溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

文字の大きさ
131 / 184
リヒト⑫

しおりを挟む
「なんどだって言うよ。きみは被害者だ。きみはなにも悪くない。なんの罪もないんだよ、僕のオメガ」

 ユーリ様のお声が、言葉が、僕の爪先まで満ちて、僕は胸がいっぱいになった。
 
 信者のひとたちが苦しんでいたのは、僕のせいじゃなかった。
 僕のお祈りのせいじゃなかった。
 僕はハーゼの生まれ変わりじゃなかった。
 僕にはなんの罪もないのだと、ユーリ様が断言してくれた。

 世界がぐるりと回って、僕の気持ちもぐるりと回ったみたい。

 ハーゼのことを打ち明けたときはあんなに苦しかったのに、いまはなんだかふわふわしていて。
 ユーリ様は本当は、魔法使いじゃないのかなと思った。
 僕に、しあわせになる魔法をかけてくれる、魔法使いじゃないのかな。

 僕がそう言ったら、ユーリ様が「ええ?」と笑って。
 それから僕に、
「僕に魔法が使えたら、きみの味覚と嗅覚も治してあげるのに」
 不思議に甘く響く声でそう言って、愛の言葉と一緒にキスをくれた。

 僕の味覚と嗅覚。

(あなた様はもう治っております)

 シモンさんの声が聞こえた気がした。

 僕はもう治っている。
 ハーゼの枷は、いま、ユーリ様が外してくださったから。
 ベルトを巻かれたクッションが、すぐに元の形に戻ったのと同じように。
 僕も。
 僕の感覚も、もう、自由なのだ……。

 なぜだか急に、本当に急に、そんな思いが僕の中にストンと落ちてきて。

 僕は泣きながらユーリ様にしがみついた。

 今日はずっと泣いているから、瞼が熱い。熱くて、重い。
 それでも涙は止まらない。
 涙と一緒に鼻水まで出てきて、僕はスンと鼻を啜った。


 そのとき。

 なにかがすごい勢いで、僕の内側に入ってきた。

 到底抗うことなんてできない、途方もない奔流だった。

 それは鼻腔から流れ込み、一瞬で僕の脳にまで達していた。

 なんだろう。意識が揺れている。
 リヒト、リヒト! と僕を呼ぶユーリ様の声が聞こえたけれど、返事をすることができない。
 僕はどうしてしまったんだろうか。
 
「大丈夫。脈拍はちと早いですが、呼吸も正常です。気を失っただけですなぁ」
「なにもないのに急に意識がなくなったんだ! 大丈夫なものか! リヒト、リヒト!」
「殿下、揺らしてはなりません。横にしましょう」
 
 視界は真っ暗だったけど、耳はきちんと聞こえていた。
 だから、ユーリ様がものすごく心配そうに僕を呼んでいるのもわかった。
 そのユーリ様をシモンさんが宥めていて、そのうち僕はふわふわと浮かび上がって、どこかに寝かされたようだった。

 ユーリ様が僕の手を握っている。

 ああ……なんだろう、なんだかすごくユーリ様を近くに感じる。
 いままでとは全然違っている。
 僕が。僕の感覚が、全然違っている。

「だいたいなんだ、シモン、どういうつもりでハーゼの話を持ち出したんだ!」

 ユーリ様の厳しい声がぴしゃりと響いた。
 ふだん僕に対するのとは全然違う声で、僕はびっくりしてしまう。
 けれどシモンさんは「ほっほ」と穏やかに笑っただけだった。

「私が持ち出したわけではありませんぞ、殿下。リヒトさまがご自身で、ユリウス殿下に話すと決めなさったんです」
「なぜ急にそうなったのかを僕は訊いている。リヒトと二人でなにを話した」
「殿下。リヒト様は残り二つの感覚を……取り分け嗅覚を治したいと思っておられるように、このシモンめには感じられました」
「……嗅覚」
「はいな。あなた様の匂いが、わかるようになりたかったのでしょうなぁ」
「……それがどうして、ハーゼに繋がるんだ」

 ユーリ様が低く、問いかけた。
 ひりり、とした感覚が僕の皮膚に伝わってきた。

 ……?

 僕の皮膚に? ああ、違う。これは……これは……。

「きっかけが必要だと思いましてなぁ」
「きっかけ?」
「はいな。リヒト様は丸二年、薬を飲み続けてこられた。その甲斐あって視覚と聴覚と触覚は戻りました。殿下、悪くないものを治療する、というのは困難なことです。ですが、三つの感覚は戻ったのですから、残り二つが戻らない道理もございませんでしょう。ただ、治すべき病自体がない状態では、リヒト様ご自身も、なにをどうして良いかわからなかったのでしょうなぁ。停滞した治療を先へ進めるためには、いまのままでは難しい。それゆえ、きっかけが必要と考えた次第でございます」
「それがハーゼか?」
「いいえ。なんでもようございました。私はただリヒト様に、ご自分が良くならない原因はこれだ、というものを見つけていただきたかっただけにございます。原因がわかれば、それを取り除ける。取り除いてやれば、それが即ち治療となりますなぁ」

 二人の会話が、僕の上で交わされている。
 僕はその話の内容よりも、いま自分が掴みかけている感覚のほうに気を取られていた。

 僕に突き刺さっていた、ひりりと尖ったものがなくなった。かと思ったら、なんだかとても温かくて、熱くて、しずかで、激しいような感情が、僕を包み込んだ。

「ハーゼだったことが、この子の傷になってたんだ。リヒト、僕のオメガ。早く目を開けて、僕に魔法を使わせてよ。僕がきみをしあわせにするから」

 ひたいに、ユーリ様の唇が押し付けられた。
 ちゅ、と小さな音を立てて、それが離れてゆく。

 ユーリ様。
 ユーリ様。
 ユーリ様。

 いま、僕が感じているこの感覚。
 もうわかった。
 わかっていた。

 これが。
 この、どうしようもなく惹きつけられてしまう、これが。

 これが、ユーリ様の匂いだって。

 一気に流れ込んできたユーリ様の匂いに耐え切れず、僕は意識を失ってしまったのだ。
 でももうわかる。
 もう大丈夫。
 もう誰とも間違えない。
 唯一無二のユーリ様の匂い。
 それを僕の鼻が、ちゃんと感じ取ることができているから。

 目が開かない。
 早くユーリ様の顔が見たいのに。
 僕はもがくように両手を動かして、手探りでユーリ様を探した。

「リヒトっ!」

 すぐにユーリ様が手を握ってくれる。

「リヒト、大丈夫? 具合が悪い? 吐きそうかい?」

 一生懸命僕の心配をしてくれるそのお声を聞いてたら、また涙が溢れてきて。
 僕は泣きながら、なんとか目を開けた。

「ゆ、ゆぅりさまぁぁ」

 動かしにくい口を頑張って動かして、僕は、ユーリ様に具合が悪いわけじゃないことを訴えた。

「ユーリ様が、あんまりいい匂いだったから、僕、びっくりして、気を失ってしまいました……」

 僕の背に手を入れて、僕が起き上がるのを手伝ってくれていたユーリ様が、僕の話すのを聞いて。

 その、きれいな新緑色の瞳を、テオさんのくれる飴玉みたいに大きく真ん丸に膨らませた。
  




しおりを挟む
感想 260

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。 オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

新年に余り物でおせちを作ったら、冷酷と噂の騎士団長様に「運命の番」だと求婚されました

水凪しおん
BL
料理人だった俺が転生したのは、男性オメガというだけで家族に虐げられる不遇の青年カイ。 新年くらいはと前世の記憶を頼りに作ったのは、この世界にはない『おせち料理』だった。 それを偶然口にしたのは、氷のように冷酷と噂される最強の騎士団長リアム。 「お前は俺の運命の番だ」 彼の屋敷に保護され、俺の作る料理が彼の心を溶かしていく。 不器用で、だけどまっすぐな愛情を注いでくれる彼と、美味しい料理で紡ぐ、甘くて温かい異世界スローライフ。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?

水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。 断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。 しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。 これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?

隠れオメガの整備士は自由になりたい。なのに暴走する最強騎士を身体を張って止めたら、運命の番だとバレて過保護な専属契約を結ばされました

水凪しおん
BL
※オメガバース設定。激しい戦闘描写や、執着攻めによるマーキング描写、軽度の性的な接触の描写がありますので、15歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。 汚染された惑星を浄化する生体兵器『機装(ギア)』。 その搭乗者は優れた能力を持つ『アルファ』に限られ、彼らの精神を安定させる鎮静剤として『オメガ』が存在する世界。 整備士のエリアンは、オメガであることを隠し、ベータと偽って軍の最前線で働いていた。 オメガは道具のように扱われるこの社会で、自由を守るための必死の嘘だった。 だがある日、軍最強のエリートパイロット・クレイドの機装が暴走する事故に遭遇する。 死を覚悟して止めに入ったエリアンだったが、暴走する機体はなぜか彼にだけ反応し、沈静化した。 それは、隠していたオメガのフェロモンが、クレイドと強烈な『共鳴』を起こした瞬間だった。 「見つけた。俺の対になる存在を」 正体がバレたと戦慄するエリアンに対し、冷徹なはずのクレイドが向けたのは、処罰ではなく執着に満ちた熱い視線で……? 孤独なエリート騎士×身分を隠した健気な整備士。 星の命運と本能が交錯する、近未来SFオメガバース!

処理中です...