華奢な体全体を使ってしがみついてくる。ぎゅうっとこちらを抱き返してくる健気なまでの必死さは、可愛くて、すこし痛々しくもあった。
「どうしたの、僕のオメガ」
あやす仕草で背を撫でて問えば、胸元でリヒトが首を横に振るのがわかった。
なんでもないです、とくぐもった声が返ってくる。ここ数日、夜に二人で過ごすときはずっとこんな調子だ。
おのれのオメガにこんなふうにくっつかれて、喜ばないアルファは居ない。ただし、かなしみの匂いがなければ、の話だ。
ユリウスはう~んと頭を悩ませた。
リヒトに、彼の抱える不安を吐露させるにはどうしたらいいのだろうか。
そもそも彼がなにをかなしんでいるのかすら、ユリウスにはわからない。
こころあたりがあるとすれば、味覚と嗅覚が戻っていないことか。
視覚と聴覚、触覚の三つを取り戻したことが奇跡だとユリウスは思うのだけれど、リヒト当人にしてみれば満足のいく結果ではないのかもしれない。
けれど、とユリウスは腕の中のオメガをやさしく撫でながら、これまでの月日を思った。
リヒトが五感の治療を始めて、すでに二年。
これ以上の治癒は望めないのかもしれない。
リヒトは健気にも薬という名のただの栄養剤を飲み続けているが、もういいよ、と言ってあげる時期なのかもしれなかった。
しかし、そのきっかけがない。
どう伝えればリヒトが傷つかずにすむのか。ユリウスはおのれのオメガの可愛い頬にキスを落としながら、アルファというのは無力だなぁと吐息する。
日頃優秀だと評される頭脳も、弁が立つと言われる口も、リヒト相手だとまったく役に立たないのだから、本当に無力だ。
そして、鉄壁だと思っていた理性も。
リヒトに触覚が戻って以降、ユリウスはこれまで以上に運命のつがいという存在の持つ強烈な引力を実感していた。
ユリウスのハグひとつ、キスひとつにリヒトが反応する。ひくりと肩を揺らしたり、気持ちよさそうに目を細めたりするのだ。
いままでになかったその数々の仕草は、どうしようもなくユリウスの欲求を刺激してきた。
可愛い。可愛い。可愛い。リヒトが可愛くて仕方ない。
抱きしめて、キスをして、服を剥ぎ、繋がりたい。そしてうなじを噛みたい。細く華奢な首筋に歯を立てて……自分のものにしてしまいたい。
ユリウスの内側を、本能による欲望がジリジリと熱く舐め上げてくる。
その衝動を間違ってもこの可愛いオメガにぶつけたりしないよう、ユリウスは夜な夜な性欲を発散させるための場所に通っているのだった。
僕も薬をもらおうかな、とユリウスは極力リヒトの匂いを吸い込まないように気を付けながら、考える。
リヒトの偽薬の件と、自分の抑制剤の件を、医師団のシモンに相談してみよう。
抑制剤はともかく、リヒトのことは急ぎたい。
おのれのオメガにこんなかなしい匂いをさせておくなんて、アルファ失格だ。
そうと決まれば明日にでもシモンに連絡をとって……。
「ゆぅり様」
ふと名前を呼ばれてユリウスは思考の海から引き上げられた。見れば膝の上のリヒトが半身をひねってこちらを窺っている。
「お疲れですか?」
金色の、満月のような瞳が心配げに瞬いた。
「僕、重いですか? 降りましょうか?」
もぞり、と動こうとする体に両腕を巻き付けて素早く阻止し、ユリウスはぶんぶんと首を横に振った。
「リヒトっ! 降りなくていいから! 全然疲れてないし、全然重くないよ」
「でも……」
「こうやってリヒトを抱っこできるのが一日のご褒美なんだから、降りないで」
「……でも、じゃあ……」
リヒトの睫毛がふさりと下を向いた。
なにかを言いたげに口をもごりとさせたリヒトを覗き込んで、「なに?」と問うと、リヒトは首を横に振って、本当に言いたいことを飲み込んだ様子で、またかなしみの匂いを漂わせた。
「リヒト? なに? 言ってごらん」
ユリウスは膝の上の体を軽く揺らして、促してみたが、可愛いオメガはほんのりと微笑して、
「お疲れじゃないなら良かったです」
と答えただけだった。
結局はその日もかなしみの原因を聞きだすことができず仕舞いで、悶々としたユリウスはリヒトを寝かしつけた後で、またこっそりとベッドを抜け出し、いつものように溜まった欲望を吐き出すための場所へと向かったのだった。
彼を取り巻くかなしみの匂いもまた、リヒト自身の匂いに溶け込んで、消え去る気配はなかった。
いったいなにが、とユリウスは訝しみながらリヒトを抱きしめる。
かなしみの理由を問うても、リヒトは「なにもありません」と言うばかりで具体的な答えを返してはこない。リヒト付きの従者、テオバルドからも取り立てて重要だと思える報告は上がってきていなかった。
ユリウスの腕の中で、リヒトは華奢な体全体を使ってしがみついてくる。ぎゅうっとこちらを抱き返してくる健気なまでの必死さは、可愛くて、すこし痛々しくもあった。
「どうしたの、僕のオメガ」
あやす仕草で背を撫でて問えば、胸元でリヒトが首を横に振るのがわかった。
なんでもないです、とくぐもった声が返ってくる。ここ数日、夜に二人で過ごすときはずっとこんな調子だ。
おのれのオメガにこんなふうにくっつかれて、喜ばないアルファは居ない。ただし、かなしみの匂いがなければ、の話だ。
ユリウスはう~んと頭を悩ませた。
リヒトに、彼の抱える不安を吐露させるにはどうしたらいいのだろうか。
そもそも彼がなにをかなしんでいるのかすら、ユリウスにはわからない。
こころあたりがあるとすれば、味覚と嗅覚が戻っていないことか。
視覚と聴覚、触覚の三つを取り戻したことが奇跡だとユリウスは思うのだけれど、リヒト当人にしてみれば満足のいく結果ではないのかもしれない。
けれど、とユリウスは腕の中のオメガをやさしく撫でながら、これまでの月日を思った。
リヒトが五感の治療を始めて、すでに二年。
これ以上の治癒は望めないのかもしれない。
リヒトは健気にも薬という名のただの栄養剤を飲み続けているが、もういいよ、と言ってあげる時期なのかもしれなかった。
しかし、そのきっかけがない。
どう伝えればリヒトが傷つかずにすむのか。ユリウスはおのれのオメガの可愛い頬にキスを落としながら、アルファというのは無力だなぁと吐息する。
日頃優秀だと評される頭脳も、弁が立つと言われる口も、リヒト相手だとまったく役に立たないのだから、本当に無力だ。
そして、鉄壁だと思っていた理性も。
リヒトに触覚が戻って以降、ユリウスはこれまで以上に運命のつがいという存在の持つ強烈な引力を実感していた。
ユリウスのハグひとつ、キスひとつにリヒトが反応する。ひくりと肩を揺らしたり、気持ちよさそうに目を細めたりするのだ。
いままでになかったその数々の仕草は、どうしようもなくユリウスの欲求を刺激してきた。
可愛い。可愛い。可愛い。リヒトが可愛くて仕方ない。
抱きしめて、キスをして、服を剥ぎ、繋がりたい。そしてうなじを噛みたい。細く華奢な首筋に歯を立てて……自分のものにしてしまいたい。
ユリウスの内側を、本能による欲望がジリジリと熱く舐め上げてくる。
その衝動を間違ってもこの可愛いオメガにぶつけたりしないよう、ユリウスは夜な夜な性欲を発散させるための場所に通っているのだった。
僕も薬をもらおうかな、とユリウスは極力リヒトの匂いを吸い込まないように気を付けながら、考える。
リヒトの偽薬の件と、自分の抑制剤の件を、医師団のシモンに相談してみよう。
抑制剤はともかく、リヒトのことは急ぎたい。
おのれのオメガにこんなかなしい匂いをさせておくなんて、アルファ失格だ。
そうと決まれば明日にでもシモンに連絡をとって……。
「ゆぅり様」
ふと名前を呼ばれてユリウスは思考の海から引き上げられた。見れば膝の上のリヒトが半身をひねってこちらを窺っている。
「お疲れですか?」
金色の、満月のような瞳が心配げに瞬いた。
「僕、重いですか? 降りましょうか?」
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「リヒトっ! 降りなくていいから! 全然疲れてないし、全然重くないよ」
「でも……」
「こうやってリヒトを抱っこできるのが一日のご褒美なんだから、降りないで」
「……でも、じゃあ……」
リヒトの睫毛がふさりと下を向いた。
なにかを言いたげに口をもごりとさせたリヒトを覗き込んで、「なに?」と問うと、リヒトは首を横に振って、本当に言いたいことを飲み込んだ様子で、またかなしみの匂いを漂わせた。
「リヒト? なに? 言ってごらん」
ユリウスは膝の上の体を軽く揺らして、促してみたが、可愛いオメガはほんのりと微笑して、
「お疲れじゃないなら良かったです」
と答えただけだった。
結局はその日もかなしみの原因を聞きだすことができず仕舞いで、悶々としたユリウスはリヒトを寝かしつけた後で、またこっそりとベッドを抜け出し、いつものように溜まった欲望を吐き出すための場所へと向かったのだった。
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