溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

文字の大きさ
175 / 184
(番外編)ともに、歩く。

しおりを挟む
 リヒトは[『戸籍局』と真鍮のプレートの掛かっている部屋の前に立った。
 後ろにはテオバルドが居る。
 彼の両手はリヒトのウエストコートから長く伸びるレースのテール部分を持っているため、扉は自分で開かなければならなかった。

 本当はいまここにテオバルドしか居ないのは、異例中の異例だと、リヒトにも理解できている。

 婚姻の儀の式典を行うにあたり、リヒトはテオバルドやエミールから色々と話を聞いた。教本も見せてもらった。
 教本には至るところにイラストが添えられており、式典の様子が伺えた。

 そこには、結婚する王族はもちろん、その伴侶の周りにもひとがたくさん描かれており、色々な役割をそれぞれがこなしているようだった。

 きっと、複数人が束になって行うような仕事を、ユリウスやテオバルドが一手に引き受けてくれたのだろう。
 リヒトが必要以上に緊張しないように。
 王城の仕来たりや礼儀作法をあまり知らないリヒトが、それを恥ずかしく思わなくていいように。
 リヒトの知らない場所で、二人が動き回ってくれたに違いなかった。

 そう思ったら、もう一度テオバルドにお礼を言いたくなったけれど、リヒトが予定にない動きをするとせっかくの衣装や花飾りが崩れてしまう。
 だからリヒトは式典の後でしっかりとテオバルドに感謝を伝えようと決めて、扉に手を掛けた。

 扉はずしりと重く、思った以上に力を込めなければならなかった。
 中に入ると、そこは空っぽの小部屋になっていた。足元が絨毯から石造りの床に変わった。

 小部屋の奥には、その先に続く白いドアがひとつある。

「リヒト様」

 テオバルドに呼ばれ、リヒトはこくりと唾を飲み込んだ。

「俺はここまでです。この扉はあなたひとりでくぐってください」
「……はい」
「二の扉までは?」
「三十三歩です」
「そうです。あなたは練習通りに歩けます。大丈夫です」

 励ます声音に背中を押される。
 リヒトは白いドアに触れた。

「リヒト様、中は暗いです。転ばないように」
「はい」
「二の扉に殿下が居ます。そこからはお二人一緒です」
「はい」
「リヒト様」
「……はい」

 テオバルドが持っていたテール部分をゆっくりと床に下ろし、きれいに見えるよう整えてから、リヒトの隣に並んだ。
 茶色の瞳が、リヒトを見下ろしてじわりと細められる。

「ご結婚おめでとうございます」

 やわらかにやさしく、テオバルドが言った。
 その途端、リヒトの喉元に熱いものがこみあげてきた。
 はふはふと息をしたら、テオバルドが笑いながらリヒトのひたいを指先でちょんとつついた。

「泣くのは我慢ですよ、リヒト様。俺は一番奥の部屋でお二人が来るのを待っていますから。あなたがユリウス殿下と一緒に歩いてくるところをお迎えさせていただきます」
「……ふぁい」

 我慢、と言われてリヒトは、涙をこらえながら震えそうになる唇を動かした。

「ぼく、テオさんが教えてくれた通りに、頑張って歩きます」
「楽しみにしてます」

 テオバルドの笑顔に見送られ、リヒトは深呼吸をした後、一の扉を押し開けた。

 中は、テオバルドの言った通り暗かった。
 壁際に置かれたオイルランプの火が、扉の開閉に合わせてゆらりと揺れた。
 背後で扉を閉じると、なおのこと部屋の闇が際立った。

 ゆらり、ゆらり。
 頼りない光源が暗闇を舐めるように動く。

 リヒトは息を吸い込んでから、右足を一歩前に出した。
 向こうの扉まで、三十三歩で歩ききらなければならない。

 リヒト様は一歩が小さいので、頑張って足を遠くへ出すようにしてください。

 何度も聞いたテオバルドの注意が、耳の奥によみがえる。
 出した右足に、左足を揃えて置いた。コツリ、と部屋に足音が響いた。

 はふ……と呼吸をして、二歩目。こんどは左足を大きく前に出す。右足を揃える。三歩目は右足を出す、左足を揃える。
 一歩ずつを、そうして大切に大切にしながら歩く。

 一の扉から二の扉までは過去の道程だ、とエミールは言っていた。

「自分がこれまで歩いてきた道程を、一歩一歩確かめながら歩くんです。部屋は暗くて、ひとりで歩いていると不安になってきます。それでもおのれで歩くことで、前に進むことができる」
「エミール様も、不安になりましたか?」
「ええ。しずかな場所で、ランプの火だけがほのかに灯っていて、歩くうちに色々なことが思い出されました。そんな中をひとりきりで歩くのは、オレもとても不安でした。でも、リヒト、想像してください。辿りついた先には、あなたのつがいが居る。ユーリ様が、待ってるんですよ」

 エミールとのやりとりを思い出しながら、リヒトは歩く。歩く。歩く。
 暗くて、静寂に満ちた部屋に、自分の息づかいが溶けてゆく。
 十歩、十一歩……。コツリ、コツリ。石造りの暗い部屋に、音が反響する。

 間違えないように数えていると、不意に目の前が霞んだようになった。
 あれ? と数度まばたきをする。
 ランプの火が弱まったのだろうか? 否、そんなことはない。ゆらゆらと揺れる炎はどこも消えたりはしていない。

 十二歩、十三歩……。

(数を数えてはいけませんよ)

 誰かの声がした。

(数を数えてはいけません)

 誰だろう。テオバルドだろうか。
 でもテオバルドはそんなこと言わなかった。
 わからなくなったら、声に出して数えてもいいんです。
 頼りになる侍従は、そう言ってリヒトと一緒に歩く練習をしてくれた。

 リヒトは震えそうになる声を、無理やりに喉から出した。

「じゅう、よん……じゅう、ご……」

 ぴしゃり、と手を叩かれた。
 驚いて周りを見る。
 誰も居ない。暗い部屋には、リヒトしか居ない。
 でも手が痛い。
 誰かがリヒトの手を叩いて怒っている。

(また間違えましたね! 違います。最初からやり直しなさい)
(最初は右から二番目です。指をさしてはいけません。数を数えない!)
(次は? そうです、自然に見えるように手に取るのです。模様と形をしっかりと覚えなさい)

 ぐらり、と足元が揺れた。
 床が急に近づいてきた。

 違う。床が近づいたのではない。リヒトが膝をついたのだ。硬い床は、ひやりとしていた。
 
 浅い息が漏れた。
 胸が苦しくて、なぜか震えが止まらなくない。

 リヒトは周囲を見渡した。
 誰も居ない、暗い部屋。

 この部屋は、過去の部屋。
 リヒトはいま、過去の中を歩いているのだ。

 そう考えて、震えの理由に思い当たる。
 
 リヒトの過去とは、すなわち『ハーゼ』。

 過去を歩くということは、『ハーゼ』だったころのおのれの上を歩くことなのだ、と。
 リヒトは不意に自覚して、恐怖に顔を歪めた。

 

 

 
しおりを挟む
感想 260

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。 オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

新年に余り物でおせちを作ったら、冷酷と噂の騎士団長様に「運命の番」だと求婚されました

水凪しおん
BL
料理人だった俺が転生したのは、男性オメガというだけで家族に虐げられる不遇の青年カイ。 新年くらいはと前世の記憶を頼りに作ったのは、この世界にはない『おせち料理』だった。 それを偶然口にしたのは、氷のように冷酷と噂される最強の騎士団長リアム。 「お前は俺の運命の番だ」 彼の屋敷に保護され、俺の作る料理が彼の心を溶かしていく。 不器用で、だけどまっすぐな愛情を注いでくれる彼と、美味しい料理で紡ぐ、甘くて温かい異世界スローライフ。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?

水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。 断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。 しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。 これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?

隠れオメガの整備士は自由になりたい。なのに暴走する最強騎士を身体を張って止めたら、運命の番だとバレて過保護な専属契約を結ばされました

水凪しおん
BL
※オメガバース設定。激しい戦闘描写や、執着攻めによるマーキング描写、軽度の性的な接触の描写がありますので、15歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。 汚染された惑星を浄化する生体兵器『機装(ギア)』。 その搭乗者は優れた能力を持つ『アルファ』に限られ、彼らの精神を安定させる鎮静剤として『オメガ』が存在する世界。 整備士のエリアンは、オメガであることを隠し、ベータと偽って軍の最前線で働いていた。 オメガは道具のように扱われるこの社会で、自由を守るための必死の嘘だった。 だがある日、軍最強のエリートパイロット・クレイドの機装が暴走する事故に遭遇する。 死を覚悟して止めに入ったエリアンだったが、暴走する機体はなぜか彼にだけ反応し、沈静化した。 それは、隠していたオメガのフェロモンが、クレイドと強烈な『共鳴』を起こした瞬間だった。 「見つけた。俺の対になる存在を」 正体がバレたと戦慄するエリアンに対し、冷徹なはずのクレイドが向けたのは、処罰ではなく執着に満ちた熱い視線で……? 孤独なエリート騎士×身分を隠した健気な整備士。 星の命運と本能が交錯する、近未来SFオメガバース!

処理中です...