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リヒト⑭
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「どうするもこうするも、リヒトはそのままでいいんですよ」
エミール様が眉をひそめて、怪訝そうなお顔になった。
僕はエミール様にもらったハンカチで目と鼻を拭いて、首を横に振った。
「ゆぅりさまのお屋敷に、も、もうひとり、オメガが居て、あの、ぼく」
僕はどうすればいいのでしょうか、と続けようとしたけれど、エミール様とアマル様が突然ものすごい勢いで立ち上がったから、僕の言葉は途中で掻き消された。
「ちょ、ちょっと待って! リヒト、いまの言葉は!!」
「まぁ! まぁまぁ!! ユーリがあなた以外にもオメガを?」
「ユーリ様のお屋敷にもうひとりオメガが居るって言いましたか?」
「あのユーリが? オメガを囲ってるですって?」
「アマルうるさい落ち着けって!」
「あなたこそ落ち着きなさいよエル! あらあらあら待って、ちょっと待って、こんな話してる場合じゃないじゃない! なんでそれを早く言わないの! リヒト、ユーリの妖精さん、ちょっとそこに座りなさいな」
もう座っている僕を指さして、アマル様が仰った。
これ以上どう座るのだろうか。もしかして、地面に座れって意味だろうか?
首を傾げながら椅子から下りようとしたら、エミール様が僕をぎゅうっと抱きしめてきて、
「リヒト! 大丈夫ですからね! 絶対になにかの間違いです! オレがいまからユーリ様のお屋敷に殴り込みに行きますから!」
と、なんだか恐ろしいことを口にした。
「殴り込みなんて野蛮なことよしてちょうだい。ユーリの王子様顔に傷をつけたらいくらエルでもゆるさなくてよ!」
「エルって呼ぶなってば! ユーリ様は畏れ多くて殴れないけど、テオバルドぐらいならオレでも殴れます。リヒト、オレが先に行って確かめてきますから」
「お待ちなさいっ! ユーリのことはマリウスに探らせたらよろしいのよ。リヒト、詳しくお話しなさいな。話の内容次第ではここにマリウスを呼びますわ」
コホン、と咳ばらいをしてからアマル様が椅子に座りなおされた。
あんまりサラリと仰ったから聞き逃しそうになったけれど、僕の話次第でここに国王様が来ることになるのだろうか。
エミール様が椅子の位置を動かして、僕と、アマル様と、エミール様の膝が向き合う形で腰を下ろした。
ふだん穏やかできれいなお顔が、ものすごく険しくなっている。
「顔が怖いですわ」
アマル様がぼそりと囁かれた。
エミール様がいつもより鋭い目つきでアマル様を睨んだ。それから僕の方へと視線を流して、
「リヒト、教えてください。ユーリ様のお屋敷にもうひとりオメガが居るというのは本当ですか?」
硬い声で、そう問いかけてきた。
エミール様が内緒話をするような小声で話されたので、僕はつられて小さな声になって、これまでのことをお話しした。
ユーリ様が二日に一度は夜にベッドから抜け出されること、戻ってきたらユーリ様以外のべつの人間の匂いがついていること、そしてユーリ様のお屋敷には二人の匂いのついた部屋があって、そこはユーリ様以外の誰も立ち入ることができないようになっていること。
ぼそぼそと、つっかえながらエミール様とアマル様にぜんぶを打ち明けた僕に、話を聞き終えたアマル様が小首を傾げて尋ねてきた。
「リヒト。あなたはなぜ、ベッドを出ていくユーリを引き留めなかったの?」
「……え?」
「なぜ、どこに行くのかと直接尋ねなかったのかしら?」
不思議そうに問われて、僕は返事に詰まった。
僕が、ベッドを抜け出してゆくユーリ様を引き留めて、どこに行くのかを尋ねる。
それは考えもしなかったことだった。
行かないでくださいと言いたい、と思ったことは数えきれないほどだったけど、僕にユーリ様の行動を指図することなんて、できないから。
だからただベッドの中でユーリ様のお戻りを待つことしかしていなかった。
黙り込んだ僕に、「あらあら」とアマル様が吐息した。
「わたくしがあなたなら、まずユーリに確認しますわ。こんな夜中にどこに行くのか。なにをしに行くのか。誰と会うのか。なぜわたくしに隠すのか。リヒト、あなたがそれをユーリに訊けない理由はなにかしら?」
僕は……僕はアマル様の質問の答えを探してみたけれど、まったくなにも思い浮かばなくて途方に暮れた。
「アマル。そもそもきみとリヒトの性格が違うんだ。誰もがきみのように振る舞えるわけじゃない」
エミール様が僕を庇ってそう口を挟み、
「それよりもユーリ様にもうひとりのオメガが居るというところが」
と続けようとしたけれど、アマル様のピシャリとした声に遮られた。
「ユーリにオメガが居るということよりもこっちの方が大事ですことよ! リヒト、いいこと、よくお聞きなさい。ユーリがあなたを僕のオメガと言うのは、ユーリがあなたを自分の所有物だと思っているからではなくてよ」
僕は、ユーリ様の、所有物ではない。
アマル様のお言葉に、僕は幾度もまばたきをした。
パチン、と僕の両頬で音がした。
その音にびっくりして僕が目を丸くすると、てのひらで僕のほっぺたを挟んだアマル様が「もう!」と怒ったように眉を上げた。
「さっき教えたでしょう! あなたはオメガである前に人間ですのよ! 無機質な物じゃなくてよ! あなたにはあなたの意思があるのでしょう! しっかりなさい! ユーリに与えられるのを待つばかりでどうしますか!」
アマル様の声は、てのひらよりも強く僕にぶつかってきた。
与えられるのを待つばかり。
そうだ。その通りだ。
僕は……いつもそうだった。
ユーリ様に拾われたときから、ユーリ様はずっと僕の世話をしてくれて。僕はただ待っているだけで食事も、お風呂も、トイレもできていた。
僕が自分から動かなくても良かった。ぜんぶユーリ様がしてくれた。
その習慣が、知らず知らず全身に沁みついていたのだ。
だから僕の方から動いて、ユーリ様を引き留めるなんて、考えつきもしなかった。
もうひとりのオメガについても、尋ねるのが怖いという以上に、ユーリ様の方から説明してくれるのを無意識に待っていたのだ。
「アマル、怖い。それからリヒトに乱暴するとユーリ様の逆鱗に触れますよ」
「怒ったユーリも格好いいからわたくしは好きよ」
「そういう問題じゃないでしょう。ほら、離れて」
エミール様がアマル様の手を僕から引きはがした。
僕はアマル様のやわらかなてのひらの感触を追いかけるように、それを目で追った。
僕は目が見えて。
耳が聞こえて。
味もするし皮膚の感覚もちゃんとあって。
匂いも、わかるのに。
いつまでも五感が弱かったときのように、ユーリ様からの施しを待っていた。
いまさらに自覚したその事実が、熱く重く僕のお腹の奥に立ち込めている。
発情期のない、完璧なオメガじゃないから、ユーリ様を引き留めることができなかった。
でも完璧なオメガなんてないことを、僕はもう知っている。完璧なオメガも、完璧な人間も居ないのだと、アマル様とエミール様が教えてくれた。
なら僕は、完璧じゃなくても、発情期が来ないままでも、ただひとりの人間として、自分の意思をユーリ様に伝えてもいい、ということだろうか。
行かないでください、と。
そう言って、ユーリ様を引き留めていいのだろうか。
「リヒト。ユーリ様からの手紙を覚えていますか?」
エミール様が僕の頬を撫でながら、問いかけてきた。
ユーリ様からの手紙。僕の宝物。忘れるはずがない。
「あれに、きみのユーリより、と書かれていたでしょう。あなたがユーリ様の最愛のオメガなら、ユーリ様はあなたのアルファですよ、リヒト。この世で唯一無二の、あなたのアルファです」
唯一無二の、僕のアルファ。
僕の、アルファ。
僕は服の胸元をぎゅっと握った。さっきからことあるごとにぎゅっとしてたから、もうしわが寄っている。
でも胸の奥が熱くて痛くて、そうせずにはいられなかった。
僕が、ユーリ様の最愛のオメガで。
ユーリ様が、僕の唯一無二のアルファ。
エミール様が眉をひそめて、怪訝そうなお顔になった。
僕はエミール様にもらったハンカチで目と鼻を拭いて、首を横に振った。
「ゆぅりさまのお屋敷に、も、もうひとり、オメガが居て、あの、ぼく」
僕はどうすればいいのでしょうか、と続けようとしたけれど、エミール様とアマル様が突然ものすごい勢いで立ち上がったから、僕の言葉は途中で掻き消された。
「ちょ、ちょっと待って! リヒト、いまの言葉は!!」
「まぁ! まぁまぁ!! ユーリがあなた以外にもオメガを?」
「ユーリ様のお屋敷にもうひとりオメガが居るって言いましたか?」
「あのユーリが? オメガを囲ってるですって?」
「アマルうるさい落ち着けって!」
「あなたこそ落ち着きなさいよエル! あらあらあら待って、ちょっと待って、こんな話してる場合じゃないじゃない! なんでそれを早く言わないの! リヒト、ユーリの妖精さん、ちょっとそこに座りなさいな」
もう座っている僕を指さして、アマル様が仰った。
これ以上どう座るのだろうか。もしかして、地面に座れって意味だろうか?
首を傾げながら椅子から下りようとしたら、エミール様が僕をぎゅうっと抱きしめてきて、
「リヒト! 大丈夫ですからね! 絶対になにかの間違いです! オレがいまからユーリ様のお屋敷に殴り込みに行きますから!」
と、なんだか恐ろしいことを口にした。
「殴り込みなんて野蛮なことよしてちょうだい。ユーリの王子様顔に傷をつけたらいくらエルでもゆるさなくてよ!」
「エルって呼ぶなってば! ユーリ様は畏れ多くて殴れないけど、テオバルドぐらいならオレでも殴れます。リヒト、オレが先に行って確かめてきますから」
「お待ちなさいっ! ユーリのことはマリウスに探らせたらよろしいのよ。リヒト、詳しくお話しなさいな。話の内容次第ではここにマリウスを呼びますわ」
コホン、と咳ばらいをしてからアマル様が椅子に座りなおされた。
あんまりサラリと仰ったから聞き逃しそうになったけれど、僕の話次第でここに国王様が来ることになるのだろうか。
エミール様が椅子の位置を動かして、僕と、アマル様と、エミール様の膝が向き合う形で腰を下ろした。
ふだん穏やかできれいなお顔が、ものすごく険しくなっている。
「顔が怖いですわ」
アマル様がぼそりと囁かれた。
エミール様がいつもより鋭い目つきでアマル様を睨んだ。それから僕の方へと視線を流して、
「リヒト、教えてください。ユーリ様のお屋敷にもうひとりオメガが居るというのは本当ですか?」
硬い声で、そう問いかけてきた。
エミール様が内緒話をするような小声で話されたので、僕はつられて小さな声になって、これまでのことをお話しした。
ユーリ様が二日に一度は夜にベッドから抜け出されること、戻ってきたらユーリ様以外のべつの人間の匂いがついていること、そしてユーリ様のお屋敷には二人の匂いのついた部屋があって、そこはユーリ様以外の誰も立ち入ることができないようになっていること。
ぼそぼそと、つっかえながらエミール様とアマル様にぜんぶを打ち明けた僕に、話を聞き終えたアマル様が小首を傾げて尋ねてきた。
「リヒト。あなたはなぜ、ベッドを出ていくユーリを引き留めなかったの?」
「……え?」
「なぜ、どこに行くのかと直接尋ねなかったのかしら?」
不思議そうに問われて、僕は返事に詰まった。
僕が、ベッドを抜け出してゆくユーリ様を引き留めて、どこに行くのかを尋ねる。
それは考えもしなかったことだった。
行かないでくださいと言いたい、と思ったことは数えきれないほどだったけど、僕にユーリ様の行動を指図することなんて、できないから。
だからただベッドの中でユーリ様のお戻りを待つことしかしていなかった。
黙り込んだ僕に、「あらあら」とアマル様が吐息した。
「わたくしがあなたなら、まずユーリに確認しますわ。こんな夜中にどこに行くのか。なにをしに行くのか。誰と会うのか。なぜわたくしに隠すのか。リヒト、あなたがそれをユーリに訊けない理由はなにかしら?」
僕は……僕はアマル様の質問の答えを探してみたけれど、まったくなにも思い浮かばなくて途方に暮れた。
「アマル。そもそもきみとリヒトの性格が違うんだ。誰もがきみのように振る舞えるわけじゃない」
エミール様が僕を庇ってそう口を挟み、
「それよりもユーリ様にもうひとりのオメガが居るというところが」
と続けようとしたけれど、アマル様のピシャリとした声に遮られた。
「ユーリにオメガが居るということよりもこっちの方が大事ですことよ! リヒト、いいこと、よくお聞きなさい。ユーリがあなたを僕のオメガと言うのは、ユーリがあなたを自分の所有物だと思っているからではなくてよ」
僕は、ユーリ様の、所有物ではない。
アマル様のお言葉に、僕は幾度もまばたきをした。
パチン、と僕の両頬で音がした。
その音にびっくりして僕が目を丸くすると、てのひらで僕のほっぺたを挟んだアマル様が「もう!」と怒ったように眉を上げた。
「さっき教えたでしょう! あなたはオメガである前に人間ですのよ! 無機質な物じゃなくてよ! あなたにはあなたの意思があるのでしょう! しっかりなさい! ユーリに与えられるのを待つばかりでどうしますか!」
アマル様の声は、てのひらよりも強く僕にぶつかってきた。
与えられるのを待つばかり。
そうだ。その通りだ。
僕は……いつもそうだった。
ユーリ様に拾われたときから、ユーリ様はずっと僕の世話をしてくれて。僕はただ待っているだけで食事も、お風呂も、トイレもできていた。
僕が自分から動かなくても良かった。ぜんぶユーリ様がしてくれた。
その習慣が、知らず知らず全身に沁みついていたのだ。
だから僕の方から動いて、ユーリ様を引き留めるなんて、考えつきもしなかった。
もうひとりのオメガについても、尋ねるのが怖いという以上に、ユーリ様の方から説明してくれるのを無意識に待っていたのだ。
「アマル、怖い。それからリヒトに乱暴するとユーリ様の逆鱗に触れますよ」
「怒ったユーリも格好いいからわたくしは好きよ」
「そういう問題じゃないでしょう。ほら、離れて」
エミール様がアマル様の手を僕から引きはがした。
僕はアマル様のやわらかなてのひらの感触を追いかけるように、それを目で追った。
僕は目が見えて。
耳が聞こえて。
味もするし皮膚の感覚もちゃんとあって。
匂いも、わかるのに。
いつまでも五感が弱かったときのように、ユーリ様からの施しを待っていた。
いまさらに自覚したその事実が、熱く重く僕のお腹の奥に立ち込めている。
発情期のない、完璧なオメガじゃないから、ユーリ様を引き留めることができなかった。
でも完璧なオメガなんてないことを、僕はもう知っている。完璧なオメガも、完璧な人間も居ないのだと、アマル様とエミール様が教えてくれた。
なら僕は、完璧じゃなくても、発情期が来ないままでも、ただひとりの人間として、自分の意思をユーリ様に伝えてもいい、ということだろうか。
行かないでください、と。
そう言って、ユーリ様を引き留めていいのだろうか。
「リヒト。ユーリ様からの手紙を覚えていますか?」
エミール様が僕の頬を撫でながら、問いかけてきた。
ユーリ様からの手紙。僕の宝物。忘れるはずがない。
「あれに、きみのユーリより、と書かれていたでしょう。あなたがユーリ様の最愛のオメガなら、ユーリ様はあなたのアルファですよ、リヒト。この世で唯一無二の、あなたのアルファです」
唯一無二の、僕のアルファ。
僕の、アルファ。
僕は服の胸元をぎゅっと握った。さっきからことあるごとにぎゅっとしてたから、もうしわが寄っている。
でも胸の奥が熱くて痛くて、そうせずにはいられなかった。
僕が、ユーリ様の最愛のオメガで。
ユーリ様が、僕の唯一無二のアルファ。
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